第34話 林檎
転生して最初の一週間、南条は明奈と共におひさまマートでアルバイトをした。帰国子女だという明奈のウソを信じてくれた店長が、まかない付きで雇ってくれた。だが仕事を始めてたった5日で、店長は明奈に南条を使うことはできないと打ち明けて来た。
「ごめんね、明奈ちゃん」
店長は事務所に明奈を呼び出し、
「あの子は無理。無理すぎ。常識が無さ過ぎるの」
店長から聞いた話では、客が持ってきた弁当を電子レンジで温めるのを見た南条は、別の客の買い物を片っ端から電子レンジに放り込んで加熱したらしい。
「タバコも靴下も、お客さんが差し出した電気の支払い用紙も全部温めちゃったの」
思わず明奈は吹き出した。
「タバコは毒なのよねてっていったの。そしたら彼、煙草買いに来たお客さん全員に、毒になぜ金を出すのかって訊いてるの。怒って殴りかかってきたお客さんがいたのね。そしたら彼・・・・・」
両手を
バイトが終わると、明奈は南条のアパートに向かった。南条は
綺麗な夕焼け空の中、南条はアパートの階段に腰を下ろしていた。隣には隣室の慎太が座っている。南条は聖剣万能包丁で、手にしたリンゴの皮を
「ほら、食べろ」
形よく切り分けたリンゴを慎太に差し出す。慎太はうれしそうにリンゴを受け取り、むしゃむしゃと音を立てて頬張った。
「うまいか?」
南条が尋ねると、慎太は嬉しそうに頷いた。夕陽に照らされた二人は、静止画の中の人物のようで、明奈は声もかけずにその場に立ち尽くしてしまった。
明奈に気づいた南条が立ち上がる。
「明奈、どうした?」
「ううん、りんごおいしそうだなぁって思っただけ」
「そうか。食べるか?」
慎太の隣に座り、明奈は南条の差し出すリンゴを
慎太を挟んで、南条も階段に腰を下ろす。日が暮れてきたせいか、風が心地よい。遠くから風に乗って、ひぐらしの鳴く声が聞こえる。
「そこの八百屋で、このリンゴを買った」
リンゴを見つめながら、南条が言った。
「真夏に、リンゴが手に入る。質のいい本物のリンゴが、驚くほど安く」
紙袋から取り出したリンゴを、南条はそのまま
「誰も盗みなどせず、誰も飢えていない。少し騒がしいが、ここはいい世界だよ」
遠くを見るように南条が目を細める。南条はときどき、そんな目をする。それを見ると、明奈はなんだか南条が遠くに行ってしまうような気がして少しだけ寂しくなる。
「わたしは、この世界で生きていくべきなのだろうな。光の勇者としてではなく、南条民人という名の、一人の人間として」
南条の部屋を、奈緒と一緒に徹底的に掃除した。その際に、南条民人の免許証と国民健康保険証を見つけた。他にキャッシュカードもあったが、当然のように南条は暗証番号を知らなかった。預金通帳や印鑑は見当たらず、南条の手持ちの現金は数千円しかなかった。銀行に行くにしても、勝手の分からない南条ひとりではどうにもならないから、奈緒の休みを待って一緒に行くことになっていた。
「闘いは終わりだ。これで、本当に終わったのかもしれない」
だとしたら南条はもうどこにも行かない。そう思うと
にやけ顔の慎太が親指を突き上げるのを見て、明奈は慌てて南条の肩から頭を上げた。恥ずかしさのあまり頬が赤くなったが、夕陽のおかげで南条には気づかれなかったようだ。
「南条さん」
俯いたまま、明奈は声をかけた。
「終わったんじゃなくって、始まるんだと思います。光の勇者、南条民人の新しい冒険が、ここから始まるんです」
恥ずかしさを
「ごめんなさい。でもやっぱり南条さんは、南条さんだけど、光の勇者でもあってほしいなって」
微笑む南条を見て、明奈は大きく息をついた。
「そうか。そうだな。ありがとう、明奈。この世界に来て初めてできた友人がきみであったことに、わたしは感謝しないといけないな」
南条の手が伸びて、明奈の髪をくしゃくしゃにした。
「何するんですか。気安く触らないで下さい」
「すまんすまん、つい」
明奈のふくれっ面を見て、慎太が声を上げて笑う。その慎太の髪の毛を、南条がくしゃくしゃにする。
「ひどい、サイテー」
明奈と慎太で、南条の髪の毛をくしゃくしゃにした。暗くなり始めた夏の夜空に、三人の笑い声が吸い込まれていった。
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