第二十八章「新学期」(3)


 毒島ぶすじま応援団のせいですっかり校内に知れ渡ってしまい、通りすがる生徒たちから「よっ、副会長!」とか言われながら教室に戻った。


 ……すっかり既成事実になってしまった。

 

 そんなこんなで教室の扉を開けると、ルッ君が僕の顔を見るなり、手に持っていた羊皮紙をサッと後ろ手に隠したので、僕は気付かないフリをして通り過ぎてから、くるっと振り返ってルッ君が持っていた羊皮紙を奪い取った。


「あっ、こらっ」


 慌てて取り返そうとするルッ君の手をひょい、とかわして、僕は文面を見た。


「モテ活サークル、新入生募集!!」

「冒険も人生もチャラ〜くイッちゃおうゼ!!」


 という字が大きく書かれているのを見て、僕は静かに羊皮紙をルッ君に返した。


「な、なんだよ……、黙って返すなよ……」

「いや、悪かったよ。……なんか、ごめんな」

「あやまんなよ!!!」


 ルッ君がそう言って机をガタン、と動かすと、投擲用ナイフが三本落ちてきた。

 ルッ君がいつも携帯している実用的な投擲ナイフよりもずっと安っぽく、無駄にキラキラ光っている。


「それ……何?」

「リンゴだよ」

「は?」


 意味不明のワードが出てきて、僕は思わず反応した。


「女の子が高いところにあるリンゴを取ろうとした時に、このナイフを投げてビシっと決めたらモテるんだってさ」

「今すぐ返してきなさい」

「い、いや、入部するならコレを買わなきゃいけないんだって」

「……なんちゅう悪質なサークルなんだ……」


 僕はガックリして、ルッ君の隣の椅子に座った。

 こいつは、今のうちにどうにかしなくてはならない。


「ルッ君、これは説教ではなくて、アドバイスだ。いいね?」

「うん」

「ルッ君は敏捷性も戦場での機転の効かせ方も、ウチのメンバーの中で群を抜いている。隠密作戦で僕が一番頼りにしているのはルッ君だ」

「面と向かってそう言われると、ちょっと照れるな」

「つまり、ルッ君は前髪の毛先を変に遊ばせたりしなくても、チャラくしなくても、普通にカッコいいわけ」

「前髪、やっぱ変かな? あんまり固めないでふわっとさせるのが流行りだって聞いたんだけど……」


 だからそういうとこなんだよ!

 とツッコミたいのをなんとか我慢して、僕は違う角度からアプローチしてみることにした。


「わかった。ルッ君の根本的な間違いを僕が教えてあげる」

「うん」

「高い木の上にあるリンゴを取ろうとしている女の子がいます。どうしますか?」

「そりゃ、取ってあげるだろ」

「はい、ブッブー!!! 絶対モテませんー!!」


 僕が手で、全力でバツを作ると、ルッ君が衝撃を受けたような顔をした。 


「ええー!! ダメなの!?」

「ダメです」

「そこから恋に発展したりとか……」

「しません」


 僕は断言した。


「昔はどうか知らないけど、女ってのは、ちょっとオシャレして小綺麗にすると、だいたいしょうもない男からいっぱい声を掛けられたりするわけ」

「……そりゃ、声を掛けられたいからオシャレするんだろ?」

「ハイ、ブッブッブー!!! マイナス500万点!!」

「なんだよー!」


 僕はバツを五回作ってルッ君の頭に突き刺した。


「女がオシャレするのは男の気を引くためっていう、そのモテなさすぎてひねくれたおっさんみたいな発想を今すぐ捨てないと、ルッ君もモテないおっさんになるぞ」

「捨てます。今すぐ捨てます!!」


 ルッ君が背筋を伸ばして宣言した。


「ほら、僕らも子供の頃にマントを付けたり、騎士の格好をして走り回ったりしたことあるだろ?」

「あったなぁ……。姉ちゃんに見つかると農夫の格好させられたけど」

「あれさ、誰かに見せるためにやったの?」

「ううん。自分が楽しいから……、あっ……」


 顔を上げたルッ君に、僕はにっこりと微笑んだ。


「自分の気分を上げるためにオシャレしてるのに、ぶっさいくな男から『もしかしてオレの気を引こうとしてるのか?』とか思われることのおぞましさを想像してみたまえ」

「……それはモテないわ。確かに」

「でしょう?! そりゃ、好きな男性のためにオシャレする子もいるだろうけど、そんな子も『おまえに見せるためじゃねーよ!!』って思うでしょ」

「たしかにそうだ」


 僕はうんうんとうなずいた。


「そんな中、女子ってのは、ルッ君みたいな、頭の中でおっぱいのことしか考えてないような奴からジロジロ見られたり、毒島ぶすじま先輩みたいなのから『うおおお惚れ申した!! ワシの味噌汁を毎日作ってくれい!!』とか言われる毎日を過ごしているわけだ」

