第182話 ユウキ・リンとオヅヌ

炎珠えんじゅかなで一式いちしき!」


 音の無い戦場に女の声が響き渡る。次の瞬間、敵軍の左翼さよくに巨大な火球が炸裂さくれつした。


 強烈な熱と爆風を受け、膝を着いた。付近にいた案山子どもの体が熱風を受けて燃え上がる。


木通家あけびけのユウキ・リン」


 かたわららに立つ公孫翔が呟く。術にも限界があるのか、いつの間にか公孫翔はひとりに戻っている。


 公孫翔の視線の先に、東の大陸の民族衣装らしい真紅の衣服をまとった若い女が立っていた。


「あの女がやったのか?」


 敵の左翼で燃え盛る炎は、一撃で百を超える案山子を始末していた。


「木通家秘術の火焔かえん魔法だ」


「あれが魔法だと?どういう仕組みだ?」


 西で知られている魔法は、火の気の無いところに火を着けたり、氷のつぶてを飛ばして攻撃する程度のものだ。ランスロットの知る攻撃魔法と、ユウキ・リンの攻撃とではけたが違う。


「最初からあの女が出張でばってきてれば良かったんじゃないのか?」


「術を生成するのに時間が掛かる。それにそう何発も放てはしない。最高の時機を見据みすえ、最大の効果を上げる気だったのだろう」


すさまじい術だな。惚れちまいそうだ」


「無能な優男やさおとこが好みだそうだ。お前じゃ無理だな」


 炎珠の奏二式と叫ぶ声が響き、敵の右翼中央に向けて無数の小さな火球が飛ぶ。藁でできている案山子どもが声も上げずに灰になっていく。


「俺たちの出番は終わったようだな」


 剣を降ろし息をいた。体力の限界が近づいている。剣を降ろしてしまうと、もう二度と持ち上げることはできそうにない気がした。


「あの姉ちゃん、殺されるぞ」


 声のする方に目を向けた。すぐ近くにオヅヌが立っていた。


「生きてたのか。運がいいな」


「兄ちゃんを助けてやるって約束しちゃったからさ。そばにいてやったんだよ」


 いつからいたのだろう。全く気づかなかった。


「殺されるとは?」


 公孫翔がオヅヌに訊ねる。


「ぶっ殺されるって意味だよ。あんなの死ぬに決まってる。馬鹿だなあの姉ちゃん」


 酷い言いようだった。あからさまにリンを馬鹿にしている。


「凄い魔法じゃないか。助けられた」


 オヅヌが指でこめかみ辺りに円を描き、掌を開いて舌を突き出す。


「攻撃魔法ってのはさ、あんな風にてのひらから術を出しちゃダメなんだよ。あれじゃ誰が撃ってるのかバレバレじゃん。敵からしてみればいい的だよあんなの」


 言われてみればその通りだ。術の発動までに時間が掛かるのなら、その間、術者は無防備となる。


「木通家の者たちが守っているはずだ。そう簡単には」


 言ってる側から異変が起きていた。案山子どもは後先顧みずにユウキ・リンに向けて殺到さっとうし始めた。


「いかん。防ぎきれん」


 二十人ほどの木通家の者たちがユウキ・リンを守っている。だが我先に突撃してくる案山子どもの数はそれを遥かに上回っていた。


 気力を振り絞って立ち上がり、剣を握り直した。何千回、何万回と振り回した剣なのに、握力を失いつつある今となっては、鉛の塊のように重く感じる。


 濁流だくりゅうのように殺到する案山子の勢いにみこまれ、次々と木通の者たちが倒されていく。木通の者たちもそこそこ強力な炎を操るようだが、余りに敵の数が多すぎた。


「炎珠の奏、最大奥義・・・・・」


 悲痛な声をユウキ・リンが絞りだし、案山子の大群たいぐん目掛けて両手を突き出した。


 音も無くリンの両手が切断された。絶叫を上げようとして目一杯口を開いたリンの首筋に、案山子の鎌が潜り込んでいく。


 見えたのはそこまでだった。広場にいたすべての案山子が、リン一人に群がっている。案山子どもの鎌の刃が骨に当たる重苦しい響きからして、リンの身体は識別できないほどに切り刻まれているはずだ。


「ね?だから言ったでしょ。あれじゃ絶対殺されるって。そもそもさ、木通の連中って、火力を増すことばっかり考えてるからああいうことになるんだよ。当たれば派手だし、威力もあるんだろうけどさ。ダメダメだよ、あんなんじゃ」


