第二十九章「士官学校ギルド」(1)


「ベル、この資料の見方がわからないんだが……」

「あ、それはね、こっちの資料と合わせるんだよ。ほら、こうやって」

「なるほど。わかりやすくまとめたな」

「でしょ」


 生徒会室のテーブルの上で資料を広げて、僕はヴェンツェルに説明した。

 ヴェンツェルは僕の指名で、副会長補佐に任命されたのだ。

 そんな僕たちの様子を見ながら、生徒会執行委員の女子たちがヒソヒソと話をしている。


「なんか、絵になるわよね……、あの二人」

「っていうか、ヴェンツェル君、ちょっとベルゲングリューン伯にくっつきすぎじゃない?」

「あの首輪みたいなチョーカー、伯のプレゼントらしいわよ」

「……デキてるわね、あの二人」

「デキてるわね」

「デキてねーよ!!!」


 僕は思わず女子連中にツッコんだ。

 ヴェンツェルは近眼で背が低いから、こうしないとよく見えないんだよ……。


 校舎に生徒会室があるということすら初めて知ったのだけれど、こんなに豪華な作りだとは思わなかった。

 調度品といい、テーブルに広げられた焼き菓子といい、ちょっとした貴族のサロンのようだ。


「それにしても、この短期間で実行予算書をここまでまとめあげるとは……。君の知勇は若獅子祭で見せてもらったが、冒険者にするのが惜しい逸材だな、君は」

「ドミニク。私の祖父のようなことを言わないでもらいたい」


 ヒルデガルド生徒会長こと、ヒルデガルド・フォン・アイヒベルガー伯爵令嬢。ヒルダ先輩が、生徒会会計で二年生のドミニク先輩に言った。

 ドミニク先輩はキムよりも長身で、ヴァイリスでは珍しい褐色の肌。エレインをさらに濃くした感じの肌の色をしていて、スキンヘッドにメタルフレームの眼鏡をかけている。

 ガンツさんのスキンヘッドはただのハゲって感じなのに、ドミニク先輩の場合は、同じ髪型なのに漂う雰囲気や眼鏡の印象からか、やり手の投資家か若手の実業家社長のような知性を感じる。


「しかし、ドミニクの言う通りだ。指名した私も貴様がこれほどの候補地をここまでの精度で、これだけの短期間で揃えてくるとは思いもしなかった」

「いえ、驚いたのは僕の方です。……僕みたいなよくわからないのが急に生徒会に入って、皆さん嫌じゃないんですか?」

「嫌、というのは、具体的にはどういうことでしょうか?」


 生徒会書記のグリーンヒル先輩が尋ねた。

 ふんわりしたボブカットに大きな丸メガネをかけた、物静かな三年生女子。

 ヒルダ先輩とは幼年時代からの友人らしい。


「うーん、そうですね、ヒルダ先輩にいいところを見せたい有名貴族のおぼっちゃんがすんごい噛み付いてきて、『こんなどこの馬の骨ともわからん奴にそんな大任を任せるなどありえない!』『僕と決闘しろ!』とか言い始めたり、ニコニコ笑いながら雑巾を絞ったお茶を出されたり、そういうめんどくさい展開をわりと覚悟していたんですが……。その、皆さん、とてもお優しいので……」


 僕がそう言うと、生徒会の執行委員たちがくすくすと笑った。

 グリーンヒル先輩も同じくにっこり笑いながら、ゆっくりした口調で話した。


「貴方の疑問に一つずつ答えると、まず、ヒルデガルド生徒会長はそういう輩はすぐに見抜いて生徒会に入れないか、ご指導なさいます」

「し、指導……」


 「氷の女帝」の指導と聞いて、僕は背筋がうすら寒くなるのを感じた。


「ドミニクも昔は随分私に噛み付いたものだったな」

「やめてください会長……。『会計であるお前に優秀さなど求めていない。有能であれ』と言われた日のことを、今でも思い出します……」


 むちゃくちゃ優秀そうなドミニク先輩にこの人はそんなことを言ったのか……。


「それともう一つ」


 書記のグリーンヒル先輩が言葉を続ける。


「さっき、貴方は『僕みたいなよくわからないのが』とおっしゃいましたが、私達にとって、あなたは『よくわからない人』ではありません」


 書記はそう言うと、書記専用の高級そうなマホガニー製の机の引き出しから、どっさりと書類を取り出した。


「げっ、イグニア新聞……うわっ、爆笑伯爵ベルゲンくんまで……」

「イグニア新聞の最新号はお読みになりましたか? クラン戦の様子が事細かに描かれていましたよ。ふふ……、なかなかの策士ですね君は。いや、策士というよりは、奸智に長けた老政治家みたい」

