第2話 魔王

 勇者は真っ直まっすぐにやみの中を落下していた。


 奈落ならくへと続く竪穴たてあなは深く、どこまで落ちても先に光は見えなかった。どれほど落ちたのか分からなくなったころ、視線の先にかすかな光が見えた。針の穴を通して見るような小さな光の点は、時間の経過けいかと共に少しずつ大きくなっていく。


 下方かほうあかりが見えたことで、勇者は自分が頭から一直線に落下中であることを知った。上体じょうたいを起こし体を開くことで、風の抵抗ていこうが強まり、落下のスピードが少しだけおそくなった。共に落下していた数百匹のサラマンダーの死骸しがいをやり過ごし、勇者は呪文の詠唱えいしょうを始めた。


 魔術まじゅつ適正てきせいは、もともととぼしかった。自分を育ててくれた三賢者さんけんじゃのひとりであるエンノオヅネは、勇者に魔術師としての適性てきせいがないことを早くから察知さっちし、魔法自体を教えるのではなく、魔法の成り立ちそのものを教えることにより、敵からの魔法攻撃まほうこうげきかわすべや、自分の能力を倍増ばいぞうさせる補助系魔法ほじょけいまほうの応用を身に着けさせてきた。結果、勇者自身があつかえる魔法はわずか数種類しかなく、それも長大ちょうだい呪文詠唱じゅもんえいしょうを必要とする戦闘せんとうに不向きなものばかりだった。


 勇者が詠唱し始めたのは、自身の体に受ける物理ぶつりダメージを軽減けいげんするマモリトの呪文だった。呪文を詠唱し終えると、勇者の体が緑色にかがやうす被膜ひまくおおわれた。本来は敵の打撃だげきから身体を防護ぼうごする術で、高高度こうこうどからの落下の衝撃しょうげきに耐えるほどの効力こうりょくはない。このまま地面に激突げきとつすれば、勇者の五体ごたい飛散ひさんする。

 |終着しゅうちゃくである灰色の大地がせまってきていた。おびただしい数のサラマンダーの死骸が次々に地面に叩きつけられていく。


 体を地面と平行に保ったまま、勇者は左手を突き出した。てのひらを大地に向け、発生する強力なエネルギーの逆流ぎゃくりゅうを防ぐため、右手で左手の前腕をつかむ。


「フロガエクリクシーィィ」


 叫びと同時に、左掌ひだりてから高温の火球かきゅうが放たれた。勇者があやれる炎系の最大呪法さいだいじゅほうがフロガエクリクシーだった。錬成れんせいされた超高温ちょうこうおんの火球は、大地に激突すると急激きゅうげき熱膨張ねつぼうちょうを起こし、音速おんそくを超える衝撃波しょうげきはともないながら爆風ばくふう拡散かくさんしていく。


 錬成した火球は、落下地点らっかちてん折り重おりかさなるサラマンダーの死骸を直撃した。火炎耐性かえんたいせいすぐれたサラマンダーの皮膚ひふでさえ一瞬いっしゅんに蒸発させた火球は、爆風を伴って煙突状えんとつじょうに伸びた空洞へと向かった。


 勇者は背負せおっていた白銀はくぎんたてを体の全面に押し出した。全身が盾に隠れるよう体を折りたたむと、き上がる爆風の中にかまえた盾ごと突入とつにゅうした。爆風が重力にさからって勇者の体を押し上げる。落下速度がいちじるしく落ちるのを感じた瞬間、勇者の体は盾ごとかわいた大地に激突した。


 激突の衝撃の大半たいはんは盾が吸収してくれていた。北の永久凍土えいきゅうとうどから掘り起こされた氷と鉱石こうせき混合こんごうされた特殊とくしゅ材質ざいしつで作り上げられた盾だったが、落下の衝撃でいびつ変形へんけいしてしまった。勇者の体はね上がり、灰色の大地をはげしく転がった。

 回転かいてんが止まると、勇者はほこりまみれた体で立ち上がった。着地ちゃくち衝撃しょうげきで、くちびるを切っていた。盾でふせぎきれなかった四肢ししの一部は、噴き上がってきた爆炎ばくえんのせいで、激しい痛みを伴う火傷やけどを負っていた。


 勇者が立ち上がった先に、岩石で作り上げた巨大な玉座ぎょくざが見えた。広大こうだいれ地の中央にえ付けられているように見えたが、天井のしつえからして、そこが伽藍がらんであることがしれた。光など入らぬ地の底でありながら、伽藍の中は明るい。これももまた、魔王によってほどされた魔法なのかもしれない。