 甲高い声でオヅヌが言いつのる。目の前で人が死んでいることなど意にもかいさない。


「口を閉じろ小僧。守ってはやるが、期待はするな」


 ユウキ・リンを始末した案山子どもは、感情の無い空洞のような目をこちらに向けている。次の攻撃目標は決まったようだ。


 公孫翔が集めた剣客の数は十に満たないほどに減っていた。その全員がここに集っている。


「守ってやるって、それはこっちの台詞だよ兄ちゃん。ほんと兄ちゃんたちって運だけでここまで生き延びてきたって感じだよな」


 愚痴ぐちりながら、オヅヌはランスロットの背後に身を隠した。本気で見捨てようかと思案する。


「オン オンサバラヤショメニカ オン!」


敵から身を隠したオヅヌが、両手を合わせて複雑に指を動かす。


邪炎禁呪じゃえんきんじゅ啼龍なきりゅう


 オヅヌの声と同時に、強い振動が広場全体の大地を揺るがした。空気が震え、耳朶じだの奥に鋭い痛みが走る。湿り気をびていたはずの秋の空気が一気に乾燥したせいだろうか、辺りの温度が極端に下がった気がした。ツンとした臭いが鼻孔を刺激し、目頭をうるませる。


 案山子どもが並び立つ大地を割って、巨大な火柱ほばしらが立ち昇った。それは真に火山の噴火、溶岩の噴出そのものだった。一瞬にしてその場にいた案山子どもを灰にした炎は、新月の夜の闇をどこまでも切裂き、あたり一帯を昼間のように照らし出した。

 立ち昇る炎から、耳をつんざく獣の咆哮ほうこうほとばしった。目をかばいながら上空を見上げると、炎は一匹の巨大な龍と化していた。


「これも魔法なのか?信じられん」


 強大な火龍に見蕩みとれながら、隣の公孫翔に問いかけた。


「生なき物に命を与える邪炎禁呪法。初めて目にした」


「このガキは何者なんだ?まさか神とか悪魔のたぐいじゃないよな」


「東方蓬莱ほうらい方術師ほうじゅつし、千年に一人の逸材いつざいうたわれた神童、行者エンノオズヌ殿だ」


 振り返り、改めてオヅヌを見た。不貞腐ふてくされたような顔をして見返してくるオヅヌには、子供らしい愛らしさは欠片かけらもない。


「助けてもらっておいて何だが、何故もっと早くこの龍を呼び出さなかった?お前がもっと早く術を使えば、これほどの犠牲は出なかったはずだ」


 無性に腹が立ってきた。これの程の術を持ちながら、何故ここまで手をこまねいていたのか。


「怖いな兄ちゃん。つまりおれのせいで、ここにいた連中は死んだって、そう言いたいの?」


「そうは言わん。だが理由を知りたい」


「嫌だね。言いたくない。納得いかないんなら、そのでっかい剣でおれの首を刎ねなよ」


「禁呪法だからだ」


 公孫翔が口をはさむ。


「禁呪法だと?」


「この子が使う邪炎禁呪法は、炎や水、風や土といった命なき物に束の間の生を与えこれを式神しきがみとして使役しえきする。だが強大な式神を生み出すには、多くのにえを要する」


 口の中に嫌な味が広がる。ここから先は聴かずとも想像はついた。


「わたしは彼に頼み込み、この広場全体を禁呪法円陣きんじゅほうえんじんに作り変えた。ここで死んだ者の魂は全て」


 公孫翔の口元を殴りつけた。最低の屑野郎だった。多くの人間を誘い込み、その命を術式に変換へんかんしたのだ。


「おれが死ねば、おれの魂とやらもあの火龍の餌となってたってことか。笑えない話なのにどういう訳か笑えてくるな」


「万が一の措置そちだったのだ。使わずに済めばそれで終わる」


「あいつらの墓の前で同じ話を聞かせてやれ。死んだ連中は文句を言わない。きっとお前をなぐさめてくれるだろうよ」


 公孫翔とオヅヌに背を向け、出口に向かって歩き出した。二人の顔は二度と見たくない。


「兄ちゃん」


 オヅヌの甲高い声が耳に響く。


「兄ちゃんはきっといい奴なんだろうな。でもその優しさは、いつかきっと兄ちゃんの足枷あしかせとなる。兄ちゃんが背負ってるその悲しい呪いも、多分きっと兄ちゃんの甘さのせいなんだ」


 隠したつもりでいたが、腹に蔓延はびこる醜悪な呪いの痕跡こんせきを、オヅヌは見逃さなかった。


「悲しい呪い?馬鹿を言うな。こいつは俺を憎む女が投げつけてきた憎悪の塊だ」


「だったら何でまだ兄ちゃんは生きてるんだよ。強力な呪いってのは、発動したら最後、絶対に助からない。なのに兄ちゃんはまだ生きてる。その矛盾むじゅんの意味が解らないのか?」


「殺しても死なないほど俺がしぶといってことだろう。意味なんてありゃぁしない」


 振り返らなかった。もうこの村にも、この東の大陸にも用は無かった。

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