第三部 第三章「ベルゲングリューンの光と闇」(9)
9
「くっさっ!!! くっさっ!!!!!」
「えっ?!」
しがみついていた
他のみんなも同じだったらしく、嗅覚が敏感なノームたちは鼻を押さえてルッ君から後ずさった。
「な、なんだよ!? みんなひどくね?!」
「お、おい、
抗議するルッ君からササッと距離を離しながら、ヴェンツェルが叫んだ。
尻尾を切断されてのたうち回っていた
「まずい!! みんな耳を塞いで口を……あれ?!」
一瞬、自分の耳が遠くなったのかと思った。
「ルッ君、もしかして……」
「ああ!! 例の魔法石をばっちり首の後ろに取り付けてやったぜ!!!」
そう言って、ニカッと笑って親指を突き立てたルッ君から、僕は三歩後ずさった。
ルッ君の両手はドロドロになっている。
「くっさ!!! なんなの、その泥みたいなの……」
「さっきからなんだよその反応。そういう悪趣味なイジり方すんなよな……」
ルッ君はそう言ってから、その泥だらけの指で鼻をすすった。
どうやら、鼻が詰まっていて、本人はこの強烈な臭さがわからないらしい。
「ほら、まつおさんが壁を塗った時に使った泥みたいなやつあるだろ?
「ルッ君……」
素晴らしい機転だと思う。
やっぱり、ルッ君の判断に任せて良かったと、心から思う。
でも……。
「壁の補修に使ったやつはさ、必要な分しか作ってないから、材料は何も余らせてないよ」
「へ? どういうこと?」
「それは、壁を塗った時に使ったやつじゃないってこと」
「え……、じゃ、じゃあ……何……?」
「いや、この臭さで泥みたいなやつって言ったら、そりゃ……」
「えっ……」
「ぎゃははははは!!! うんこだ!! それ、ドラゴンのうんこだぞ!!! ドラゴンはうんこの臭さも最強であったか!!! わはははは!!!」
大爆笑した花京院にイラっとしたのか、ルッ君が両手の指を花京院の顔に向かって弾いて、その飛沫を飛ばした。
「ぶっ!? う、うわっ、な、なんてことしやがるんだ!! 顔にかかっちまっただろ?! う、うわっ、くっさ!!」
ああ見えて潔癖なところがある花京院が必死に手で顔を拭った。
「うるせー!! せっかく命がけで頑張ったオレの見せ場を台無しにしやがって!!」
「ちょ、ちょっとアンタたち! 今はそれどころじゃないでしょ!!」
「そう言いながら半笑いでオレから後ずさるのやめろよ!!」
ルッ君が半泣きになりながらユキに言った。
「い、いや、ルッ君は良くやったと思うよ、うん」
「そんなフォローはもう手遅れなんだよ!」
ルッ君が僕に言った。
本当に、ルッ君って、冒険者としてはすごく頼りになるし、活躍もしているはずなのに、どうしてこうも毎回残念な結果になるんだろう。
「ルッ君、一度アリサの教会でお祓いしてもらえば?」
「お願いだから、来る前にちゃんと手を洗ってから来てね」
「ぷっ」
アリサの言葉に、ヒルダ先輩とメルが噴き出した。
「……卿よ、気をつけろ。
口元を押さえながら、ジルベールが言った。
最初鼻を押さえているのかと思ったら、どうやら笑いもこらえていたらしい。
僕たちは何もふざけていたわけじゃない。
ルッ君は若獅子戦の時に覚えたロープを使った壁移動を使って、一気にヤツに接近することができたけど、尻尾を切断されて大きく飛び下がった
まだエレインの弓やアリサの
だから、陣形を整えて、急な咆哮や
「直立姿勢をやめて、四足で立ってるね……」
「……おそらく、尻尾を切られて、直立ではあの巨体のバランスが取れなくなったんだろう」
ヴェンツェルが解説してくれた。
「四足になると、何かが変わるの?」
「……わからん。私が読んだ文献の中には、そんな記述は一切なかった」
「私も聞いたことがないわ」
ヴェンツェルの言葉に、メンバーの中で一番冒険者としてのキャリアがあるミスティ先輩が続いた。
「ヤツが尻尾を失った今、テイルスイングの脅威はなくなった。咆哮の心配もない。ブレスだけを警戒し、このまま
ヒルダ先輩の提案。
普通に考えればその通りだと思う。
だけど……。
ルッ君が取り付けてくれた魔法石のおかげで、竜のうなり声はほとんど聞こえない。
でも、その眼光は
