第二十八章「新学期」(4)


「ねぇ」

「うーん……」


 羽毛布団がようやく暖かくなってきたところなのに、誰かが僕を揺さぶっている。

 誰だろう……。


「ねぇってば」

「もう少し、今ちょうど、いい感じなんだ……」

「次の授業が始まっちゃうでしょ!!」


 ドカッ!!


「い、痛でぇっ!!!!!」


 筋肉痛でズキズキしているふくらはぎに強烈な蹴りが入って、僕は思わず飛び起きた。


「あーあーあーあーあ、せっかく! せっかく筋肉痛にいい姿勢を見つけたと思ったのに!」

「アホ! 教室に羽毛布団敷いて寝る奴がどこにいるのよ!!」


 恨みがましく見上げる僕を、ユキがまるで虫けらでも見るように見下ろした。


「し、仕方ないだろ! 寝ても起きても立っても座っても筋肉痛で苦しいんだよー」

「だったら学校休めばいいでしょ!」

「だからぁ、家で寝ててもしんどいんだよぅ……。まだ学校でルッ君をからかってる方が気が紛れるというか……」

「オレはお前の湿布薬か!」


 ルッ君が何かを丸めて僕に投げつけた。


「走って二日後に筋肉痛って……、アンタの身体、おじいちゃんなんじゃないの?」

「メルー、ユキが僕のことおじいちゃんって言うー」

「はいはい、おじいちゃん、もうすぐ次の授業ですよ」


 メルがそう言って、アリサがくすくすと笑った。


「キムってさ、ムキムキじゃん。キムキムキじゃん」

「……名前とムキムキをくっつけんな。何だよ?」


 僕はユキと羽毛布団を取り合いながら、キムに話を振った。


「筋肉痛になった時って、どうしてんの?」

「あのな、ベル。筋肉痛ってのはな、筋肉が傷ついた筋繊維を修復している時に起こるんだ。超回復っつって、修復した時に元より筋肉がつくんだよ」

「そのぐらいは僕でも知ってるけど……」

「だからさ、オレは筋肉痛になったらテンションが上がるんだよ。ああ、オレの筋肉がさらにパワーアップしたってな」


 キムが腕をムキムキっとさせて爽やかに笑った。


「うわぁ……、こんな痛いのでテンションが上がるとか変態だな」

「お前もオレや花京院と一緒にムキムキマッチョになろうぜ?」


 キムがそう言って花京院と肩を組むと、花京院がムキムキポーズを取って、ニッ、と笑った。


「いやぁ〜ん!! まつおちゃんがムキムキだなんて! ス・テ・キ!! 童顔マッチョは男にモテるのよぉ〜!!」

「モテてどうするの! 僕はもっと、三人みたいなムキムキじゃなくて、ユキとかゾフィアみたいな感じがいい」


 僕がそう言うと、名指ししたゾフィアが恥ずかしそうに鼻をこすった。


「殿にそう言ってもらえるのは嬉しいのだが……、私はメル殿のような身体が羨ましい。あれだけの剣技を持ち、すばらしい体幹を持ちながら、実に女らしい、柔らかくてしなやかな身体をしている」

「私もそう思う! メルはズルい!」


 ユキがゾフィアに同調した。


「私はアリサやミスティ先輩みたいに、出るところは出て、引っ込んでるところは引っ込んでる感じが羨ましいかな」

「あー、それもわかるー!!」


 メルの言葉に、ユキが反応し、ゾフィアがうんうんとうなずいた。


「出る……ところ……」


 思春期の迷宮の出口近くでまだ軽くさまよってるルッ君が小さく呟いた。


 そこからは女子たちが女子の体型トークで盛り上がり始めたので、僕はさりげなくユキから羽毛布団を奪い返して、蓑虫みのむしのように丸まった。


 そういえば、キムが僕のことをいつの間にかベルと呼んでいたし、メルもアリサって呼んでたな。

 こうやっていつのまにかみんなの呼び名が変わっていくのって、ちょっといいよね。


 そんなことを考えながら、次の授業のことも忘れて、本格的に寝に入ろうとした僕の頭に、グサっと何かが突き刺さった。


 ルッ君がさっき僕に丸めて投げつけた羊皮紙だ。

 ……まったく、羊皮紙は貴重な資源なんだぞ。

 

