第二部 第一章「高く付いた指輪」(1)


 ゆっくりと、空が流れている。

 雲の流れとは反対方向に、空が流れている。


 遠くに聞こえる水鳥の鳴き声。

 そよ風というにはやや強めの、でも強すぎない心地よい風。

 そして、たまに頬を濡らす水しぶき。


「おい、新入り。そんなとこで寝そべってっと邪魔なんだけどな」

「もうちょっと、もうちょっとだけー」

「へっ、学生さんはいい気なもんだな」


 船員はそう言いながらも、仰向けになっている僕をそれ以上とがめずに荷運びを続けた。

 海の男は、口は悪いけど、意外と優しい人が多い。

 アサヒにちょっと似ているかもしれない。


「そんなとこでいつまで寝てんのよ!」

「あだっ!!」


 海の男と同じく口が悪いけどちっとも優しくないユキに太腿を蹴られて、僕はしぶしぶ身体を起こした。


「船酔いがひどいって横になってたから船員さんたちもそっとしてくれてたのに、アンタさっきから全然けろっとしてるじゃない!」

「いやぁ、そう言えば甲板で寝させてくれるかなって」

「まったく……、そういう悪知恵だけは働くんだから……」

「まぁ、そう言わずに、ここで寝てみなよ。めちゃくちゃ気持ちいいから」

「ふむ、殿がそこまで言うなら、試さぬわけにもいかんな」

「ちょ、ちょっと、ゾフィア?!」


 ゾフィアが「失礼する」と、僕の隣で仰向けになる。

 心地よい潮風が、ゾフィアのライムの香りを運んできた。


「……おお……、殿は猫のようなお人だな」

「猫?」

「心地よい場所を見つける天才だ」

「でしょ?」

「私は海を見るのが初めてだったのでな。その景色ばかり気になっていたが、なるほど、海の上で眺める広大な空というのも格別なのだな」


 ゾフィアがアイスブルーの髪を風になびかせながら言った。


「ゾフィア、海と空が、どうしてこんなに青いか、知ってる?」 

「子供の頃に読んだ絵本では、海の色を空が反射していると書いてあったが……」

「ふふっ」

「な、なぜ笑うのだ?! もしかして、間違いなのか?!」


 身体を半分起こして、ゾフィアが僕を見る。


 『森の死神』と恐れられた帝国猟兵イェーガーの最年少隊長から、子供の頃に読んだ絵本の話を聞かされて、僕は思わずほころんでしまったのだ。

 ほんと、ゾフィアって、戦っているときはものすごくかっこいいのに、普段はどうしてこうもかわいいんだろう。


「ううん、そっちの答えの方が素敵だなと思って」

「ということは、本当は違うのだな?! 教えてくれ! 殿!」

「やだ、教えないー」

「殿!! 私も年頃の女だ! 正しいことを知らないままだと恥ずかしいではないか!」

「えー、いいじゃん。『空の青さは海の青さ』って答え、すごくいいよ」

「いや、そうではなくてだな……、殿!! こら、寝るな!!」

「ちょ、ちょっと、まっちゃん、ゾフィア、船員さんたちがいっぱい来たわよ!」

「だぁぁぁぁぁ!! おまえらいつまでも甲板でいちゃこいてんじゃねぇ!!!」 

「うわわわっ!!!!」


 船員たちが一斉に、僕とゾフィアがいる甲板に向かって大量のたるを転がしはじめた。

 ユキはその前にささっとその場を離れていた。……ずるい。


「フッ!!」


 ゾフィアはすぐさま跳躍して、ゴロゴロと転がってくる樽の一つに足を掛け、その先の樽に飛び移り、そこから前方に空中で宙返りをしながら樽の向こう側にすたっ、と着地する。


 なるほど。

 イメージができたぞ……。 

 

