第二十一章「若獅子祭」(12)

12


 戦場にはまるでそぐわない、柑橘系のさわやかな匂いと、頬のヒリヒリで目を醒ますと、こちらを見つめているアリサと目が合った。

 とても柔らかな感触。

 どうやら、アリサに抱きついたまま意識を失っていたらしい。


「ごめん」

「うん?」

「思いっきり抱きついてたみたい」

「ずっとそのままでいいのに」


 アリサがいたずらっぽく笑う。

 聖女というより、小悪魔の微笑み。


「本当に?」

「うん」

「だって、ビンタしたでしょ。頬がヒリヒリするもん」

「それ、私じゃないわよ」

「じゃ、誰が……」


 まだ全身がとてもだるい。

 アリサに体を預けたまま、目だけで周囲を見渡す。

 近くにいるのは、ユキと、メル。


「わ、私じゃないわよ!」


 ユキがあわてて弁明する。


「……」


 メルが目をそらした。


「メルか……」

「ううん、2人でやってたわよ」


 アリサがおかしそうにくすくす笑った。

 とても優しい表情。

 その優しすぎる表情を見て、僕は全てを察してしまった。


「そっか。……負けたか」

「たぶん、ね」


 アリサはそういって、僕の頭をなでた。

 とても気持ち良い。

 涙がこみ上げてきそうなほどに。


「どのくらい、こうしてた?」

「3分くらいかな」

「3分で突破してきたか……」


 僕たちのすぐ眼前に迫る鋼鉄の咆哮シュタールゲブリュルの軍勢。

 きっと、C組のみんなの屍を越えて、ここまでやってきたんだろう。

 そして、その先頭で勝ち誇った顔で白馬にまたがる黄金騎士。


「どうやら、君の快進撃もここまでのようだね。ベルゲングリューン伯」 

「……あの野郎」

「まったく、しぶとく生き残ったものだ。分不相応、という言葉は君にこそふさわしい」


 選ばれし英雄が持つ聖剣のように両手剣グレートソードうやうやしく掲げる、偽物の英雄。


「今すぐこうべを垂れよ。せめて楽に死なせてやる」

「お前にこうべを垂れるくらいなら、アルミノ街道でゴミを漁ってるカラスに忠誠を誓ったほうがマシだよ」

「なんだと……」

「白馬に黄金の甲冑、よく似合ってるよ。お前の性格の悪さをよく表している。貴族の代表ってのはそうでなくっちゃな」


 僕はアリサに体をもたせかけたままの姿勢で言った。


「でも、その両手剣グレートソードは見ていて痛々しいよ。お前の『格』に合ってない。ちっちゃいクセにデカく見せようっていうのは、モテない男子がやることだ」

「あら、ジルベール公爵はモテるんじゃない? イケメンで家柄が良くて、剣技も一流」


 僕の頭をなでながら、アリサが可笑しそうに言った。


「うん。コイツをデカいと思っている人にはモテるんだろうね。ちっちゃいコイツを好きになる人はいないんじゃないかな」

「どうしてそう思うの? もしかしたら、いるかもしれないじゃない」

「そう、いるかもしれないのに、コイツはこんなもんグレートソードを振り回して自分の小ささを必死に隠してるから、誰にも気付いてもらえない。だからコイツの周りにはへこへこ媚びる奴しかいないんだ」

「くすくす、あなたってもしかして、本当はジルベール公爵のこと好きなんじゃないの?」


 アリサが言った言葉に、僕はきっと、目を丸くしたことだろう。


「ふふ……わはははは!!! そうかも。僕はお前の小ささを愛してるぞ! ジルベール公爵!」

「貴様ら……、このに及んで減らず口を……」


 眉目秀麗な真ジルベールの顔が屈辱に歪む。


「減らず口はお前のほうだ」


 僕は真ジルベールに言い放った。


「これ以上臭い口を開くな。……お前からは野犬のはらわたのニオイがする」

「き……貴様ァァァァ!!!!」

「……あんたって、本当に口喧嘩の天才よね」


 ユキが言った。

 メルも笑っている。

 口喧嘩の天才は、ユリーシャ王女殿下だと思う。


「さて、と」

 

