第39話  始末

  無性に腹が立っていた。いい気持ちで遊んでいたら、横から手を出され、おもちゃを取り上げられた気分だった。


 互いに憎み合い、どちらが自分を手に入れられるかを競って殺し合ってくれれば最高だったのに、ふらりと現れた酔っ払いが、おいしいところを全部持っていってしまった。


 怒りのあまり、お気にいりのカラコンを落としてしまった。チャオは興奮すると全身の体積が増えてしまう。おさえたつもりだったが、膨張ぼうちょうした眼球が、カラコンを体外へ押し出してしまったのだ。


 どんな姿にも変われるチャオだったが、虹彩こうさいの色だけは赤から変化しない。それを隠すために、普段から複数のカラーコンタクトを所持し使用している。今日使っていた鳶色とびいろのカラコンは、チャオの一番のお気に入りだった。


 


 赤く輝くチャオの瞳を見て、カモ二人は蛇に睨まれたカエルのように固まってしまっている。いい反応だとチャオは少しだけ気分が良くなった。やはり人間は、恐怖に引きる顔がよく似合う。


 バッグの中から、スローイングナイフを取り出した。これもまた、高松のパソコンから買ったものだ。手を握ったときに指紋をコピーしたから、ナイフについている指紋は全て高松のものだ。男ふたりをナイフで刺し殺し、犯人である高松もまた同じナイフで自殺。これがチャオの描いた本日のシナリオだった。


 柿沼の喉目掛めがけて、アンダースローでナイフを投げた。振りかぶって投げるのとは異なり、下手投げはモーションが少なく避けにくい。


 ナイフが肉を裂く音と血の雨を想像したが、何も起こらなかった。


 柿沼の喉首寸前のどくびすんぜんで、ナイフは停止していた。酔っ払い男の左手が、チャオの投げたナイフをつかんでいた。


 人間の筋力を遥かに上回るチャオが至近距離からた放ったナイフを、男は空中でキャッチしたことになる。人間離れした動体視力と反射神経だけではなく、男は暗闇でも正確にナイフを視認しにんする夜行性動物のような目を持っていた。


「かっこいいじゃん」


 怒りに任せてスローイングナイフを二本同時に投げた。狙いは高松と酔っ払いだ。いくら酔っ払いの反射神経がずば抜けていたとしても、柿沼に投げたナイフを左手に持った状態で、高松と自分の体を同時にナイフから守ることはできない。最低でもひとり、うまくいけば二人同時に始末できる。


 チャオの予想に反して、酔っ払いは右手を伸ばして高松に向かったナイフを叩き落とした。体勢を崩した酔っ払いの胴体に、二本目のナイフが吸い込まれていく。大当たりだった。酔っ払いが死ねば、残る二人を始末するのは造作もない。


「しまった」


 後悔に満ちた酔っ払いの声が聞こえた。馬鹿が。高松など見捨てて、自分を守れば逃げることもできたのに。突き出した長い舌で、チャオは顎を滴り落ちるよだれを拭った。救急隊が来るまでの短い間だが、ヒーロー気取りで場違いな場所に飛び込んだ愚かな男が息絶える様を観察できる。


「教本に穴が空いてしまった。まいったな」


 教本?ナイフは酔っ払いの腹のど真ん中に突き立っている。位置と深さから推測するに肝臓を刺し貫いているはずだ。


 酔っ払いが、体の正面にぶら下げた革のバッグに突き刺さったナイフを引き抜いた。偶然か咄嗟とっさの判断なのかはわからないが、酔っ払いは斜めに掛けたビジネスバッグでナイフを防いでいた。


「なにそれ。インチキ」


 毒づきながらもチャオは背後へと跳躍した。認めたくはないが、酔っ払い男の身体能力は人間離れしている。ひとまずこの場は退散し、様子を見た方がよさそうだと判断した。


 チャオはひと蹴りで10メートルほど後方へ跳んだ。カモにしたふたりの男のどちらにも、チャオは本名を明かしていなかったし、顔も微妙に変えているから、チャオが追われる心配などなかった。そのうち折を見て、あいつらとは遊んでやるつもりだった。もちろん、その時は今日よりもっと激しくいじめてやる。

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