第十九章「級長会議」(1)
1
廊下で真ジルベールとすれ違った。
「さっき君たちのクラスの連中とすれ違ったんだが、大丈夫かい? 皆、顔色が優れないようだったが」
「あ、そう」
僕は口元を手で隠しながら、真ジルベールにそれだけ答えてその場を通り過ぎようとするが、真ジルベールが薄ら笑いを浮かべてその道をふさぐ。
「おや? どうやら君のほうが具合が悪そうだ……。大丈夫かい? 医務室に行ったほうが良いんじゃないか? もっとも、はたして君の症状が
もう我慢できない。
僕は真ジルベールを押しのけて、勝ち誇る彼の嘲笑を背中に受けながら廊下の曲がり角に駆け込んだ。
「ぷはっ、はぁっ、はぁっ……」
必死に口元を押さえていた手を離して、僕は深呼吸をした。
「アホが。……みんな二日酔いで顔色が悪いんだよ」
必死に口元を押さえていたのは具合が悪かったからじゃない。
大公の魔法毒で弱っているはずの僕の息がお酒くさいのがバレたらまずいからだ。
「ええっと、会議室ってどこだっけ」
士官学校入学以来、校舎の中で普段あまり通らないエリアをきょろきょろしながら、僕は目的地を探した。
「遅れて登場か、ベルゲングリューン伯」
会議室に入るなり、円卓に座っているノンフレームの眼鏡をかけた生徒が、僕に言った。
女の子みたいにふわふわの栗毛で、顔も女の子みたいだし、声も女の子っぽいけど、どうやら男の子らしい。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと道に迷っちゃって。で、君、かわいいね。誰だっけ」
僕が椅子に座りながら軽くジャブを入れると、他にいた3人のうち2人の生徒がぷっ、と笑って、ノンフレームの眼鏡くんの顔が少し紅潮した。
照れているわけじゃなくて、どうやら怒ったみたいだ。
そんな彼に代わって、1人だけ笑わなかった人の良さそうな小太りの生徒が、このタイミングで朗らかに笑いながら立ち上がった。
「ハハハ、君は有名人だもんな! みんなが君のことを知ってるのに、君が僕たちを知らないってのはちょっと不公平だから、今から紹介するね?」
僕にそう言って、にっこり笑いながら周りを見渡すと、彼は紹介を始めた。
「僕はE組級長のトーマス。君が『誰だっけ』って言った人がB組級長のヴェンツェル子爵。その隣の美人がD組級長のアデールで……」
楽しそうに紹介を始めていたE組級長トーマスだったが、D組級長のアデールと呼ばれた生徒が「ちょっといいかしら」と彼の紹介を中断させた。
「なぜ女の私を紹介する時だけ『美人』を付けるのかしら。それって女をバカにしてると思わない?」
「え、えっと……、ごめん、でも、悪気があったわけじゃ」
「悪気がないのが問題なんだってことがわからないところがあなたの一番の問題だってことを認識すべきだと思うわ」
「ご、ごめん」
アデールに容赦なく指摘されて、あんなに朗らかだったトーマスがしおしおになって黙り込んだ。
「おいおい、オレは紹介してくれないのか?」
円卓の上に足をぞんざいに置いている生徒が苦笑しながら言った。
身長の高さはキム以上だろうか。かなり身体が大きくガッシリしているけど、スタイルはいい。
きりっとした眉や切れ長の目、すっと通った鼻筋は、イケメンに分類して間違いないんだろうけど、ワイルドすぎるというか、凶暴さが顔からにじみでているような雰囲気だ。
「F組級長のリョーマだ。級長なんてなるつもりはなかったんだが、クラスの連中を全員シメたらオレってことになっちまった。アンタには前から興味があった。よろしく頼むぜ、爆笑王」
「僕が爆笑王なら、君は爆走王って感じだね。よろしく」
「へぇ……、笑いだけじゃなく売ったケンカの買い方も一流ってわけか。おもしれぇ」
リョーマはヴェンツェルのように怒りで顔を赤くすることもなく、ただ面白そうに笑った。
