第二十六章「ベルゲングリューン城」(2)


「ふぁぁっ……」


 窓から差し込む陽光を浴びて、僕は目を覚ました。

 身体の形に合せたように沈み込むベッドに名残惜しさを感じながら、身体を起こす。


(えっと……どこだっけ……)


 映像魔法スクリーンでしか見たことがないような、超高級宿屋の豪華な特別室のような部屋をぼんやりと眺めて、僕はゆうべの記憶を呼び起こした。


 ああ、そうだ。

 ここはベルゲングリューン城の寝室だ。

 昨日はこんな城に住めるかと思ったけど、このベッドの寝心地を知ってしまっては、もう正直、戻れる気がしない。


(人間とは、罪深い生き物なんだなぁ……)


 そんなことをしみじみと考えながら、僕は服を脱いで、併設してある浴室に入った。

 蛇口の栓をひねると、勢いよくあたたかいシャワーが流れてくる。

 魔法石による温水と、リップマン子爵設計の汲み上げ技術、それから領内の豊富な水源によってもたらされるすばらしい恩恵。

 昨日はこんな城に住めるかと思ったけど、この温水シャワーの気持ちよさを知ってしまってからは、もう正直、戻れる気がしない。


(人間とは、罪深い生き物なんだなぁ……)


 身体と髪を乾かし、身支度を整える。


(ねぇ、アウローラ)

『今朝もそなたの裸、なかなか眼福であった』

(いや、そういうのはもういいからさ……)


 最初はものすごく恥ずかしかったけど、いちいち恥ずかしがっていてはアウローラの思うツボなので、最近では平然とぶらんぶらんさせることにしていた。


(君の呪いでこの服が脱げないのはわかったけど、せめて変化させたりできないの?)


 できないはずがない。

 アウローラは变化の達人だとエレインのお祖母さんも言っていたし、彼女は水晶龍にすら変身できるのだから。


『可能だ』

(じゃ、ちょっと服変えてくれない? 今日はいろんな人と会うからさぁ)

『かまわんが、私が私の趣味で見繕った服にしか変えないぞ』

(ええー、誰もいない時は、僕が好きなダボダボのズボンとか、楽ちんなハーフパンツとかさぁ)

『絶対にダメだ。一流の男というものは、誰も見ていない時でも身だしなみは整えているべきだ』

(だから、その感覚、古いんだよ。アウローラは3000年前のセンスなんだよ。今の若い人ってのはさぁ……)

『ふふん、ババア扱いして傷つくのは300歳までだ。3000年というのはすでに不老だから、私は常に若くて美しくて、バインバインのムッチムチでピッチピチなのだ。だから、先日テレーゼとかいう小娘が『3000歳の年増女』とかほざいても、私はちっとも気になどしていない』

(しっかり覚えとるがな……)

『今日は会合であったな。であれば、こんな感じだな』


 アウローラがそう言った瞬間、僕の黒地に金の刺繍の入った軍服のような衣装が、グレーの三つ揃えのスーツへと変化した。

 いかにも仕立ての良さそうな、青みがかった光沢のあるチャコールグレーのジャケットにはさりげなくシャドーストライプが入り、ベストジレの生地は、より色の深いチャコールグレー、白いシャツの襟はキュッと短く、ややピッチ幅の短いネクタイもベストジレに近い色味ながら、生地自体にうっすらと小紋が入り、その上を、銀色の小さい小紋柄が上品に並んでいる。

 そして、グレーがより引き立つような美しい黒革の靴に、さりげなくダイヤが入ったシルバーのカフスにネクタイピン。


(……いや、だからさ。やりすぎなんだってば……。3000年前のセンスなんだってば……。今どきこんな『ビシッ!!』と決めた人を町中で見かけないでしょ? 今はもう少しこう、ドレスとカジュアルが7対3ぐらいの感じにするのがオシャレの鉄則……)

『何を言う。これが伝統トラディショナルというものだ。真の伝統トラディショナルは3000年経っても決して色褪いろあせない。ふふ、まるで私のようにな……』


 自分の仕事に満足そうなアウローラにげんなりしながら腕を上げると、シャツの袖から銀色に光る何かが覗いた。


(うわ、時計まであるじゃん!? い、いや、たしかにこれ、めちゃくちゃカッコいいけどさ……)


 まるでブレスレットのような、なめらかな曲線を描いた、美しい銀色の時計。

 黒地に、限りなく黒に近いグレーのストライプがうっすらと入った文字盤の針や文字はとてもシンプルなデザインで、そのシンプルさが、かえって時計全体の高級感を感じさせる。

 なるほど、カフスが華やかだから、腕時計は抑えめにしてあるのか。


『なんだ、ドワーフの名工、ピアージェを知らんのか』

(知らないよ……っていうか、アウローラの魔法で作ったんでしょこれ? だったらダメじゃんこれ、偽ブランドってことでしょ?)

『バカを言うな。普段そなたが着ているのと同様、それは私の私物だ。一点物だからな、失くすんじゃないぞ。……といっても、まぁ、そなたの意思では外せぬから、失くしようがないのだがな。あっはっは』

(……)

『思い出せ。そなたが私の衣装をまとった時に、それを見たそなたの仲間たちが笑ったのは最初だけであったろう? 魔法学院でそなたの姿を笑う者はいなかった』

(……たしかに)

『自分はその衣装にふさわしいと確信し、そう振る舞っておれば、誰もそなたの姿をおかしいとは思わぬ』


 うーん、うまく言いくるめられているような気がしないでもないけど、わかる気もする。


『それにな、覚えておくといい』


 アウローラのささやくような声が脳に響く。

 ……あんまり認めたくないんだけど、アウローラの声はいつも、ゾクゾクするほど色っぽい。


伝統トラディショナルを好まぬ女などこの世には存在せぬ。それを着ている男が、それにふさわしい限りはな』


 ……相変わらず、この魔女はむちゃくちゃかっこいいことを言う。


『ほら、姿見を見ろ。そして男の顔を作れ。自分がその姿にふさわしいと思えるまでな』

(わ、わかった)


 僕は髪型をととのえ、スーツの襟と袖口を直してから、姿見を見た。

 混沌と破壊の魔女によってコーディネートされたスタイルは、指先から足元に至るまで一分の隙もなく、まるで僕の身体を採寸して仕立てたようにシルエットも美しい。


 男の顔を作る。

 自分がその姿にふさわしいと思えるような、男の顔を。

 僕はアウローラの言葉を思い出して、姿見に向かってキリッと顔を作った。


『ぷっ……』


 ……アウローラが噴き出す音が聞こえた。


「笑ったな!! お前、やっぱり僕のことをバカにして遊んでるだろー!!」


 僕は思わず口に出してそう叫んだ。


『あははははっ、違う違う、すまない。つい、可愛いなと思ってしまってな。これもそなたへの愛ゆえだ、許せ』

「まったく……」


 僕はぶつぶつとぼやきながら何気なくポケットに手を入れると、何かが入っていた。

 取り出してみると、シルクの光沢が美しい、真紅のポケットチーフだった。

 

「だから、3000年前のファッションなんだってば……」


 いずれにしても、僕に選択肢はない。

 僕は一生、彼女の見立てた服を着なくてはならないのだから。

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