tokyo 転生者

氷川 瑠衣

序章 最終決戦

第1話 龍の背

 勇者は龍の背に乗り、空を飛んでいた。


 黄金の龍は、ボルサール城塞都市じょうさいとしの北、百キロほどの峡谷きょうこくの上空をかなりの速度で飛んでいた。高度と速度のせいで、大気は凍てつき、呼吸をするのも困難こんなんなほど空気は薄い。常人なら立つこともままならぬ状況であるにもかかわらず、勇者は悠然ゆうぜんと龍の背に立ち、視線を前方の一点に据えている。


「見えて来たぞ」


 金龍が声を上げた。口蓋こうがいの作りが異なる龍が、人の言葉を話すには高度な魔術が必要だった。龍の唸りうなりを人語に変換するには、莫大ばくだいな魔力が必要なのだ。それだけに、人語じんごを操る龍は希少きしょうでその存在は伝説とまで言われている。


 勇者と金龍の前方に、巨大な城が見えた。奇怪なオブジェの集合体のように見える城は、全体が赤く染まっていて、城全体が流血しているように見えた。城が異様いようなのは外観がいかんだけではない。城は峡谷きょうこくはるか上方に浮遊ふゆうしていた。城の底にある数百メートルに及ぶ岩盤がんばんまでもが、目に見えぬ巨人の手で引き抜かれたように空中に静止し、峡谷一帯に新月しんげつの夜のような影を落としている。


「なぜ城が浮いている?」


 勇者が疑問を口にした。驚嘆きょうたんする素振りはまるでなく、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしているようだ。


「さあな。魔王の力なのか、城自体にそういう仕掛けが施されてるのか。いずれにせよ、行ってみなければわからんな」


「そうか。五百年生きていても知らないことがあるのだな」


 勇者の言葉に、黄金の龍の鼻息が荒くなる。


「口に気をつけろ、小僧。振り落とすぞ」


「落とさずとも、もうじき降りる」


 勇者と金龍の口元に笑みが浮かぶ。


「面白いやつだ。あの城を見て恐怖を感じぬか」


「いいや、怖いな。体が震えている」


「震えてのは寒さのせいだ。さっきからお前の震えがおれの背に伝わってきている」


「そうなのか?わたしはてっきり怖くて震えているのだと思っていた」


「雲の上に出てから、おまえはずっと震えておるわ」


 金龍が豪快に笑う。つられて勇者も声を上げて笑った。


「来るぞ」


 魔王城の上空に、雨雲のような黒いかたまりが見えた。塊はうねり捩じれねじれながら、その姿を変えている。近づくにつれ、黒い塊から、人の叫び似た鳴き声が聞こえて来た。塊の所々から、突き出された赤い舌のような炎がき上がる。


「サラマンダー。凄まじい数だ」


 黒蛇にコウモリの羽を付け足したとしか思えない邪悪じゃあくなフォルムを持つサラマンダーは、魔王がこの世界を滅ぼすために生み出した究極の生物兵器だった。硬質のうろこに覆われたサラマンダーの体は、弓矢はおろか鋼の剣さえも通さない。自在に空を飛び、炎を吐き、人を喰らう魔竜は、この世界に住む全ての生物にとって破滅をもたらす天敵以外の何者でもなかった。


 魔王は千を超えるサラマンダーを自身の居城きょじょうの守備に当てていた。 

 サラマンダーの群れは、接近する黄金きんの龍を視認すると、それぞれが叫びを上げ、同族である巨大な龍目掛けて殺到した。共食いも辞さない旺盛おうせいな食欲を持つ魔竜たちにとって、自身の何倍もある黄金の龍は食べ応えがある獲物えものにしか見えないようだ。


雑魚ざこどもが」


 餓狼がろうのように群がるサラマンダーを見て、吐き捨てるように金龍きんりゅうが呟く。


「凄い数だな。大丈夫か?」


 金龍の首筋に移動してきた勇者が龍の耳元で叫ぶ。


「手こずるようなら手を貸す。遠慮えんりょなく言え」


「何を言わせたい?お前ごとき人間に、龍の王たるこのおれが助けを求めるとでも思ったか?」


「そうか。だったら任せる」


 何事も無かったように、勇者は金龍の首筋に腰を下ろし、胡坐あぐらをかいた。


「速度を上げる。落ちるなよ」


 あぎとを開き多量の酸素を取り込んだ黄金龍の体が一回り大きく膨らむ。次の瞬間、金龍がすさまじい咆哮ほうこうを上げた。周囲の空間がゆがみ、衝撃波しょげきはを発生させるほどの雄叫おたけびだった。


 加速かそくした金龍がサラマンダーの群れに突入する。群がるサラマンダーが金龍の体に牙を立てる。全身をサラマンダーにまとわりつかれながらも、金龍は構わず飛行を続けている。


 サラマンダーの一匹が、首筋に胡坐をかく勇者に向けてあごを突き出した。勇者の頭をくだく直前、サラマンダーの下顎したあごから頭頂部とうちょうぶにかけてを、勇者の剣がつらぬいた。何事も無かったように剣を引き抜くと、動きを止めたサラマンダーは、金龍の体をずり落ちていった。


