第8話 外出

刑部明奈おさかべあきなは自分の目をうたがった。外は今日も暑い。外気温はすでに40℃近くまで上がっているはずだ。そんな猛暑の中、通りの反対側から、妙な恰好をした男が店に向かって歩いて来る。


「店長、あの人」


 レジ脇で揚げ物を陳列していた店長に声をかけた。


「な~に?明奈ちゃん。店長ねぇ、今とっても忙しいの」


 このコンビニでバイトを始めて2カ月近くが立つが、明奈は店長の年齢を知らない。外見上は間違いなく男性なのだが、言動は限りなく女性に近い。だからといって、完全な女性かといえば、そうではないような気がする。


「いえ、あの、ちょっとやばいかもって」


 男は店の駐車場に足を踏み入れた。真直まっすぐにこっちを見ているということは、間違いなく店にやってくる。


「やばいって、そんなにイケメンなの?」


「いや、やばいって、そういう意味じゃなくて・・・・・」


「イケメンじゃないなら、店長知らない。ねぇ、明奈ちゃん。春巻き、十個で足りるかしら」


「1時過ぎてるから、充分だと思いますけど」


 自動ドアが開くと、男は一歩後退し、まじまじとガラス製のドアを見回し始めた。


「魔法か?それとも誰かかくれてるのか。あるいは」


 呟きというには大きすぎる声だった。


「エルフのいたずらか?」


 受けを狙っているのか単なる危ない人なのか、明奈には判断がつかなかった。ただ、男の外見を見る限り、いたい人であるこては間違まちがいなさそうだ。


「いらっしゃいませ」


 いやだなと思っても声が出てしまう。接客バイトのあるあるだった。


 声に反応し、男が顔を明奈に向ける。近所に住んでいる常連じょうれんだったが、いつもとは様子が違っていた。


「助かった。やっと言葉の通じる人に出会えた」


 同じ日本語なのだから、言葉は通じるだろうと明奈は思う。コンビニにやってくる客の七割は、そこから先に問題がある人間が多い。つまり、言葉は通じるが、会話は通じないタイプだ。


「ここまで来る間に、四人ほどに声をけたのだが、誰一人としてこたえてくれなかった。あまつさえ」


 あまつさえという言葉を使う人を明奈は始めて見た。


「わたしをけて逃げす始末しまつだ。この街の人間は、よそ者を受け入れないのか?」


 真夏にそでを引きちぎった縞模様しまもよう半纏はんてん羽織はおり、それをカーテンの生地きじでしばりつけている。下は膝上ひざうえの灰色のショートパンツで、革靴にに素足を押し込んでいた。通りでこんな男に声を掛けられたなら、誰だって逃げ出すだろうと明奈は思う。店に来た変わった客の中でも、眼前がんぜんの男の恰好かっこうは飛び抜けていた。


「ここは商店なのか?変わった店だが、取敢とりあえずはいい」


 何がいいのかわからない。コンビニの店員に接する際の最低限さいていげん礼儀れいぎがあるとするなら、無駄話むだばなしをせずに要件ようけんを伝えることだと明奈は思うが、もちろんそんなことは口に出さない。


「何かお探しですか?」


 恐る恐るおそるおそる聞いてみる。この男は知っていた。毎日一回は煙草たばこを買いにくる。買うのは大抵、煙草とビールだけだ。無愛想ぶあいそうで、気に入らないことがあるとすぐ舌打したうちをする、感じの悪い客として知られていた。公共料金の支払しはらいを何回か受けたことがあるので、明奈は男の名前を知っていた。たし南条なんじょうとかいう名だったはずだ。


「欲しいのは情報だ。有益ゆうえきな情報なら代金ははずむ。まず、この街の名前を教えてほしい。最後にわたしがいたのは、ボルサールの北東から百キロほど移動したあたりだったと思うのだが」


「ここは志村坂上しむらさかうえです。うちのお店は志村七丁目店。ボルサールというのは、建物の名前ですか?」


「ボルサールは城塞都市だ。知らないのか?」


 知らないわよと明奈は内心で毒づいた。


「そうか。では、ここから一番近い大きな街の名を教えてくれないか?」


赤羽あかばね・・・・・。池袋いけぶくろかな」


「イケ、ブクロ」


「池袋。サンシャインがある」


「サンシャイン。トベーラは使えるだろうか?」


「トベーラってなんですか?」


「トベーラ、瞬間移動しゅんかんいどう魔法陣まほうじんだ。使う者を見たことあるだろう?」


 いよいよ本格的ほんかくてきにやばくなってきた。会話の中に普通に魔法という言葉をぶっこんでくるとなると、痛い人の中でも上位者じょういしゃだ。こじれる前に、こちらがトベーラとやらで逃げだす必要がる。