 僕はゾフィアの真似をして、僕の方に転がってきた樽の一つに足を掛けた。


「おおっ、こいつらすげぇな……!」

「ただの学生じゃねぇとは思ったが……やるじゃねぇか」


 船員たちの声が聞こえる。

 そうだ。

 僕たちはまだ冒険者じゃないけど、これまで、さまざまな死地を乗り越えてきたんだ。

 この間のベルゲングリューン市の古代迷宮だって、一流の冒険者たちに混じって最下層まで……。


 そんなことを考えながら、先にある樽に飛び移って。


 くるんっ。


「えっ」


 僕が飛び移った途端、僕が踏んだ樽が足場ごと回転して、僕はそのまま足を滑らせて樽に顔面から思いっきりダイブしてしまった。


「ぶべぇ!!」

「と、殿?!」


 そのまま甲板につんのめった僕の頭に、後続の多数の樽がゴン、ゴンゴンゴン、と続けざまにぶち当たって、僕の背中の上をごろごろと転がっていく。


「どわーっはっはっはっは!!!!」

「どうやらあんちゃんの方はそうでもねぇみたいだな!!」

「ぷっ……、ま、まっちゃん、大丈夫……?」


 しゅううううう、と頭から煙が上がっていそうな感じでうつ伏せに横たわる僕に、ユキが笑いながら駆け寄ってきた。


「殿……、いくら笑いを取るためでも、さすがに身体を張りすぎだ……。そんな無茶をしたら死んでしまうぞ……」

「い、いや……、う、うん、そうだね……」


 笑いを取りたくて取っているわけじゃないんだけど、ゾフィアの言葉に、素直にうなずいた。


「おめぇらなんの騒ぎだ!!」

「わっ、やべぇ! 船長だ」


 船長室から怒鳴り声が聞こえた途端、船員たちは転がした樽をそのままに、そそくさと持ち場へ戻っていった。


「ったく、しょうがねぇバカどもだぜ……」


 船長がパイプをくゆらせながら、操舵室の階段をゆっくりと降りてきた。

 年季の入った二角帽子バイコーンをかぶった、しわしわのおじいさんだけど、背筋はちゃんとしている。

 

「今日は積み荷だけだからいいんだけどよ……。ちぃと気ぃ抜きすぎだな。あとでシメとかねぇと」


 そう言ってから、船長は古びたパイプを片手に、僕を見下ろした。


「あんたもなんだから、それらしく働いてもらわねぇとな。そんだけ動けんなら、船酔いは大丈夫だろ。ちょっと船倉の荷物整理を手伝ってくんな!」

「アイアイ、キャプテン」


 起き上がって後頭部と衣服のほこりを払い落としながら、僕は船長に返事をした。



「お、キム、ご苦労」

「まったく……、後は全部お前がやれよな」


 先に船倉の荷運びをやっていたキムが言った。


「僕がやるのに100努力が必要なことを、キムなら1でできるんだから、キムがやったほうが効率がいいじゃん」

「そのために俺は、お前が1食うのに100食ってんだよ」

「それはただ、食べたいからでしょ……」


 僕はキムと文句を言いながら、船倉の荷物の整理をする。

 

「そもそも、お前が貧乏学生のフリをするとか言い出すから、こんな面倒なことになってるんだぞ」

「いやーだってさ、船員やお客さんから色々情報を集めるのも、身分が違うだけで全然違ってくるでしょ」


 渋るアウローラになんとかお願いして、僕は貧乏学生風の服装にしてもらった。

 コットンの少しワイドな黒のパンツに、同じく黒い色のベルトの木製のサンダル、白にグレーのボーダーが入ったシャツの上に、こないだの古代迷宮に落ちていた古びた指輪みたいな鉄の輪っかに黒い紐を通したネックレス。

 その上に、少しワークテイストなベージュの開襟シャツをボタンをとめずに羽織って、黒いレザーのショルダーバックを右腕から背中に回す感じで背負っている。


 あまり貧乏学生には見えないけど、清潔感があってなかなか良い感じだ。

 最初はルッ君みたいな感じでって言ったんだけど、アウローラに断固拒否されて、協議の末に決まったのが今の服装だ。


「しかし、こんなことやってて、意味あんのかよ……、わざわざ士官学校の休暇までもらってよ」

「意味は必ずある。あるし……、この問題が解決しないと、僕たちは楽しくエスパダに行けないでしょ」

「南の王国エスパダかぁ……、どんなところなんだろうな」


 キムが言った。

 キムはなんのこだわりもない、上下グレーのぶかぶかのスウェットに、その辺の露天で売ってそうなぺらぺらのサンダルを履いている。


 ……アウローラが許してくれたら僕もそんなのにするのに。


「王様がいないんだってね。議会制民主主義ってやつ。みんなで偉い人を選ぶらしいよ」

「みんなで選んだ偉い人は王様じゃないのか?」

「よくわからないけど、王様じゃないらしい」

「よくわからんな。王様でいいだろ」

「権力が限られてるから、王様じゃないんじゃない? 任期があるらしいよ」

「ふぅーん」

「メシ以外興味ないみたいな顔すんなよ……」

「メシ以外興味ないんだよ」


 キムが言い切った。


 キムはそうなんだよな。これがルッ君だったらきっと、「エスパダのきれいなお姉さんとお近づきになれるかも!」とか言ってビシっと決めようとして失敗するんだけど、キムはなんのこだわりもない、休日のおっさんみたいな格好だもんな。