 これから始まる至福のひとときを妨害された僕は、なんとなくその羊皮紙を広げてみた。


絢爛舞闘祭けんらんぶとうさい? なんじゃこりゃ」


 僕は広げた羊皮紙をくしゃくしゃと丸め直して、後ろを向いているルッ君の頭に投げ返した。


「いてっ」

「「「「「「「は?」」」」」」」


 それまで楽しくワイワイ騒いでいたクラスのみんなが、僕の一言に唖然として振り返った。


「え、えっと……、まさかとは思うんだけど、一応、聞いておくね」


 ユキが羽毛布団にくるまった僕に向かって、ためらうようにしながら言った。


「もしかして、絢爛舞闘祭けんらんぶとうさいをご存じない?」

「やだなぁ、僕だってそのぐらい知ってるよ。貴族が素っ裸で殴り合うやつでしょ」

「全然違うわよ!! っていうか何と間違えてるのよ!!」


 ユキが猛烈なツッコミと共に羽毛布団を僕からひん剥いて、あろうことか教室の窓から投げ捨てた。


「あああああー!!! 僕の羽毛布団があああああっ!!!」


 ひらひらと舞いながらグラウンドに落ちていく羽毛布団に手を伸ばす僕を、ユキがずるずると引きずっていった。


「な、なんてことするんだ……。わざわざ家から持ってきたんだぞ……」

「あのね、新学期になって絢爛舞闘祭を知らないアンタのために、私はこんなおせっかいを焼いてあげてるんだからね!」

「い、いや、だからって、羽毛布団を捨てなくても……」


 問答無用でユキは僕を椅子に座らせて、黒板にチョークで絢爛舞闘祭けんらんぶとうさいと大きく書いた。


「いい? 若獅子祭は『将』、つまり、指揮官としての力量を競うための戦いよ。でも、絢爛舞闘祭けんらんぶとうさいは『武と美』、つまり、ペアとペアの武勇を競う戦いなの。最優秀選手には絢爛舞闘の称号が、各部門の受賞ペアにも別の称号が得られる。若獅子と並んで栄誉ある称号よ」

「なるほど。じゃ、僕には関係ないね……」

「ところが、そうでもないんだ、ベル」


 ヴェンツェルがくい、とノンフレームの眼鏡を押し上げながら言った。


「絢爛舞踏祭への参加は、単位に直結する。団体競技である若獅子祭と違って個人競技だからな。その成績は、かなり露骨に単位に反映されるんだ」

「げっ……」


 それって、つまり、僕にとっては……。


「……私が羽毛布団を投げ捨てた意味がわかった? ウンコみたいな成績のアンタが初戦で負けたりなんかしたら、落第決定なのよ!」

「ウンコって言うな。僕だって一生懸命やってるんだぞ!」


 僕は反抗期の子供みたいにユキに反論した。


「私は、今の卿ならじゅうぶん絢爛舞闘を狙えると思うがな」

「私もそう思う」


 ジルベールとメルが言った。

 いやいや、この二人は親バカだからな。信じられない。


「殿、私もそう思うぞ!」


 ゾフィアが言った。

 ゾフィアは僕を元帥閣下レベルの人だと勘違いしているところがあるからな。信じられない。


「オレもオレも!! アウローラに手伝ってもらえばいいじゃん」


 花京院が言った。

 花京院はアホだからな。しかもアウローラを消しゴムみたいに気軽に使えると思ってる。


「いやいや、さすがに無理だろ。だって、ぷっ、コイツが絢爛舞闘だぞ?」


 ルッ君が言った。

 そう、それが正しい反応だ。

 なんかちょっと腹立つけど。


「でもぉ、まつおちゃんも入学の頃よりはすっごく強くなったし、いつもここぞって時にはキメちゃうオトコでしょ?」

「たしかにな。入学直後の実地試験ではあまりに倒せなさすぎて、疲れ果てた相手のゴブリンが泣きそうになりながら戦ってたもんな」


 せっかくジョセフィーヌがいいことを言ってくれたのに、キムが当時のことを思い出してげらげら笑った。


「単位を取るだけなら、何も絢爛舞闘を取らなくても、そこそこいい成績だったら大丈夫なんじゃない?」

「おお、さすがアリサ!! 現実的で建設的で、クール!!」


 絶賛されて少し素で恥ずかしそうにしているアリサと僕を、ユキがビシィ、と指差した。


「そこ!! 甘い!! 甘いわ!! リヒタルゼンの特盛おしるこパフェぐらい甘いわっ!!」

「激甘じゃん……」


 僕はテレサに無理やり食べさせられたジェルディクの甘味処のメニューを思い出して、胸焼けを起こしそうになった。

 もともと甘い物はけっこう好きだったのに、あれからしばらく、身体が甘いものを受け付けなくなったぐらいだ。


「その様子だと、アリサも絢爛舞闘祭について正しく把握できていなかったようね。 いい? 私はさっき『ペア』と言いました」

「は、はい」


 ユキが先生のような口調になったので、アリサが思わず生徒のように返事をする。

 