 僕はアリサの心地よい感触から体を離し、ゆっくりと起き上がった。


「どうするの? もう負けなんでしょ?」

「うん。残念ながら……、一手及ばずだったね」


 僕はそれを認めながら、真ジルベールを見上げた。

 父の大罪を知りながら、それを匂わせて僕を脅迫してきた男。

 自分の父が級友を使って毒を盛らせたことを知りながら、それを恥とも思わない男。

 エタンを、トーマスを、僕の友達をひどいめにあわせた男。 

 ユリーシャ王女殿下の笑顔を奪おうとする男。

 

「今さらどうしたって仕方ない。理屈ではわかってる。わかってるんだけど……」


 僕は小鳥遊たかなしの柄に手をかける。


「コイツは……コイツにだけは一太刀浴びせないと気が済まないんだよね」


 本当に一手。

 あと一手だったんだけどなぁ……。


「それを聞いて安心したぞ、ベル」

「ヴェンツェル?!」


 僕らの背後から現れたヴェンツェルが右手を振りかざすと、真ジルベール率いる鋼鉄の咆哮シュタールゲブリュルと僕の間に、いつの間に森に潜伏していたのか、100人程の兵士と30人ぐらいの士官学校生徒が割って入った。


「みんな! ベルゲングリューン伯を全力でお守りしよう!!」

「おおおおおおー!!!!!!」


 生徒と兵士から、士気の高さを伺わせるときの声が上がる。

 そんな彼らを指揮しているのは……ちょっと小太りの男子生徒。


「ト、トーマス!!!」

「やぁ、遅くなってごめんね。ジルベール公爵にベッタリの近衛騎兵隊ソシアルナイツから離脱するのに時間がかかってしまって」 

「貴様……、こんなことをしてどうなるかわかっているのか……!!」

「もう僕はお前の脅しなんかには屈しない!!」


 トーマスが真ジルベールの一喝を跳ね返した。

 常に卑屈な笑みを浮かべていた級長会議の時とは、顔つきがまるで違う。


「僕の過去のことはもうクラスのみんなに全て話した!! それでもみんなついてきてくれたんだ!! 僕が君に脅されてたこと、裏切りをそそのかされていたこと、それを見破りながら許してくれたベルゲングリューン伯の役に立ちたいってことを全部言ったら、これだけのみんながついてきてくれたんだ!!」

「こんなイイ奴を脅しやがって、クソ貴族のボンボンが!!!」

「トーマスは朝から家の肉屋の仕込みを手伝って、夜は店で肉を焼くのを手伝いながら学校に通ってんだよ!! だから太ったんだぞ!」

「い、いや、それは関係ないでしょ……」


 E組の連中もなかなか楽しそうだ。C組と気が合いそう。


「にしても、この部隊は一体……」


 僕は鋼鉄の咆哮シュタールゲブリュルの前に立ちはだかった重装騎士アーマーナイトの集団を見回した。

 分厚い鋼鉄製の大盾と、それで前が見えるのかと思えるほど防御力に特化した甲冑。

 馬による機動力との両立を図った鋼鉄の咆哮シュタールゲブリュルよりもその装甲は厚い。

 そんな重装騎士団が掲げているのは……、美しいシロツメクサの紋章旗。


「そ、その旗の紋章は……、ベアール家ではないか……」

(ベアール家? エタンの……?!)


 たしか、最初にエタンが名乗った時に家名も名乗ってくれた。

 エタン・フォン・ベアールと……。


「その通り。彼らはベアール家付きの騎士だ。ベアール子爵家は代々重装騎士アーマーナイトを率いることで知られている」

「で、でも、なぜ?!」

「面会したエタンと、E組級長からしくも同じ相談を持ちかけられたのでな。私の方で手を打っておいたのだ」

 

 ヴェンツェルが僕の疑問に答える。


「同じ相談?」

「ああ。君の役に立ちたいと。そこで監獄から出られぬエタンの代わりに兵を出し、ジルベール公爵の息がかかったソシアルナイツの人員を調整して、そこに編成したというわけだ」

「エタンが裏切っただと……!? あの下級貴族め……、親の立場がどうなるかわかっているのだろうな……」

「ああ、それについてもご両親から回答を得ている。ベル、『自分たちの息子があなたと知己ちきを得たことを誇りに思う。今よりベアール家は、ベルゲングリューン伯と命運を共にする』だそうだ」