おそわれた」


 勇者のつぶきに、金龍が笑う。


「退屈しのぎになったであろう?」


 全身をおおったサラマンダーの群れを意に介せず、金龍は魔王城へ一直線に向かって行く。


「おれの体毛をつかめ。少し手荒てあらにいくぞ」


 金龍の首筋に生える、手綱たづなほどの太さがある金色の体毛の一本に、勇者は手を掛けた。


 金龍の全身に蒼白あおじろ稲光いなびかりが走る。龍の首筋の肌の一部が隆起りゅうき逆立さかだっていくのを、勇者は不思議な面持おももちちでながめていた。


 爆発ばくはつしたように閃光せんこうはじけ、金龍の全身を覆った。龍の体に喰らいついていたサラマンダーの群れの動きが一斉に停止する。


 勇者は直近ちょっきんにいたサラマンダーの顔をのぞき込んだ。サラマンダーの体には傷ひとつついていなかったが、赤黒いサママンダーの目は白くにごり、眼球がんきゅうは焼けげていた。


 龍が放った閃光の威力いりょくは、密着みっちゃくしていたものだけでなく、周囲しゅういを飛び交うサラマンダーにもおよんでいた。龍の半径五十メートル付近にいたサラマンダーたちは、その場で動きを止め、声ひとつ上げずに地上へ向けて落下していった。


すごいな。何をした?」


「体内の水分を蒸発じょうはつさせた。奴らはおれの逆鱗げきりんれたからな」


 隆起りゅうきした首のうろこが、静かに戻っていく。


「凄まじい技だ。でもどうしてわたしは生きている?」


「おれの体毛たいもうつかんでいたからだ。おれの体毛はあらゆる魔法効果を無効むこうにする」


 勇者は左手で掴んでいる金色の体毛を見つめた。


「便利なものだな。一本いていいか?」


ことる。禿げたらどうする」


 軽口を叩いていられたのはそこまでだった。魔王城上空で滞留たいりゅうするサラマンダーの第二陣が、龍を取り巻くように飛行し始めた。遠巻とおまきに取り囲み、口からき出す炎で龍と勇者をあぶり殺すかまえだ。


「さっきのあれ、もう一度はなてるか?」


 立ち上がりながら勇者がたずねる。


「当たり前だ。何度でもやれるぞ」


「そうか。なら、魔王城の上空にたっしたら、もう一度たのむ。そこからは自分で行く」


 閃光を放ったあと、金龍の飛行速度がわずかに落ちたことに勇者は気づいていた。年老いた金龍は、言葉とは裏腹うらはらにかなり疲弊ひへいしているはずだった。


「わたしが撃てといったら、わたしに構わず撃ってくれ。頼んだぞ」


「おれから離れたら、お前も身体からだ内部ないぶから焼かれるぞ」


「お前の言葉を信じるなら、わたしは大丈夫だ」


 掴んだ龍のひげを、勇者は力任ちからまかせに引き抜いた。金龍が痛みにうなり声を上げる。


貴様きさま!」


もらっていく。次に会ったときに、わたしの毛を一本むしり取るといい」


 そういうと勇者は、龍の顔から空中へとんだ。重力じゅうりょくに引かれ自由落下していく寸前すんぜんで、勇者の足が突進とっしんしてきたサラマンダーの鼻先をみつける。腰の帯革たいかくから二振ふたふりの刀を引き抜いた勇者は、着地したサラマンダーの首をねると、すぐにとなりを飛んでいたサラマンダーの背に飛び移り、二匹目の延髄えんずいつらいた。


 魔王城上空に滞留していたサラマンダーは二百を超えていた。勇者は飛翔ひしょうしているサラマンダーの背から背へと次々に乗り移り、はがねの剣すらはじくといわれたサラマンダーの皮膚ひふ切裂きりさいていく。


 背から背へ飛び移る勇者のせいで、密集みっしゅうしていたサラマンダーの群れはパニックを起こしていた。勇者に向かって炎をけば、すでに勇者は移動していて、サラマンダー同士がたがいに向けて炎を吐きあう結果となった。もともと連携れんけいの取れていない怪物かいぶつの集団は、互いにみ合い、ころし合いを始めていた。


「そろそろだな」


 サラマンダーの背を走りながら、勇者は眼下がんかのぞむ魔王城へと視線を向けた。魔王城の中央には、巨大な空洞くうどうが広がっていた。空洞は垂直すいちょくに魔王城の最深部さいしんぶまで続いており、魔王はそこでサラマンダーを始めとする魔物を創造そうぞうしているとのことだった。情報の真偽しんぎは定かではなかったが、情報をもたらした黒狼こくろう騎士きしの言葉は信じていた。黒狼の騎士は、化物の巣の中央までいけば、そこには必ず魔王がいると言っていた。


「龍の王、て!」


 声を限りに叫ぶと、勇者はサラマンダーの背から何もない空中へと跳んだ。飛翔系ひしょうけいの魔法などまったく使えない勇者の体は、真っ逆さまに魔王城の空洞へと落ちて行った。


 落ちていく勇者目掛けて、凄まじい数のサラマンダーが襲い掛かってくる。ガチガチとするどい歯をらしながら、サラマンダーのれが勇者の体に喰らいつこうとひしめき合う。


再び閃光せんこうが弾けた。数千の青い稲妻いなづまがサラマンダーの体を貫いていく。勇者の体にも稲妻は届いたが、青く輝く水のように体表たいひょうを流れ落ちていくだけだった。音も無く落下していくサラマンダーの死骸しがいに囲まれながら、勇者はふところしのばせた金龍の体毛にれた。


「ありがとう。助かった」


漆黒しっこく奈落ならく落下らっかしながら、勇者は右手を振り、金龍に別れの挨拶あいさつをした。


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