第183話 その程度の人生

 北の山脈のふもとに、小さな村があった。不治の病におかされたアイリエッタがそこにいるという。 


 故郷の村から半月ほどかけ、その村に辿たどり着いた。崩れかけた小屋が並ぶ、村というよりは集落と呼んだ方が早いような寂れた土地で、村民の大半は治るみこみのない病をわずらっていた。その面倒を見る者もまた病人という、近隣の街や村から追い出されて行き場を無くした者たちが最後に辿り着く吹き溜まりのような場所だった。


 ランスロットが着いたその日に、村に雪が降った。いつもの年より少し遅い初雪だったらしい。

 アイリエッタは、広大な湖の畔にある、粗末そまつな小屋に住んでいた。流行り病を患った、身寄りのない子供二人を引き取り、その面倒を見ているという。


 ランスロットが小屋を訪ねると、まるで待っていたかのように扉が開いた。そこには、瘦せ細り、土気色の肌をしたアイリエッタが立っていた。

 

 台所を兼ねた居間に通され、今にも壊れそうな椅子に座らされた。部屋の中には暖炉があり、僅かばかりの薪がくべられていたが、絶えず入り込んでくる隙間風すきまかぜを防ぐ為に、アイリエッタは分厚い羊皮の外套がいとうを着こんでいる。


 無言のまま、器に盛ったスープを手渡された。今更毒入りを出してくるとは思えず、黙ってスープに口をつけた。湖で獲れた魚と水草で作ったスープで、見た目とは違い驚くほど味がいい。すべて腹に収めたあと、食材こそ違えど、子供の頃によく飲んでいたスープと同じ味だったことに気がついた。


「母から聞いた。いや、それ以前から、俺は知っていたんだと思う」


 テーブルを挟んで向かい合ったアイリエッタは何も答えず、ひび割れた皮膚で覆われた指を組んだままランスロットを見つめていた。

 

 15歳になったその日、ランスロットの母と従者をしていたアイリエッタの母親は、何も知らないアイリエッタを、父のめかけとして差し出した。父はそれを受け入れ、半ば強引にアイリエッタと関係を結んだ。幼いアイリエッタには、実父以上の存在だった領主の妾となることを拒むことはできなかった。


 半年ほど過ぎたころ、アイリエッタは新たな真実を知る。母親もまた、長年に渡り領主と関係をもっていた。


 実の父親かもしれない男と、これ以上関係を持つことはできなかった。自ら命を絶とうとしたアイリエッタを引き留めたのが、ランスロットの師であった剣士だった。

 

 アイリエッタに対する残酷な仕打ちの理由を、病床にある母に訊ねた。いくら貧乏貴族とはいえ、曲がりなりにも領地を持った領主だ。女が欲しければ、貧しい家の娘がいくらでもいたはずだ。


 あなたの為よと、母は答えた。あなたがアイリエッタに恋焦こいこがれていたから、わたしはあなたからアイリエッタを遠ざけなければならなかったの。


 昔からかんが強く、誰にもなつかなかったランスロットだが、アイリエッタの言葉にだけは素直に従っていた。年齢を重ねるに連れてその傾向は益々強くなり、13を迎える頃には、兄はおろか父の言葉にすら耳を貸さなくなったランスロットだが、アイリエッタの言葉だけには従順に従った。


 ランスロットは一族の希望だった。美しく精悍せいかんなその容姿に加え、天賦てんぶの才としかいいようのない剣の腕を持つランスロットを養子として欲しがる諸侯しょこうは多く、婚姻によって得られる恩恵は計り知れない。そんなランスロットに、血の繋がりがあるかもしれないアイリエッタを近づけるわけにはいかなかった。双方をうまく諦めさせる方法を模索した結果、二人の母親はひとつの結論を導き出した。父である領主の妾としてしまえば、ランスロットもアイリエッタへの想いを諦めるに違いない。


 とんだ勘違いだと笑い出したくなった。

 アイリエッタの言葉に従っていたわけではない。ただ単純に、アイリエッタの言葉には合理性が感じられたというだけの話だ。矛盾だらけの貴族の生活の中で、柔軟な思考力を持ったアイリエッタの言葉だけが、新鮮に感じられたというだけのことだ。