「会長は、若獅子戦終了の時点で、君の生徒会入りを我々に打診されていたのだ。だから、私たちは君のことを事前に、徹底的に調べ上げていたんだよ」


 ドミニクさんがそう言って、周りの執行委員がうんうんとうなずいた。

 すごいな……、政府の諜報機関みたいだ。


「この漫画を読んで、よく僕を採用しようと思いましたね……」


 僕はベルゲンくんをぱらぱらとめくりながら、げんなりとした顔で言った。


 鼻水を垂らしまくったアホみたいな顔をした伯爵が、「ウン・コー!」って叫んで士官学校がボヤ騒ぎになって、先生たちが追いかけたら、「こうすれば問題ないもんねー!」とか言って、オシッコをしながら逃げ回って火を消していくという、むちゃくちゃなストーリーだった。


 担当編集のメアリーと関係構築できたので、少しは作品に手心を加えてもらえるかと思ったけど、まったくそんなことはなかった。


 ……むしろ、イグニア新聞で書けないようなエピソードをちゃっかり漫画に盛り込んでいやがる。

 あきらかに「ユリシール殿」をモチーフにしたキャラクターがバリバリと放電しながら「天罰じゃー!!」と叫んで敵陣に突っ込んでいくシーンを見て、僕は漫画をそっと閉じた。


「この漫画も我々は分析した」

「分析したんかい!」


 ドミニク先輩に僕は思わずツッコんでしまった。


「グリーンヒル先輩の見立てでは、最近のイグニア新聞の記事は情報の層が厚く、憶測によるものが極端に減ってきているので、これはおそらく、ベルゲングリューン伯と深く関わりのある番記者ができたのだろう、ということだった」


(やべぇ……、おとなしいのにめちゃくちゃ鋭いな、グリーンヒル先輩)


 僕は動揺を悟られないよう、書記のグリーンヒル先輩の方を見ずに苦笑した。


「調べたところ、イグニア新聞の君の記事と、その漫画の担当編集は同じ記者だ。……となると、普通は相手側が気を使って作品にも手心が加わる。だんだんプロパガンダのようになっていくものだ」

「プロパガンダ?」

「特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為の事です」


 グリーンヒル先輩が教えてくれた。


「例えば、ベルゲンくんが急にマトモなことを言い始め、自分の政敵やライバルのことをさも悪い人物であるように描写して、登場人物が皆、ベルゲンくんのことを称賛するような内容になったら、それはプロパガンダ漫画の要素が強くなるだろうね」

「そんな漫画……誰も読まないでしょう……」

「でも、信奉者が書く話というのは、得てしてそうなるものだ」


 ドミニク先輩がメタルフレームの眼鏡を押し上げた。

 眼鏡のフレームと頭がキラーン、と光る。


「だが、爆笑伯爵ベルゲンくんの作風は依然変わらず、彼は今週も鼻水を垂らし、先生に追いかけ回されている」

「あんなクソいまいましい漫画、本当だったら僕のウン・コーで燃やし尽くしたいところなんですけどね……」


 街を歩いていると子供たちから、「あ、うんこ伯爵だー!!」って言われる僕の気分を、作者とメアリーにも味あわせてやりたい。


「でも、実際にそれができる立場にありながら、あえてそうしないところに、我々は君の気風や在り方のようなものを感じたのだよ。そんな人物こそ、会長を支える人間にふさわしいとね」

「はぁ……、それは、ありがとうございます」


 隣でベルゲンくんをこっそり読んで笑っているヴェンツェルを肘で小突きながら、僕は言った。


「よし、それでは、そろそろ本題に入ろうか」


 ヒルダ先輩の一言で、執行委員たちがテーブルに集結する。


「ベル、頼む」


 ヒルダ先輩に言われて、僕は説明を開始した。


「冒険者ギルド イグニア第二支部の資料によると、この5つの古代迷宮は冒険者たちによって全階層が探索済。魔物も低級モンスターばかりで、冒険者は寄り付かないんだそうですが、近年、いずれも溢れかえったモンスターたちが街道まで出没するようになって、少し問題になっています」


 僕はテーブルに資料を広げた。

 イグニア第二支部の資料から僕が主要部分をまとめて、羊皮紙に書き写したものだ。


「なるほど。古代迷宮は無尽蔵に魔物モンスターが発生するから、低級モンスターばかりということであれば、士官学校ギルドのクエストには適しているな。地域貢献にもなるし、王国からの援助も受けやすい」


