第九章「廃屋敷の冒険」(8)
8
『ソフィアさん、聞こえますか?』
『きゃっ、だ、誰?!』
『うわっ』
そうか、ソフィアさんは
『僕です。まつおさんです』
『っ、あなた、士官学校生なのに
『そうみたいです。同時に多数相手の
『ちょっと待って、……頭がクラクラするからそれ以上聞きたくない。ただでさえ私は今、いっぱいいっぱいなのよ……』
『お察しします……。それで、そんなお忙しい中本当に恐縮なんですが、ちょっとご報告とお願いしたいことがあって……』
僕は今回の事件のあらましとその経緯を、かいつまんで説明した。
『……あなた、私を殺す気よね? そうよね?』
『……本当にすいません』
『……あなたがそんなことでくだらないウソをつくわけないし、私が今どれだけ死ぬほど忙しくて、そんなクソ忙しい時にクソチャラい
『すいません。本当にすいません』
僕は額から脂汗を垂らしながら、必死にソフィアさんに謝った。
『それで、その連中はまだそこにいるのね?』
『はい。士官学校の仲間たちで封鎖しています。まず外に出てはこれないはずです』
『……だけど、その連中の素性も、何をしたかもわかっていない、と』
『はい。それを確認するとリスクが跳ね上がるので。……ただ、拷問された兵士がいたということと、不気味な祭壇で大きな棺を祀っていたということは事実です』
『棺……、それを今あなたが回収して、イグニア第二支部に向かっているのよね?』
『はい。……あと、レイスを6体使役していたことから、おそらく連中の中に
『はぁぁぁぁぁ……まったく……、冒険者でもないのに無茶なことをして……』
ソフィアさんの深い溜息が頭の中に広がった。
耳元でささやかれるのを10倍にしたような感覚、ちょっとゾクゾクするな。
『えへへ、すいません』
『なにが『えへへ』なのよ!』
『すいません。油断するとこれ、普通の会話で言わないこと言っちゃいそうですね』
僕は呆れ果てたソフィアさんに、至急、屋敷に冒険者と救出した兵士のための
『館の方はすぐに対処できると思う。ちょうどそっちに向かっている
『良かった。もしかしたら、閉じ込められている連中はうんこガスで瀕死の状態かもしれないんで、
『あーあーあー何も聞こえませんー、何も聞こえませんー』
『ははは……、お忙しいところ本当にすいませんでした。それでは、そろそろ失礼します』
『あなたの方も気をつけるのよ? もしかしたら追手が来るかもしれないし』
『大丈夫です。連中は全員閉じ込められましたから。こんなところまで追ってこれる死霊でもいたら別ですが……』
「ちょっと、ちょっと!!!!」
『え、なに?』
『どうしたの?』
突然アンナリーザが話しかけてきたから、思わず
「後ろを見て!後ろ!!」
『えっ、後ろって……? う、うわっ!!』
『ちょっと! どうしたの!?』
徐々にペースを上げてはいたものの、ゆっくりしたペースで走っていた馬車に対して、凄まじい勢いで走ってくる騎兵がいる。
猛々しく吠え狂う馬は馬車の車体の高さぐらい大きく、目は
その凶馬の手綱を引いているのは、漆黒の
「はわわわわっ!!!」
『はわわわわっ!!!』
僕は無意識に、発言と
僕が狼狽しているのは、その騎士があまりにも屈強そうだからではない。
その騎士が左手で手綱を持ち、すさまじく幅広で分厚い
……その騎士には、首がなかった。
「でゅ、でゅ、でゅ、でゅ、でゅ、でゅ」
『でゅ、でゅ、でゅ、でゅ、でゅ、でゅ』
『でゅ? まつおさん?! 大丈夫なの!?」
「でゅりゃひゃん!!!」
『でゅりゃひゃん!!!』
『でゅりゃひゃん?』
「デュラハンですよ! デュラハンが追いかけてきます!!」
『デュラハンですよ! デュラハンが追いかけてきます!!』
「わかってるわよ! 急になんで敬語なのよ!」
『なんですって!! そ、そんな……、そいつは
「と、とりあえずお尻を!お尻をたたいて!もっとはやく!」
『と、とりあえずお尻を!お尻をたたいて!もっとはやく!』
『え、お、お尻? ……あなた今、何をやっているの?』
馬の尻を叩く手綱の力を強めるようアンナリーザに言うが、彼女は首を振った。
「やってるんだけど……、ダメ……、向こうが早いわ!追いつかれる!!」
フシュゥゥゥゥゥゥゥ……!!
およそ馬とは思えないような息を吐きながら、すさまじい
「さっきの魔法の矢みたいなやつ、撃てない?! アホみたいに乱射するやつ!」
「アホとは何よ!! 撃てるけど、手綱で両手がふさがってるから無理! 運転代われる?」
「OK! いち、にの!」
「さん!」
「さん!」
シュルルルルルッ!!!!
