第十章「ヴァイリスの至宝」(1)〜(3)
1
「ここよ」
アンナリーザの教会は、彼女が言った通りのこじんまりとした教会だった。
朝の陽光に照らされた小さな尖塔や手前にある菜園、子供たちの手作りの
「いいところだね」
「ありがと。礼拝に来るならいつでも歓迎よ。あなたには信仰心が足りないみたいだし」
「ははは、考えておくよ」
何か気の利いた挨拶でもしようかと思ったけど、どんな挨拶も今日の冒険よりはチープになりそうで、今更何かを言うのがちょっと恥ずかしくなった。
「アリサ」
御者台からひょい、と飛び降りると、アンナリーザは後ろ手に手を組んでから僕を見上げた。
「うん?」
「私の家族は私のことをそう呼ぶの」
「アリサか、いいね」
「気に入ったなら、あなたもそう呼ぶといいわ」
それだけ言うと、アンナリーザ……アリサは軽く手を振って教会に帰っていった。
そうそう、僕もそういうオシャレな挨拶がしたかったんだ。
「アリサ、か」
僕は口に出して言ってみてから、手綱を引いた。
「ぶるる」
「…………」
ところが、馬車の馬たちはこちらを一度振り向いて、バカにしたように目を向けただけで、その場からピクリとも動かない。
「あ、あのさ、今ここでモタついたらすごくかっこ悪いから早く行ってくれない? せっかくいい感じに決まったんだから」
「ぶるるる」
「ほう、いいんだな? ファイアーボールで尻を焼くぞ? 知らないぞー」
「ぶるるる」
「万物の根源に告ぐ、物質に束縛されし力を放ち、我のもとに収束せよ……ファイアーボール!!」
「…………」
「あれ、ファイアーボール! ファイアーボール!」
あの時のあれはただのまぐれだったのか、神の奇跡だったのか、指先からは煙ひとつ出ることはなかった。
「アリサに笑われた。おまえらのせいだぞ」
教会の入り口でこちらを向いてくすくす笑っているアリサに手を振りながら、僕は馬たちに文句を言った。
2
「ふぅ……」
僕はカウンターの肘掛け椅子に深く腰を落とした。
ジェルディク産のコーヒーの味わいが身体に染みわたる。
長い冒険で疲れていたせいだろうか、それとも、前回より淹れ方が上達したせいだろうか。酸味や苦味の中に、ほんのりとした甘みとまろやかさを感じる。
棺桶は泥を落として、ギルドカウンターの上に載せてある。
冒険者ギルドのカウンターは納品依頼なんかのために、大きな荷物が置けるぐらいの広さがあるのだ。
もし万が一、何かがあった時のために、ロープを僕の腕に巻き付けてある。
今の所は何の音もニオイもしないから、たぶん大丈夫。
「あとは、ソフィアさんが冒険者達を引き連れてやってくるのを待つだけか……ふぁぁあああ!!」
大きなあくびが出て、目尻から涙が出てきた。
そういえば今日はまだ一睡もしていなかった。
思えば長い一日だった。
現地は
キムやメル、ルッ君やユキたちも大丈夫だったみたいで、本当によかった。
キムの盾、大丈夫かな。
大丈夫なわけないか。わはは。
自分の盾の惨状を見たらしばらく口利いてくれないかもしれないな。
後でちゃんと洗って返そう。
…洗ってキレイになるのかな。
『ソフィアさん、まだかかりそうです?』
『ごめんね、ちょっと例の緊急依頼でイレギュラーが発生していて……、大丈夫?』
『あ、はい、大丈夫です……』
本当は全然大丈夫じゃない。
さっきからものすごい勢いで睡魔が襲ってきていて、目を開けていられないレベルだ。
何か考え事を続けていないと眠ってしまいそう。
考え事といえば、子供たちにも報告しないとな。
遊び場が使えなくなるかもしれないこともちゃんと伝えて謝っておかないと。
うとうと……はっ!
