第40話  敵味方

「きみは、魔族か?」


 耳元で声がした。驚いて肩越しに振り替えると、すぐ目の前に酔っ払い男がいた。きゃっと小さく叫ぶと、チャオは再び跳躍ちょうやくした。この世界の人間の走り幅跳びの世界記録は約9メートルだったはずだ。以前面白半分にネットで調べたことがある。チャオはそれより遠くへ跳ぶことができたし、スピードも格段に速い。追いつける人間などいるはずは無かった。


 だが酔っ払い男は追いついてきた。跳躍しながらも、チャオは男の動きを目で追っていた。男は左足で力強く地を蹴ると、三段跳びの要領でチャオの跳躍についてきていた。


「シィッ!」


 魔族かという男の問いには答えず、長く伸ばした爪で男の喉を突いた。素手で人を殺すと体が血で汚れて嫌だったが、この男を生かしておくわけにはいかない。


 必殺の間合いで放ったチャオの貫手ぬきてを、男はいとも簡単にかわした。二撃目を放とうとした瞬間、男の右拳に鳩尾みぞおちを突き上げられ、チャオの体は宙に浮いた。


 猛烈な苦しみに、チャオは膝をついて腹の中のものを地べたにぶちけた。柿沼におごらせた高級ブランデーがほとんどだったが、最後に溶けかかった二十日鼠はつかねずみを吐き出した。ミカが怒るから滅多に口にしないのだが、今日の昼にがまんできずに丸飲みしたものだった。


「貴様、殺してやる。絶対殺してやる」


 口を拭いながら男を見上げた。これほどの屈辱は初めてで、目からは涙すらこぼれて来た。


「そうか。殺されるのは嫌だな。仕方ない。きみが死ね」


 驚いて男を見た。男はチャオが投げたスローイングナイフの刃を、チャオの首筋に当てている。


 殺すことには抵抗が無かったが、自分が殺されるのは想定外だった。油断したのだろうか?だとしたら何に油断したのか?自分と同等の力をも持つ人間などいないと高をくくったのがまずかったのかもしれない。


 男に命乞いをしようとした瞬間、男がチャオから飛び退いた。男の立っていた地面から火柱が立ち昇る。


「これをけるのか」


 路地の先にミカが立っていた。黒いパーカーのフードを被り、丸縁の黒いサングラスを掛けていたが、間違いなくミカだった。


「きみ、赤羽の強盗を捕まえた人ですよね」


 まるで知人だとでもいうような明るい口調で、ミカが男に声をかける。


「あの男の中にいたのは、あなたか」


 男がチャオから離れたのを確認すると、ミカはチャオの傍らに寄り添った。


「どうにも不思議な縁だねぇ、きみとは。どうだろう?お互い名乗りあう気はないかい?」


「ない」


 にべもない男の言葉に、ミカが首をすくめる。


「冷たいですね。お友達になれるかもしれませんよ」


「人殺しが趣味の、ネズミを喰う女を飼ってる友達など欲しくはないな」


「なるほど。もっともですね」


 ミカの手が、チャオの髪に触れた。優し気な手つきだったが、チャオは恐怖に震えた。


「じゃあ、今日のところはお開きにしませんか?また今度、別の機会に殺しあうってことで」


「二度と会いたくないんだがな。そうはいかないか?」


 男の言葉にミカが思案しあんする。


「ダメでしょうねぇ。あなた強すぎる。さっきの攻撃をどうして避けられたのですか?」


「発火魔法は、発動する前に空気の匂いが変わる。慣れてしまえば絶対に喰らわない。知らないのか?」


「そんなことを教えてくれる人はいませんでしたよ。勉強になります」


 チャオを撫でていたミカの手が、激しくチャオの髪の毛を掴んだ。


「帰るぞ。馬鹿をしないよう監視をつけておいて正解だったよ」


 髪を吊り上げられ、チャオはミカの隣に並んだ。ミカはすでに男に背を向けて歩き出している。


「お前、だいっ嫌いだ。べぇー」


 チャオは男に向けて舌を出した。その顔を見て、男はかすかに笑った。

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