第5話 黎明

 魔王の攻撃魔法を喰らい、勇者の体は瓦礫がれきの中へ吹き飛ばされた。

 瓦礫の中の巨大な岩に叩きつけられた勇者は、魔王からの追撃ついげきを予期して身構えた。だが、来るはずの攻撃は無かった。その理由はすぐに解った。陽の光を浴び、有り得ないほどに巨大化した円月輪十六夜の攻撃を、魔王は全力でふせいでいた。

 追撃が来ないことを確信した途端とたん、勇者の足から力が抜けた。意思とは無関係に、勇者の体は再び瓦礫の散乱さんらんする大地に倒れた。歯を食いしばり立ち上がるが、全身を加速化かそくかさせていた魔法樹の実の効果は消え、全身を包み込んでいたむらさきのオーラも消滅しょうめつした。

 勇者の左腕は、威力いりょくを相殺できなかった魔王の氷結魔法により、完全に凍りついていた。うつろな目を向けると、左手はひび割れたガラスのように肘から先が砕け散っていった。

 魔王の口かられっぱくの気合がほとばしった。魔王は、新たに生えたものもふくめた四本の腕で聖剣のを握り、こんしん身の力を込めて円月輪を退しりぞけていく。

「ディメンションリッパー」

 刀身とうしんに宿る炎のきらめきは不十分だったが、魔王は再び奥義おうぎを発動させた。聖剣が切り裂いた空間は小さいものだったが、密接みっせつする円月輪十六夜を切断せつだんするには十分な力を持っていた。黄金おうごんの輝きをたたえていた円月輪十六夜は、なかごから二つに分かれ、眉月まゆづき有明ありあけ、二振りの魔刀へと姿を変え、地に落ちた。

 勇者は足を踏み出した。氷塊ひょうかいと化した左手の欠片かけらを踏みしめ、魔王に向かって走り出した。魔法樹の実の効力も失せ、満身創痍まんしんそういの勇者の体は思うようには動かず、足を踏み出すたびに全身に受けた傷口から血がしたたり落ちた。


 魔王の後頭部に現れた巨大な眼球は、眠りに落ちるように閉じていった。脇腹から出現した二本の腕も、けるように収縮しゅうしゅくし、魔王の体に同化どうかした。

 円月輪十六夜を両断りょうだんした今、敵は無手で向かってくる全身に傷を負った人間の男ひとりだけとなった。この戦いは終結しゅうけつに向かっている。魔王の想定そうてい通り、勇者はやぶれ、人間は死滅しめつする。

 魔王は老人をした顔を上げ、よろよろと近づいてくる勇者を見つめた。今にも倒れそうな肉体を、意思の力だけで支えている。殺すまでもないという考えが脳裏のうりをよぎったが、すぐに思い直した。人間共にんげんども絶望ぜつぼうを与えるには、無残に切り落とされた勇者の首が必要だった。勇者の首をさらしながら、人という種の最後を見届みとどけねばならない。

 勇者は地に落ちた有明を手にし、ふらつきながら魔王に近づいてくる。無駄むだな努力にむくいる意味で、老人の目から涙を流してやろうとしたが無駄だった。どんな姿にもなれる魔王だが、その目から涙を流すことだけはどうしてもできなかった。

「来い、勇者よ。そのやいばわれに突き立ててみよ」

 魔王の前に立った勇者が、右手に持つ魔刀、玉鋼有明を魔王の首元に突き立てた。骨と皮でかたどられた老人の体は、痛みの感覚が皆無かいむに近い。勇者が何度刃を突き立てようと、魔王には何のダメージも与えられはしない。

「無駄だ。闇属性やみぞくせいの魔刀で、わしに傷をつけることはかなわん」

 勇者に魔王の言葉は通じていないようだった。ただ単純たんじゅんに、機械的に魔刀を振り上げ、その刃を魔王の体に突き立てようとするだけで、そこにはもう戦士としてのほこりも矜持きょうじも感じられなかった。

「止めよ。これ以上の抵抗は見苦しいだけだ」

 魔王は左手一本で勇者の首をつかみ、その体を持ち上げた。苦しみにゆがむ勇者の右手から、魔刀玉鋼眉月が地に落ちた。このまま首の骨を折るか、気管きかんごとのどにぎりつぶしてしまえば、この戦いは終わる。