そういえば、なんだかんだで僕もレイスを一体倒したんだよな。
でも、デュラハンはヤバかったな。
本気で殺されるかと思った。
あとはえっと……バーベキュー、楽しかったな。
また企画してみようかな。
アルバイト頑張ろう。
あとは、あとは……
3
「これ、本当にいいのか?」
キムが驚きに目を丸くして僕を見上げる。
その手には、ぴかぴかに磨き上げられた鉄の大盾があった。
「持ち手のこの細工……、これ、ドワーフ職人が作った高級品じゃないのか?」
「キムのこの盾には本当に助けられたからね」
「まつおさん……」
「これで、許してくれるかい?」
「ああ、もちろんだ。オレとお前の仲じゃないか」
キムが親指を立ててニカッと笑った。
キムがいい奴でよかった。
「……そうそう、オレの方からもお前に贈り物があるんだ」
キムはそう言うと、どこからかものすごく大きな包みを持ってきて、僕にどん、と手渡した。
「う、うわっ、重ッ! え、なにこれ? すごく高そうなんだけど……、開けてみてもいい?」
「もちろんだ。お前のために用意したんだからな」
「やだなぁ、そんな気を使ってくれなくてもいいのに……、なんだろ」
僕はキムからの贈り物を抱きかかえたまま、包みを結んでいた紐をほどいた。
するすると音を立てて包装していた布がこぼれ落ちて、目の前に現れたのは、なんだろう、どこかで見覚えがあるような木製の大きな……。
「えっと、これは……棺桶?」
おそるおそる顔を上げると、にこにこと笑ったキムが目の前にいた。
「そうさ。お前が入るためのなぁ!!!」
「うわあああああああああ!!!」
僕は自分の叫び声で目が覚めた。
「はぁ、はぁ、はぁ……な、なんちゅー夢だ……」
両手でぎゅっとしがみついている何かから身体を少し離して、現状を確認する。
しがみついている何か……。
「うわああっ!! 棺桶!!!」
ガタンッ!!!!
あろうことか、僕はいつのまにか棺桶を抱き枕にして眠ってしまっていたらしい。
よく見ると棺桶のフタに僕のヨダレがべっとりついてしまっている。
腕にロープを巻き付けているのも忘れ、慌ててのけぞった僕によって棺桶が引っ張られ……。
「あ、や、やばい……うわわわっ!」
世界がスローモーションになったような感覚の中、のけぞりすぎた僕が椅子ごと後ろに倒れ、それに追従するように棺桶がゆっくりと落下していく。
(ああああっ、解けちゃうっ、何かの封印が解けちゃうぅぅっ!!)
落下の重力で棺桶のフタが外れ、その中に入っていた何かが椅子ごと後方に落下している僕に向かって倒れ込んだ。
ガターン!!!!!
「痛っ……ててっ……」
空になった棺桶が後方で派手な音を立ててひっくり返る中、僕は腕の中にあるソレを確認した。
「んっ……っっ……」
「え……」
たった今目覚めたらしいソレと目が合って、僕は完全に言葉を失った。
太陽の光に輝く真ジルベールの髪を僕はプラチナブロンドと評したが、これを見ればあれはただの金髪だ。
本当の
「き、きれいすぎる……」
「っ……」
そして、そんな
純白の薄手のローブを身にまとったその女性が僕の上に乗っかる形になっていて、吐息が当たるような距離で互いを見つめ合っているという状況もしばし忘れて、僕は彼女の顔に見入っていた。
「あ、あの……」
「……?」
ぼう、としたまま、僕は尋ねる」
「き、君は……、ニンゲン……?」
「……ぶ……」
「……ぶ?」
「無礼者」
「いでっ!!」
絶世の美少女の手刀が、僕の無防備な額に命中する。
思っていたよりむちゃくちゃ痛い。
「今の問いだけで、斬首に値するぞ」
「ご、ごめん」
謝りながらも、その美しく透き通った声に僕は思わず聞き惚れる。
ものすごいおとなしそうな雰囲気なのに、その言葉は鋭くかつ簡潔で、それでいて冷たさを感じない。
「弁明を許そう。なぜ
「い、いや、その、こんなきれいな生き物をこれまで見たことがなくて……」
「なっ……」
無表情だった少女の顔が、ぼんっ、と紅くなった。
あ、やばい……。
これは決して、照れているとか、そういうやつではないと思う。
その証拠に、肩がわずかに震えている。
「万死に値する言である」
「ちょ、ちょっと待って! これはその、チャラい感じで言っているわけじゃなくて、その、頭の中に浮かんだ感想をそのまま言っただけというか、いや、それもどうかと思うんだけど、つまり、いやらしい気持ちとかじゃなくて!」
「……弁明はそれだけか?」
絶世の美少女は僕にまたがったまま立ち上がり、こちらを見下ろした。
「え、えっと、えっと、今起きたばかりで、夢の続きかと思ったんだ!」
「そうか、またいい夢が見られるといいな」
その美しい指先から、燃え盛る炎が出現する。
……これは、
「他の仲間達はどうした? あのような姑息な手でなければ、
仲間!?