 ヒルダ先輩がうなずいた。


「ただ、古代迷宮の謎は解明されておらず、低級ダンジョンでも想定外イレギュラーの事態も予測される。そういう時の対応もマニュアル化すべきだろうな」


 ヴェンツェルが生徒会メンバーに物怖じすることなく意見を述べ、周囲がそれにうなずいた。


「あと、こちらが、クエストに同行する教導冒険者の候補です。全員、すでに契約の意志を確認済です」


 僕は羊皮紙を置いた。


「たった数日でここまでの段取りを組んだ君の手腕には驚かされるばかりだが……、大丈夫なのか? 青銅星ブロンズスター冒険者というのは、下から二番目なんだろう?」


 ドミニク先輩が僕に言った。


「そのリストにあるガンツさんは、先日の僕のクラン戦でも金星ゴールドスター冒険者相手に猛戦して生き残ったような人物です。能力は必ずしも、ランクとは合致しません」

金星ゴールドスター冒険者相手に……?」


 目を丸くするドミニク先輩に、僕はうなずいた。


「彼のご家庭は子沢山で、つい先日、奥様がご出産されたばかりです。命知らずな冒険者はたくさんいますが、彼は十分な能力がありながら、冒険者としての名誉よりあえて安全な任務を選び、『生き残る』ことを重視した冒険者なのです」


 僕はドミニクさんだけでなく、執行委員全員に聞こえるように言った。

 ちなみに、ガンツさんに教導冒険者の話を持ちかけた時の喜びようはものすごくて、これで安定収入が入ると泣いて僕に抱きついてきたぐらいだった。


「こちらとしても、何より「生存」に重きを置くガンツさんやその仲間たちの冒険者としての在り方は、冒険者としてのランクよりもはるかに、士官学校の教導冒険者としての資質として重要だと考えています」

「貴様の言う通りだ。100%安全な冒険など有り得ぬ以上、その安全マージンの取り方は教導冒険者の判断にかかっている。しかも士官学校クエストでの指導経験があり、貴様の信望が厚い人物となれば尚更だ」


 ヒルダ先輩がそう言うと、執行委員も納得したようにうなずいた。


 グリーンヒル先輩は顔を上げ、僕たちの話を聞きながら、下を向かずに議事録を書き、ドミニク先輩は僕の試算書を見ながら自分で何かを計算している。

 他の執行委員もそれぞれで何かを話し合い、必要になるものをリストアップして書き留めている。


 ……なんというか、無駄がない。

 すべての取り決めや事務処理が自主的かつ迅速で機能的で、ヒルダ先輩の人選力と指導力の高さを伺わせた。

 

「クエストの参加人員はどのくらいが適当だろうか」

「迷宮の通路の広さから考えて、5つとも教導冒険者を除く6〜8人程度でしょうね」

「わかっていたことだが、貴様に任せて良かった。私の質問に全て即答が返ってくるのはとても心地よい」


 ヒルダ先輩がそう言って、僕の髪をふわっと触った。

 それがとても珍しいことなのか、生徒会執行委員達が全員目を丸くした。


「あとは下見だな。どの迷宮も、初回は我々が足を踏み入れるべきだろうな」

「その通りです。長らく手つかずだったので、情報はどれも数年前のものですし、一部の古代迷宮はその作りを変化させることもありますから」

「そのガンツ氏は、今はどちらに?」

「僕の屋敷で、リザーディアンと囲碁を打つって言ってました」

「よし。では行こう」

「は?」


 ヒルダ先輩の言っていることがわからず、僕は思わす変な声を出した。

 いや、言っていることはわかるんだけど、正気を疑った。


「行くって、……もしかして今からですか?」

「そうだ。善は急げと言うだろう?」

「行ってどうするんです?」

「こちらの古代迷宮は貴様の城の近くにある。たしかベルゲングリューン市の領内だろう?」


 ヒルダ先輩が羊皮紙の一つを指差して言った。

 たしかにその古代遺跡は、旧アルミノ荒野、現ベルゲングリューン市のはずれにあった。


「ええ、そうですけど……、まさか……」

「そのまさかだ。貴様の仲間と私、ガンツ氏で今から行こう」


 い、いや、そんなピクニックに行こうみたいなノリで古代迷宮に行くとか……。


「おわかりだと思うんですけど、古代迷宮の探索となると、資材調達だけでも……」


 ヒルダ先輩は僕のその問いには答えず、ドミニク先輩に目で合図をした。

 ドミニク先輩は生徒会室の奥にある扉まで歩いて、僕に中を見てみろというジェスチャーをした。


 僕はドミニク先輩に言われるまま、隣室のドアを開ける。


「こ、これは……」

「我が生徒会を甘く見てもらっては困るぞ。副会長」


 隣室は倉庫になっていた。

 いや、倉庫というか、資材保管庫という言い方が近いだろうか。


 壁にはキレイに磨かれた剣や槍、斧、盾や両手杖などが並べられ、ロープや携帯食料、燃料、テントや寝袋、防寒着や登攀とはん用具など、さまざまな冒険用品が所狭しと、だがミヤザワくんばりにキチンと整頓されていた。


「出発は今日でいいな?」

「は、はい……」


 ダークグレーアッシュの髪を揺らしながら告げる女帝の言葉に、僕はうなずくしかなかった。 

 こうして、僕たちの冒険行がまたしても唐突に始まったのだった。

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