第二十五章「水晶の龍」(2)


 ベルンハルト元帥閣下の鋭い突きを必要最小限の動きでかわして、右払い胴を打ち込もうとすると、元帥閣下は突きの体勢のまま軌道を変え、下段払い斬りの要領でそれを弾き返した。

 弾き返されて崩されたように見せかけて、僕はそのままくるりと回転して今度は右側面から袈裟斬りを打ち込もうとすると、元帥閣下が上段に構えたので、僕は袈裟斬りを打たずにそのまま力を抜いて刀身をまっすぐ下におろし、そこから渾身の突きを打ち込んだ。


「……!」


 竹刀で弾くのが間に合わないと判断した元帥閣下はその突きを首だけでかわすと、二歩後ろに下がって体勢を立て直す。


「きれいな動き……」

「ち、父上が後退した……だと……」

「お、おい……、あれ本当にまつおさんなんだよな……?」

「す、すげぇ」


 メル、ゾフィア、キム、花京院の声が聞こえる。


「なるほど。それで元帥殿は今、稽古をさせたのだな……。太刀筋に無駄な力が入っておらん」

(無駄な力っていうか、そもそも腕に力が入らないんだけど……)


 ジルベールの言葉に僕は心の中で苦笑する。

 竹刀を強く握ることができないので、振り下ろす瞬間や突き込む瞬間だけ力を入れるようにしているんだけど、もしかしてそれが正解なのだろうか。


 立ち回り自体は、正直、実戦というより約束稽古をつけてもらっている気分だ。

 元帥閣下の目を見れば、次にどう動いてくるか、何をしてくるかがだいたいわかる。

 一緒にジェルディク風咖喱カリーを作ったことがこんな風に役に立つとは思わなかったな。


「私、剣のことはよくわからないのだけど、元帥閣下は手加減されていないの?」


 アリサの言葉が耳に入って、僕は思わずズッコケそうになった。


(手加減してるに決まってるでしょ! 元帥閣下が本気出したら僕死んじゃうよ!)


「もちろん本気は出していないけど、手は抜いていないわ。そこまでの余裕はお持ちじゃなさそう」


 メルがアリサに答えてくれた。

 ちょっと過大評価だとは思う。

 元帥閣下が手を抜けないのは、うまく手加減しないと殺しちゃうからだ。


 距離を詰める元帥閣下の移動速度は、その巨体からは想像も付かないぐらい速い。

 すり足によるゾフィアの足さばきは、どうやら父親譲りのものだったようだ。


「……」


 元帥の目が、一瞬だけ細まった。

 

(上段から来る、速いのが。……でも)


 後ろ足の位置が変わってない。

 ギルサナスと戦った時に学んだ。

 こういう時は、連撃が来る!

 僕はそう判断して、それを封じ込めるために、せんを取って渾身の上段を振り下ろした。

 その瞬間、元帥閣下の構えが変わり、前足が下がり、前方に向けていた竹刀を顔の横で水平に構えた。


(くっ、誘い込まれたのか……っ。でも、やるしかない!)


 水平に構えた竹刀ごと叩き割るぐらいのつもりで、僕は守りを固めた元帥閣下に竹刀を一気に振り下ろす。


 その瞬間……。


フン!!」


 元帥閣下は竹刀を受けた瞬間に、ダァァァン!!と畳を踏みしめながら短く言葉を発すると、閣下の竹刀から僕の全身に、ビリビリと震動が伝わってくるような感触が襲って、思わず竹刀を取り落しそうになった。


(な、なんだ今の……!)


 全身の力を奪われたような感覚に、元帥閣下を崩すはずだった僕の上半身は逆に大きく体勢を崩し、そこに元帥閣下が竹刀を振り下ろす。


 完全に手加減をしているとわかるような、ゆっくりとした剣撃。

 

 僕はそれを、まだ痺れの抜け切らない腕を上げて、竹刀でなんとか受け止める。

 次の瞬間。


!!」


 竹刀の衝撃を受け止めきったはずなのに、元帥閣下が再びダァァァン!!と畳を踏みしめながら、腹の底から響くような発声を行った瞬間。

 僕の身体は3メートルぐらい後方に吹き飛ばされていた。


「や、やだ何!? 何今の?!」

「な、なんだ今のは……!? 魔法か!?」


 ジョセフィーヌとキムがうめいた。


「ううん違う……、あれは……発勁はっけいだわ……」

「はっけよい?」

「はっけい!!」


 ユキが花京院にツッコんでいるのが聞こえる。

 僕は吹き飛んだまま、まだ身体が動かない。

 吹き飛ばされた衝撃より、身体の内部に予想外のダメージを受けていた。

 全身の水分が泡立つような感覚。

 

