第一章 勇者降臨

第7話 覚醒

あつかった。前髪からしたたり落ちる汗が、額を伝い目頭めがしらからみ込んで眼球を刺激しげきする。熱湯にでもかっているみたいに体が熱い。

「暑い」

 叫ぶように声を上げると、勇者は上体を起こして目を開いた。

 狭い牢獄ろうごくのような部屋だった。ベッドではなく、草をんだような床の上にそのま寝かされていた。申し訳程度に腹の上に掛けられたタオルは湿しめり気をび、すえた匂いを発していた。

 ここはどこだろうと自問する。ここで目を覚ます前は確か・・・・・。

 ズキリと頭が痛む。思わずこめかみを押さえると、はげしい眩暈めまいが全身を襲ってきた。歯を喰いしばり両目をとじることで。勇者はなんとか眩暈をおさえ込んだ。

 ゆっくりと目を開き、もう一度部屋の中を見回した。やはり知らない部屋だった。それどころか、部屋の中は勇者が見たこともないような道具で埋めらつくされていた。どこか異国いこくの地にでも飛ばされたのだろうか。そういえば、勇者が身に着けている下着も、不思議な感触を持つ見慣みなれない形状だった。


 ふらつく足で立ち上がり、異様いように低い天井を気にしながら、となりの部屋へと続く扉を開いた。

 扉の先はせま薄暗うすぐらい台所のような部屋だった。水の匂いに引き寄せられ、見慣れない金属で作られたシンクに顔を近づけた。鼻をひくつかせ、銀色のくだの先から強くただう水のにおいをぎつけた。しばらくとまどった後、管の上部についている銀色の把手とってひねってみると、管の先から大量の水が迸った。

 口をつけ、のどを鳴らして水を飲んだ。喉のかわきは信じがたいほどで、腹がふくれるほど水を流し込んでもおさまらなかった。

 頭から水を浴び、水の冷たさに身震みぶるいすると、割れるような頭の痛みもやわらいできた。銀色の把手を反対側に捻ると、水の奔流ほんりゅうはぴたりと止んだ。

「井戸からくみ上げているわけではなさそうだな」

 把手を捻っては止めることを繰り返してみる。水はおどろくほど簡単に、強く大量に管から流れ落ちる。巨大きょうだい城塞都市じょうさいとしの高級な宿屋や宮殿きゅうでん客間きゃくまでさえ、水瓶みずがめたくえられた水をんで飲んでいた。把手を捻るだけでこれ程大量の水が供給きょうきゅうされる仕組しくみなど、見たことも聞いたこともなかった。

 勇者は再び鼻をひくつかせた。山や森での生活では、匂いは生死を分ける重要じゅうような手がかりだった。あらゆる匂いをかぎ分けることで、水を手に入れ食料にありつき、危険を回避かいひしてきたのだ。

 厨房ちゅうぼうすみに置いてある白く四角い箱に手を掛けると、扉を開いて中を見た。開けた途端とたん、箱の中から流れてくる強烈きょうれつ冷気れいきに驚き、勇者はあわてて扉を閉めた。子どもひとりが身をかくせる程度の長方形の箱だったが、扉の中は冷気で充満じゅうまんしていた。バゴス(冷凍)系の魔法効果を付与ふよされたマジックアイテムかもしれないと思い直し、警戒けいかいしながらゆっくりと再び箱を開いた。

 箱の中には金属性きんぞくせい円筒えんとうが五本ほど入っていた。指でれてみると、キンキンに冷えていた。金色に輝く円筒のひとつを手に取ってみる。うすやわらかい金属で、指が当たるとかすかに変形へんけいした。てのひらが痛くなるほどに冷えた円筒には、勇者の知らない文字がえがかれている。円筒を上下に強く振ると、円筒の重心じゅうしんが移動することから、中には液体が入っているのだろうと見当をつけた。

 円筒の上部に、金属の輪を見つけた。指で摘まんでみると、輪の部分が動いた。上から輪を覗き込むように顔を近づけ、勇者は一気に輪を引き上げた。

 プシュッという音と共に、円筒の一部が陥没かんぼつした。同時に円筒の内部から、多量の液体がき上げ、勇者の顔面を直撃ちょくげきした。

「うおっ」

 思わず声を上げ、その場にしりもちをついた。手にした円筒からは、泡混あわまじりの金色の液体がほとばしり続ける。天井高くまで噴き上げた液体は、勇者の全身に滝のように降りかかった。