ヤツは、怒っている。
それも、尋常でないほどに。
「僕を、
完全に目が合ってしまった。
「ヘビに睨まれたカエル」ってセリカ王国の
きっと、こういう状態を言うのだろう。
「ベル、気をつけて、何かを仕掛ける気よ……!!」
メルが盾を構えながら、僕に耳打ちする。
「突進する気か?! みんな離れて!!!!」
僕は叫んだ。
叫んだのはいいけれど、僕自身が、
あ、ダメだ、無理だ。
情けないけど、仲間に頼るしかない。
「花京院、ジョセフィーヌ、ごめん、僕を運んでくれない? 動けない」
「あいよっ!!」
「変なトコ触っても許してねん!」
花京院とジョセフィーヌが目で合図をして、僕の両肩をそれぞれが組んだ。
「うぎゃあああああ!!! いでえええええっ!!!!」
「あ、すまん、折れてんだっけか」
僕の左腕を自分の肩にのせた花京院が言った。
「はぁはぁ、い、いや、大丈夫……、他に手はないし」
人生でこれまで味わったことがないような激痛に気が遠くなりそうになりながら、必死に気力を振り絞ってそう言った。
アドレナリン、もう少し頼むよ……。
「キツいと思うが、辛抱してくれな? あいつ、お前を狙ってるみてぇだから」
うなずく力もなく、目だけで花京院に返事をして、僕たちはその場から離脱を開始する。
その次の瞬間。
ビュオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!
「なっ?! 早っ!!!」
それまでの、どちらかといえば鈍重な動きで、僕は完全に目測を誤っていた。
生物最強と言われる強靭な筋力と、その巨大な翼を使った
「ぐああっ!!!」
「グゲェェェッ!!」
「あ、あかんっ!!! ええかお前ら、防ごうと思うな!! 死ぬど!!」
テイルスイングの脅威がなくなり、密集隊形を取っていた僕たちの散開は、とても間に合わなかった。
直撃こそ免れたものの、大きなトゲがついた翼や身体に接触したゴブリンやノームたちが大きく吹き飛ばされた。
おそらく軽傷ではないだろう。
そのまま、勢いを殺すことなく、
「あ、まつおちゃん、ダメ、間に合わない!」
「くそっ!!!」
その爪の先は、僕を担いで完全に無防備な花京院の首筋に……。
ガキィィィィィィ――ッ!!!!!
「ぐああああっ!!!!!!!」
「っくっ!!!!!!!!」
「ングッッッッ!!!!」
左腕を担いでもらっていて、助かった。
パシャッ――!!!!!
「ッッッ――!?」
その衝撃で吹き飛ばされる直前に水晶龍の盾から放たれた閃光で、
「ま、まっちゃんっ!!!!」
「……」
一番近くにいて状況を目撃したユキが、悲鳴のような声を上げる。
大丈夫だと返事をしたいのだけれど、声が出ない。
というか、呼吸がうまくできない。
左腕どころか、なんか全身の骨が折れたみたいに力が入らない。
「ひゅ、ひゅ……」
……どうやら、隣にいる花京院も同じらしい。
とりあえず、生きているようで安心した。
「あ、よかった……、まつおちゃん、生きてた……」
「じょせ、ふぃも、よか……た……ごはっ……」
なんとか会話をしようとしたら、口から鮮血が噴き出した。
肋骨か何かが肺を傷つけたのかもしれない。
「ダメよしゃべっちゃ! アリサちゃんと合流するまで待ってて!!」
(アウローラごめん……、せっかく助けてもらったのに、これはちょっと、詰んだかもしれない)
僕は少し、冒険というものをナメていたかもしれない。
士官学校に入学以来、様々な冒険をしてきて、その辺の冒険者より強くなったんじゃないかと
C組で一番の落ちこぼれなのに。
剣も、魔法も、何もかも、すべてが中途半端なのに。
今の突撃で、いったいどれだけの仲間が負傷したんだろう。
僕の判断ミスで。
怒り狂った
上位の冒険者っていう連中は、本当にこんなバケモノを相手にして、マトモにやり合えるのだろうか。
……だとしたら、僕に冒険者なんて、無理かもしれない。
せいぜい、爆笑王とか言われて、ヴァイリスやエスパダの人たちにからかわれる人生がお似合いなのかも……。
爆笑王。
爆笑王か……。
「ふ、ふ、ふふっ……」
「ま、まつおちゃん?!」
