第二十七章「クラン戦」(20)

20


 城内に戻ると、先程までの喧騒とは打って変わって、周囲は静まり返っていた。

 僕が通る中央の道を開けるようにして、味方陣営のみんなが一声も上げずに整列していた。

 ……あ、キムがもう一口肉を食べようとして、ユキにはたかれている。


 僕は大広間の中央の道をまっすぐに進み、制限時間が迫るほどに薄ら笑いを浮かべ始めた暁の明星のリーダーの少し手前でみんなの方を振り返った。


「さて、みんな。どうやら、そろそろ敗北が確定してしまう時間が来たようだ」

「殿っ……! 嘘だろう?! 嘘だと言ってくれッ!!」


 先頭で整列していたゾフィアががっくりと膝をついた。


「殿が敗北で肩を落とす姿など……、私は、私は見たくなかったッ!!」

「ごめんね、ゾフィア。でも、僕にはどうすることもできないんだ……」

「本当にダメなのかよ!? 今まで、お前はどんなに不可能そうなことでも、むちゃくちゃなやり方でどうにかしてきたじゃねぇか!!」

「キム……、すげぇアツいことを言ってくれるのは嬉しいんだけど、せめて手に握っている肉を置いてからにしてくれないか?」


 僕がそう言うと何人かが忍び笑いを漏らしたが、やはり、会場はどうしても、笑っていい雰囲気にはならなかった。


 僕はそんなみんなに、深々と頭を下げた。


「みんなをここまで付き合わせたのに、すまない。大手クランをナメてたみたい。……これが、僕の力の限界です」

「りゅ、龍帝陛下!! ど、どうかお顔を!!お顔を上げてくださいませ!!」

「殿っ!!!」


「ふふ、ふふふふふ……ふははははははは!!!!」


 意気消沈する僕たちを見て、勝利を確信した暁の明星のリーダーが玉座から立ち上がり、高笑いをはじめた。


「そうだ。君は私を、私のクランを侮っていたのだ!! ベルゲングリューン伯」

「そうですね。今となっては、言葉もありません。もうどうすることもできない」


 僕はワインをグラスに注ぎ、両手でそれを暁の明星のリーダーに捧げた。

 以前アウローラに教えてもらった、ヴァイリス貴族式の恭順の意を示す行為なのだそうだ。


「……ほう、成り上がりの貴族にしては、古い慣習の心得があるようだな」


 リーダはそれを受け取ると、満足げにグラスをくるくると回して、再び玉座に座った。


「そういう殊勝な心がけを最初からしていれば、ここまで話は大きくならず、君もこうして恥をかかずにすんだのだよ」


 何時間もバーベキューを見せられて溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように、暁の明星のリーダーがワイングラスを片手に、僕にネチネチと語り始めた。


「そもそも、君はクラン城の本当の価値を知っているのかね?」

「本当の価値……?」

「クラン城はただクランの権威を示すためのものではない。クラン城には古代魔法で作られた転送陣があり、登録したクランのアジトとの間を空間移動できるという大変便利な機能を有しているが、それも副次的なものにすぎない……」


 リーダーが得意満面で言った。


「クラン城の地下には、俗にクランダンジョンと呼ばれる古代迷宮が広がっている」

「クランダンジョン……?」

 

 初めて聞く内容だ。


「中にはその辺の洞窟には生息しないような強力な魔物モンスター上位悪魔グレーターデーモン最上位悪魔アークデーモンといった魔王の眷属までうじゃうじゃしているような、まさに地獄のような場所だ。君たちごとき冒険者にすらなっていないような学生風情や低級冒険者は、入って数秒で死ぬことになるだろうね」

「……」


 挑発しているつもりなのだろうが、当たり前すぎて腹も立たない。

 そんな所に入って生きて帰れるはずがない。


「まぁ、そもそも、クランダンジョンの中は凄まじい魔の瘴気に包まれていて、我々、金星ゴールドスター冒険者でも生身の身体で立ち入ることはできないのだが……」


 結局入れないんかーい!