あ、僕はもしかして、屋敷にいた連中の一味だと思われている?
『まつおさん、起きてる?』
『お、起きてますけど、今ちょっと立て込んでますっ!!』
ソフィアさんからの通信に、僕は慌てて返答する。
「ふふっ、そうよな。今はそなたが生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから」
僕の様子を見て、少女は微笑を浮かべる。
……めちゃくちゃかわいい……って、そうじゃない!
美少女の指先でチャージされている火球の大きさは、ミヤザワくんが使っていたやつとは比べ物にならない。命中したら即死クラスな気がする。
僕は事態を解決する方法を必死に模索した。
……いや、ちょっと待て。
なぜ今、この女の子は僕とソフィアさんの
……もしかして、
『あーあー、ところでソフィアさん、屋敷で捕らえた連中はどうなりました?」
『……その話をしたかったのよ、まつおさん。……よく聞いて? あの廃屋敷に潜伏していたのは、
「っ……」
少女が息を飲んだ。
『近衛兵?』
『それから……ヴァイリス王国の宰相、ベイガンよ」
『さ、宰相……』
待て、待ってくれ。
話がデカすぎる。
あの豪華すぎる二頭立て馬車が一国の宰相の私物ということなら、確かに納得だけど、それにしても……。
『宰相閣下と近衛兵なんて捕らえちゃったら、ヘタをするとこっちが処罰されちゃうんじゃ……」
『ふふ、あなたが彼らを瀕死になるまで痛めつけてくれていたおかげで、連中はあっさり自供したわよ。それがね、ビックリ!! 連中はユリーシャ王女殿下誘拐の首謀者だったのよ!』
「えっ……」
僕は思わず、目の前で僕に向かってファイアーボールを放たんとしている少女を仰ぎ見た。
メルやアリサ、ソフィアさんに……あとなんだっけ、ユキ。
これだけ美女に囲まれて説得力に欠けるとは思うけど、僕が女性に魅力を感じるのに、美人かどうかはあまり重要じゃない。
いや、外見に興味がないというわけではなくて……、そう、表情。
たとえば、
ソフィアさんは普段の余裕ある大人の雰囲気より、忙しすぎる仕事のストレスで地が出てしまっている時の表情が好きだし、ユキはなんというか、いつもの元気いっぱいにしている顔が、絶対調子に乗るから本人には言いたくないけど、素直に言えばかわいいと思う。
でも、目の前にいる少女の美貌は……、なんといえばいいんだろう。
今とっさに思いつく言葉でいえば……、説得力。
男も女も、平民も貴族も、すべての人間に対し、その立場を理解させ、平服させる説得力を持った美しさがある。
この女の子が王女だとしても、まったく疑問を持たない。
というか、王女でなければ、一体この世のどこに王女がいるというのだ。
『今だから言うけどね、今回の
『あの、ソフィアさん……』
『まだね、王女の消息は掴めていないんだけど……』
『います』
『でもね、希望の光は見えてきたわ。あなたのせいで肉体も精神もボロボロに衰弱しきった彼らをこれからみっちり取り調べれば……えっ?』
『王女は、います』
『えっ?! ど、どこ? どこにいるの!?』
『たぶん、今、僕の目の前に……』
僕はちらりと彼女を見上げた。
彼女は指先の巨大なファイアーボールをかき消すと、僕の方を見て軽く微笑んだ。
これが「ヴァイリスの至宝」、ユリーシャ王女殿下との出会いだった……。
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