特別篇 One foot in front of the other(前に踏み出せ)

第185話 遺恨試合

「さあ、ついに運命の時がやってきました。一年の歳月を経て、今再び相まみえる二人の戦士。かたや昨年度のミス河川敷、かたや今や伝説となった超高校生球児。この両者が今日今このグラウンドで、互いの意地とプライドをかけて激突します」


 リバーサイド荒川球場に設置されたスピーカーから流れるように聞こえてくるのは、地元北区のローカルテレビ局、お花放送赤羽のアナウンサーの声だった。今日の試合をライブ配信する為、お花放送赤羽は3台のカメラを球場に設置している。


「実況はわたくし、浮間船人。解説は本放送のスポンサーであるお日様マート元志村坂下店店長、紺尾尼店長こんびにたななが様にお願いしております。紺尾尼さん、今日はひとつよろしくお願いします」


「チョゲッタ!お願いします。店長ねぇ、昔、野球やってたのよ。茨城県の県大会でベスト8までいったんだから」


「それは頼もしい。で、これより試合前のエキビションマッチが始まります。いえ、敢えて言うのなら、そもそもこっちこそが本命といいますか、始まりますねぇ、伝説の闘い第二章が」


「そうねぇ。でもでもね、去年と今じゃ注目度が全然違うのよこの戦い。なにせほら今注目のボルオちゃんが出るじゃない?」


「ボルオ・トバス選手ですねぇ。その強打者ぶりがSNSで取り上げられ、今じゃ日本だけではなく海外でも有名になりつつあります。歴史を塗り替える脅威の打率九割三分三厘。出た打席のほぼ全てでホームランを放っているという草野球史上最強の打者ですからねぇ」


「噂じゃぁ大リーグも注目してるみたいよ。その彼が、一年前バッターとして初登場したこのグラウンドに戻ってきたのよ。興奮するなっていうほうが無理じゃない?」


 球場のスコアボード脇に設置された巨大プロジェクターに、バットを構えた大柄な白人男性の画像が映し出されると、場内から大きなどよめきが起きた。


「球場の赤羽ビジョンは、煮干しメロンパンで有名な小僧犬印のブーランジェリー、パン・ド・ナリクラの提供です。今回のこの対決を、より鮮明な画像で皆様にお楽しみいただけます」


 赤羽ビジョンの画像が、ボルオ・トバスの写真から、フランスパンを小脇に抱えたシェフコートの男と隣でお座りする仔犬を映し出した。


「まぁ、パン・ド・ナリクラの鳴倉シェフねぇ。隣にいるのはマスコット犬のザッシュ2号よ」


 ビジョンの画像が切り替わると、画面いっぱいに、おでんを頬張ほおばる甘王あかねの姿が映し出された。


「そしてこちらこそが、もう一人の主役、おでんを食べさせたら千年に一度の美少女で話題になりました昨年度ミス河川敷、甘王あかねさんです」


 場内の観客席から拍手が起こるが、同時に失笑も沸いた。


「今回激突するふたりの姿を確認していただいたわけですが、思い出しますねぇ紺尾尼さん、昨年のあの始球式を」


 ビジョンの画像が動画に変わる。赤土を敷き詰めたグランドの中央に立つユニフォーム姿のあかねが、両ベンチに座る選手たちに笑顔で手を振っていた。


「昨年度の23区草野球トーナメントの映像です。去年までは北区荒川河川敷グラウンドで行われていました。今となっては懐かしい映像です」


 赤土のピッチャーマウンドの上に立つあかねに軟式の野球ボールが手渡されると、相対するバッターボックスにボルオ・トマスが入り、バットを構えた。

 

「これがボルオ・トバス選手の初打席の映像です。交換留学生として荒川区立南谷是なんやこれ高校2年B組にやってきたばかりの頃です」


「ボルオちゃんは、この時初めて野球のバットを握ったっていう話よ。それまでは実家の農作物を荒らすカンガルーを殺す為のブーメランより重い物は持ったことが無かったんだって」


 画面の向こうから、ミス河川敷甘王あかねさんによる始球式を始めますというアナウンスが聞こえてくる。審判がプレイボールを宣言すると、一礼したあかねはボルオが構えるバッターボックスに向かってセットポジションに入った。


「甘王あかねさんは小学生の頃、ソフトボールのピッチャーとして全国大会にも出たことがあるそうです。この構えを見ても本格的ですねぇ」


「うちのお店であんまん十個を秒で平らげた子よ。灼熱のこしあんを秒殺できる人なんて世界に何人もいない。ただ者じゃないわよ」


 見事な投球ホームを見せてあかねがボールを投げた。あかねのボールは放物線を描くことなく、一直線にキャッチャーミットに向かって飛んでいく。


 バッターボックスのボルオが腕を動かした。それはスイングなどではなく、飛んできたハエを追い払う程度の何気ない動作だった。


「へっ?」


 投げ終えた体制のままマウンドに立っていたあかねの口が開き、右奥の銀歯が陽光を反射していた。あかねの遥か後方にある荒川の中腹で小さな水飛沫が上がった。ボルオが打った打球は野球場を飛び越え、河川敷の先にある荒川まで達していた。