気に入ったのか、小声で「爆走王」ってつぶやくと、思い出し笑いをこらえている。
Fクラスもなかなかどうして、こんな逸材を抱えているとは。
「アデール、はじめまして。ちょっと聞いてもいい?」
「あら、何かしら」
アデールがこちらを向いた。
王宮の貴婦人のようにくるくると巻いた赤毛の長い髪に大きな《とびいろ》の瞳。
なるほど、トーマスじゃないけど、とっても美人だ。
「ヴェンツェルはかわいくてイケメンだし、リョーマはこわい感じだけどイケメンだと思うんだ。トーマスは中の下ぐらいだと思うけど」
「貴様ッ!!」
僕の言葉にヴェンツェルは怒り、リョーマは静観。
トーマスだけがへらへらと卑屈に笑った。
「ええ。それで?」
「さっきのトーマスの自己紹介でさ、彼がみんなのことをイケメンって紹介して、その上で君のことを美人って紹介していたとしたら、怒らなかったと思う?」
「いいえ、怒ったわ」
アデールがまっすぐ僕の目を見て答えた。
「理由を聞いてみてもいい?」
「答えるのはかまわないけど、どうして知りたいの? 私を挑発したいから?」
「君を挑発するのにそんな手間はいらないと思う」
僕がそう言うと、アデールは初めてクス、と笑った。
ここで笑うんだ。面白い。
「私たち女は貴方たち男と違って、容姿で判断されることが多いからよ。だからそういう言われ方にウンザリしているし、敏感なの。他の女子もそうだと思うわ」
「だったらもっとダサいカッコしてりゃいいじゃねぇか。男の気を引きたくないんならよ」
「女がオシャレするのが男の気を引くためだって思っているような人にこれ以上話すことはないわ」
「へっ、そうかよ」
リョーマは悪びれもせず、興味が失せたという風に椅子にもたれた。
「教えてくれてありがとう。僕も気をつけるようにするよ」
僕がそう言ってアデールに会釈すると、トーマスがコホン、とわざとらしく咳払いをして立ち上がった。
「そ、それじゃ、それぞれ自己紹介が終わったということで、本題に……」
「ごめんね、トーマス。僕はもう帰る」
僕はトーマスをさえぎって、言った。
「ど、どういうこと?」
「そのままの意味だよ。昨日二日酔いで、ちょっとしんどいから、帰ろうかなって」
他の3人は動かない。
トーマスだけが額から吹き出る汗をしきりに拭いている。
「そ、それじゃ困るんだよ。今からみんなで……」
「僕は困らない。それじゃ」
「待てって言ってるんだ!!!!!」
それまで気弱にしていたトーマスが、円卓の机をバァァァン!!と叩いた。
「ほーら、本性が出た」
「やるねぇ、爆笑王」
リョーマが口笛を吹いた。
「い、いや、違う!!違うんだ!! 僕はただ、話だけでも聞いてもらいたくて……」
「話なんて聞かなくてもわかるよ。若獅子祭で協力してAクラスを倒そうっていうんでしょ」
「っ……!!!」
トーマスが息を呑んだ。
「そんなに驚くこと? 他のみんなもわかってると思うけど……。僕にここに来るように頼んだのは君だ。他のみんなもそうなんじゃない?」
「そうだ」
「ええ、そうよ」
「当たりだぜ」
僕は冷ややかにトーマスを見た。
「A組のスパイなんだろ、君は」
僕がそう言うと、他の3人が驚いたように僕を見る。
「な! ぼ、僕はっ……!」
「ああ、いいよ弁解とかしなくても。めんどくさいし、僕は早く帰りたいから、説明を聞いて違ってたら言って」
顔面がみるみる蒼白になるトーマスに、僕は言った。
「若獅子祭には1位しかない。2位も3位もないんだ。優秀者には若獅子の称号と、優勝クラスには叙勲を含む様々な栄誉と褒賞が与えられるけど、それ以下のクラスには何もない。まずそれが大前提」
僕の言葉に、ヴェンツェルとアデール、リョーマがうなずいた。
「そんな中でA組以外の他クラスで
「聞こう」
