第143話 大人とこども

 倉庫の照明が一斉に点灯し、中央で対峙する小僧犬とドウの姿を照らし出した。大音響で鳴り響いていた音楽は止まり、空間を切り裂くように乱れ飛んでいたレーザーの軌跡きせきも消えた。静寂の中、クラッカーがき散らした紙吹雪だけが光を反射しながら雪のように舞い落ちていく。


 並び立つと、小僧犬とドウの体格の差は歴然としてた。そんなことがあるはずはないが、怪物の身体はトレーラーの荷室で見た時より更に大きくなっているような気がする。


「近くで見るとすげぇなぁ。何、この体。パーソナルトレーナーとか付けて、毎日鶏ささみ喰ってるって感じ?」


 立ちふさがる筋肉の壁のような怪物の肉体を見上げ、小僧犬が感嘆の声を上げる。大人と子供ほどに異なる体格差を目の当たりにしても、小僧犬は微塵みじんも動じていない。


「あの子はどこだ?」


 地の底から響くような重い声でドウがたずねる。


「殺した。ガキはねんねの時間だからな」


 こたえると同時に、小僧犬の首から上が消失した。


「あぶねぇな。冗談も通じねぇ?」


 息を呑む鳴倉の耳に聞きなれた小僧犬の声が響く。位置を変えると、九十度近く首を後ろにらした小僧犬の姿が見えた。目にも見えないドウの攻撃を、小僧犬が首をひねってかわしたのだろう。


「なんか気ぃ短すぎませんあなた。ちゃんとシアン化カリウム取ってる?」


 シアン化カリウムは猛毒だ。そんなものを取ってる人間などいるはずがない。怒りっぽいのを直すのに摂取せっしゅするべきなのはカルシウムで、それだって医学的見地から見れば何の根拠もない俗説だ。


 無造作むぞうさに放置されたような車の群れを抜け、鳴倉は二人が立つオクタゴンの脇で足を止めた。あたりを見回しても、対峙する小僧犬とドウ以外人の気配は無い。小僧犬は本気でこの怪物とやり合うつもりなのだろうか?


「ガキは眠らせてる。あのスクールバスの中だ」


 小僧犬が指差す先に、アメリカの路上で見かけるような黄色いバスが停車している。


「ドアを開ければボン。窓を叩き割ってもボン。屋根の上でレェィディオ体操してもボンだ」


 小僧犬を見下ろすドウの目は冷ややかで、路傍ろぼうの石でも見るように感情が無い。


「でもご安心下さい。今わたしが持っているこのリモコンを使えば、あっという間に爆弾を解除できちゃいます」


 首から下げたコントローラーを小僧犬が得意気にかかげて見せる。


「非売品であるためおゆずりすることはできませんが、わたしの首をじ切って奪い取っていただく分には何の問題もございません。スイッチは起爆と解除の二種類しかないシンプル構造で、機械の苦手な年配の方でも薄らでかくて頭の足りない方にも簡単に解除できちゃいます」


 喋りながら小僧犬はゆっくりと歩き出し、ドウの手の届く範囲から遠ざかっていく。


わかやすい」


 ドウの唇がめくれ上がり、まばいほどに白く輝く牙が剥き出しになる。認めたくはないが、ドウは間違いなく笑っている。


「まぁそういうことだ。おれとお前。サシでやろうぜ」


「獅子がねずみを狩るようなものだ。やめておけ」


「ネズミねぇ。だけど世の中には、千葉にでっかい城建てたネズミもいるんだ。めてると痛い目に合うぜ」


 ズボンのポケットに手を突っ込んだままドウを見上げている小僧犬の姿は、その名の通り己の実力すら判らない生意気な仔犬のように見えた。サントスやボルグといった超一流の傭兵たちですら手に負えない怪物を相手に、小僧犬が幾ら虚勢きょせいを張ったところで、その絵面えづら滑稽こっけいなものにしかならない。  


 先に動いたのはドウの方だった。疾風が吹き抜けたようにドウの蓬髪ほうはつなびき、次の瞬間には小僧犬との距離を詰めていた。ほとんどゼロ距離に近い間合いで、ドウの巨大な右拳が小僧犬の頭頂部とうちょうぶ目掛めがけて打ち下ろされていく。いかつい体育教師がいたずら小僧の頭を小突くような構図だが、打ち下ろされる巨大な拳は小僧犬の頭蓋を粉砕し、下顎したあご胸郭きょうかくに埋め込むほどの速度を有していた。


 まるで自分が殴られるように、鳴倉は首をすくめて両目を閉じた。小僧犬のことが好きかと問われれば首をひねらざるを得ないが、それでも鳴倉の才能を見抜き、この業界では新参であり、経験も度胸もない自分をブレインにえてくれた恩人ではある。死様を見るのは忍びない。


 ドン、と体が揺れた。小僧犬の頭を捕らえることなく打ち下ろされたドウの拳が、エポキシ樹脂じゅしでコーティングされた倉庫の床に円錐状えんすいじょうへこみを穿うがっていた。


 身体を密着させたまま小僧犬はドウの拳を躱し、そのふところに飛び込む。小僧犬の右手がドウの顔面に伸びていくが、同世代の女性の拳よりやわそうな小僧犬の打撃が、岩を掘り起こしたようなドウの体にダメージを負わせられるわけがない。そう考えた鳴倉の予想は外れ、ドウは大きくのけぞって小僧犬の攻撃を躱した。


 ステップバックするドウと同等の速度を保ちながら、小僧犬がドウに追いすがる。本来逃げまどうはずの小僧犬が、逆にドウを追い詰める。


 倉庫を照らす白熱灯の光が、小僧犬の右手に握られた凶器を照らし出した。小僧犬が手にしているのは、氷を砕くために使用するアイスピックだった。


 小僧犬の持つアイスピックの切っ先は、ただひたすらドウの目を狙っていた。ナイフの刃すら通りそうにない鋼の筋肉を持つドウであっても、目だけは守らざるを得ないらしく、執拗しつようなまでに繰り出される針先を避ける為に小刻みに首を振りステップを踏む。

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