「これは、酒か?」

 口のはし付着ふちゃくした液体を舌でめとると、麦を発酵はっこうさせて作った酒と同じ匂いがした。

 取り落とした円筒を掴むと、開いた穴に口をつけ、僅かに残った液体を一気に飲み干した。

「ぷは~っ」

 勇者の知っている麦酒ばくしゅより苦みは弱かったが、はじけるようにのどを通る感覚かんかく心地ここちよかった。

 ずぶ濡れになった顔を下着したぎぬぐい、勇者は箱の内部に顔を突っ込んだ。蒸し暑い外気に比べ、箱の中だけは真冬の明け方のように冷えていた。

「肉か」

 薄いピンク色に染まった拳大こぶしだいかたまりを見つけて、箱の中から取り出してみる。肉塊にくかいのようだが、表面に透明とうめいうすまくが張っていて、中身を取り出せない。力任ちからまかせに引きちぎろうとしてみたがダメだった。

 立ち上がり、厨房を調べてみると、キッチンナイフのような刃物を見つけた。片刃で、勇者の知っているいかなるナイフともことなる金属で鍛造ちゅうぞうされているようだ。デザインなのか、刃の中央部に指の先程度ていどの穴がいくつかいていた。

 手にした刃物を持って戻り、肉塊の表面をおおう透明の膜に刃を当てた。空気が弾けるような音と共に膜がやぶれ、ピンク色の肉塊がり出してきた。匂いを嗅ぎ、くさっていないことをたしかめると、勇者は肉にかぶりついた。肉を口に入れた瞬間、麻痺まひしていた空腹がよみがえった。むさぼるように肉をらいくすと、勇者は箱の中にある見慣みなれない品々を片っ端かたっぱしから床に並べてみた。

 箱の中に入っていた品は多くは無かった。箱の中央のたなのほとんどを占めていたのは、円筒に入った天井まで噴き出す麦酒だった。その他にあったのは、同じような形状の容器ようきに入った赤と白のペーストが1本ずつ、縦長たてながの四角い容器に入った黒い液体、ガラスの容器に入った黒い液体。干からびた野菜と、柔らかな小箱に入ったバターような油脂ゆし、掌に入る大きさの細長い容器に入った緑色のペーストだけだった。

 床に一列に並べたそれら見たこともない食材ひとつずつを、勇者は口に入れてみた。

「トマトだな、これは」

 赤いペーストは、トマトを煮詰につめたような味がした。トマトだけにしては甘いような気がしたが、トマトのピューレで間違まちがいはなさそうだった。

 続いて口をつけた白色のペーストは不思議な味がした。酸味さんみとまろやかさが程よく混在こんざいしている。やわらかいひょうたんのような容器の先端せんたんについていた赤いキャップを取り外し、ラッパ飲みするように口の中に落とし込んだ。初めての味わったがこれは美味うまかった。

「何かにつけるとさらに美味いかもな」

 一気飲みしたい欲望をおさえ、勇者は次の容器を手に取った。縦長のやや硬い容器に入った黒い液体は、甘辛く、それ単体たんたいでは味がきつかった。ガラス容器に入った黒くさらさらした液体は、一口含んだだけでむせ返り吐き出した。

 最後に残ったのは、チューブ状の容器に入った緑色のり物だった。匂いを嗅いでみると植物のような香りがしたので、容器に口をつけて一気に中身をしぼり出した。

「うっ!」

 口に含んだ瞬間、鼻筋はなすじから脳天のうてん目がけて激烈げきれつな痛みが走った。き込み吐き出したが、それでも痛みは治まらず、両の目から多量の涙が流れだした。狭い台所の床を、涙と涎塗よだれまみれになりながら転がりながら、解毒げどくの魔法を詠唱えいしょうしてみたが効果はまるでなかった。

「水だ」

 立ち上がり、シンクに頭を突っ込み水を貪り飲んだ。毒というよりは香辛料こうしんりょうの一種だったのだと気づいたのは、腹がパンパンになるまで水を飲んだあとだった。

 台所の先に、浴槽よくそうとトイレが一緒になった不思議な小部屋があった。白い陶器製の椅子は、臭いからしておまるだろうと検討けんとうがついた。

 小部屋に入った途端、目の端に見慣みなれない人影をとらえ、勇者は振り返った。黒髪の男の顔が、勇者の前に立っていた。

「誰だ」

 違和感いわかんを感じて手を伸ばすと、かたく冷たい鏡に指先がれた。

「おれか?」

 勇者が呟くと鏡の中の男も口を動かした。

「これが俺?」

 両手で自分の顔に触れ、形状を確かめた。触れ慣れた自分の顔とは異なる感触に驚いて、勇者は声にならないうめきを上げた。

「たいらだ・・・・・。顔が、ひらたくなっている」

 鼻は低く、頬骨きょうこつも薄い。あご先端せんたんは丸くなり、眉からまぶたにかけての隆起りゅうきとぼしい。慣れ親なれしたしんだ自分の顔とはまるで違う、見も知らぬ男の顔が鏡の向こうからこちらをのぞいている。なによりも勇者を驚かせたのは、冬の満月のように輝いていた自分の銀髪ぎんぱつが、新月しんげつの夜のような黒髪に変わっていたこどだった。