発勁はっけいは徒手格闘を極めた人が会得する奥義の一つよ。体内の『気』をコントロールして、至近距離で、手のひらに触れただけの相手を一撃で倒すことができると言われているわ……」

「それを、手のひらじゃなくて、竹刀の先から発動させたってことか?」

「……そうなるわね」


 キムの問いに、ユキが不本意ながら認めざるを得ないという風に答える。

 つまり、ベルンハルト帝国元帥閣下は剣技の達人であると同時に、武術の達人でもあるわけか。


「でたらめだな……」

(まったくだ……)


「しかも、あれで、かなり手を抜いていると思うわよ」

「えっ……あんなに吹っ飛んでいたのにか?」

「あんなに吹っ飛んでいたからよ。つまり力を外側に逃してあげた。……本当はあの衝撃が全部内臓にいくのよ」

「え、死ぬじゃん……」

「死ぬわよ……」


(すでに死にそうだよ……)


「ち、父上が試合で発勁を……、殿はそこまで惚れ込まれているのか……」

「お兄様って本当にすごかったんですね」


 発勁はっけいだかなんだか知らないけど、病み上がりの身にそんなものを打ち込んでくるなんて、僕はこの一家に買いかぶられすぎだ。

 

 ……ここにいる誰もが疑いようもないことだと思うんだけど、たぶんこの人には何をやっても勝てないだろう。

 剣の腕だけでなく、徒手格闘までその域に達している相手に、ルールありの戦いでどうやって勝てっていうんだ。

 おまけに魔力は枯渇していて、魔法伝達テレパシーによる自己コントロールもできないし……、っていうか、そもそも国王陛下に次使ったら死ぬぞって禁止されたんだったっけ。


(でも、買いかぶられてしまったからには、何とか一矢報いてみたいところだよね……)


 ……でもどうやって……。

 ん、待てよ……ルールありの戦い?

 武道場で、竹刀を渡されたというだけで、どんなルールだという説明は受けていない。

 僕が勝手に、竹刀で打ち合うルールだとだけだ。


 僕は起き上がるのに時間がかかっているフリをして、急いで細工を行った。

 そして、ゆっくりと起き上がると、戦意が喪失したように顔をうつむかせ、身体をフラフラさせながら元帥閣下に近づいていく。

 

 ……腕を引いたりはしない。

 まるで暖炉に薪をくべる時のように自然な動作で、元帥閣下の前に竹刀を突き出し、腕が伸び切る瞬間だけ渾身の力を込める。


「……!」


 途中から急に伸びた僕の突きを、元帥閣下はかわすのが間に合わず、竹刀を縦にして刀身で受け止める。


「フッ、極意を掴んだな……卿よ……」

「父上でなければ、今の突きは受け切れなかっただろう……」


 ゾフィアとジルベールが褒めてくれているのが聞こえるけど、ごめん。

 次の瞬間、きっとドン引きすると思う。


 バシャッ!!!!!


「……!?」


 元帥閣下が僕の突きを竹刀で縦に受けた瞬間、僕の竹刀の先革が外れ、竹を束ねていた紐や中央部を結ってある革にあらかじめ小鳥遊たかなしの手元で切り込みを入れておいたため、まるで元帥閣下が受け止めた竹刀によって裂けたように、四つ割りの竹が元帥閣下の顔、それも、元帥閣下の左目を目掛けて飛び出した。

 

「……!!!」

 