 そして、そんなキムの方がルッ君より圧倒的にモテるのだ。

 

 こう見えて、ある日、寮にどこかの若作りな奥様が「昨日の晩ごはん作りすぎちゃって……」ってキムのために肉じゃがを持ってきたのは一部で有名な話である。


 聞くのが怖くて、どんな関係かまでは知らない。


「これ、そっちに置いてくれる?」


 僕がひょいっと投げた大きな袋を、キムが両手で慌てて受け止めた。


「うわっ、重っ!! なにが入ってるんだよ、これ」


 キムが袋の中を覗き込んだ。

 中にはなんだかよくわからない黒い大きなブヨブヨしたものと、持ち手のついた装置のようなものが入っている。


「必要になるかもなと思って、船倉に置いておいたんだ。ロープとかと一緒に置いておいてくれる?」

「わかった」


 キムが素直に倉庫整理を再開する。

 基本的に、キムは単純作業を黙々とやるのが得意なタイプだ。


「そういや、換金してある?」


 キムと違って単純作業が苦痛でしかない僕が嫌々倉庫整理をしながら、キムに尋ねた。


「ああ、したぜ」


 キムがポケットからくしゃくしゃになった紙をおもむろに取り出した。

 

「手づかみかよ……財布とかないの?」

「ヴァイリスじゃ硬貨だから、そんなもん持ってねぇよ。……お前と違って、プレゼントされるような身分じゃないもんでね」

「へへ、いいだろ……。いいセンスだよね。アウローラも褒めてた」


 僕は自分の財布をキムに見せた。

 カーフという、生後六ヶ月以内の丘バッファローの皮をなめしたものを短冊切りにして、手編みで編み込んだ二つ折りの財布で、こういうデザインをイントレチャートというらしい。


 限りなく黒に近いネイビーなのが、またいい。

 完全な真っ黒より上品で、なんというかオシャレに見える。


 エスパダ行きが決まった時に、以前、ゾフィアの家でみんなにプレゼントをしたお返しとして、メル、アリサ、ゾフィア、テレサ、ユキ、ミスティ先輩がリヒタルゼンのお店で選んで、お金を出し合って買ったのをプレゼントしてくれた。


 あまりにカッコよくて、僕はエスパダに向かう前から何度も眺めてへらへら笑っていた。

 まだ必要もないのにさっさと換金を済ませて、エスパダ紙幣をずっと入れていたぐらいだ。


「しっかし、こんな紙切れ1枚で銅貨100枚分の価値があるとはなぁ……」

「……あのさ、銅貨100枚分の価値のあるものを、紙切れみたいに扱わないでくれる?」


 キムは紙切れと言うけれど、この紙幣の技術はすごい。


 ヴァイリス王国の感覚だと、ちゃんとした文書では上質のものなら1000年以上保つといわれる羊皮紙を使うのが当たり前で、紙は落書きを書いてルッ君に丸めて投げて遊ぶようなものなんだけど、エスパダではジェルディク帝国で開発された魔導印字技術を元に独自に開発した活版印刷の普及によって、こうして「紙幣」というものが使われるようになるほどまでに進歩したのだ。