 とツッコミかけたら、リーダーが言葉を続けた。


「だが、半年に一度だけ、クラン城の転送陣が赤く光っている期間だけ、城持ちクランのメンバーやその同盟クランは魔の瘴気の影響を受けない召喚体として中に入ることができる」

「瘴気の影響を受けない召喚体?」

「瘴気耐性のある召喚体だ。通常の召喚体でも呼吸ができなければ死ぬだけだからな」

「そんな中に入って、何かメリットがあるのですか?」


 僕が尋ねると、暁の明星のリーダーは顔を歪ませて笑った。


「ふははっ、メリットがあるだと? メリットどころではない。クランダンジョンはまさに地獄だが、地上ではとても手に入らないような宝具アーティファクトの宝庫だ。何を隠そう、今回君たちが辛酸をなめることになったこの玉座も、クランダンジョンで得た物の一つなのだからな!」


 なるほど。

 そういうからくりだったのか。

 

 大手クランとはいえ、こんないけ好かない奴に同盟クランや弱小クランの連中がへこへこしていたのは、半年に一回、そのクランダンジョンでのおこぼれをもらえるというメリットがあるからなのだろう。


「……これで、わかったかね? 我々城持ちクランは、ただ城を得てふんぞり返っているわけではない。ヴァイリスから! ジェルディクから! この古代迷宮の封印の管理と探求を求められているのだ!!」


 自分の言葉に興奮してきたのか、暁の明星のリーダーの語調がどんどん強くなっていく。

 

「それを! 何を誤解して思い上がったのか! ただの浮かれた学生風情がクランなど作り、我がクランの貴重な人員を引き抜き! あまつさえこの城を奪おうなどと!!」


 目を剥いてこちらを睨みつける暁の明星のリーダーに、僕は深々と頭を下げた。


「いや、本当に失礼しました。……そういうわけなので、そのワインをそろそろこちらに渡してはもらえませんか?」

「……ん?」


 暁の明星のリーダーが、僕の言っていることがよくわからなかったというように、顔を上げる。


「……おや、私のような成り上がりの貴族と違って、あなたは由緒正しき貴族家のお生まれですから、てっきり御存知だと思ったのですが、古式ヴァイリスの作法を御存知ないのですね」

「何……?」


 暁の明星のリーダーはワイングラスを回す手を、ぴたり、と止めた。


「古式ヴァイリスの作法では、私から渡されたそのワインを一口飲み、そのワインをあなたが私に捧げ、それを飲むことで、正式にとなるのですよ」

「貴様……、この期に及んで、気でも狂ったか……? さきほど貴様は、貴様の陣営の者共に敗北の確定を宣言し、肩を落としていたではないか。 自分の力の限界だと認めていたではないか」


 暁の明星のリーダーをまっすぐに見て、僕は口元を歪ませながら言った。


「僕は、と言ったんです。肩を落としたのは、もう少し優雅に勝ちたかったからです」

「ふっ……、矜持プライドを傷つけられたあまり、自分が何を言っているのかわかっていないようだな」

「むしろあなたの言っていることがよくわからないんですが……、つまり、僕に恭順の意を示すつもりはないと?」

「当たり前だ!!」


 リーダーがそう怒鳴ると、僕は邪悪な顔を作って、くっくっ、と忍び笑いを漏らした。


「まぁ、別に構わないんですけどね。僕もそんな、アホみたいにくるくる回したワインなぞ飲みたくありませんから」

「フンッ、スワリングも知らんのか。ワインとはな、こうして空気に触れさせることで、より香りが引き出され、味わいがまろやかに……」

「あははっ、やっぱり貴方にはミスティ先輩はもったいないようだ」

「……なんだと?」


 僕はくすくすと笑いながら、言った。


「……お言葉ですが、そのワインは長期熟成されたエスパダ南方のワインです。そのようにスワリングしていれば、むしろ繊細な味わいが損なわれます。最高の美酒の味わい方も知らないような底の浅い男がリーダーのクランでは、ミスティ先輩もさぞや退屈だったでしょうね」

「か、かっこいい……」


 テレサがつぶやいた。

 ごめん、全部アウローラの受け売りなんだ。

 ……僕もさっき高台でアホみたいにくるくる回して怒られたとこなんだ。


「まだお肉を食べたい人!!」


 一番最初にキムがビシッ、と手を上げた。

 それに続いて、花京院やガンツさんたち、リザーディアン、ユリシール殿、ゾフィア、そしてちょっと恥ずかしそうにユキが手を上げる。


「この人は降参する気ないみたいだから、時間までじゃんじゃん焼いちゃって! キム、花京院、そっちにある鉄板を全部こっちに持ってきて! ギュンターさん、残ってる炭を全部放り込んじゃってください!」