玉座には小柄こがらな老人が座り、勇者が落ちてきた空洞を見上げていた。


「あそこから落ちてきたのか」


 視線しせんを空洞の先に向けながら、老人がたずねる。答えを欲していない、つぶきに近い声だった。


「飛翔系の魔法や、得体えたいのしれない道具で降りてくるなら、いくらでも迎撃げいげきしてやれたのだが」


 老人は埃塗ほこりまみれの勇者をまじまじと見つめ、溜息ためいきをついた。


さくもなく、ただ飛び降りてきたか。想像以上におかしな奴だ」


「魔王か?」


 唇から零れ落こぼれおちる血のしずくぬぐいながら、勇者は老人の前に立った。


 老人は答えず、ただ勇者を見つめている。


「もう一度問う。魔王か?」


 勇者は左右の腰に差したさやから二振りの刀を引き抜いた。つかの無い半円形はんえんけいの刀は日本刀というより、古のエチオピアの剣、ショーテルに近い形状けいじょうを持っていた。


玉鋼たまはがね 眉月まゆづき有明ありあけか。父と子が互いを殺すために作り上げた憎悪ぞうおの刃を両手にかかげ、わしの前に立つか」


 うれしそうにめくり上がった老人の唇から、オオカミを思わせる巨大な牙がのぞいた。


「返事がなければ魔王とみなす。ご老人、よろしいか?」


「せわしいの。会話を楽しむ余裕よゆうもないか」


 笑みを浮かべたまま、老人が玉座から立ち上がる。


「わしが魔王だとしたら、主はわしをどうする気だ?その二振ふたふりでわしを殺すか?」


「魔物の進軍しんぐんを止め、元いた場所へ帰るというなら、あなたのこれまでの行いには目をつむる」


「それは素晴すばらしい」


 はげしく両手を打ち付け、老人は声を上げて笑い始めた。


「百をえる村を焼き払い、数千もの人間どもを殺したわしを、お前はゆるすというのか?貴様きさまらの土地をけがし、不毛ふもうの大地に変えてやったことも、貴様を育てた、あの忌々いまいましい三賢者さんけんじゃ皆殺みなごろしにしてやったことも全て忘れて、貴様はわしを許すというのか?」


「これ以上の殺戮さつりくは望まない。魔物といえどいかりもかなしみを持っているのだろう?われらも多くの魔物を殺した。ここで引くというのならいたみ分けだ」


「本気でいってるのか?」


 勇者は二振りの刀をさやもどした。


「本気だ」


 老人は目を伏せ、何かを考えるようにうつむいた。


「本気でいっているのなら」


 顔を上げた老人のするどい視線が勇者をとらえた。


「貴様は大馬鹿だ」


 老人がそう告げると、広大な空間を持つ魔王城の天井の一部が大音響だいおんきょうと共にくずれ落ちた。瓦礫がれき粉塵ふんじん撒き散まきちらせながら、勇者の頭上へ降り注ふりそそいだ。


降り注ふりそそ瓦礫がれきの山を潜り抜くぐりぬけた勇者は、右の刀を抜き放ち、老人の首目掛めがけて突き出した。刃が老人の喉をつらく瞬間、老人の体は舞うように飛翔ひしょうし、勇者から離れて行った。


「わしからも提案ていあんしよう。人間を殺せ。10人にひとりは生かしておいてよい。選別せんべつし10分の1になったなら、人間の存在を認め、我が世界の片隅で細々と暮らすことを許して使わす」


 跳躍ちょうやくし、飛翔する老人に追撃ついげきを掛けようとした勇者の頭上から、全身を震わせるけもの咆哮ほうこうとどろいた。あおぎぎ見ると、崩落ほうらくした天井の岩盤を突き破り、巨大な黒い影が覆い被おおいかぶさるように落下してくる。


 地上に降りた勇者は、強大な影を避けようと瓦礫の山をうように走り抜けた。地上に降り立った影が、再び耳を覆う雄叫びを上げた。影の正体は体長20メートルを超す巨大な灰色オオカミだった。オオカミが異様なのは体の大きさだけではなかった。オオカミの首には、鼻ずらにしわを寄せ、白い牙をみ鳴らす六つの頭が生えていた。オオカミは互いに牽制けんせいしあい、不機嫌なうなり声を上げながら、眼前にいる勇者の姿を見据みすえていた。どれが司令塔なのかしれないが、互いに牙を咬み鳴らすオオカミの頭たちとは異なり、灰色の獣毛で覆われた強靭きょうじんな四肢は、勇者に向けての跳躍ちょうやくに備え張りつめている。


