第160話 見切り

 薄汚れたスーツを着た男がコントローラーを手渡す瞬間をねらっていた。


 気配を完全に殺し、数メートルの距離まで接近し、怪物の意識がコントローラーに向いた瞬間を狙って、一気に力を解放して斬り込んだ。


 チャオの持つ戦鎌いくさがまの刃が、怪物の右上腕に喰い込んだ。肉を切る感触が好きで、この世界の様々な生き物を切り殺してきたが、怪物の肉を切り裂いていく感覚は、他のどれともことなっていた。刃が皮膚を切り裂き、筋肉を断ち切って通り抜けた瞬間、チャオの全身は身悶みもだえするように震えた。人間を、敵を切り刻むことこそ、何物にも代えがたい悦楽えつらくをチャオに味わわせてくれる。


 すさまじいとしか言いようのない怪物だった。攻撃魔法のたぐいは一切使わず、ただ強化した肉体だけで肉弾戦を仕掛けてくる。人間の動体視力で捉えるのは困難なほどの速度で動き、硬く巨大な両の拳で情け容赦ようしゃなく粉砕ふんさいするその姿は、暴力の化身としか呼びようがない。その上、怪物はは防御魔法らしき真紅のシールドで全身をおおい、垂れ流しとしか言いようがないほどの量の回復魔法で傷を修復し続けている。ジョン・ドウ。身元不明遺体の総称そうしょうだが、この化物の呼び名にぴったりだ。


 怪物の脇をり抜け、十数メートル先に着地した。殺すなとは命じられていないから、首を切り落として結着を着けてしまいたかったが、さすがにそのすきは見いだせなかった。


 小僧犬が用意したモニター席から、小僧犬とその一派が怪物と闘う様子を見物していた。最初から戦闘に加わりたかったが、ミカがそれを許可しなかった。不満を感じたが、その後の戦いを見る限りミカの判断が正しかったと認めざるを得ない。予備知識が無ければ、チャオも不覚を取っていたかもしれない。それほどまでにドウの力は圧倒的だった。


 ドウの姿が消えていた。降り注ぐ放水が途切とぎれたせいで、チャオは姿を消した敵が上にいることに気がついた。


「キャッ」


 上から叩きつけてくる拳を、体をのけ反らせてかわした。戦鎌の重みを利用して反転し、無防備なドウの首筋目掛けて刃を叩きつける。


 ラバーコーティングされた鉛でも叩いたような反動と共に、鎌の刃がはじかれた。鮮やかな赤で描かれた梵字ぼんじが浮かび上がり、ネオンサインのように唐突とうとつに消えた。防御魔法だ。


 間髪かんぱついれず、ドウの蹴りが飛んでくる。体のどこに受けても致命傷になりうる速度と質量をもった攻撃だったが、えてあらがわず、蹴り足に体を預け、全身から力を抜いた。チャオの身体がドウの頭上へと押し上げられていく。ビル7階分にも相当する倉庫の天井近くまで飛ぶと、チャオの身体は重力に引かれて落下を開始した。


「キャッハーっ」


 歓声かんせいが自然に口をついて出る。遊園地にあるフリーフォールに乗っているような感覚だったが、下に待ち受けているのは本物の死だ。まがい物とはスリルが違う。


 落下する先にはドウが待ち構えている。落下速度が増しているから、ドウの攻撃を受け流す術もない。カウンター攻撃を喰らえば、チャオの身体は四散しさんするだろう。


 突き出されたドウの拳に、戦鎌を叩きつけた。生身の拳と、精錬せいれんされた鋼の刃が空中で激突した。勢いで押されはしたが、チャオの攻撃もドウの拳にダメージを与えていた。戦鎌の刃は、ドウの拳の中指と薬指の付根を、手首近くまで切り裂いていた。


 ドウから距離を取り着地した。追撃は来ない。


「やっぱそうなんだ。攻撃の瞬間は防御できない。当たり?」


 問い掛けたが返事は無かった。それもそのはずで、ドウはチャオが斬り落とした右手を口に咥えていた。


 ドウが相手に触れようとする瞬間はシールドが働かない。モニター室で見た小僧犬一派とドウの戦いから、チャオはそう判断した。そうでなければドウの攻撃もまた、相手にヒットする直前にシールドによって弾かれてしまうからだ。あのシールドはおそらく、肉弾戦を得意とするドウの身体を遠距離攻撃から守る為にほどこされたものだ。コントローラーを受け取る際や、ドウの攻撃が相手にヒットする瞬間、ドウの身体は一時的に無防備になる。


 ドウの身体が緑色の光に包まれた。頭から足先に向けて体表を流れるようにみどりの輝きが伝い落ちていく。この光は以前目にしていた。魔王に操られた小娘の身体を瞬時に治癒ちゆしてみせた回復魔法だ。


「うわっずるい。治っちゃうわけ?」


 たった今チャオがつけた左手の傷が再生していく。それだけではない。斬り落とした右腕を切断面に押し付けると、肉と肉が融合ゆうごうし、呆気あっけないほど簡単に接合してしまった。


「凄いね。でもそれってチート過ぎない?そんなんで闘って楽しい訳?」


 無言で対峙たいじするドウの体から、黒焦げになった皮膚が剥がれ落ちていく。その下から現れたのは、傷ひとつない褐色かっしょくの肌だ。

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