「へへへ、やったぜ!」

「あいよ!」

「かしこまりました!」


「ま、待て!! 話はまだ……」


 暁の明星のリーダーの声は、慌ただしく宴会を再開するみんなの声に遮られた。

 ギュンターさんが僕の指示通りに、炭をがんがん投入しはじめる。


「さっきは名演技だったよ。ゾフィア」

「ふふ、殿が負けそうな時に一度言ってみたいセリフだったのだ。なかなかその機会がやってこなかったものでな」


 ゾフィアの演技のうまさは意外だった。

 メルぐらい下手だと思ってた。


 廃屋敷の冒険の時にみんなで火事だと騒いだ時のことを思い出して、僕は思わずぷっと笑った。

 メルが一生懸命、「か、火事だわ! た、大変、よ!!」って言ってたんだった。


「……今、どうして私の顔を見たの?」


 メルが不審そうに僕を見た。

 やばいやばい。


「エレイン、そろそろお願いしてもいい?」

「うん、わかった」


 エレインは魔法詠唱を始める。

 

「エレインは何をしているの?」

「あれって風魔法だよね? ……このお肉うんまっ!」


 アリサとユキが僕に尋ねた。


「前にさ、魔法学院に通う準備をしていた時に、魔法使いってなんでローブとかを着るのかってヴェンツェルに聞いた時のこと、覚えてる?」

「えっと、金属製の鎧を着て雷魔法を撃ったら感電した人がいたとかなんとか……」


 アリサの言葉に僕はうなずいた。


「そう、干渉して失敗することが多いらしんだよね。ユリシール殿レベルの実力と装備になったらもはや関係なさそうだけど……」

「……あれ、大丈夫なの? もう兜全部脱いじゃって、丸っきり王女殿下なんだけど……」

「……言うな、ユキ。……もうあれはユリシール殿だと言い張るしかない……」


 僕は大はしゃぎで肉を食べている王女殿下を見ながら言った。

 あそこまで喜ばれているのを止めることは、僕にはできそうもなかった。


「それで?」

「ああ、うん、ヴェンツェルはこうも言ったんだ」


 僕はヴェンツェルがかつて言った言葉を引用した。


「魔法職は魔法による長距離射程攻撃が中心になるから、後衛で戦う事が多い。前衛が機能していれば物理攻撃を食らう可能性は少なく、魔法や矢を警戒することが多くなる。熟練の魔法使いはたいてい、風属性魔法の圧縮空気魔法ニューマで自分に飛ぶ矢だけは防げるから、必然的にもっとも警戒するべきは魔法。よって魔法防御に特化したローブやマントを着用することが多くなるわけだ」


