第14話 投降

 ルームミラーの先に、サブマシンガンが見えた。倒れているショットガンの男のかたわらに膝をつき、その肩を揺すっている。


「撃たれたのかよ、おれ。マジ最低だぜ。クソっ」


 ルームミラーの中で撃たれた男が立ち上がるのを観て、奈緒は慄然りつぜんとした。よろけながら立ち上がった男は、乱暴に目出し帽を脱ぎ捨てると、ショットガンを掴んでわめき始めた。


「ぶっ殺してやる。てめぇ、頭吹き飛ばしてやる」


 赤髪の若い男だった。20代前半か、ひょとしたら10代かもしれない。奈緒がはなったM360Jの弾丸は、間違いなく男の胴に着弾したはずだから、犯人グループは防弾アーマーを着用している。


 たて続けに銃声が響いた。ルームミラーは砕け、ヘッドライトが吹き飛ぶ音がした。タイヤが破裂したのか、覆面パトの車体が落下し、車内が激しく震えた。


「冗談じゃない。今日死ぬんだったら、もっと鍋島なべしまさんに触っておくんだった」


 鍋島さんは飼っている猫の名前だった。死に瀕して思い出すのが飼い猫だとは、我ながら情けなくて思わず笑みが出た。泣き喚いて命乞いするよりはましだろうと思うと、引き攣った笑い声さえ漏れてくる。


「鍋島さんって、彼氏さんですか?」


 後部座席から届いた声は、奈緒の心臓を凍りつかせた。椅子の隙間から後部座席を見ると、座席の間に挟まるようにちぢこまっている明奈と目があった。


「あなた、なんで逃げなかったの?」


 真円に近いほど丸くした目で、奈緒は明奈を見た。いたずらを見つかった子供のように、明奈はペロリと舌を出した。


「腰が、抜けちゃったみたいで」


 奈緒は明奈の言葉を最後まで聞いてはいなかった。ひとりで死ぬならともかく、民間人を巻き添えにして死ぬとなると話は別だった。明奈を助けるため車外へ出て、男たちの注意を逸らさなければならない。


「鍋島さんは、わたしが飼ってる猫なの。2才の男の子。わたしが死んだら、保護施設へ連れて行ってあげてくれる?」


 遺言まで猫の話だ。もう笑うしかなかった。


「鍋島さん、去勢済きょせいずみですか?」


「うん、そうだけど」


「だったらうちで飼っちゃダメですか?うち、ネコ2匹いるんです。ふたつともおばあちゃんだから、お父さんも喜ぶだろうし」」


「鍋島さんね、キャベツが好きなの。煮干にぼしよりもキャベツ」


「煮干しよりキャベツ」


 これで思い残すことはなかった。明奈に微笑むと、奈緒は覆面パトのドアを開けた。


「降参するわ。撃たないで」


 ショットガンを構えた赤髪が、車から出てきた奈緒を見て口笛を吹いた。


「びっくりだぜ、いけてるじゃん」


 奈緒がリボルバーをアスファルトに置くと、用心深く向けていたサブマシンガンも銃口を逸らした。


「おねぇさん、いくつ?」


 赤髪がおどけた口調で尋ねる。


「22、あなたは?」


「タメ、タメだよ。ほんと、驚いちゃうよな」


 実際は26歳だが、赤髪に合わせて年齢を引き下げて言ってみた。共通項を見つけて、赤髪が奈緒に興味を持ってくれれば、生存率は高まる。


「22歳かぁ。かわいそうだね」


 赤髪がこれ見よがしにショットガンをコッキングする。


「出会ってすぐに別れるのはつらいけど、ごめんな。お前、俺のタイプじゃねぇわ」


 片手で掴んだショットガンを奈緒の顔に向け、赤髪が薄ら笑いを浮かべた。もうじき尽きる命を察して、奈緒は目を閉じ首を竦めた。


「あれは、武器なのか?」


 低いが、良く通る声だった。聞いた途端、全身があたたかくなるような、落ち着いた声だった。


 奈緒の左に、南条がたたずんでいた。袖の無い青縞の半纏はんてんに半ズボンという、あの間抜けな恰好のまま、南条は奈緒の隣に並んでいた。


「先端の円筒部から、無数のつぶてが打ち出されるのか。肉眼では捉えられないほどの高速で」


 南条はショットガンの銃口を興味深そうに眺めている。その挙措きょそには、動揺など微塵みじんもない。


「あなた、殺されるわよ」


 南条を押し退けようとしたが、南条の体は根が生えたように動かなかった。


「殺されるって、それはあなたも同じではありませんか?」


 奈緒に向けて南条が微笑んだ。死を前にしてすら、奈緒が頬を赤らめるほど自然な微笑みだった。


「あなたはわたしの友人を助けるために、命を賭けてくれた」


 パトカーの後部座席に挟まっている明奈に、南条は視線を向けた。南条と目が合った明奈は、南条に向けてVサインを見せた。


 南条の視線が、明奈から奈緒に向かう。


「だからわたしも、あなたのために命を賭ける」


 在るか無きかの笑みを口元にたたえ、ショットガンの銃口をさえぎるように南条が奈緒の前に立った。

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