 いかな武人と言えども避けることは難しいその一撃を、元帥閣下は上体をめいっぱい反らすことでかろうじて回避するが、下半身が残っている。


「わはははははは!!!!」


 僕は突きの余勢のまま倒れ込む勢いで元帥閣下の懐に飛び込んで竹刀から手を離すと、全身の力を込めて、帝国元帥閣下の股間を思い切り蹴り上げた。


「き、金的……帝国元帥に……」

「エ、エグい……」

「いやぁぁぁ!! 元帥閣下の元帥閣下が!!」 


 確実なインパクトの感触。

 ドン引きするキム、花京院、そして絶叫するジョセフィーヌ。


ったぁぁぁぁぁぁー!!!!」


 僕の勝利宣言が高らかに響き、次の瞬間……。

 僕は意識を失った。




 水晶の龍がいた。

 無色透明の鱗は陽光を虹色に反射し、光が結晶を通して副屈曲しているせいか、その内側にあるはずの臓物や骨を確認することはできない。

 あるいは、それら自体も水晶でできているからだろうか。


 僕は、水晶の龍の前に跪礼きれいしていた。

 それに気付いて、僕はすぐにひざまずくのをやめた。

 相手の正体が誰なのか、わかっていたから。


「悪ふざけが過ぎるんじゃないか、アウローラ」

「……龍玉を蹴り飛ばそうとするとは、何事だ、人の子よ」

「ぷっ……」


 くそ、思わず笑っちゃったじゃないか。

 「生まれるのが遅すぎた龍王」のタマだから、龍玉か。ぷくく……。


「……あ、あのさ、そんなおっさんくさいジョークを言うために、わざわざ夢の世界に現れたの?」

「ああ。渾身の力作だったのでな、誰かに披露せずにいられなかったのだ」


 水晶の龍は言った。

 孤高にして孤独な道を選んだアウローラの生き方は、思いついたジョークを誰かに披露することもできない人生だったのだろう。

 そう思うとどうしても、さんざん振り回されたはずなのに、彼女の事がどうしても憎めない。


「また、何か思いついたら聞かせてよ」

「ふふ、お前は優しいな」


 水晶の龍はそう言うと、喉をグルグル鳴らして軽く身をよじらせた。



「殿! 大丈夫か! 殿!!」

「ああ、ゾフィア……、それにアリサも……」


 アリサは回復魔法ヒールをかけてくれていた。


「ベルくん、一時は死ぬところだったのよ……」


 アリサが真面目な顔で言った。


「まじで?」

「まじで」


 僕の鼻をつんつん、とつついて、アリサが優しく笑う仕草に、ドキッとする。

 野戦病院で看護してくれた女性に恋をする兵士って、たぶん今の僕みたいな気分なんだろうな。


「とっさのことで、父上が加減を誤られたのだ……。それほど、殿の技量が凄まじかったということなのだが……」

「お父さんは大丈夫だった? 思いっきり蹴り上げたんだけど……」

「ああ、父上の方はなんとか無傷だった。危なかったとおっしゃっていたが……」


(無傷……)


「……君のお父さんのキンタマは、オリハルコンか何かでできているのか?」

「父上はその……。非常時に、その、なんだ、殿方の、こ、睾丸こうがんをとっさに腹部に格納する技を会得しているらしい……」

「は?」


 僕は思わず聞き返してしまった。


「……それも武術の極意にあるのだそうだ。女の私には、よくわからないのだが……」

「ごめん、男の僕にもよくわからない……」

「とにかく、もう少し我が家で静養せよと仰せだ。他の皆もそうするようだからな」

「うん。ありがたくそうさせてもらうよ。動けるようになったら直接お伺いするけど、とりあえず元帥閣下にお礼を言っておいてもらえるかな?」

「ああ、わかった」


 ゾフィアはほっとしたのか、もう少しここにいると知って嬉しいのか、ぱたぱたと駆けて外に出ていった。


 それにしても……。


「お腹の中に入れる、か……、そんなことが本当に……」


 僕は下腹部に意識を集中して、腹筋を動かして、自分のそれが持ち上がって、腹部の奥に格納されることをイメージする。

 

(おっ、ちょっと持ち上がったような……? このまま続けていれば……)


 そんなことをしていると、下半身の鼠径部そけいぶあたりにある、具体的にどこだかよくわからない筋が突っ張り始めた。


「あ、やばい」

「えっ?」

「つったかも」

「ど、どこが……」

「どこがって……」


 アリサに返答しようとして、僕は脂汗が出てきた。


「いだだだだだだだっ……!!! ア、アリサ、た、たすけて……」

「ア、アホじゃないの?! そんなの回復魔法ヒールで治るわけがないでしょ!」

「そ、そんな……っ、めちゃくちゃ……痛いのに……」

「あははははは!! ベルくん、今すごい顔してるわよ」

「わ、わらいごとじゃ……っ……くぅぅ……ふ、ふくらはぎまで、つってきた……」

「ずっと寝てたのに、急にそんなことしたから、下半身の筋がびっくりしちゃったのよ」


 アリサが僕の背中をさすりながら、そう言った。


「ほんと、あなたってどうしようもなくアホな時があるよね。……何がオリハルコンよ」

「くっ、くっくっくっく、笑わさないでよ……今笑うと、痛い、痛いんだから……」


 水晶の龍のジョークも思い出してしまって、僕は思い出し笑いをこらえきれず、アリサに生暖かく見守れながら、ベッドの上でしばらくのたうち回るのだった。

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