第166話 いつか届く絵葉書

 目を開くと頭の奥に鋭い痛みが走った。天井の照明がまぶしすぎるせいだ。


 倉庫の床に敷かれたブランケットに横たわっていた。上体を起こそうとしたが、首から下の感覚が無い。


 先ほどまでいた倉庫とはまた別の倉庫らしい。何もない広大な空間に、怪物と戦って負傷した傭兵たちが並べられ、治療を受けている。


戦場に作られた野戦病院のようなものなのだろうか?兵士の戦闘意欲を最大限にまで引き出させるため、小僧犬の組織は万全のバックアップ体制を整えていると聞いたことがある。


「気がついたか?」


 薄目を開いて見ると、すぐ横でステアーが漫画を読んでいた。有名な少年漫画の英語バージョンで、傭兵用の宿舎のラウンジに並んでいたものだ。


「英語かスペイン語で話せといったはずだ」


 そうは言ったものの、ステアーが口にする母国語は驚くほど心地よく耳にひびいた。


「どうして?きみだって母国語で話してるぜ」


 指摘されるまで気づかなかったが、リディアもまた自国の言葉で話している。


「体が動かない。脊髄せきずいをやられているのか?」


「ええっ~と、どうだったかな」


 手にした漫画を放り投げ、ステアーはリディアの体に貼り付けてあった黄色いメモ用紙を手に取った。知り合って間もないが、どうにもお気楽な男らしい。


肋骨あばらぼね3本、大腿骨だいたいこつ1本、鎖骨さこつ肩甲骨けんこうこつも折れてる。あと内臓と頭部にダメージあるな。トリアージ的には黄色、ってことは重症だけどまぁ死にはしないってことだ」


 医療トリアージ。大規模災害などの際に医師が決める治療の優先度だ。赤なら最優先、黄色は要入院治療、青と黒なら医師による治療は必要無しとなる。ただ、同じ治療必要無しでも、黒の紙を貼られた者は回復の見込みが無い重篤者じゅうとくしゃだということになる。


「助かったのか」


 呟きの中に喜びは無かった。あの怪物ですら、自分を殺してはくれなかった。あとどれだけ罪を重ねれば、神は自分を死なせてくれるのだろう。


「死ねると思ったのに。残念だ」


 リディアの言葉に返事もせず、ステアーは放り投げた漫画本を拾い上げて続きを読み始めている。


「まぁでもさ」


 ページをめくりながらせんべいを頬張ほうばるステアーがくぐもった声でしゃべる。


「あの化け物、間違いなく手加減してたぜ。あんだけ派手に銃撃してたのにさ」


 さりげない一言に衝撃を受けた。


「なぜだ?どうして手加減されるんだ?」


「どうしてだろうな。多分、あいつは神でもなければ悪魔でもなかったってことなんじゃないかな。リディアが背負ったものは、誰も肩代わりしてなんかくれない。そういうことなんじゃない?」


「意味が分からない。お前自分が何を言ってるのかわかってるのか?」


「泣きながら笑って銃を撃つ女なんか、気持ち悪くって殺せないってことだよ。死にたけりゃ自分で勝手に死ねってこと」


 不貞腐ふてくされたように背を向けて漫画を読み続けるステアーの姿は、戦闘時とは別人のように幼く見える。


「おい。水をくれ」


「ジュースしかない。それでいいか?」


「水がいい。取ってきてくれ」


「なんで俺が?」


「わたしの看病をするためにそこにいるんだろう?違うのか?」


 衛生兵のような男に向けて水をよこせと声をかけると、ペットボトルの水が手渡された。


「おれはたださ、伝えたいことがあってここにいただけだよ」


「なんだ?」


 冷えてはいなかったが、流し込んだ水はうまかった。


「おれは抜ける。この組織からじゃなくって、この世界からさ」


「抜けられるわけがない。一度始めたら殺されるまで終わらない。常識だろう?」


「小僧犬は了承したぜ。勤続5年未満だから、退職金は出せないっていってたけど」


「油断させて殺す気だ。口封じされるに決まってる」


「それでもいいさ。俺を殺せるやつなんてそうそういやしないからな」


「どこに行くんだ?」


「国に帰る。内戦も終わってるし、別人名義のパスポートも山ほどあるしな」


「帰ってどうする?人殺し以外何もできやしないんだろう?」


 漫画本から視線を外し、ステアーがいたずらっぽい笑顔をリディアに向ける。


「俺のいたパルケットにはさ、でっかい川と、その川がそそぎこむ海がある。ガキの頃よくそこで遊んだんだ」


 辺りを見回すと、ステアーはリディアの耳元に口を寄せた。


「そこにはうなぎがうじゃうじゃいたんだよ。小っちゃいのからでっかいのまで、それこそ見渡す限り一面にさ」


「うなぎ?それがどうした」


「うなぎはこの国じゃ高級魚だ。ああっと、厳密げんみつに言って魚かどうかは知らないけど、とにかく高値で取引されてる。だから、うなぎを養殖してこの国に売り込むんだ」


 口元から笑いが込み上げてきた。一流の傭兵が引退してうなぎの養殖を始めると言っている。ばかばかしいにもほどがある。


「そこで提案なんだけど、どうだろう?おれと一緒に帰らないか?」


 息が止まった。痛み止めのモルヒネが効いているはずなのに、リディアの胸が激しく痛みだす。


「わたしに、あの国に帰れというのか?」


「そうだ。確かにあの国のせいで、俺たちは殺人マシンになっちまった。だからさ、俺たちを人間に戻せるのもあの国なんじゃないかって、そう思うんだよ」


「馬鹿な。都合がよすぎる。そんな虫のいい話があるか」


「あるかもしれないし、無いかもしれない。だけど俺はある方に賭ける。嫌な話ばかり信じるのはもう飽き飽きだからな」


 ステアーから顔を背けた。そんな話、聞きたくもない。


「すぐに決断することはない。したって当分は動けやしないだろうしさ」


「消えろ。二度と姿を見せるな」


「絵葉書を送るよ。出せないかもしれないし、出しても届かないかもしれない。だけど向こうに着いたら必ず出す。返事なんかいらない。でも一度だけでいいから、本気で考えてくれ」


 リディアの背後から、ステアーの気配が消えた。振り返ってみると、そこには読みかけの漫画本だけが放置されていた。

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