「これはどういうことだ?わたしは、どうしてしまったんだ?」

 鏡に向かって自問じもんしてみたが、答えは返ってこない。

「ここは、牢獄ろうごくではないのか?だとしたら、宿屋だろうか」

 トイレから出ると、勇者はあらためて部屋の中を見回してみた。低い天井に、みの浮いた壁紙かべがみに覆われた狭い部屋。酒瓶さかびんが何本も転がった床の上には、厚手あつで寝具しんぐらしきものがかれていたが、ベッドらしきものは見当たらかなった。寝床のすぐ脇にある小皿の上には、あとのついた紙製の円筒が何本も転がっていて、焦げた草のような異臭いしゅうを放っていた。

「牢獄ではなさそうだな」

 寝床ねどこの先にある小さな窓を開いてみると、むっとする湿気と共に様々な音が流れ込んできた。音の大半は、勇者にも聞き覚えがあるものだったが、遠くからひび振動音しんどうおんには不安がき立てられた。何か巨大なものが、凄まじい数で移動しているようだった。

 窓の外の景色は、勇者が知っている巨大城塞都市の貧民窟ひんみんくつに似ていた。狭く入り組んだ路地の二階に、勇者のいる部屋はあるようだった。

 物音に気付いて、窓の左隣ひだりどなりを見た。中年の女が、干してある洗濯物を取り込んでいる最中だった。

「やあ、ごきげんよう」

 警戒させないように声のトーンを上げて女に声を掛けた。女の目が勇者を捉えたのは一瞬だった。女はすぐに目をらし、乱暴らんぼうに洗濯ものを取り込むと、叩きつけるように窓を閉めた。

「失礼な女性だな。それとも、言葉が通じないのか」

 窓の下の路地ろじを歩く若い男を見つけた。

「ごきげよう。なぁきみ、ここはなんという街なんだ?」

 若い男は無言で右手を上げ、勇者に向かって中指を立てて見せた。

「上?上に何かあるのか?」

上空を見上げたが、夏の白い雲以外は何も見えなかった。

「おい、きみ。上には何もないぞ」

 勇者の声には答えず、若い男は路地の向こうに消えて行った。

「言葉をかわわしてはならないという法でもあるのか・・・・・」

 思案しあんしてみても仕方がなかった。ここがどこなのか、そして自分は何故なぜ他の男の姿形すがたかたちをしているのか。疑問は尽きないが、答えは自分で探すしかない。この部屋の外へ出て、自分の置かれた状況を理解する必要があった。

 乱雑らんざつな部屋の中から、男の物らしい衣服を見つけた。柔らかい生地をした灰色の半ズボンと、縦縞模様しまもようのチェニックのような上着を素肌すはだの上に直接羽織はおってみた。上着は妙に軽くそでが大きすぎるので、肩の部分から引き千切り、窓に吊るしてああったカーテンを取り外しておびにした。

丸腰まるごしで出るわけにはいかないな」

 部屋の中を物色ぶっしょくしてみたが、武器らしきものは見つからなかった。勇者は仕方なく、台所にあった片刃のキッチンナイフを持ち出し、腰に巻いたカーテンに差し込んだ。

「おっといけない」

 腰帯こしおびに差したナイフを右手に持ち、勇者はそれを高くかかげた。

「我は光の勇者なり。我が手に掲げるこの剣に、光の加護かごがあらんことを」

 低い天井に向けて掲げたナイフがまばゆいほどに輝いた。輝きは一瞬で止んだが、それでもナイフの刀身はあやしいきらめきを保っていた。

 勇者はナイフを胸の前にかまえ、呼吸を整えた。光の加護を受けたナイフは、今ではしっくりと勇者の手に馴染なじんでいる。

っ!」

 気合きあいと共にナイフを一閃いっせんさせた。部屋をるがす衝撃波しょうげきはが巻き起こり、斬撃ざんげきの先に置いてあった黒い金属製の板がふたつに切断された。

「これなら大丈夫だ」

 ナイフを腰帯に差し込むと、勇者は大きく息を吸い込んだ。

「よし。行くぞ」

 玄関にあった黒の革靴かわぐつ素足すあしを突っ込み、勇者は四畳半一間の1K格安アパートから外へとみ出した。

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