「あはは、似てる! あなたとミスティ先輩って、本当にモノマネが上手よね」

「ミスティ先輩には負けるよ……」


 ミスティ先輩は本当に声真似が上手い。

 以前、ミスティ先輩と食事している時に、先輩が急に低音ボイスで、


「あぁ〜、ハラ減ったなぁ……、なぁ、それ食わないんだったら、オレがもらっていいか?」


 ってキムの真似を始めた時は、思わずシチューを噴き出してしまった。


 言う言う!!ってなるんだよね。

 食べながら「ハラ減った」って言う奴を、僕はキムしか知らない。

 それだけ、ミスティ先輩はみんなのことをちゃんと見てくれてるってことなんだろうな。


「つまり、魔法使いに弓は基本効かないんだ。でも、エレインの弓は大魔導師ハイウィザードをスパスパ射殺しまくってたでしょ」

「そうそう! それ私もビックリしたのよ! おっ、こっちのお肉もなかなか……」


 ユキが肉を裏返しながら、他の肉も吟味していた。


「それって、もしかして、風魔法が関係しているってこと?」

「そうそう! さすがアリサ」


 弓が本職のエレインが魔法学院に通っているのは、それが一番の理由なのだ。

 エレインの放つ矢は、風魔法が魔法付与エンチャントされていて、魔法使いが自分にかけた圧縮空気魔法ニューマを無効化することができる。

 言ってみれば、彼女の弓はウィザードキラーなのだ。


「エレインは弓の達人であるのと同時に、風魔法のエキスパートってわけ。だから、ほら、このように……」


 エレインが右手をまっすぐにかざすと、肉を焼いた煙が一斉に玉座の方向を向き始めた。


「ゴ、ゴホッ、ゴホッ!! ゴホッ!! な、何をしているっ!!」

「うわっ、すごっ!!」


 たちまち玉座に座る暁の明星のリーダーが、肉の焼ける煙を浴びて咳き込み始める。


「き、貴様……、私が動けないのを良いことに、時間ギリギリまでこんなところで肉を焼いた上にこの仕打ち……!! ゴ、ゴホッ、ゴホッ!! こ、こんなことになんの意味があるんだ!! ただの嫌がらせではないか!! 何時間も座りっぱなしなんだぞオレは!!」


 あまりの煙の量に涙を流しながら、暁の明星のリーダーが僕をにらんだ。


「……そう。何時間も座って見てたのに、僕の意図がわからなかった時点で、あなたの負けなんですよ」

「ふんっ、こんな煙でか? こんな嫌がらせで私が勝利を譲るとでも? ゴホッ、ゴホッ……、幼稚な男め、あと数十分耐えれば私の勝ちなんだ」

「じゃ、頑張って耐えてみてくださいね」


 僕はそう言うと、目でエレインに合図を送った。

 エレインはうなずいて、今度は左手を天高くに振り上げる。


「……今のは何? 何も起こったようには見えないけれど……」


 アリサが小首をかしげて、僕を見上げた。


「どうして炭でお肉を焼くと美味しいか、知ってる?」

「どうしてって、いい感じに火が通るからじゃないの?」


 いい感じに焼き終わった肉をそそくさとお皿に集めながら、ユキが言った。


「ユキが正解だな。強力な遠赤外線を放ち、放射熱で食材を直接焼き上げることができるからだ」

「おわっ、うんちく大王がやってきた」

「ヴェンツェル……、あなた、ベルくんが居るところにはいつもやってくるのね」


 ユキとアリサがヴェンツェルに言った。

 ……ずいぶんひどい言われようだけど、それだけ打ち解けたってことなんだと思う。


「ヴェンツェルの言う通りだけど、それだけじゃないんだ」

「なになに?」


 ユキがアリサにもお肉と野菜を取り分けてあげながら聞いた。


「炭ってのは、木の燃えカスじゃないんだ。燃えカスは灰。密閉状態で蒸し焼きにすると、酸素が足りなくなって、炭素だけになったのが炭。酸素が足りてると、全部燃えて灰になっちゃうからね」

「……もしかして、めっちゃ難しい話?」


 ユキが急に興味を失ったように言ったので、僕は慌てて軌道修正した。


「ざっくり言うと、炭は燃やしても二酸化炭素しか出さないわけ。だから、他の焼き方みたいに水素と結びついて水蒸気が出たりしないから、お肉に余分な水分を与えず、お肉そのままの味で食べられるし、煙もあんまり出ないし、匂いもしない」

「煙、めっちゃいっぱい出てるけど……。暁の明星のリーダー、髪も鎧もベッタベタになってるけど……」


 ユキが気の毒そうに言った。


「そりゃ、お肉の脂があるから多少は……」

「多少?! あれが多少?!」

「で、エレインのさっきの魔法は、上空の空気を軽くしたんだ。二酸化炭素は重いから、必然的に玉座のあの辺りは、数十分も待たずに……」


 僕がそこまで言うと、ユキが息を呑んでから、つぶやいた。


「酸素が、なくなる……」

「惜しい。二酸化炭素中毒になる」


 僕がそう答えた時にはもう、暁の明星のリーダーには異変が現れていた。

 額にびっしり脂汗が噴き出し、頭を押さえ、目の焦点がおかしくなってきている。


「……周りで楽しそうにお肉を焼いているのを見ながら死んでいくって……、そんな死に方だけはしたくないわね……」

「アンタって、学校の成績は私以下なのに、なんでこんな悪知恵ばっかり次から次に思いつくわけ?」


 アリサとユキがドン引きした目で僕を見た。

 いや、ヴェンツェルもだ。


「なんだよー、ヴェンツェルは僕の作戦知ってたでしょー!」

「い、いや、ざっくりとは聞いたが……、何時間もここで煙を浴びせられていた奴の気持ちを考えると、つい……」


 ヴェンツェルがそんなことを言った。

 

