第46話 適正数
「イ・モウトゥが牛だとする」
「失礼だな。なんで牛なんだよ。せめて子猫ちゃんとか、うさぎさんにしてよ」
「すまんの。これがあれだから、それかなって思うてのう」
兄の両手が胸の前でくるくると動く。ようはあかねの胸が大きいことを言いたいらしい。
「牛扱いするな。セクハラだぞ」
「では猫だとしよう。イ・モウトゥは猫だ。人間であるお主の意識が、すっぽりと子猫の体の中に入り込んだ」
あかねは自分が猫になった様を思い浮かべた。白い子猫だ。悪くない。
「猫であるお主は、猫の持つ身体能力を自在に使える。身は軽く、動きは俊敏だ。夜でも目が見えるし、鋭い爪で壁にも上れる」
猫の身体を使って、外を歩くのは気分がいいだろう。自由自在だ。
「しかし猫ではあるが、意識は人間、イ・モウトゥだ。イ・モウトゥの記憶があり、イ・モウトゥの自我がある。お主はオ・カァサンやワシに、自分はイ・モウトゥだと伝えようとする。だが伝わらん。お主の口から出るのは、猫の鳴き声だけだ」
ミャウと、あかねは鳴いてみた。兄は笑ったが、その笑顔は何故か冷たく見えた。
「それが今のワシの現状だ。少しは理解できたか?猫と違い、この男の身体能力は酷いものだがな」
解りやすい例えだった。だが何か違うような気がする。
「でも魔王は人型だったんだろう?口とか喉の作りが一緒なら、同じ言葉を喋れるんじゃねぇのか?」
「そこにワシも期待しておる。今は叶わんが、記憶が鮮明になってきたなら、ワシ本来の言の葉が戻ってくるかもしれぬ。おそらく、そうなるのはずじゃ。さすれば再び、我が魔力を取り戻すことも可能じゃ」
「魔力を使えないのは、慣れない人間の身体に取り憑いてしまったからで、慣れてくれば使えるようになるってことか。でもさ、さっきの例え話でいえば、いくらがんばったって、猫が人間の言葉を話せるようにはならないよね」
「その可能性もある。その場合、ワシは人間としてこの世界で生きていかねばならぬ。魔王としての自我を持ちながら、非力な人間としてな」
「魔王の力が戻ったらどうするつもりなんだ?人間を滅ぼすっていってたけど、この世界の人間に恨みはないだろう?」
「向うの世界の人間にも恨みなどない。だが人間は滅ぼす。正確に言うと、
「適正数っていうのはどれくらいなんだよ」
「十人にひとりは生かしてもよい」
「十人にひとりって、残りの九人は殺すのか?」
世界の人口を授業で習ったことがある。77億人だったはずだ。
「罪もない人を殺すのか?いくらなんでもあんまりだろう?」
妄想にしても
「お主とオ・カァサンは助けると約束したであろう?心配には及ばぬ。主らは安全じゃ。ワシは約束は守る。例え相手が下等生物であろうとな」
「なんだよ、下等生物って。それが家族に向けて言うセリフかよ」
テーブルを叩きながら立ち上がった。久しぶりに話ができてうれしいような気がしたが、この辺りが限界だった。
「あんたが家にいるせいで、どれだけお母さんが苦労しなきゃならないか判ってる?あたしが大学
「諦めるって、あかね、いつ決めたの?」
それまで黙って話を聴いていた母が口を挟んできた。
「一昨日、コーチには話したよ」
「大丈夫だって、お母さん言ったでしょう?柔道はどうするの?」
「社会人になっても続けられるから大丈夫。このままだったら、いつかお母さん倒れちゃうよ」
カバンとコートを掴むと、あかねはテーブルから離れた。後片付けをしていないが、たまには兄がやればいい。
「兄貴、兄貴はマジで魔王だ。あんたのせいで、わたしもお母さんも不幸になってくんだから。助けてくれるっていうんなら、今助けてくれよ。バイトでもなんでもしてさ、兄貴らしいことをして見せてくれよ」
言い放って席を立った。母が待ってと声を掛けてきたが、あかねは止まらず、カバンを抱えたまま玄関のドアを開けた。振り返って見ると、兄は顔色ひとつ変えず、湯飲みから緑茶をすすっていた。
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