「しかしよ、お前、ちょっと手持ちが少なすぎないか?」


 僕の財布の中身を覗き込んで、キムが言った。


「いや、貧乏学生っていう設定なんだからこんなものでしょ。キムみたいにポケットにガバっとお札を生でつっこんでる学生がいたら驚きだよ」

「そうなのか?」

「……王宮競馬で大勝ちして気分が大きくなってるギャンブル狂のおっさんみたいだよ」


 一応、何かがあった時のために、お金は余分に持ってきてはいるけど、冒険用のリュックの中にしまっていて、ユキがみんなの分をまとめて管理してくれている。


 がさつそうに見えて、そういう面倒見がいいのがユキの特徴だ。

 きっと夫と子供のお尻を叩くのがうまい、いいお母さんになるに違いない。


「よう」


 突然、船倉にやってきた船員に声を掛けられて、キムがくしゃくしゃの紙幣を慌ててポケットにしまった。


「あ、どうも。僕たちサボってませんよ?」

「へへ、安心しなって。オレもここにこっそり一服しに来ただけさ」


 そう言って、船員がへらへらと笑った。

 船員にしては小柄で、目が細い。

 エタンの家の納屋から突然出てきてお母さんが大騒ぎしたハツカネズミにちょっと似ている。


「それよりさ、船員たちの噂になってんだけどよ、……あんたって伯爵様なんだって?」


 船倉でタバコをふかしながら、なにげない雰囲気で船員が切り出した。


「えっ、えっ……、い、いや、何言ってんすか……」


 僕はうっかり取り落した財布を拾い上げながら言った。

 ハツカネズミみたいな船員は、そんな僕の財布と、水晶龍の指輪をちら、と見る。


「へっ、そうだよな。ヴァイリスにその名を轟かせる伯爵様がこんなボロ船の倉庫整理してるわけがねぇか、へっへっへ」

「そうですよぉ、はっはっは」

「……つまんねぇことを聞いたな。忘れてくれ」


 ハツカネズミみたいな船員がタバコを足で踏み消して、階段を上っていった。


「……なんだったんだ、今の奴?」

「さぁねー。ヒマだったんでしょ」


 僕はそれ以上何も言わず、倉庫整理を続けた。


「そういやお前、指輪外しとけよ……。倉庫仕事で傷ついちまうし……貧乏学生のフリするなら……あれ? っていうかお前、さっきまでそれ外してなかったっけ?」

「おっと、そうだね、外しておこう」


 でも、外す前に連絡を入れておく。


『ゾフィア、30分後に僕と合流。ユキ、甲板にさっきの樽をまとめて集めておいて、終わったら合流』

『転がしっぱなしにはできないから、もう集めてあるわよ、50個ぜんぶ』

『それならOK。ご苦労さま』


 よし、これで連絡終了、と。


『ちょっとぉー、置いていくなんてヒドイわよぉー!』

『おわっ』


 突然、ジョセフィーヌが会話に割り込んできた。


『エスパダ、ワタシも行きたかったのにぃー』

『……あれ、覚えてないの? パレードが終わった後に誘ったら『ワタシ、無理。もう動けない。死ぬわ。ワタシここで死ぬわ』とか、めっちゃ低音で言ってたじゃない』

『言ったけどぉ……。言いましたけどぉー……。置いていくことないじゃないのよぉー』

『ジョセフィーヌ、ベルたちはまだ上陸していないんだ。君が休んでいる間、色々あって、ここ数日、船内でバイトをしているんだ』

『その声はヴェンツェルちゃんね? そうなの?! ワタシもエスパダに行けるの?!』

『ふぁあああっ、なんだよー、せっかく昼寝ぶっこいてたのによぉ……』

『……貴様ら、授業中だぞ』

『げっ、やべ、これ生徒会長にまで聞こえちゃうんじゃん!』

『……花京院、すまないが、もう少し声を小さくしてくれないか。教師の声がよく聞き取れない……』

『うぷぷっ、これ、ギルサナスの成績をオレぐらいアホにできる夢のようなアイテムじゃないか』

『いや、指輪を外せばいいだけなのだが……』

『あ、そっか』

『……おまえ、ほんと、アホだよな』

『なにおう! ルクス、おまえだって似たようなもんだろ!!』

『ダイヤモンドとはなくそぐらい違うわ!』

『あー、お前、こないだの話をまだ根に持って……』

『ちょ、ちょっと、いいかげんにしてくれませんこと?! さっきからなんなんですの?!』


 我慢して聞いていたらしいアーデルハイドが怒った。

 他校の生徒にまで迷惑をかけるなよ……。


『ふむ、そう考えると、便利なんだか不便なんだかわからぬな』

『閣下は僕らが何をくっちゃべってても本読めるんだから、平気じゃない?』

『ふっ、たしかにけいの言う通りだ』


 ジルベールのシブい声が響いた。

 