「……オレのことは仕方ないと思うけど、毒島先輩のそれ、ひどくない?」

「でも、言いそうでしょ」

「言いそう……。女って、大変なんだな」


 大変なことはもっとあると思うんだけど、まぁ、とりあえずルッ君は一歩前進だ。


「そんな風にうんざりしている毎日の中でだよ? リンゴを取ろうとしたら、前髪の毛先を遊ばせた変な男が急にくそダサいナイフでリンゴを落として、ドヤ顔で近付いてきたら……」

「うわああああああ、やめてくれえええええ!!!」


 ルッ君が想像して、頭を抱え込んだ。


「逃げるんじゃない! ルクス!! 現実と向き合うんだ!!」


 僕は悪魔ばらいをするエクソシストのように、頭を抱えるルッ君に叫んだ。


「さっきから、あれ、何やってるの?」

「さぁ……」

 

 ……ユキとメルが呆れたようにこちらを見ていた。

 ジルベールは頬杖を付きながら、おもしろそうにこちらの話を聞いている。


「とりあえず、勝手にリンゴを取ってあげるのがイタいのはわかった」

「じゃ、どうする?」

「リンゴを取ってあげてもいいですかって聞けばいいのかな」

「はい、ぶっぶっぶー!!!! マイナス30点」

「やった、少し点数があがった」

「マイナスで喜ぶんじゃない!」


 嬉しそうにするルッ君にビシィっとデコピンを入れた。


「うーん……ジルベールならどうするんだ?」

「無視する」


 ルッ君の問いにジルベールが即答した。


「この答えはどうなんだ?」

「正解」

「正解なのかよ!?」


 ルッ君が立ち上がった。


「それじゃ、何も発展しないじゃないか!」

「そもそもリンゴ1つで何かを発展させようという発想がキモいのだよ、ルクス君」

「そ、そんな……」


 ルッ君がガックリと椅子に座り込むと、キラキラ光る安っぽい投擲用ナイフを大事そうに拾い上げた。


「じゃ、わかった。問題をちょっと変えよう。どうしても仲良くなりたい女の子が、高い木にあるリンゴを取ろうとしている。どうする?」

「うーん……ちょっと、時間をくれ……」


 ルッ君が腕を組んで、ものすごい哲学者のような表情で30秒ほど考え込んだ。

 

「ハシゴを持ってきてあげる」

「わははははははは!!!! いいぞ、ルッ君、少しわかってきたじゃないか」

「めっちゃ笑ってるじゃないかよ!!」


 ルッ君がツッコんだ。

 

