第6話 消滅

「見事だ」

 落とされた魔王の口が動いたが、声は大伽藍だいがらん中空ちゅうくうから響いてきた。

「人間ごときに、この首落とされようとはの。しかし・・・・・」

 勇者は自分の体に浮かび上がる斬撃ざんげきあとに気がついた。ディメンションリッパーの斬撃は左の肩口かたぐちから右脇腹みぎわきばらにかけ、ななめに走っていた。

「死んだことにすら気づかなんだか。あわれな男よ」

 膝をついた勇者の体から、多量の血液が噴出ふんしゅつした。

 首の無い魔王の体から、至極色しごくしょく瘴気しょうきが流れ出し、たなびいていた。どこまでも黒に近い紫の闇の奥から、魔王の声は響き続ける。

「わしに実態じったいは無い。ほろびた肉体を捨て、新たな体に宿やどるだけだ」

 至極色の動く影は、勇者の体にまとわりついていく。

頑強がんきょうな貴様の体こそ、わしの新たな宿にふさわしい」

 影が勇者の口に向かってい上がっていく。影が口腔こうこうに流れ込むと、勇者の顔が苦痛に歪んだ。

「喜べ。貴様は死ぬが、貴様の肉体は生き続けるのだ」

 影が吸い込まれるたびに、勇者の傷がいええていく。

「お前を倒すことは、できない」

 苦し気に勇者が呟く。勇者の声帯せいたいあやる魔王がそれに呼応こおうする。

「その通りだ。人間であるお前に、わしをたおすことなど、最初から不可能だったのだ」

 勇者の左目は、やみたたえた魔王の目と化していた。支配されつつある、左の口元くちもと邪悪じゃあくな笑みが浮かび上がる。

「知っていたさ」

 苦痛にえる勇者の右顔に自嘲的じぎゃくてきな笑みが浮かぶ。

たおせないことなど、最初からわかっていた」

自己犠牲じこぎせいとやらか。かなわぬまでも、一矢報いっしむくいるつもりでいたのか?おろかな」

「そうでもない。人にとって最悪さいあくの敵である魔王と相打ちなのだからな。悪くない」

 邪気じゃきちた勇者の左顔に疑念ぎねんが浮かぶ。

「相打ち?何を言っている。今まさに死にゆく貴様に、これ以上何ができる?」

「あなたを倒せないことは知っていたといってるだろう。だからわたしは・・・・・」

 最後の力をしぼり、勇者は大地に立ち上がった。

「倒せる相手を捜し出した」

 大伽藍の真上、落下してきた巨大な縦穴を勇者は見上げた。強力な光がほとばしり、大伽藍を照らし出す。昼間のように明るく照らされた大地の上に、大量の火竜の死骸が叩きつけられた。火竜の死骸の上に降り立ったのは、雷光らいこうまとった黄金龍だった。

りゅうの王!」

 驚愕きょうがくに満ちた魔王の声と、勝利を確信した勇者の声が、重なり合って勇者の口を突いて出た。

「待たせたな、小僧。お前の望み通り、手加減てかげんはせん。ゆるせ」

 黄金龍の巨大な口が開く。勇者の目を通して、魔王は龍のあぎとの奥からせり上がってくる強大な熱を感じた。溶岩ようがん奔流ほんりゅうにも似たその炎は、魔王が作り出した火竜が吐き出す炎など比較ひかくにならないほどのエネルギーを有していた。

 魔王は支配している勇者の左手を、龍の顎の前に突き出した。冷凍魔法で相殺そうさいできるような熱ではないだろうが、一瞬いっしゅんにして蒸発じょうはつさせられるよりはましだった。体の一部でも残っていれば、肉体は再生さいせいできる。

「バゴス・テリコス!」

 魔法が発動はつどうしなかった。突き出した左腕の先にあるはずの勇者のてのひらは砕け散っていて、魔力を放出ほうしゅつすることができなかった。

「おのれ」

 魔力を集中し、左手を再生した。あとは再生した左手を突き出し、たくわえた魔力を氷結魔法ひょうけつまほう変換へんかんし放出するだけだ。

「バゴス、」

 魔法発動の直前、勇者の口が強い力で閉じられた。魔王の意思に逆らう勇者の右半身が口を閉じたのだ。

「バカが。お前も死ぬぞ。まだ間に合う。やつを止めろ!」

 閉じた口からくぐもった声がれた。一点に集約しゅうやくされた熱エネルギーは、龍の顎の中に白熱はくねつした光球こうきゅう出現しゅつげんさせていた。

「止めろ、わしの力で、どんな願いでもかなえてやる。止めてくれ」

 光の球から放たれたエネルギーは、光り輝くのレーザーとなって勇者の全身を覆い尽おおいつくした。人の身なら一瞬にして蒸発するほどの熱だったが、魔王の魔力を宿した勇者の体は、強力なエネルギーの奔流にさらされながらも、人としての形状をとどめていた。

「貴様、貴様さえいなければ・・・・・」

 高高度こうこうど熱線ねっせんの中に身をおきながらも、痛みの感覚は無かった。魔王の断末魔だんまつまの声だけが騒がしかったが、頭の中から響いてくる声を止める方法などありはしなかった。やがて魔王の声もき消え、完全な静寂せいじゃくが勇者を包み込んだ。五感ごかんつかさど器官きかんはことごとく消滅しょうめつしたせいで、音も光も、痛みすら感じない世界に、勇者はひとり取り残されていた。膨大ぼうだいな魔力を有し、それ故に完全なる消滅からあらがい続けている肉体より先に、魔王の意思が消え去ったのは意外なことだった。


「使命は果たせた。でも」

 消えゆく肉体をよそに、自分の声が聞こえた。声帯すら消失した今、声が出るはずがないのに、呟きははっきりと聞こえた。

 人々の期待と不安を一身に背負い、ただひたすら勇者への道を邁進まいしんしてきた。それが正しかったのか間違まちがっていたのかを問うことに意味はなかった。魔王を倒すことが勇者に課せられた宿命だというのなら、自分はその使命を見事に果たしたのだ。

 だがそこには、何の感慨かんがいも無かった。自分の人生の全てをけた使命をまっとうしたのにも関わらず、勇者の心には誇らしさも満足感もき上がってはこなかった。

「わたしは、何をしたかったんだろう」

 消滅する間際まぎわに、シンプルな疑問が頭のすみいた。シンプルであるが故に、その疑問は瞬く間に勇者の全身を包み込んだ。

「わたしは、本当に勇者になりたかったのか?本当に、この世界を救いたかったのか?」

 勇者は微笑んだ。今更いまさら考えても詮無せんないことだった。

のぞむなら」

 消えゆく意識の中で、勇者は声を上げた。

「この次は、勇者などではなく、普通の、当たり前の普通の人間として、争いの無い世界に生きてみたいものだ」

 力も名声もない、凡庸ぼんようなただの男として、普通の世界で、普通に生きていくことができたなら、どれほど幸せなのだろう。

 絶命ぜつめいする瞬間、勇者は心からそう願った。

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