「これで最後だ。言い残すことがあれば聞いてやろう」

 勇者の唇がかすかに動くのを見て、魔王の口元に邪悪じゃあくな笑みが広がる。

命乞いのちごいか?それともうらみみ言か?」

 勇者の顔を耳に近づけると、息も絶え絶えたえだえな勇者が口を開く。

「昨日の晩飯ばんめしを教えてくれ」

 勇者の首に力をめる。

「貴様、何を言っている?」

晩飯ばんめしだ、昨日喰っためしの話をしてる」

 魔王の顔から笑みが消える。

「その答えがお前の最後の望みか?」

 首をつかまれた勇者が力なく笑う。

「答えは知っている。魔王、あんたは食事をらない。負のエネルギーをかてとするあんたには、食事など必要ないんだ」

 誰に聞いたのかは知らないが、勇者の言うことは正しかった。生まれてこの方、魔王は栄養摂取えいようせっしゅを目的とした食事をしたことはない。

「人は、食事を摂る。生きる為に、毎日毎日、欠かさず、食事を摂るんだ」

 残っている右手でふところさぐると、勇者は一粒の木の実を取り出し、魔王にかざして見せた。

「ドントの実だ。飲めば生命力が増大ぞうだいする」

 ドントの実の効力こうりょくなど、勇者に教わらなくても知っている。たった一粒で、体力も能力も回復する強力な回復アイテムだが、携帯けいたいすることは不可能なはずだ。強大な力を付与ふよする魔法樹の実は、どれも鮮度せんどが命で、いだその場で口にしなければ、効果は期待できない。

「人は、生きる為に食べる。それが、知恵を生むんだ。保存すること。鮮度を保つ方法」

 勇者の体から、僅かばかりの魔力反応を感じた。

「フロガ・ミクロン」

 勇者が呟くと、蒼白そうはくだった勇者の右手がほんのりと赤くまった。魔法の資質ししつのある子どもが、が手を温めるためとなえるのがフロガ・ミクロンだった。

「魔法樹の実を、冷凍保存れいとうほぞんするんだ。それで、実の鮮度は保たれる。あとは・・・・・」

 勇者の赤く染まった右手の中には、ドントの実が握られていた。

解凍かいとうするだけだ」

 勇者がドントの実を口の中に放り込み噛み砕くのと、魔王が勇者の首をへし折ったのはほどんど同時だった。魔王の右手は、勇者の頸骨けいこつ粉々こなごなに砕けた感触かんしょくを味わっていた。だがそれ以上に、ドントの実が勇者の体に眠るすさまじい生命力を呼び起こす速度の方が早かった。

 粉砕したはずの頸骨は瞬時しゅんじに再生し、力なく伸び切っていた全身の筋肉が張りを取り戻していた。焦点しょうてんすらさだまらなかった勇者の瞳に光が戻り、その瞳は魔王の目を正面からとらえていた。

「貴様、これを狙っていたのか?」

 魔王の問い掛けに、勇者は苦笑しながら首を横に振った。

「とんでもない。あなたがこれほでまでに強いとは思ってもいませんでした。ドントの実は保険。使う予定のないとっておきだったんです」

 ドントの実は勇者の生命力を限界値げんかいちを超えて引き出してはいたが、凍りつき砕け散った勇者の左手を再生さいせいすることはできなかった。

 魔王は掴んでいた勇者の首をはなした。自分の足で大地に立った勇者と魔王は数十センチの距離で向かい合った。互いに必殺ひっさつ間合まあいに立っているのだが、それでもまだ、勇者の方が圧倒的あっとうてきに不利だ。魔法の優劣ゆうれつでは、勇者は魔王におよばない上に、勇者には魔王をたおせる武器がない。

「最初からやり直したところで、結果は変わらぬ」

 しわがれた老人の声で、魔王は勇者を挑発ちょうはつした。圧倒的なアドバンテージを持ちながらなお、魔王は勇者の力に不安を感じていた。勇者の実力が怖いのではない。あらかじめ決められているようにすら思える、勇者の運の強さが気に入らなかった。

「わたしの手の打ちはすべてさらしました。魔法樹の実ももうありません。これで最後です」

 悲壮感ひそうかんなどかけらもない表情で、勇者が真実を告げる。

「決着をつけましょう」

 勇者の言葉が終わらないうちに、魔王が聖剣をき打ちに放った。勇者の首を狙い、横なぎに払われた聖剣を紙一重かみひとえかわすと、勇者はさらに間合いを詰め、体を魔王に密着させた。ゼロ距離から魔法攻撃を警戒けいかいした魔王のみぞおちに、体重を乗せた勇者のボディブローが炸裂さくれつした。