「池袋だったら、三田線みたせん巣鴨すがもで乗り換えるといいですよ。ちょっと歩いていいんだったら、赤羽までいって、埼京線さいきょうせんでも」


「そうなのか。その三田とか埼京とかいうのは、馬車のようなものなのだろうな。それで移動する。なるほど。」


 ひとしきり考え込むと、男は明奈に向けて笑顔を見せた。取り立てて特徴とくちょうのない男だったが、男の見せた自然な笑顔に思わず明奈も微笑ほほえみ返した。


「ありがとう。とても参考になったが、残念なことに今は持ち合わせがない。いつか代金を支払いたいのだが、それまではこれをおさめてくれ」


 男が腰に巻いたカーテンの切れきれはしから包丁ほうちょうを抜いた。


「光の勇者であるわたしが加護かごを与えたナイフだ。切れ味は保証ほしょうする」


「この万能包丁ばんのうぼうちょうがですか?」


 男が抜いたのは、ホームセンターなどでよく見る、食材がくっつかないように刃のわきに穴があいているタイプの万能包丁だった。


「バンノウホーチョー?ホーチョーというのか、これは。だったらこれは、聖剣バンノーホーチョーだ」


 思わず吹き出しそうになるのをこらえて、明奈は男の差し出した包丁を見た。包丁のを明奈に向けて差し出していたることからして、男に害意がいいがないのは明らかだ。


 聖剣万能包丁に明奈が手を伸ばそうとしたとき、きゃっという叫びと共にけたたましい金属音がひびいた。振り返ってみると、厨房ちゅうぼうから出てきた店長が、揚げたばかりの春巻はるまきをトレーごと床に落としていた。


「包丁、ごっ、強盗ごうとう。強盗ね」


「店長、違います。この人は・・・・・」


 その場を取り繕とりつくろうとしたが、次の言葉が出なかった。男に害意がないことは感じ取れたが、男が怪しくないかと問われればそれはまた別だった。


「け、警察。そうよ。警察ね」


短い手足をばたつかせながら、店長がカウンターの下にある非常ボタンを押した。大音響だいおんきょうの非常ベルが鳴り響なりひびくのではないかと、明奈は首をすくめたが、店の中は何の変化も起きなかった。


「何?なんなのこれ?」


 あせった店長が繰り返しボタンを押すが、何も起こらない。


「まぁ、こわれてるのね。チキショーっ」


 テンぱると激高げっこうするのは店長の悪いくせだった。


「店長、違うんです。この人は多分」


 多分の先が出てこなかった。多分何なのだろう?包丁を差し出す男を見つめ、明奈は首をひねった。


「どうしたんだ彼は?」


 動じる様子もなく、男が店長に視線しせんを向ける。


「大丈夫か、きみ。こまっているなら、手を貸そう」


 男が店長に歩み寄ると、店長のパニックは限界げんかいたっした。


「ショバラっ」


 意味不明いみふめいの掛け声を上げると、店長はカラーボールを手に取った。店長は高校野球の投手として、茨城県大会のベストエイトまでいっている。バイトに入ってわずか2カ月だったが、明奈はその話を毎回店長からかされていた。


「スピバっ!」


 言うだけあって、店長の投球とうきゅうは正確だった。防犯用ぼうはんようカラーボールは、相手の足元や逃走車両とうそうしゃりょうねらって投げつけ、中に入った特殊染料とくしゅせんりょうを犯人や車両に付着ふちゃくさせることで犯人を識別しきべつさせる防犯グッズだ。通常は犯人の足元や、逃走車両に投げつけるものだったが、店長の剛球ごうきゅうは一直線に男の顔面に向かっていった。


 必殺ひっさつ威力いりょくを込めたカラーボールを、男は首をひねって簡単にかわした。ボールは男の後ろにあるチョコレートの陳列棚ちんれつだなにぶつかり、匂いを放つオレンジの染料せんりょう飛散ひさんさせた。