「ゴホッ、ゴホッ、べ、ベルゲン……ベルゲ……」

「はいはい、ここにおりますよ。そろそろ降参しますか?」


 僕は玉座で咳き込む暁の明星のリーダーに話しかけた。

 すすと肉の脂で髪も顔も鎧もベッタベタになった彼に、もはや金星ゴールドスター冒険者としての輝かしさも、大手クランの盟主であるという威厳も感じられない。


「降参ですか?」

「くっ、こ、このような卑劣な手を……使って……」

「うーん、そんな無駄話をしている時間はないと思うんだけどなぁ。僕の予想が正しければ、あと数分であなたは意識を失いますよ。あ、召喚体だから、もしかしたらずっと苦しいままなのかも……」

「わ、わかった、降参だ! 降参する!! もうこれ以上は数分も耐えられそうにない!!」

「それじゃ、誓約書にサインしてもらいましょう。ジョセフィーヌ、お願い」

「はいはーい!」

「誓約書、だと?」


 僕はジョセフィーヌがくれた羊皮紙を暁の明星のリーダーに手渡した。


「そろそろめまいがひどいでしょうから、口頭で説明しますと、明け渡していただくことになるクラン城一帯の修繕費用を、あなた方、暁の明星クランが全額負担するという内容です」

「ふ、ふざ……けるな!!」


 吐き捨てるように言う暁の明星のリーダーの言葉に、僕はにっこりと笑って返答した。


「いえ、いたって真面目です。あなたがそんなアホみたいな玉座で時間稼ぎをしたせいで、私は自分の物になるはずのお城で仕方なく、肉を焼かなくてはなりませんでした」

「そ、それは、貴様が勝手に!!」

「あなたはこの数時間、たくさんのヒントがあったのに何もできなかった。いかに完璧な属性耐性があろうとも、肉を焼く煙を防ぐことはできない、つまり、「空気そのもの」を防ぐことはできないということ」


 これが毒ガスだったなら、宝具アーティファクトの属性防御で完璧に防がれていただろう。

 でも、酸素も二酸化炭素も大気に普通に存在するものだから、属性防御の対象にはならない。

 

「それに、さっきあなた自身が言っていたじゃないですか。『通常の召喚体でも呼吸ができなければ死ぬだけだ』って。それがわかっているなら、あの時点で降伏すべきだということは明白なはず。だから僕は降伏のチャンスを与えたのですが……」 

「わ、わかった!! サインをする!! ほら!これでいいだろう!!」

「……はい、たしかに確認しました。ギュンターさん、これ、預かってもらっていいですか?」


 僕が受け取った羊皮紙を、後ろにいるギュンターさんに渡そうとしたその時。


「殿ッ!!! 危ない!!!」

「油断したな小僧!!! 実体のまま背を向けるとは!!!!」


 暁の明星のリーダーが、最期の力を振り絞って、背を向けた僕に飛びかかる。


「ガハッ……!?」


 召喚体ならともかく、実体での死は、そのまま人生の終わりを意味する。

 クラン「水晶の龍」は事実上崩壊し、クラン戦の勝敗に関わらず、暁の明星の勝利となるだろう。


 だが、そんな僕ではなく、自らの背中から刃が刺さるとは、暁の明星のリーダーは思いもしなかっただろう。

 自分が玉座から立ち上がった瞬間。

 その時だけをひたすら待ち構えていたある男が、ロープ一本で空を駆けるように城の天窓から舞い降り、音もなく背後に忍び寄り、見事なまでの背後奇襲バックスタブ金星ゴールドスター冒険者たる自分の背中から胸元に至るまでを白刃で貫こうとは。


