第109話 変貌

 監視カメラにうつし出されていたのは、パンツスーツ姿の女が、浅黒い肌を持つ少女の手を引いて歩く姿だった。


「この女が手引きしたのか」


 ミカのつぶやきに小僧犬が反応する。


「ここからが面白おもしれぇ」


 意味がわからなかったが、質問はしなかった。画像を見ていれば答えはそのうち分かるはずだ。


 画面の奥にプレハブの住宅が写り込んでいるが、屋内の映像だ。大型倉庫の内部だろうとチャオは見当をつけた。


 警報が鳴り響き、小僧犬の兵隊らしき数人の男が女と少女を取り囲む。女の手から少女を引き離すと、男たちは女に暴行を加えだした。


 少女が女に向けて何やらわめいているが、異国の言葉らしくチャオには理解できなかった。


「言葉が分かるからってやとったんだが、ガキにほだされちまって逃げ出そうとした。殺すしかねぇわな」


 人の生き死にを小僧犬は事も無げに語る。


 画面の中の男たちは執拗しつように女を痛めつけている。他人が苦痛に顔を歪めるのを見るのは好きだが、それはあくまで自分で手を下した場合だ。チャオはモニターの映像に興味を失った。


「退屈なんだけど。早回ししてよ」


「もうじきだ。楽しみたいなら我慢がまんしろ」


 小僧犬の物言ものいいはいちいち頭にくる。チャオが選んだ男だが、ミカが許可するならすぐにでも始末する。


 取り押さえていた男のすきをついて、少女が女にすがりついて何かを女の耳にささいているが、その声が女に聞こえているとは思えなかった。画面越しに見ても、女は意識を完全に失くしている。


 画面が不意に明るくなった。画像の解析度かいせきどが上がったわけではない。倒れている女の体が光り出していた。光は徐々に強くなり、紺碧こんぺきの輝きをともなって女の体を包み込んだ。


「回復魔法、いや違うな」


 呟いたミカが、親指の爪をんでいた。子どもの頃の癖だったと聞いたことがあるが、もう何年も前に克服こくふくしたはずだ。


 紺碧の光に包まれた女の全身が、大量の水を流し込んだように膨張ぼうちょうしていく。膨張する筋肉にうながされるように、女の体が形を変え肥大ひだいしていく。


憑依ひょうい。いや、入り込んだ魂が肉体を変化させている。これは、召喚しょうかんだ」


「召喚って、ゲームに出て来るあれ?お化け呼び出して戦わせるやつ?」


 チャオの問い掛けを無視して、ミカは画面を食い入るように見つめている。女の体は変化を続け、膨張を続ける筋肉が、女の身に着けたシャツを内側から押し破っていく。


 意識を取り戻した女がコンクリートの床に手をいて起きあがろうとしているが、あまりの出来事に男どもは為す術なすすべもなく女をながめている。


 女が顔を上げた。監視カメラのひとつが女の顔を正面からとらえていた。そこに映し出されていたのは、荒々しく岩を彫り上げたような精悍せいかんな男の顔だった。


「これからは性転換にわざわざ海外まで行くことはねぇ。あのガキにお願いすればあっという間だ」


 ひざを叩いて喜んでいるのは小僧犬だけだった。小僧犬の取り巻きの女たち、ミカも、チャオ自身も声を失くして画面に見入っていた。


 女から変化した異形いぎょうの男が立ち上がる。小柄な女だったのに、立ち上がった男の背は百八十をゆうに超えている。


「いいなぁ。おれも背ぇ伸ばしてぇな。あと5ミリでいいからさ」


 馬鹿げた冗談が耳を突くが、反応する気にはなれなかった。画面の中の男は、なんというか・・・・・。


禍々まがまがしい」


 適格てきかくな表現をミカが口にした。画面越しに見ても判る。立ち上がった男から放たれる気配は、暴力そのものだった。




 男が不意に右手を伸ばした。異様なほどに大きな男のてのひらが、脇に立っていた小僧犬の兵の頭を鷲掴わしづかみにする。さして体格の変わらない兵の身体を軽々と持ち上げると、腕を一振りしてその体を投げ捨てた。


 各国の特殊部隊崩とくしゅぶたいくずれを好んで雇う小僧犬の手下だけあって、倉庫にめていた兵たちは動じなかった。十数人はいる兵たちは、手慣れた様子でそれぞれの得物えものを手にして男におそいかかった。


 兵たちが手練れ揃てだれぞろいだということは、画面越しに見ても容易よういに知れた。ナイフを構える物腰ものごしからして、一流の使い手であることが判る。 だがそれを物ともしないほど、画面の中の男の戦闘力はずば抜けていた。


 その動きはさなが実体を持つ黒い颶風ぐふうだった。兵たちは男に吸い寄せられるように近づき、男の放つ拳に打ちのめされ、鷲掴みにされ、襤褸布ぼろぬののように床に叩きつけられていく。


 兵たちもただ打ちのめされていくだけではなかった。後方にいた数人が銃を抜いて男に向けて発砲した。軍隊経験者にしかできない、躊躇ちゅうちょのない射撃だった。


 男の身体がしずむ。殺気を感知かんちして身を沈めたとしか思いようなスピードだった。ほとんど四つんいの姿勢しせいのまま、男は一足飛いっそくとびに銃を構える兵の一人に襲い掛かる。巨大な肉食の四足獣しそくじゅうの身のこなしのように無駄のない動きで近づき、男は発砲した兵の足を掴んで、銃を構える別の兵に向けて叩きつけた。


 十数人の兵たちの半数以上が、戦闘開始から数秒で打ち倒されていた。その全てが一撃で粉砕ふんさいされている。男のうごきは格闘術などという範疇はんちゅうおさまるものではなかった。それはまさに、具現化ぐげんかした暴力そのものだった。


 だが、小僧犬の抱える兵たちもまた尋常じんじょうでは無かった。大型の肉食獣さながらの男の動きに対応できないと判断すると、後方にいた二名が後退し、画面から消えた。次に現れたとき、兵たちは自動小銃を構えていた。


「そう。そうこなくっちゃ」


 意識したわけでもないのにチャオの口元が吊り上がる。二人が構えているのは自動小銃の中でも特に殺傷力が高いAK47だ。


 小銃を構えた二人は、それぞれが立ち撃ちと膝撃ひざうちの体制を取る。ツーマンセルカバーフォーメーション。男が銃弾をせてけたのを見ての対応だろうが、冷静に相手の動きをよく見ていなければ取れない対応だ。


「よし、れる!」


 思わず声が出ていた。結果は解っていたが、それでもハンターとしての本能が、チャオの精神を高揚こうようさせていた。


 身を乗り出したチャオの興奮こうふんに水を差すように、モニターが暗くなった。画面は暗いが、スピーカーからはまだ叫び交わす声が聞こえてくる。画面が暗くなったのではなく、倉庫の照明が不意に消えたのだ。


 闇の中でフラッシュライトが点滅した。同時にカタカタと鳴るAK独特の射撃音がひびく。


 蛍光灯がまたたき、倉庫の中の照明が復活した。そこに映し出されていたのは、小銃を構えた二人の首を掴んで吊るし上げている男の姿だった。


 吊るし上げられた兵の手から、音を立ててAKが床に落ちる。そこまでが限界だったのだろう。それまでどうにか奮闘ふんとうしていた兵たちが、我先われさきにと倉庫から逃げ出し始めた。


「この先は大して面白くもねぇ。応援に来た連中が駐車場で叩きのめされるが、まぁそれだけだ」


小僧犬がリモコンを操作すると、昭和のアニメの続きがモニターに映し出された。

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