第9話 特殊閃光弾

 警視庁指令けいしちょうしれいセンターには年間900万件近い110番通報つうほうが入る。平均すると3,5秒ごとに1回、誰かが警察に通報をしていることになる。

 非常通報ひじょうつうほう装置そうち設置せっちされた非常ボタンを押すだけで、信号が指令センターに送られ、通報場所を特定とくていする機能きのうを持った通信装置だ。非常ボタンではあるが、犯人に察知さっちされないよう非常ベルなどは鳴動めいどうせず、遠くはなれた指令センターに自動録音じどうろくおんメッセージが流れる仕組みとなっている。通報を受信じゅしんした指令センターは、直近ちょっきんにいる警察官や覆面ふくめんパトカーに連絡し現場に急行させ、事案じあん早期解決そうきかいけつはかる。店長が押したカウンターの下の非常ボタンは、まさにこのタイプの非常通報装置だった。


 南条が入ったコンビニ、おひさまマート志村坂上しむらさかうえ店は警視庁第10方面本部ほうめんほんぶ管轄区かんかつくだった。おりしも第10方面では、北赤羽きたあかばね金融機関きんゆうきかん武装ぶそうした強盗におそわれた直後だったため、管区かんく内に緊急配備きんきゅうはいびがなされている最中さいちゅうだった。


 じゅうで武装した集団しゅうだんの犯行を重くみた第十方面本部は、警視庁警備部けいしちょうけいびぶにSATの出動しゅつどう要請ようせいし犯人との遭遇そうぐうそなえていた。武装強盗発生はっせいから数時間しか経過けいかしていない上に、同じ第10方面本部管轄区での緊急通報きんきゅうつうほうであったため、強盗事件との関連かんれんうたがったSATはおひさまマートへ急行きゅうこうした。現着したSATの隊員が見た光景こうけいは、コンビニ内で包丁を振りかざす男と、カウンターの中で立ちすくむ女性従業員の姿だった。


 この時SATを指揮しきしていたのは、管区機動隊かんくきどうたいからの叩き上げたたきあげである真庭孝明まにわたかあき警部補けいぶほだった。事件の即時解決そくじかいけつねらった真庭警部補は、人質ひとじちである従業員女性が今現在いまげんざい危機的状況ききてきじょうきょうであると判断はんだんし、即時介入そくじかいにゅうおよ特殊閃光弾とくしゅせんこうだんの使用を許可きょかした。


 特殊閃光弾はスタングレネード、フラッシュバンとも呼ばれる非致死性兵器ひちしせいへいきだ。手榴弾しゅりゅうだんとよく形状けいじょうを持つ特殊閃光弾は、手榴弾同様、上部じょうぶのピンを抜いて相手の直近ちょっきんに投げ込むことで効力こうりょく発揮はっきする。大音響だいおんきょう閃光せんこう対象たいしょう感覚かんかくを一時的に麻痺まひさせ、そのすきをついて犯人はんにん制圧せいあつすることを目的とするこの兵器は、対テロ対策たいさくにおいて目覚めざましい成果せいかを上げ、人質救出ひとじちきゅうしゅつ作戦さくせんにおいては、スタンダードな戦術せんじゅつとなっている。


 100万カンデラの強烈きょうれつ閃光せんこうと、170デシベルをえる爆発音ばくはつおんは、カウンター内部ないぶの明奈の視力しりょく聴力ちょうりょくうばった。明奈が感じた浮遊感ふゆうかんは、爆音ばくおんによって三半規管さんはんきかんくるわされ、方向感覚ほうこうかんかく消失しょうしつしたことによってしょうじた錯覚さっかくだった。左右はもちろん、上下すら識別しきべつできない状態じょうたいで立ちくした明奈の体を、力強ちからづようでが包み込んでいた。心臓しんぞう鼓動こどうを感じ、次に人のぬくもりを感じた明奈は、じていたまぶたひらいた。カウンターの床に横たわった明奈の体を、誰かが抱き止めてくれていた。

「ケガはないか?」

 南条の声がした。声音こわねに明奈に対する気遣きづかいが感じられる。何かが店の中で爆発し、その爆発から南条が救ってくれた。

「大丈夫、です」

「そうか。ここにいてくれ。あとは、わたしがかたづける」

 完全に回復していない視力のせいで、明奈には南条の姿は見えなかったが、南条が立ち上がる気配けはいは感じられた。


 モニターしに真庭は、信じられない光景こうけいを見ていた。


 足元あしもと投擲とうてきした特殊閃光弾が炸裂さくれつする寸前すんぜん、男はサッカーボールをるように特殊閃光弾を靴先くつさきはじいていた。ピンを抜き、投擲から炸裂するまでの秒数を、隊員は訓練くんれんを通して熟知じゅくちしている。閃光弾が男の足元に到達とうたつしてから炸裂するまでの時間は、2秒にたなかったはずだが、そのコンマ数秒の間に、男は閃光弾の特性とくせい見抜みぬき、コンビニのたなの先に向けて蹴り飛ばした。それだけでも驚異的きょういてきなことなのに、次に男は、カウンターの内側にいた女を両手に抱きかかえて床にせた。一連いちれん動作どうさよどみなく、これが人間の動きなのかとうたがいたくなるような速度の中で、あらかじめ決められていた手順てじゅんをこなすようにおこなわれていた。


 閃光弾の炸裂を待って男を確保かくほする予定だった突入部隊とつにゅうぶたいは、蹴り飛ばされ、予期よきせぬ場所で炸裂した閃光弾のせいで完全に動きを止められていた。


 炸薬さくやく燃焼ねんしょうしたさいに生まれる薄煙うすげむりの中、濃灰色のうかいしょくのアサルトスーツに身をつつんだ4名の部下たちが、被疑者ひぎしゃを探して周囲しゅうい見回みまわしていた。

「カウンターの中だ!」

 真庭はインカムに向かって怒鳴どなった。高感度こうかんどのインカムを装備そうびした隊員たちの首がすくむのがモニター越しにも分かる。鬼の真庭と呼ばれるほど、真庭の存在そんざいは隊員たちにおそれられている。


 隊員がカウンターに向き直むきなるのと同時に、男がカウンターの内側から姿をあらわした。素肌すはだの上半身に、そでを引きちぎった青い縞模様しまもよう半纏はんてん羽織はおったふざけた格好かっこうだが、その動きは刮目に値する。


対象たいしょう視認しにん現在げんざい、対象は凶器きょうき所持しょじしておらず」

「見ればわかる。そのまま確保かくほしろ」

 男は包丁をカウンターの上に置いたまだ。敵意てきいがないことをしめすつもりなのか、両手を上げている。


衛兵えいへいか?」

 隊員のインカムを通して、真庭にも男の声が聞こえた。まだ若い、20代なかばくらいの男だ。

「確保します」

 男の問いには答えず、インカム越しに隊員が真庭の言葉を復唱ふくしょうする。男が凶器を放棄ほうきしたことが判明はんめいしている以上、隊員の携行けいこうするH&K MP5の銃口を向け続けるわけにはいかない。


指揮官しきかんと話がしたい。ここにいるのか?」


 男の声が聞こえる。お前とは山ほど話をすることがありそうだなと真庭は思う。もっとも、その話し合いはここではなく、せま取調室とりしらべしつの中で行われることになる。

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