 10歳を過ぎたころから、女たちはランスロットに特別な好意を見せるようになった。それに応え、ランスロットもまた同様に女たちを愛した。

 女が自分だけに向けてくる視線が好きだった。匂いも、滑らかな肌の手触りも好きだった。容姿など大して気にはしなかった。自分の求めに応じ、自分を愛してくれるなら、誰でもよかったのだ。アイリエッタへの恋慕れんぼの情など、唯の一度たりとも感じたことはない。


 そう。アイリエッタ以外なら、相手は誰でも構わなかったのだ。



 「子供だった」


 ランスロットは呟いた。病に侵されたアイリエッタの眼を見ることはせず、かしの木をくり抜いただけの粗末な器だけを見つめていた。


「大切なものに気づかなかった。いや、気づいていたけれど、見て見ぬふりをしていたのかな」


 雪のせいで風が止んだのか、小屋の中はひっそりとしている。暖炉にかけた汚れたケトルの蓋が、ときどきカタカタと音を立てるだけだ。


「この世界の全てを憎んだ。あなたとわたしを引き裂いた、あなたのお母様、わたしの母、あなたの一族、この国の在様ありよう、そして何より、あなたの存在そのものを憎んだ」


 ランスロットの記憶とは異なり、アイリエッタの声はしわがれていた。あれからずいぶんと長い時が過ぎている。


「わたしを殺しにきてくれたんだって思った。あなたが、わたしを殺してくれる。そう信じていた」


 剣士と共に山へ逃げたときのことだろう。今にして思えば、なぜ自分はアイリエッタを追ったのだろう?一族の為だなどという理由で、自分が二人を追うはずはない。単純な話だ。アイリエッタがいなくなることに、アイリエッタのいない世界に耐えらなかったというだけのことだ。だから殺さず、連れ戻すことを選んだ。


「あなたを憎み続ける。それだけがわたしの生きがいになった。それだけが生きるかてだった。あなたに覚えていてほしかった。眠りにつく前に、朝目覚めたときに、いつだって真っ先にわたしのことを考えて欲しかった」


 そうはならなかった。父や兄弟姉妹を殺されても、アイリエッタを心底憎むことなどできはしなかった。だからこそ二人の関係はこじれてしまった。おそらく二度と修復することができないほどに。


「これはきみの呪いなのか?」


 シャツの裾をめくり、醜く変色した腹の膿みを見せると、アイリエッタはうれしそうに微笑んだ。


「あなたを殺そうと、この地に古くから伝わる呪法を使ったの。でも、あなたを殺せるほどの呪いには育たなかった。中途半端な呪いは跳ね返り、わたしの身体を焼いた」


「知り人に言われた。一度発動した呪いは防げない。それなのに生きている。その矛盾の意味を考えろとな」


 別れ際のオヅヌの言葉だ。あの時のオヅヌは、本当に悲しそうな顔をしていた。


「俺は強くなっている。力も治癒ちゆ力も以前とは比べ物にならないほどに増大してる」


 いびつに捻じれた腫物に手を当てた。触れるだけで酷く痛むが、それには理由がある。


「こいつは呪いではない。強化魔法だ」


 人の肉体に外部からエネルギーを送り込み、身体強化を図る魔法を指して強化魔法と呼ぶ。聞き知ってはいたが、術を目にすることも、その身に受けるのも初めてのことだった。


随分ずいぶんと痛い思いをさせてしまいましたね。下手な術でごめんなさい」


 掌で口元を隠し、アイリエッタはクスクスと笑った。自分が仕掛けたいたずらに、うまい具合にランスロットがはまったのを見て喜んでいるような仕草だ。


 自らの生命力を、呪物としてランスロットの肉体に付与したのだろう。過剰なエネルギーはランスロットの肉を焼き痛みを残したが、体力と治癒力を格段に引き上げた。その代償として、術をほどこしたアイリエッタの肉体はむしばまれていった。


 アイリエッタはそれ以上何も言わなかった。黙って立ち上がると、そのまま奥の部屋へ消えた。椅子に腰かけたまま、ランスロットは夜を過ごした。


 雪が止み、山間の村に日が差した。外に出て、凍てつく湖畔を歩いた。何をしにここに来たのか分からなくなっていた。ただ、自分の中にある大切な何かが失われつつあることだけは自覚していた。


 完璧な青空を写し出した湖面は、水平線の先で空の青と交わり、視界の全てを青一色で覆い尽くしていた。

 小屋から出て来たアイリエッタが、流木りゅうぼくで造られた粗末な舟に乗り込むのが見えた。漕ぐ者もいないのに、舟はアイリエッタを乗せたまま湖上を滑り、ランスロットの視界の果てで停止した。