僕がアンナリーザと手綱を交代しようとした瞬間、大剣を小脇に抱えたデュラハンが放った投げ縄が僕の身体に巻き付いた。
「ぐわっ!!!」
「ちょ、ちょっと! どうしたの!?」
タイミング通りに手綱を受け取らなかった僕に、アンナリーザが問いかける。
横を見る余裕がないから、僕の状況を確認できていない。
「縄で、縛られて」
『縄で、縛られて』
『……お尻をたたいて、はやく、の後に縄? ……まつおさん、あのね、あなたが今どんなお店に寄り道して、どんなことをしているのか知らないけど、それをいちいち私に報告……』
「ち、ちがうんです、ソフィアさん!」
『ち、ちがうんです、ソフィアさん!』
「ちょっとあなた、今他の女と話してる状況?!」
呆れたアンナリーザに抗弁しようとした瞬間、身体がものすごい勢いで御者台の後部に叩きつけられた。
「ぐあああああっ!! やばいっ、これはやばいぞ!! すげぇ力だっ!!!」
デュラハンの
かたや、士官学校の劣等生。
かたや、
綱引きの勝敗は目に見えている。
アンナリーザは手綱を握るのに必死で、とても僕の縄を解く余裕なんかない。
「だ、大丈夫?!」
「だ、だめだ……、し、死……、これは死……」
何も策が思いつかない。
完全に万策尽きた。
きっと英雄物語なら、こんな時に都合よく
物語で
女をひどい目に合わせないと、男は物語が書けないのか。
前に英雄譚を愛好している魔法講師にそんなことを言ったら、2時間ぐらいむちゃくちゃに怒られた。
そんな僕に、
あ、だめだ、この思考は今するやつじゃない。
万策尽きた僕の頭が、ああでもない、こうでもないと思考の迷宮をさまよっている。
もうそろそろ、腕に力が入らない。
デュラハンが次にロープを引っ張ったら、僕の身体は馬車から投げ出されるだろう。
小脇に抱えた
「ははは……、こりゃ、こりゃやべぇな……」
「ちょっと、あなた……なんで笑ってるのよ」
「ピンチすぎて笑けてきちゃった」
僕の身体が死を予感したのか、今までの出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
偽ジルベールに松明を投げた時の「うわっ!!」は傑作だったな。
ユキ、
メルは今日も無口だったけど、けっこう笑うんだよな。一生懸命我慢してるけど。小さい口でお肉を頬張る姿がかわいかった。
花京院もジョセフィーヌも、今日はいい感じだったな。
ルッ君今日はいいところが何一つなかったな。……そもそも呼んでなかったしな。
キムは……、僕が死んだら、お墓にあの盾を飾りそうだな。いや、あいつは絶対にやるだろうな。嫌だな。そう思うと全力で死にたくないな。
ミヤザワくん、今日はすごくかっこよかったな。あれが本当に彼なんだろうな。
なんだっけ、万物の根源に告ぐ、物質に束縛されし力を放ち……
「万物の根源に告ぐ……」
「えっ?」
「物質に束縛されし力を放ち……」
「ちょ、ちょっと、……ウソでしょ?」
「我のもとに収束せよ」
僕は閉じていた目を見開いて、叫んだ。
「
「っ!!!!」
ぼわっ!!!!!
「う、うわっ!! ホントに出た!!!」
僕の指先から燃え盛る火球がほとばしり、僕を縛っていたデュラハンのロープに命中した。
シュボッ!!!!
「あぁぁぁっちちちちちちちちちち!!!!」
『あぁぁぁっちちちちちちちちちち!!!!』
『こ、今度は何?!』
「ちょ、ちょっと!? 何やってるのよ!?」
「本当に出ると思わなかったんだよ!!」
ロープが解けたのをいいことに、僕は両手で体中をパンパン叩いて、ところどころに燃え移った炎を消した。
「いてぇっ……、めっちゃ痛い……、ねぇ、あとで
「わ、わかったわよ……」
あまりにもいろんなことが起こりすぎて、いつも冷静なアンナリーザもへろへろになってきている。
「世界広しといえど、自分のファイアーボールを食らって火傷したのはあなたぐらいのものだと思うわよ……」
「あの、たのむからさ、こんな生きるか死ぬかの時に本気でドン引きするの、やめてもらえる?」
僕は両手の握力が戻ったのを確認して、アンナリーザに目で合図を送った。
「それじゃ、今度こそ手綱の交代、いくわよ? いち、にーの……」
「さんっ!!」
「さんっ!!」
僕がアンナリーザから手綱を受け取ると、アンナリーザは何を思ったか、手綱を握っている僕の上にまたがってこちらに身体を向けた。
「ちょ、ちょっと」
「見えづらいと思うけど、しばらくじっとしててね……、狙いが定まらないから」
「わ、わかった……」
全身から伝わるアンナリーザの体温。
首筋に当たる息遣い。
鼻孔をくすぐる柑橘系の甘い匂い。
馬車での激走でいつのまにか男物の黒い外套の前がはだけ、形の良さそうな胸が高速移動中の馬車に揺られて、リズミカルに僕の眼前で揺れている。
煩悩退散煩悩退散……。
今が生死を分ける、一番大事な瞬間なんだ。
「たぶん、僕が言わなくてもわかってるよね」
「馬を狙え、でしょ?」
「さすが」
僕が言い終わるやいなや、アンナリーザの指先からすさまじい勢いで光の矢が放たれた……のだと思う。
放たれた音と振動と、その反動で振り落とされないように僕に抱きついたアンナリーザと、眼前に広がる眩しい光しか見えない。
そう、光……。
「朝だ!! 朝だぞ!!」
「えっ!」
僕はアンナリーザの肩をぎゅっと抱いた。
「本当、きれい……」
重たい雲の切れ目から、神々しい陽光が差し込んでいる。
今この瞬間だけは、僕の信仰心はきっと誰にも負けない気がする。
アンナリーザと僕はそのままの姿勢で後ろを振り返った。
落馬から立ち上がったデュラハンはこちらを追撃しようと腰のベルトから
そこで朝陽の光を浴びて、
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