僕は、抱き上げてくれているジョセフィーヌの肩に手を置いて、よろよろと立ち上がった。
「笑えない……んだよ……。今の僕の……どこが爆笑王なんだ……」
視界を取り戻した
最上位の生物が、最弱の生物を見る目。
そうだ。
人間はおまえのような鋭い牙もなければ、立派な爪もない。
エルフのような知性も、ドワーフのような膂力も、ノームのような器用さもない。
そして僕は、そんな人間の中でもきっと最弱の存在だ。
でもな……。
追い詰められたら。
追い詰められた人間の怖さを、お前は知らない。
「お前に……見せてやるよ……。爆笑王と呼ばれた男の死に様をな……」
「し、死に様って……まつおちゃん!?」
僕は
「ま、まっちゃん!! あ、あんた、何してんの!!! に、逃げて!! 早く!!」
後ろからユキの声が聞こえる。
らしくない。
そんな悲鳴みたいな声を出さないでよ。
ちょっと、そのギャップ、ぐっと来ちゃうじゃん。
「へへ……」
自分の顔は自分ではわからないけど。
たぶん、アホみたいな顔でヘラヘラ笑っている気がする。
『アリサ、エレイン、聞こえているよね』
僕は
アリサもエレインも負傷しているかもしれないし、動けないかもしれないけれど、今は安否確認をしている時間はない。
『えっとね……、あ、だめだ、ちょっ……待っ』
僕は
肺をやられて大声はとても出せないけど、
きっと、骨折やら何やらで生命維持に魔力を使っているんだろう。
どうやら、ペラペラしゃべっている余裕はなさそうだ。
朦朧とする意識をなんとか集中させて、僕は二人に向かって、最低限のメッセージを送ろうとした。
だけど……。
「ごふっ!!!」
限界だった。
口から鮮血を吐いて、僕は生まれたての子鹿のように、足をガクガクと震わせる。
もう
そんな僕を確実に仕留めようと、
花京院の肩もないから、左腕はだらんとしていて、水晶龍の盾の閃光はもう使えない。
僕は、杖がわりにした
ふぅ。
……呼吸をするだけで全身に激痛が走るんだけど、それでも、整えないわけにはいかない。
「お前……ってさ、炎は無効……なんだっけ?」
僕は意識を集中させる。
大切なのは、イメージ。
「ふふ……、それじゃ……、ちょっと、試して……みようか」
僕は
小鳥遊の
僕に力は貸さない。
彼女はいつもそう言っていた。
観客が舞台に立つような、不粋な真似はしないと。
でも、僕は知っている。
彼女はいつだって、僕に力を貸してくれている。
なぜなら、彼女は、僕を愛しているから。
(アウローラ、よろしくね)
僕は心の中でそうつぶやいて、その魔法を強く意識する。
僕が唯一、マトモに使える、マトモじゃない攻撃魔法。
「ウン・コー!!!」
ゴッッ!!!!!
僕がそう叫んだ瞬間、「アウローラの目」から巨大な火球が
(い、いやいや……、僕はなんでこんな弱ってる時に、今までで一番すごい
……でも、いかに僕にとって最大火力の攻撃魔法とはいえ、士官学校で最初に教えられる初級の攻撃魔法だ。
しかも、相手は炎属性が一切通用しない
(……今、笑ったな?)
ほら、それが証拠に、僕の
僕の最後の攻撃を完全に受け止めてみせて、絶望と恐怖に歪む顔を見てから、殺すつもりなのだ。
バァァァァァンッ!!
僕が放った
当然ながら、
生涯一の大きさだった火球は、
……だが。
ダァァァァァン――ッ!!!!
シュルルルルルルルッ――バンッ!!!!!
ヒュゥゥゥゥゥゥッッ――バンッ!!!!!
次の瞬間、轟音と共に飛び出した青白く輝く一条の光が
「ッッッアアアアアアアアアアアッッ!!!!!!!!」
魔法石の効果でほとんど聞こえなくなっていた
「ふふ……、ゾフィアまで参加したんだね……。さすがだなぁ……」
だけど、照明弾代わりにはなる。
囮になって射程範囲ギリギリまで引きつけられたことにも気付かず、ヤツは傲慢にも、僕の
そして、まともに意思疎通ができなかったのに、アリサ、エレインだけでなく、ゾフィアまでがそんな僕の意図を察し、
「人間様と亜人様をナメてんじゃないぞ……ドラゴンふぜいが……」
大地に全身を委ねる心地よさと、
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