 魔王の口から、うめきに呼気こきが吐き出された。ドットの実を摂取せっしゅした勇者の一撃いちげきは、ウォーハンマーの打擲よちょうちゃくに等しい破壊力をそなえていた。武器の性質系統せいしつけいとうなど無視した素手による攻撃は、単純な物理攻撃として魔王の肉体にダメージを与えていた。

 体をくの字に折り曲げながらも、地面にひざをつくことだけは免れた。痛覚が鈍っているとはいえ、人間を相手にするときに選択する老人の姿のままでは、勇者の攻撃のダメージを受けきることはできなかった。

「人間が」

 口をついて出た言葉に、怒りがにじんでいた。異常肥大いじょうひだいした筋肉が老人の皮膚を内側から押し破り、魔王の全身が一回り巨大化する。肥大した腕で聖剣を掴むと、勇者に向けて力任せに聖剣を叩きつけた。


  強靭きょうじんな筋力から放たれる多角的な斬撃ざんげきを、勇者は軽々とかわしていった。魔装ましょうの内側で蠕動ぜんどうする筋肉は肥大化ひだいかを続け、魔王の体はさらに大きさを増していく。不意打ちに近い素手の一撃で、魔王の体にダメージを与えることはできたが、それももう通用しそうになかった。

 魔王のりを腹に受け、勇者の体はまりのように転がった。倒れた先に、魔刀玉鋼まとうたまはがね眉月まゆづきが落ちていた。右腕を伸ばし魔刀をつかむと、突進してくる魔王目掛めがけて投げつけたが、魔王は首をひねるだけで、その一投を躱した。

「無駄なことを。貴様に待つのは死あるのみよ」

 いびつな形状に変化した魔王の口かられる声は、ひどく聞き取りづらかった。

 勇者は立ち上がり、魔王と対峙たいじした。やれることはやった。後はただ待つだけだった。

「首だけは残す。後は火竜サラマンダー共のえさとなれ」

 魔王の振るう聖剣が、疾風しっぷうを伴って勇者の首へ向かう。

「円月輪十六夜、戻れ!」

 えがちゅうを飛んだ円月輪十六夜が聖剣と激突げきとつした。激しい火花と金属音が鳴響なりひびき、剣と刀は互いをはじき飛ばした。

 勇者の右手に、金色に輝く十六夜が握られていた。

「眉月を投げた先に、有明が待っていたとはな。抜かったわ」

 耳までけた口蓋こうがいふるわせ、魔王が笑う。

「つくづく悪運の強い男よ。感心する。だが」

 聖剣が次々と勇者に叩き付けれられる。魔王の攻撃は繰り返すたびに角度を変え、速度を増しながら、勇者を襲った。

「終わりだ、勇者よ」

 魔王の攻撃が止んだ。聖剣を中段ちゅうだんに構え、可視化かしかできるほどの魔力を聖剣に注ぎ込み始めた。聖剣に宿る炎の煌めきが一段と強くなる。

「ディメンションリッパー!」

 魔王が上段から剣を叩きつけた。勇者は避けもせず、魔王の攻撃に正面から立ち向かった。

 空間が裂け、全てを切裂きりさ閃光せんこうが勇者を襲った。閃光に向けて、勇者は十六夜をたたきつけた。

 十六夜は閃光を弾き、再び二本に分裂ぶんれつした。勇者は眉月を右手に持ち、宙に浮いた有明を口にくわえた。体を回転させながら、再び二刀のふいごかさね合わせる。

 合体した二刀が強い光を放つ。だが魔刀から放たれたのは、金色の光ではなく、赤に近い橙色とうしょくだった。朝日を思わせる橙色に変化した十六夜は、形状もまたS字型に変化していた。

玉鋼たまはがね緋緋色ひひいろ円月輪えんげつりん終の型ついのかた黎明れいめい

 橙色に輝くやいばは、聖剣をからめとるようにくぐけ、勇者を魔王の懐へみちびいた。勇者が刃を返すと、刀はいとも簡単に魔王の両手首を切り落とした。

 魔王の顔が苦痛に歪み、聖剣が地に落ちる。すべるように魔王の背後に回った勇者が黎明を一閃いっせんさせると、魔王の首は胴から離れ、赤茶あかちゃけた伽藍がらんの床に転がった。

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