ヴェンツェルがノンフレームの眼鏡を額に押し当てて言った。
「『優勝はどうでもいいから、A組に赤っ恥をかかせてやりたい』っていうイカれた発想のヤツがいる場合だ。さっきみんなと話をしてみて、ヴェンツェル、アデール、リョーマの提案ならありえるかもなって思った。みんないい感じにイカれてて、僕が大好きなタイプだ。そして、だからこそ君たちはこの会議に参加した」
「クックック!!ありがとよ!」
「君はわざと私を挑発していたわけか……」
ヴェンツェルとリョーマがそれぞれの感想を口にする。
「私のどこでイカれてると思ったか、聞いていいかしら?」
「君を挑発するのにそんな手間は必要ないって僕が言った時に、クスって笑ったでしょ」
「それがどうかしたの?」
「あの笑顔はとっても魅力的だった」
「それはありがとう」
僕がにっこり微笑むと、アデールも微笑み返してくれた。
「笑いにも色々あるじゃない。バカにしたような笑い方もあれば、単純に面白いと思って笑う笑い方もある。僕に君の本当の気持ちはわからないけど、後者に見えた」
「どっちかは言わないでおくわ。それで、どうして私がイカれていることになるの?」
「僕があんなアホ丸出しの質問をしたのに、君は怒らずに僕の真意を確認した。そんな君を怒らせるのは簡単だと僕が言ったら、あんな笑い方をしたんだ」
僕はにこにこしながら言った。
きっと今、とても楽しそうな顔をしていると思う。
「君はとても冷静で理知的で、とっても賢い人だ。ここにいる誰よりもずっと。そしてイカれてる」
「ふふ、嬉しいわ。大軍師の子孫がいる前でそう言われるのは、なんだか恐縮だけど」
「大軍師の子孫?」
「あら、知らないの? そこにいるヴェンツェルくんのお家は、先の大戦で大活躍したエルフリーデ参謀長の直系。代々軍略家を輩出してきたことで有名なのよ。ヴェンツェルくんはそんなローゼンミュラー家の若き当主で、大陸でも珍しい『軍師』っていう称号を持っているのよ」
「へぇー」
「戦争は300年前に終結しているんだ。軍略家なんて今の時代に必要とされない無用の長物。誇れることなどないよ」
ヴェンツェルが照れもせずに眼鏡を押し上げた。
きっと本心からそう思っているんだろうな。
「そうかな、かっこいいじゃん。ね、リョーマ」
「わはははは! 普通そこでオレに振るかぁ? オマエってほんとオレのツボだわ」
僕は脂汗が止まらないトーマスの方を向いた。
「ね? おかしいでしょ。こんな奴らがいる中で君がこの場を仕切ってるってのがすごく違和感なんだよ。君は人気者になりたいみたいだけど、人気者じゃない」
「……君たちは人気者だって言いたいのか?」
トーマスが睨むように、卑屈な目で僕を見上げる。
「そう聞こえた? 全然違う。ここにいる君以外の人たちは、『自分に人気があるかどうかなんてまったく気にしちゃいない』のさ」
僕は言った。
「Bクラスは下級貴族中心のクラスだ。優勝しちゃうとマズいことの方が多い。こんな会合に顔を出すメリットよりデメリットの方が多いはずなのに参加したヴェンツェルは、たぶんクラスでちょっと浮いた存在で、すっごい変わり者」
「否定はしない」
ヴェンツェルが応じる。
「アデールは人から好かれるために尊厳を犠牲にはしないし、リョーマはむしろ人から嫌われることを面白がってる、ちょっとめんどくさいやつ」
「当然ね」
「ククク……当たってるぜ」
2人が答える。
「ね? 誰も自分の人気がどうとか気にしてないわけ。でも君は違う。陰気キャラが転生した先で転生前の世界で人気があったヤツのマネをしてるみたいな気持ち悪さを感じるんだよ」
「うっわ」
僕の容赦の無さに、アデールが小さくうめいた。
「ベルゲングリューン伯はいい人だってクラスのみんなが言ってたけど、結構辛辣なのね」
「僕はいい人だよ。性格が悪いだけで」
僕はアデールに答えた。