「絢爛舞闘祭は、ただの試合じゃないの。ペアでダンスをしながら戦うのよ!」

「はい?」


 僕は言っている意味がわからず、首をかしげた。


「ダンスだから、動きが止まったり、ぎこちない動きをしたら減点なの。常に優雅に動き続けて、美しい動きと剣技で勝利を掴む。そういう戦いなの」

「……そんなの僕、絶対ムリじゃん。戦いの途中ですっころんだり、ウン・コーとか詠唱したら絶対減点しまくりじゃん!!」

「だーかーら、今のうちからちゃんと問題を認識して、傾向と対策を練っておきなさいって言ってんの!! そういうの得意でしょ!! 悪巧みだけでやってきてるんだから!」

「わ、悪巧みって……」


 ユキのひどい言われように、僕はしょんぼりした。


「だいたい、そんな試合で悪巧みなんてしようがないでしょ。せいぜい、他の参加者全員に薬を盛って、下痢が止まらなくさせるとか……」


 僕がそういうと、クラスメイトの顔色がさっと青くなった。


「い、いやいや!!! 冗談だから!! なんでみんな本気にするの!?」

「お前の素行が悪すぎるからだろ……。いいか、俺には絶対やるなよ?」

「やらねーよ!! 僕だってさすがに、そこまでのことをしたことないだろー!」


 ビビりまくるキムに僕は抗議する。


 っていうか、もう授業の時間じゃないのか?

 そう思って廊下をちらっと見ると、メッコリン先生が廊下でにやにや笑いながらユキの講習の様子を眺めていた。


(いやいや、先生、笑ってないで授業やろうよ……)


「ベルって、ダンスは踊れるの?」


 アリサが尋ねた。


「い、いや……まったく……」


 ついこの間まで平民で、宮中の作法についてアルフォンス宰相閣下から未だにこっぴどく叱られる僕が、ダンスなんてできるわけがなかった。


「実際、冒険者志望の生徒で踊れない生徒はたくさんいるから、若獅子祭と違って、絢爛舞闘祭には不参加の生徒もたくさんいるの。私もそういうの苦手だし恥ずかしいから出ない。でも、アンタは不参加だとまず間違いなく落第でしょ?」

「……た、たしかに……」


 僕は完全にうなだれた。

 せっかく魔法学院の学期休暇特別講習で魔法科の単位を乗り切ったというのに、またしても落第の危機が迫っていようとは……。


「いい? 絢爛舞闘祭があるのはずっと先だから、アンタが今学期で落第にならないために、今のうちにしておくことは3つよ!」


 ユキが先生のように話しながら、黒板にチョークで書き始めた。


「1つは、今のうちにダンスを覚えておくこと」


 いきなりハードルが高い……。


「2つ目が、3人のパートナーを作っておくこと。スタンダードとエスパダスタイル、どちらかに必ず1人のパートナーは必要よ、それから……」

「ま、待って、えすぱだなんちゃら? ご、ごめん、全然頭に入ってこない……」

「だったら、とりあえずメモを取る!!」

「は、はい……」


 ユキ先生に言われて、僕は慌ててペンを取り出した。


「3つ目が、そのパートナーと練習をしておくこと!! わかったわね!!」

「は、はい……わかりました……」


 ベルゲングリューン城とクラン城の管理に、ベルゲングリューン市の開拓に、城内商店街の計画とベルゲングリューン市開拓事業推進ギルドの本格立ち上げ。あとは魔法学院にも顔を出さなきゃいけないし、ヒルデガルド生徒会長肝いりの士官学校ギルドの運営に、クラン運営に……、あ、ダメだ……ぶっ倒れそう。


 くらくら、とよろめきながら、僕はふと、ルッ君の後頭部に投げ返した羊皮紙が、床に落ちたままになっていることに気付いた。


「そういえば、ルッ君ってなんで絢爛舞闘祭の告知をくしゃくしゃに丸めてたの? ユキの話だと、けっこう大事なイベントみたいだけど……」

「……そんなの、決まってんだろ……」

「え?」


 ルッ君が丸めた羊皮紙を拾い上げて、もう一度僕にぶん投げた。


「一緒に踊ってくれる女の子がいないからだよ!!」


 一緒に踊ってくれる女の子がいないからだよ!!

 一緒に踊ってくれる女の子がいないからだよ!!

 一緒に踊ってくれる女の子がいないからだよ!!


 メッコリン先生が教室の扉を半開きにしていたせいで、ルッ君の魂の叫びが廊下の端まで響き渡った。

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