「何をするんだ?」


 男がさらに店長に近づいた。店長はすでに二投目のモーションに入っている。


「ボラッチェっ」


 パニックを起こしている割に店長は冷静れいせいで、二球目はまとの大きな胴体どうたいを目がけて投げつけた。


 だがその二投目も、男は僅かに体をかたけることで易々やすやすと躱した。


「こっ、来ないで、ね」


 恐怖きょうふに引きった顔をした店長は。最後のカラーボールをつかむと、眼を閉じたまま闇雲やみくもに投げつけた。


 カラーボールは店長の手をすっぽ抜け、同じカウンターにいる明奈に向かって飛んだ。自分めがけて飛んでくるカラーボールが徐々じょじょ巨大化きょだいかし、視界しかいのほとんどをめるのを、明奈は為す術なすすべもなく見つめていた。


 疾風しっぷうが吹き抜け、明奈の前髪をらした。明奈の顔の前で、男の左手がカラーボールをキャッチしていた。


「女性にものを投げつけるのはよくない」


 左手に掴んだカラーボールをカウンターに置くと、男は店長をにらみつけた。最速130キロを記録したとうそぶく店長の投球を、男は近距離で、カラーボールを破裂はれつさせずにキャッチしていた。


「何をおびえている?」


 男が静かに問いかけた。聞いているだけで不思議と落ち着く、やわらかな声だった。


「ごっ、強盗」


 男の握った包丁を指差ゆびさし、店長がわめく。


「強盗?わたしが?ああ、これか」


 男が手にした包丁をかかげた。


誤解ごかいさせてしまったかな。これは、彼女にプレゼントしようと」


 包丁を手にしたまま、男は明奈に微笑みかけた。咄嗟とっさに作り笑いを返した明奈だったが、会話もしたことがない男から、むき出しの包丁をプレゼントされても困るだけだ。


「おっ、お友達なの?明奈ちゃんの」


「違います」


 反射的はんしゃてきに答えてしまったあと、なぜか明奈は後悔こうかいした。友達ではないが、男は強盗でもなかった。


「アキナというのか。変わった名だな。わたしは光の勇者」


「なっ、ナンジョウさんですよね」


 ここでまた光の勇者などと言い出されると、余計よけい話がこじれると思い、明奈は男の名を呼んだ。


「ナンジョウ?わたしはナンジョウというのか?」


 男は首をかしげ、何かを思案しあんしていた。


「そうか。わたしは、あのとき死んだのか」


 男の呟きは更にやばさを増していたが、明奈はもうなかばあきらめていた。


「そしてこの男に転生てんせいした。となると、ここは・・・・・・」


 店のあちこちを見回したあと、男はパチンと音を立てて手を打った。


異世界いせかい。異世界か」


 ラノベの読み過ぎであっちの世界に行っちゃった人なのかもしれないとは、明奈は思わなかった。確かに行動は怪しかったが、男、ナンジョウの行動には、不自然さが感じられなかった。そして何より、店長の投げるカラーボールを躱し、明奈の眼前でキャッチしてみせた手際てぎわは、ナンジョウが常人じょうじんではないことを証明している。


たましいわったのか。もしくは、死んで間もない体に魂が入りこんだのか。いずれにせよ、これがわたしの新しい体なのだな」


 南条は自分の体をながめ、確認するように手足を動かしている。


「剣は使えるのか」


 南条は明奈にすまないと断ると、包丁の握り直にぎりなおし、天井めがけて包丁の刃を掲げた。


 シャキィィーンンン!


 まばゆい輝きと共に、ステンレスの万能包丁から鋭い刃鳴りが響いた。


「おおっ・・・・・」


 聖剣万能包丁を見つめていた店長が、その場にひれした。確かに明奈も、南条が掲げる聖剣万能包丁からあふれ出す、あたたかくたのもしい力の波動はどうを感じてその場に膝を付きそうになった。自分は守られているのだという安堵感あんどかんが、明奈の全身をやさしく包み込んでいく。


「眉月と有明のようにはいかないが、バンノーホーチョーも悪くはない」


 見事な手捌てさばきで包丁を回転させると、南条は腰に巻いたカーテンの切れ端に包丁を差し込んだ。


「おっとけない。これはきみに」


 南条が包丁を明奈の前のカウンターに置くのと同時に、床を何かが転がってきて、南条の足元あしもと停止ていしした。空き缶ほどの大きさのそれは、よく見るとこぶしだいのボルトのような形状をしており、側面そくめんに無数の穴が空いていた。


 明奈が認識にんしきできたのはここまでだった。次の瞬間しゅんかん視界しかい全てすべてまぶしいほどの白色はくしょく塗り潰ぬりつぶされ、耳の奥をハンマーで叩いたような衝撃しょうげきおそわれた。


確保かくほ~っ」


 暴力的ぼうりょくてき浮遊感ふゆうを味わいながら、明奈はそうさけぶ男の声を聴いたような気がした。

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