「いや、悪くないと思う。控えめだけど誠意というか、思いやりを感じるし、押し付けがましくもない」

「じゃ、正解?!」

「うーん、でも、ルッ君がやると、スカートの中を覗き込むんじゃないかとか思われそうだから、50点かな」

「やった、だいぶ上がったぞ!! このナイフ返品してハシゴ買ってくる」

「そのためにハシゴを買っておくのはキモすぎるだろ!! マイナス1000点!!」 

「ぎええええ」


「よくわからないけど、すっごく楽しそうよね」

「うん。でも、私達が交ざらない方がいいみたい」


 アリサとメルの声が聞こえた。


「もうわかった。降参だよ、降参。答えを教えてくれ!」

「これはあくまで僕の答えだから、正しいかどうかまではわかんないよ? ルッ君の間違いはすぐにわかるけど」

「それでいいから、教えてくれ!」


 すがるように言うルッ君に、僕は答えた。


「正解は、『こんにちは』と言う、だよ」

「へ?」


 僕の答えに、ルッ君は拍子抜けしたような顔をした。


「なんだよ、そのガッカリした顔は」

「いや、もっとないのかよ、こう、一発で意中の女の子を惚れさすような……」

「そんなものは、ない」


 僕はキッパリと言った。


「ええっ、一目惚れとか言うじゃん!! ビビッとくるやつとかさぁ!」

「そういうのは、意識しないで突然起こるものでしょ。最初からそれに期待している時点で負けなのだよ」

「ぐっ……」

「そもそもさ、リンゴをカッコつけて取ったぐらいで簡単に惚れちゃうような女の子が、ルッ君の意中の女性なわけ?」

「ぐぐっ……、せ、正論が痛い……」


 よろよろするルッ君に、僕は言った。


「仲良くなりたいなら、まずは『こんにちは』からだよ」

「こんにちは……」

「……いまいち納得してないみたいだね。じゃ、ルッ君女の子役やって。僕が男の子役やるから」


 僕はルッ君を立ち上がらせて、木の上を見上げるしぐさをさせた。


「何か始めたわよ……」

「本当に楽しそう……」


 周りに見られているのはちょっと恥ずかしいけど、ルッ君を思春期の迷宮から解放するために、僕は決意を固めた。


「こんにちはー」

「あ、こ、こんにちは……」


 ルッ君が声色を変えて返事をした。

 気持ち悪くて笑ってしまいそうになったけど、必死に我慢する。


「あー、美味しそうなリンゴ!」

「そ、そうなんです……でも、取れなくて……」

「リンゴ、すきなの?」

「は、はい……、アップルパイとか、タルトが好きで……」


 ルッ君もなかなか頑張ってる。

 こら、閣下、椅子にしがみついて笑い転げてるんじゃない。


「美味しいよね―! あ、エミーおばさんのお店知ってる?」

「知らないです……」

「学校からすぐのところにあるお店なんだけどねー、そこの焼きリンゴのカスタードタルトがすっごく美味しいんだよー」

「へぇー、カスタードなんですか?」

「そう! もしかして苦手?」

「ううん、大好きです」

「じゃあ、もしよかったら、今から一緒に行かない? 僕もちょうど行くところだったんだ」

「え、で、でも……」


 そこでルッ君がもじもじし始めて、僕は笑い出しそうになるのを必死にこらえた。

 7秒待っても、ルッ君の「でも……」から先が続かなかったので、僕は会話を続けた。 


「あ、そうだよね。ごめんね。つい、いきなり誘っちゃったりして」

「う、ううん、そうじゃなくて。今日はこの後、用事があって……」

「じゃー、今度一緒に行く?」

「うん」

「やった。約束だよー? また声をかけさせてね!」

「うん!」

「ハイ、終了〜」


 僕が終了宣言すると、ルッ君がぽかーんと口を開けていた。

 ……後ろではメル、アリサ、ユキとジルベールが笑い転げていた。


「あ、あの……先生」

「なんだね、ルクス君」

「リンゴ……取ってないんですけど……」


 唖然とするルッ君に、僕は答えた。


「うん。女の子と話をしてみて、リンゴの重要度が『ただ好きだから』レベルだってことがわかったでしょ。だったら取ってあげて『しばらくリンゴはいらないかな』って思われるよりは、おいしいリンゴ料理の食べられるお店に連れて行ったほうがよくない?」

「お、お前は神か……」

「で、女の子がいなくなったら、高枝切りバサミでリンゴを取っておいて、次のデートが終わった時にプレゼント、みたいな感じにしたらほら……」

「抱けるじゃん!!」

「抱けねーよ!!!」


 興奮したルッ君に、僕は思わずツッコんだ。


「いや、抱けるよ! だって、今話してて、オレ、ちょっと好きになりかけたもん」

「気持ち悪いことを言うなよ……、ほら、閣下も笑ってないで何か言ってあげて」


 僕はハンカチで涙を拭いているジルベールに声を掛けた。


「まずは惚れるような女を見つけることだな。そうすれば、その女の気持ちを考えるようになる」

「それで言ったら、オレはこの学校のすべての女子に惚れてるんだが……」


 僕とジルベールは同時に椅子からずり落ちた。


「卿よりスケールのでかい奴がいたとはな……」

「一緒にするなと全力で言いたいんだけど、なぜか大きな声で言えない……」


 ともかく、ルッ君は僕とジルベール立ち会いの下でキラキラ光る投擲用ナイフセットを無事上級生に返品し、「モテ活サークル」への加入をきっぱりと断ることができた。


 それからしばらくは、「冒険も人生もチャラ〜くイッちゃおうゼ!!」が僕たちの流行ワードになったということを、付け加えておく。

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