「あと二日酔いなのにこんなしょうもない会合に呼ばれて、しかも向かう途中でジルベール公爵に絡まれて機嫌が良くない」
「クックック、そういや、こないだカフェテラスで派手にやったらしいな?」
「まぁね」
「なんて言ってヤツをあそこまで怒らせたんだ?」
身を乗り出して聞いてきたリョーマに答えず、僕はトーマスの方を向いた。
「ね? この通り、A組にケンカを売ろうって奴はみんなイカれてるわけ」
「ククク、違ぇねぇ」
「君だけがとってもマトモ。そんなマトモな奴が『優勝を捨ててA組にひと泡吹かせよう』って発想はおかしいじゃん。本来、君みたいな人はたいした根拠もないのに『みんなで団結したら、きっと優勝できる!』とか言っちゃうタイプでしょ」
「違う!違う!! 僕は……!」
「なんなら君のクラスのみんなに聞いてみようか? 『トーマスって奴が僕らに共闘を申し込んできたんだけど、それってホントにクラスの総意なの?』って」
僕がそこまで言うと、トーマスはがっくりと膝をついた。
そのまま肩を震わせて、嗚咽を始める。
「仕方なかったんだ……」
「あ、ごめんね。そういうの、聞くつもりないから」
僕はきっぱりと言った。
「君はとてもマトモな人だから、これから言う話もだいたいわかる。僕たちにこれ以上嫌われたり軽蔑されたりされないように、自分がなぜA組の犬に成り下がったかの告白を始めるんでしょ」
「僕は脅されて……」
「だからいいって。僕らに言ってどうするの。どうすることもできないし、僕らを裏切ろうとした事実は消えないだろ?」
トーマスの肩をぽんぽんと叩きながら、僕は言った。
「僕は君を好きになることはないだろうし、軽蔑もしているけど、別にそれでいいじゃない。すべての人に好かれることなんて誰にもできない。『みんながその人を好きだから』って理由でその人を嫌いになる人だっているんだよ?」
トーマスの嗚咽が止まらない。
「トーマス、立って」
膝をついて肩を震わせるトーマスに、僕は言った。
「立つんだ!トーマス!」
「っ!!!」
その途端、トーマスが雷鳴に打たれたように立ち上がった。
「僕は君にだまされたフリをして、嘘の作戦を流すこともできた。でもそうしなかったのはなぜだかわかるかい?」
「そんなの、わからないよ」
トーマスがぼそりと答える。
「理由は2つある。ひとつは君がかわいそうだと思ったからだ。それが原因でA組が惨敗したら、きっと君がとてもひどい目に合うのだと思うから」
「っ――!!」
「君のことが嫌いで軽蔑もしている僕が君のためにそこまでのことを考えているのに、君はそこで自分かわいさにいつまでもメソメソ言い訳するつもりか!!!」
トーマスは僕の方を向いたまま動けない。
「自分の言い訳をする前に、やるべきことがあるんじゃない?」
「……そう、だね。……そうだった……」
トーマスは僕たちに向かって深々と頭を下げて、自分がスパイであることを涙ながらに謝罪した。
「ジルベール公爵に言われたの?」
トーマスはうなずく。
やっぱりね。
「ベルゲングリューン伯、嘘の作戦を流さない理由は2つあると言ったな」
「うん」
ヴェンツェルが言った。
「君が2つ目を言う前に伝えたいことがある。できれば聞いてほしい」
「うん、いいよ」
「まず先に言っておく。B組に勝つ気はない」
ヴェンツェルがきっぱりと断言した。
まぁ、そうだろうな。
「私が今日の会合に参加した理由は、1つだけだ」
「それでもB組で勝ちたいってこと?」
アデールの問いに、ヴェンツェルは首を振った。
「ベルゲングリューン伯、君のクラスに編入したい」
「え?」
僕は思わず声を上げる。
二日酔いでぼーっとしていた頭が一気に醒めてしまった。
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