『この指輪って、クランメンバーじゃないと効果はないのかしら?』

『アリサ、どういうこと?』

『他の人が指輪をはめたら、私達と会話ができたり、悪用して、たとえば盗み聞きしたりできちゃうのかなってこと』

『それはね、できないようになっているの』


 宝具アーティファクトに詳しいミスティ先輩がアリサに答えた。


『ほら、クラン申請を出す時に、みんなで申請書を書いて拇印を押したでしょ?』

『あ、親指にチクっと針をさして、血印を押したやつ?』

『うん。あの時の血液情報がクランリングに登録されていて、違う人がはめても効力が発揮しないように作られているのよ』

『へぇー!』


 それは知らなかった。

 でも、なるほど、それで、わけか。


『ところでベル。貴様は以前、古代迷宮でルクスを召喚していたではないか。問題が解決した暁には、あれを使って皆をエスパダに呼べば良いのではないか?』

『おおっ、さすが生徒会長サマだぜ……!』

『そんな無粋なことしないよー。せっかく南の王国に行くんだから、ちゃんと船旅を楽しまないと、海に失礼でしょ?』

『ふっ、貴様らしい言葉だな。……だが、用向きがあったらいつでも言え。ただ、私が裸になっている時は、貴様一人の時に呼ぶのだぞ』

『『『なっ』』』

『ちょっ、何言ってるんですかヒルデガルド先輩!』


 いつも先輩って言われているミスティ先輩が先輩って呼ぶのがなんか新鮮だ。


『がー!! 授業に集中できん!!』

『ルクス、お前は普段から集中してないだろ』


 僕はみんなとの会話をひとしきり楽しんだ後で、挨拶をして指輪を外した。


「さて、キム。ちょっと一人にしてくれないかな」

「は?」


 キムが荷物を持ったまま、聞き返した。


「ちょっと一人で集中したいことがあって」

「倉庫整理の途中だぞ? 集中って、何をするんだよ」

「何って……、いいから、ちょっとの間でいいから一人にして」

「なんだよ、言えよ! サボってたら船長に怒られるだろ!」


 キムはこういうところで妙に真面目なので、なかなか納得してくれない。


「いや、だから、わかるだろ? 今まで出さずに、いっぱいめてきたんだ」

「た、ためるって……、え? え? お前まさか、え? こんなところで?」

「いいから! もうそろそろ限界なんだ。早くしないとキムのいる前で始めるよ!」

「うわわわっ!! ま、待て、わかったから!! 今出ていくから!!」


 ちゃんと換気しろよ!!って言って、キムがあわてて外に出た。

 何と間違えているのかは知らないけど、これでよし、と。


(アウローラ、じゅうぶんまったかな?)

『ああ、それだけの魔力量なら十分だろう。それにしても、今の奴の顔……ふふふっ』


 楽しそうにわらうアウローラの心地よい声を聞きながら、僕は意識を集中させた。




 しばらくして、控えめなノックの音が聞こえた。


「な、なぁ、開けてもいいか?」

「どうぞー。もう終わったよ―」

「そ、そうか……」


 キムが気まずそうに入ってきた。


「船尾で狼煙のろしが上がってたんだ。船員に聞いたけど、誰も知らないって……」

「へぇー」

「へぇーて……、なぁ、お前、もしかして……」


 キムがそこまで言った時、ドオオオオオオオォォォォン!!!、と耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。


「う、うわっ、なんだ?!」


 キムが慌てて外に出ようとするのを、僕は引き止める。


「キム、ちょっと頼みがある」

「なんだ?」

「この後、どんな騒ぎになっても、あのネズミ野郎だけは必ずぶちのめして、縄でグルグル巻きにしておいて。ゾフィア、いる?」

「お側に」

「う、うわっ、いつの間に?!」


 キムがすぐ側から音もなく現れたゾフィアに驚いた。


「ユキは?」

「先に向かって安全を確保している」

「よし、行こう」

「お、俺は?」


 状況が飲み込めないキムが僕に尋ねる。


「キムはそのままでいい。その時が来れば、キムなら何をすればいいかわかる。手筈てはずはすべて整っているから」

「手筈って……、そもそも、今、何が起こってるんだ?」

「何って……、冒険の船旅で起こることって言ったら、定番は決まっているだろ? 海の怪物シリーズクラーケン・セイレーンが襲ってくるか、幽霊船が出てくるか……」


 きょとん、とするキムに、僕は笑いながら言った。


「海賊が襲撃してくるか、だよ」

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