「ルッ君、ごくろうさま」


 僕は暁の明星のリーダーを振り向きもせずに言った。


「くっ……、伏兵を忍ばせていたとは……」


 悔しげにうめく、リーダーの声。


「うおおお、すげぇ!!! すげぇじゃねぇか!!!!」

「やりやがった!! アイツやりやがったぜぇぇ!!!」


 花京院やガンツさんたちの掛け声を皮切りに、みんなが一斉に歓声を上げる中。


「ってか、長ぇよ!! 長すぎだろ!! おまえらが美味そうに肉食ってるのを、オレ、何時間もずっと上の窓から眺めてたんだぞ!! めっちゃ煙てぇし!!」


 せっかくめちゃくちゃカッコよく決まったのに、ルッくんが情けない声で言った。

 でも、無理もない。

 クラン戦開戦直後から、ついさっきまで、ルッ君ときこり衆はクラン城の城壁を登攀とはんして、ずっと待機していたのだ。


 玉座自体が宝具アーティファクトなんていう驚きの展開じゃなければ、ルッ君たちによって決着はとっくについている予定だった。


「ルッ君も実体に戻っといで。まだ肉はいっぱい残ってるから」

「へへ、やった」


 ルッ君が大喜びで、キムたちとハイタッチしながらギルドホールに向かう。


「自らをおとりとしたのか……」


 暁の明星のリーダーが、自分の胸元から突き出た刃を、信じられないものでも見るように見下ろしながらうめいた。


「実はね、そこの玉座で座ったまま窒息されると、困ったことになる可能性があったんですよ」

「玉座の結界の効力が続いて、旗を壊しに行けない可能性……か」

「そうです。その玉座の効力が死んだ人間にも適用されるのかまではわからなかったんです」

「それは……私にもわからない……。一度使ったら二度と使えぬ一点物ゆえ……、試すこともできんしな……」

「でも、用心深いあなたの性格なら、そこに賭ける可能性があった。こちらとしては、そんな運試しはなるべくしたくなかったんです」

「ふっ……、私に背を向けて挑発することも、相当の運試しのように思えるが……」


 暁の明星のリーダーの言葉に、僕はにこにこ笑いながら首を振った。


「いいえ、全然。……だから言ったんです。たくさんのヒントがあったのにって」

「何……?」

「……僕が何か食べているところを、一度でも目にしましたか?」

「っ……!?」

「召喚体で料理を食べても、不思議と全然美味しくないんですよね。……ワインはこんなに美味しいし、酔うことだってできるのに」


 僕はグラスを斜めにして静かにワインを注ぎ、グラス全体にワインが広がるようにリンスする。

 そう、宴会をしているみんなの中で、僕だけは召喚体だったのだ。


「あなたのお名前は?」

「……ラモンだ」

「ラモン。今回の僕は、さまざまな卑劣な手を使って貴方を倒したことを認めよう。理由は簡単。そうしなければ、僕の力では貴方達の力に遠く及ばなかったからだ」


 僕はワイングラスを握ってラモンに近付いた。


「今回の敗北を、貴方は悔しく思うだろうか? 恨みに思うだろうか? 当然だろう。格下だと思っていた僕の卑劣な策によって、ここまでの敗北を喫し、全てを失うのだから」

「……」

「だが、できれば、もう僕たちに牙を剥くのは我慢してもらいたい。なぜなら、それをされてしまうと僕は、僕と周りの仲間達を守るために、もっともっと卑劣な手段を考えなくてはならなくなるからだ。その結果がどうなるかはわからないけど」


 僕はそう言いながら、ワイングラスをラモンに両手で差し出した。


「次はきっと、お城を取られるぐらいでは済まなくなると思う」


 ラモンは僕の顔をじっと見上げ、震える手でワイングラスを受け取ると、事切れる寸前の体で、ワインを一口飲んだ。


「……美味い……。同じワインで、こうも味わいが変わるのか……」

「くるくる回さない方が美味しかったでしょ?」


 驚きの表情を見せるラモンに、僕はくすりと笑った。


「貴方に恭順の意を示します。……ベルゲングリューン伯」


 そう言ってラモンが捧げたグラスを僕は受け取って、最後の一滴まで飲み干してから、答えた。


「謹んで恭順を受け入れよう、ラモン殿」


 僕がそう宣言すると同時に、ラモンの体が崩れ落ちる。

 ルッ君の後に続いて天窓から下りていた木こり衆が、暁の明星のクラン旗を破壊した。

 こうしてクラン『水晶の龍』は、設立からわずか数日で城持ちクランになったのである。

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