「凄まじいホームランでした。飛距離にして250メートル。ギネスの最高記録を大幅に上回る大ホームランですが、残念ながら公式記録として採用はされませんでした」


「スイングも見えなければ、飛んでった打球もカメラで追えてないのよねぇこれ。ほんと嘘みたいな一撃。打たれたミスおでんも全然気づいてないみたいだし」


「ミス河川敷ですよ、店長さん。お間違いないよう」


 打たれたあかねの表情に変化が起きた。ボルオを指差し、マウンドの上から何事かを叫んでいる。


「通例では始球式では空振りすることになっています。当時は通訳のミスとされていましたが、後日ボルオ選手から、向かって来るカンガルーは殺すという発言がありました」


「カンガルーをボールに置き換えればいいのね。向かって来たボールは打つ。まさにその後の活躍を象徴するような言葉ね」


 画面の中のあかねは喚き続けている。北区の選手たちがマウンドに向かい、あかねを説得するが一向に納得する様子がない。


「だから、本気で勝負させなさいよ。あれじゃ不意打ちじゃない。騙し討ちでしょ?」


 審判に抗議するあかねに、対戦チームの応援団が野次を浴びせかけた。ざまあみろ、ひっこめという声が上がり、そのうちの誰かが「消えろ、おでん」と叫んだ。それをきっかけに敵応援団から「おでん消えろ!」コールがあがり、双方の応援団同士が河川敷で小競り合いを始めた。争いは選手たちにも伝染し、ついには両軍入り乱れた乱闘にまで発展してしまった。


「結果、警察車両20台が河川敷に集まり、乱闘を鎮めるまで2時間を要しました。双方に怪我人が出たうえ、警察に身柄を拘留される者まで出たこの騒ぎは、北区民と荒川区民に河川敷おでん戦争として語られることとなり、長きに渡る禍根かこんを残すことになりました」


 ビジョンの画像が変わり、その後のボルオの活躍が映し出された。初めてバットを握ったその日に特大ホームランを放ったボルオは、正式に荒川ディチリバースの選手となり、破竹の快進撃を開始した。


 ひとたび打席に立てば、ボルオは必ずホームランを打った。速球だろうが変化球だろうが、ボルオがバットを振れば球は必ず場外に叩き出された。

 敬遠策をとっても無駄だった。ボルオの凄まじい膂力は、ボールがバットに触れさえすればよかった。ストライクゾーンから外れたボールでさえ、片手でバットを振り場外へと叩きだす。


 オーストラリアの荒野で17歳まで野球を知らずに生きてきたボルオは、野球の神に愛された神の子だったのだ。


「ボルオ選手の活躍はSNSで拡散され、草野球だけでなく高校野球の名門校やプロ野球界からも注目が集まりました。ですがボルオ選手は、南谷是高校卒業までは普通の高校生でいることを望み、第二の故郷である荒川区のディッチリバース以外の試合には出場しておりません」


「それも今年までなのよね。来年、高校を卒業すれば、ボルオちゃんは本格的に野球を始められるから、名門大学の野球部やプロ野球、大リーグからも誘いが来てるの。今後の去就きょしゅうが注目されているのよね」


「東京23区対抗河川敷草野球大会で優勝した荒川ディッチリバースですが、唯一の心残りは、北区赤羽レッドリバベッドとの無効試合。これを制すれば、ディッチリバースは誰もが認める23区最強の草野球集団となるわけです」


「我らが地元レッドリバベッドからすれば遺恨試合に応じるのは当然なんだけど、それだけじゃ済まないのよ。抗争の発端となった始球式ホームラン事件の結着がつかないうちは、この試合は始められないもんね」


「はい。再戦の申し込みに対し、我らが赤羽レッドリバベッドは、始球式のやり直しを要求しました。正式に、正規の舞台で、もう一度甘王あかねさんによる始球式すること。そしてこの条件を、ディッチリバース側も、ボルオ・トバス選手も了承しました」


「因縁の始球式の再現ね。この戦いの行方が、北区の未来を根本から変えるかもしれない。そう思うと店長興奮しちゃう」


「はい。まさにその通りです。北区民が受けた屈辱は北区民が返す。これこそが北区民魂、戦闘民族北区民の心意気です」


 ビジョンにあかねの顔のアップが映し出され、その画像に燃えるような赤髪に金色の目を持つボルオの顔が重なった。収容人数5500人のリバーサイド荒川球場につめた千人の観客たちの期待と興奮は否が応でも高まりつつあった。

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