 舟の上に立つアイリエッタがランスロットを見つめている。どれだけ距離があろうとそれが解る。アイリエッタはランスロットを見つめ、昔と同じように微笑んでいた。


「さらばだ、我が妻よ」


 呟いて目を閉じ、再び開いた。舟の上に、もうアイリエッタの姿は無かった。


 小屋に戻り、帰り支度をした。奥の部屋に、アイリエッタが面倒を見ていた死にかけの子供が二人いた。どす黒く変色した顔色を見る限り、先は長くなさそうだった。


「気の毒だが何もしてやれん。許せ」


 男か女かすらわからない子供たちの頬に触れた。


 頬に触れた手が、かすかな光を放った。子供の頬が、淡く輝いている。


 みどりの光が溢れ、水流のように子供たちの身体を覆った。子供たちは目を見開き、口を開いて貪るように空気を取り込んでいる。


 息をすることもままならなかった二人が、火が付いたように全身を震わせて泣き出した。


 子供たちの顔色が変化していた。鉛のように黒ずんでいた皮膚が傷ひとつ無い艶やかな肌へと変わり、骨と皮だけしかない体が膨らみ、柔らかくふっくらとした子供特有の体形を取り戻していく。


 子供たちの全身を覆っていた碧の光が消えた。壁の隙間から差し込む陽光に照らし出された二人の子供は、先ほどとは別人のように生気に満ちあふれていた。


 それから十日ほど、ランスロットはその村に滞在した。ランスロットが触れると、碧の光が病人の身体を覆った。光が消えると、触れられた者の病は完全に治癒していた。

 自らの生命と引き換えに、アイリエッタは新たな力をランスロットの中に残していった。

 

 故郷に帰ると、母が死んでいた。埋葬し、領地を国王に返却する手続きを行い、爵位しゃくいも返上した。これからは誰の命令にも従うことはない。ただのランスロットだ。


 故郷を後にする前日、街の酒場で声を掛けられた。だいぶ前から気配を感じいたが、会いたくないから放置していた相手だ。


「魔王の軍勢が東の大陸を蹂躙じゅうりんしている。助けが必要だ」


 テーブルの向かいに、公孫翔が当たり前のような顔をして座る。


「オヅヌがいるだろう。お前とあいつで何とかならんのか?」


「こっちの食べ物ってどうしてこんなにまずいんだよ。炭火で焼いて塩振るだけでいいのに、なんかへんなタレかかってるし。おれお米とお魚食べたいんだけど」


 不満顔のオヅヌが隣にいた。目が合うと、オヅヌは少しだけ驚いたような顔をした。


「あれ、呪い解けたんだ。それに兄ちゃん、オドが増して強くなってるじゃん。おれ言ったんだよ。弱い兄ちゃんなんかほっとけって。だけど公孫翔がどうしても必要だって聞かなくってさ」


 苦笑した。相変わらず生意気なガキだ。


いくらでも酒を奢ると約束したよな、公孫翔」


「約束した」


「だったら今日は奢ってもらう。今、店にいる全員分だ」


 滅多めったに感情を表さない公孫翔の顔色がくもる。


「この国の銭の持ち合わせが無くてな。今日は勘弁してくれないか?」


「いや、約束は守って貰う。金が無いなら働いて返せ。なあに、五人に分かれて仕事すればすぐに稼げるさ」


「分身ひとり残して喰い逃げすればいいんじゃない?逃げたあとで分身消せば完璧だよ」


 酒を取ろうとしたオヅヌの手を公孫翔がはたく。


「わかった。飲みながら今後のことを話そう。それでいいな?」


「お断りだ。誰がそんな辛気臭しんきくさい話で酒を飲む。女の話がいい。女の話をしようぜ公孫翔」


「愛する女は一人だけだ。お前とは違う」


「五人で一人を相手にするのか?女が気の毒だな」


「公孫翔は女の人が怖いんだよ。さっきも綺麗な女の人見て、顔真っ赤にしてたからさ」


「本当か?情けない奴だな」


 腕組みをしてそっぽを向く公孫翔を見て、オヅヌと一緒に声を上げて笑った。人ではない敵との戦いが始まろうとしている。敵は強大で、仲間は少ない。


 だがそれでいい。どうせ戦うこと以外にできることは無い。だったら自分が愛する者たちの為に命を捨てる。生まれてきた意味など、その程度で充分だろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る