 六首オオカミの突進に合わせて、勇者の体が疾駆しっくする。激突する瞬間に跳躍した勇者は、オオカミのあぎとかわし、右手にもつ刀で首のひとつをり落とした。斬り落とされた頭は短い悲鳴を残して大地に落ちたが、残る五つの頭は何もなかったように勇者の姿を追っている。


 斬り落とされたオオカミの首から、新たな頭が生え始めていた。傷の再生速度は速く、新たに生えてきたオオカミの首はすぐに体になじみ、他の五つとの見分けがつかなくなった。


 足場あしばの悪い瓦礫の山の中を駆けながら、勇者は呪文の詠唱を始めた。口の中で唱えていた呪文は、六首オオカミに近づくほどに大きくなり、呪文に呼応するように勇者の左手が光を放ち始めた。赤く輝く勇者の左手は、声の大きさに比例ひれいして輝きを増していく。


「フロガ・ヴェーロス!」


 突き出した勇者の左手から無数の炎の矢が放たれ、六首オオカミを直撃ちょくげきした。炎と爆炎ばくえんに包まれた六首オオカミがもんどりうって倒れるのを見ると、勇者は左手でもう一本の刀を抜き放った。両手に握った刀を引きずるように疾駆しっくに入った勇者は、再び呪文の詠唱を開始する。


 両手に下げた刀が、異なる輝きを帯びていく。左手に下げた刃は赤く、右手のそれは青く輝き始めていた。右脳うのう左脳さのうを同時に使い、異なる魔法を左右の剣に付与ふよする技術は、最高難度さいこうなんどほこる魔法剣の秘儀ひぎだ。


「バフゴロスガ・エエククリリククシシーー」


 バゴス・エクリクシーとフロガ・エクリクシー。氷属性こおりぞくせい炎属性ほのおぞくせいの魔法を同時に発動させるには、自分の中にふたつの人格を作り上げ、それぞれに呪文を詠唱させる必要がある。結果、ふたつの人格じんかくにより詠唱された呪文は重なり合い、ざり合って口をついて出る。


 右に構えた絶対零度ぜったいれいどの刃が、六首オカミの首筋くびすじに叩き込まれた。一拍遅いっぱくおくれで発動した魔法効果は、オオカミの全身を一瞬にしてこおりつかせた。


 勇者がてついたオオカミの首筋に左手に構えた炎の刃を突き立てようとした瞬間、六つのオオカミの頭をき分けて巨大な金髪きんぱつを持つ女の顔が現れた。オオカミの胴体どうたいに生えた女の顔は、閉じていた瞳を開き勇者を見つめた。女のうつろなと視線を重ねた勇者の動きが、束の間停止した。


 真一文字まいちもんじに結ばれていた女の唇がけ、憎悪ぞうお宿やどした異国いこくの言葉を吐き出した。呪詛じゅそは空気に触れた途端とたん実体化じったいかし、粘着性ねんちゃくせいの液体となって勇者の全身にからみついた。


らいおったわ」


 宙に浮いて勇者を見ていた魔王が、ひざを打った。


「人の身であれを喰らっては、ひとたまりもなかろう」


 冷たい笑みを浮かべた魔王は、瓦礫の山へ落下していく勇者を目で追った。


「たわいない。あれが勇者とはの」


 瓦礫の山に激突げきとつした勇者の体は、大量の粉塵ふんじんを巻き上げながら瓦礫の底へ落ちていく。


 巨大な女の顔が薄ら笑いを浮かべ、魔王を見る。魔王が女の顔にうなずいてみせると、女の胴体に当たるオオカミの尻尾しっぽがうれしそうに左右に揺れた。魔界の深層しんそうから連れ出した伝説の怪物スキュラだった。手なずけるのに時間はかかったが、今は忠実ちゅうじつな犬のように魔王の命令にしたがうようになっていた。


「終わったの。あとは人間共を駆除くじょするのみ。なんとも面白みのない結末だったわい」


 魔王はため息をつくと、勇者の姿が消えた瓦礫の山に向けて移動いどうを開始した。

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