第191話 最高の一投

 南条はキャッチャーボックスに腰を沈め、あかねに向かってゆっくりと頷いてみせた。


「カマン、ベイビー!アイ・ガッチャ、ベイビー!」


 ボルオの雰囲気が先ほどとは変わっている。

 攻撃魔法を仕掛けられたことに気づいてはいないだろうが、自分の体に起きた異変が外部からの要因よういんであることは勘づいているのかもしれない。

 ボルオの全身から噴き出すオーラに殺気が混じっている。


「無意識に魔法攻撃にそなえているのか」


 攻撃魔法は、オーラの強い相手には効きづらい。全身を強いオーラでおおっていれば、害意ある相手の思念をはじき返せるからだ。


「戦士の才能があるな。もっとも、甘王はもう仕掛けては来ないだろうが」


 外野スタンドでの魔王とランスロットの会話は、思念を通して聞こえていた。


 荒ぶる魔王の気を静めたのは、魔王を兄としたうあかねだった。甘王隆の存在に気づいて手を振るあかねの姿を目にしたことで、魔王の瘴気が薄れていった。

 魔王はこの戦いをあかねに任せ、事の成り行きを見守っている。一方的にボルオに攻撃を仕掛けることはないはずだ。


「勝負だ。来い、あかねさん」


 ピッチャープレートに軸足じくあしを掛けたまま、あかねはワインドアップの態勢に入る。


「さあ、因縁の対決が再開します。甘王あかね選手、セットポジションから大きく腕を上げてぇ~」


 南条はミットを構え、あかねの投球を待った。



 外野スタンドからでも、あかねの闘気が感じられた。

 ひととき揺らいでいたあかねの気力だったが、今は安定し充実している。ボルオほどではないが、オレンジに輝くあかねのオーラもなかなかの物だ。


「何を言ったのかしらんが、うまい具合にあかねの闘気を引き出しおったな、詐欺師め」


 マウンドの上で、あかねは南条と言葉を交わしていた。あかねの闘気が倍増したのはそのあとだった。アホ勇者がなんらかのアドバイスを送ったことは間違いない。


「だが相手もまた怪物。なまなかことでは奴は討ち取れんぞ」


 投げるのはあかねだが、この戦いの参謀さんぼうは南条だ。うまい具合にあかねをコントロールしているが、それでもあかねがボルオに勝てる見込みは低い。


「どうする、光の勇者。勝てる手立てなどあるまい」


 気持ちに揺らぎのないあかねなら、例えこの勝負に負けたとしも後悔はしないはずだ。むしろ負けた場合、参謀役を勝って出た南条の方がダメージは大きい。

 

「大きく振りかぶって、甘王あかね第三球、投げましたぁぁ」


 真新しい白球があかねの右腕を離れ、一直線にボルオに向かって飛んでいく。

 速い。チェンジアップやカーブではない。ボルオの直前で軌道を変える高速スライダーだ。


「その球は通用せぬぞ、あかね。しくじったか?」


 ボールは凄まじい勢いでストライクゾーンへと飛んでいく。確かに速いが、それでも時速にすれば120キロに満たない。あかねの体力ではボールに乗せるパワーには限界がある。


「玉砕覚悟か・・・・・・」


 ボルオがスイングを開始した。極端に凝縮ぎょうしゅくされた意識の中で捉えたボルオのスイングは、甘王の目にはスローモーションのように映し出されていた。ボルオのバットに、あかねの投げたボールが接近していく。


 「くっ」

 

 やはり攻撃魔法でボルオの動きを止めるべきだった。

 遊びとはいえ、最強の魔王たる自分の配下が負ける瞬間を見るのは面白くない。だが今更いまさら、術を仕掛けたところで間に合わない。


 神をも超越ちょうえつする魔王であるはずの自分が、祈るような気持ちでボールの行方を追っていた。



 ボールが右手を離れた瞬間、あかねはこれこそが最高の一投だと自覚した。フォロースルーを行う右腕はなんの抵抗もなく風を切り、踏み出した右脚は大地の衝撃を完全に吸収し、風にそよぐ羽毛のように着地した。


「気持ちいぃ~」


 思わず口から声がれた。すべての動きが筋肉に同調し、合理的かつ効率的に作動していた。人が物体を投げるという行為にいて、これ以上に完璧な動きは望めない。そんな動きだった。


「行っけ~!」


 あかねの視線の先にあるのは、南条が構えるミットだけだ。 


 あかねの視界をさえぎるようにボルオの体が膨れ上がった。圧倒的な力をはらんだボルオのバットが動き出し、ボルオのへそ下辺りを通過しようとしているボールへ向かっていく。

 凄まじい速度のスイングがもたらす衝撃は、バットに触れただけでボールを場外へと運ぶ力を持っている。

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