「なんだと……」


 怒りに肩をわなわな震わせる真ジルベールの方を振り向くと、ヴェンツェルはふわふわした髪を後ろに流しながら冷淡に言った。


「そうそう、君にもご両親から伝言を預かっていた。『クソ親子、死ね』だそうだ」

「あはははは! エタンくんのご両親もなかなか言うじゃん!」


 ユキが爆笑する。


「愛する我が子を操ってその友に毒を盛らせ、あまつさえその罪を着せたのだ。今まで溜まりに溜まっていた憤懣ふんまんが爆発したのだろう」

「友、だと……?」

「ああ、そうそう、言ってなかったね」


 僕は驚愕する真ジルベールに言った。


「僕とエタンは友達なんだ。よくウチの領内に遊びにきてた。彼と引き合わせてくれてありがとう」

「っ!!?」


 いまいましげに口元を歪ませる真ジルベールの顔を見て満足すると、僕はそこであることに気がついた。


「ああ、そうか、そういうことか! こいつめ!」

「べ、ベル、何を……わぶっ!」


 僕は感極まってヴェンツェルを抱き寄せると、さらさらの頭をごしごしとなでた。


「僕が負けた時のことを考えて、トーマスとエタンの兵のことを僕に黙ってて、最後の切り札で使おうと思ってたんだなー! このー!」

「す、すまない。悪いとは思ったが、彼らの立場を考えると、その……」

「何言ってるんだよ! 僕は感激してるんだよ! 最高最良の策じゃないか!! さすが軍師殿!!」

「わかった!わかったから!離してくれ!」

「まったく、最後の一手が足りなくて困ってたのに! ふふ、あははははは!!」

「べ、ベル、わかったから!」


 顔を赤くしてじたばたするヴェンツェルを、僕は存分に猫かわいがりした。


「あの二人……、仲良すぎじゃない?」

「……」

「メル、なんであなたまで顔が赤くなってるの?」


 そんな僕たちのいつものやり取りを苦々しげに見て、真ジルベールが両手剣グレートソードを馬の上から地面に突き立てた。


「茶番は、そのぐらいにしておけ……」


 低い声で、真ジルベールが言った。


「この程度の寡勢かぜいでどうにかなると思っているのか?」

「ああ、どうにかなるさ」


 僕は答えた。


「フッ、やれやれ。すでに勝敗が決しているということが、まだわかっていないようだな」


 真ジルベールが左手を大きく振り上げた。

 その瞬間……。

 

「きゃっ?!」


 ドオオオオオオン、という轟音が僕の後方から聞こえてきて、本陣の城壁の一部が砕け散った。

 続けざまに、別の方向からも砲撃音が響き、城がみるみる崩壊していく。


「し、城が……」

「フハハハハ!! すでに砦は我が軍が制圧している!! 君たちの城はもう終わり。今さらじたばたしても無駄だ。王手チェックメイトなんだよ」

「なんだ、お城を壊したかったのか。だったら早く言ってくれればいいのに」

「……何?」

「トーマス!E組のみんな! ありがとね!! この恩は向こうの世界で必ず!」


 僕はそう言い残すと、集中砲撃で崩れ始める城に駆け出した。


「敵大将はまだ何か企んでおる様子。追撃部隊を差し向けたほうが良いのではないか?」

「そんなことは、させない!!」


 ルドルフ将軍の提言に、トーマスが叫んだ。


「くっ、平民風情とベアール家風情が目障りな!! ルドルフ将軍、蹴散らせ!!」

突撃アングリフ!!」


 ルドルフ将軍が厳かに号令し、鋼鉄の咆哮シュタールゲブリュルがトーマス率いる重装騎士アーマーナイト部隊とE組生徒にまさに突撃しようとするその瞬間。


「ヒャッハー!!!!」


 鋼鉄の咆哮シュタールゲブリュルの両側面から両手斧で武装した集団が乱入した。


「グリムリーパーだと?! 貴様ら……裏切ったのか!?」

「へへへ、お前らと一緒にするなよ、クソ貴族」

「カシラとダチとの男の約束ってやつなんだよ!」

「ダチって誰……」


 思わずつぶやく僕を見て、グリムリーパーの一員がニィ、と笑った。

 ……めっちゃ歯が抜けてる。


「かまわん!まずはこいつらを一掃しろ! 落城寸前の城に籠もって何ができる!」


 真ジルベールの怒号に、衝突し合う兵たちの叫び声と剣戟けんげきの音が混ざる。

 周辺一帯は一気に砂塵が巻き上がる大混戦となった。


「行け!! ベル!!!」

「行って!!!まっちゃん!!」


 いつの間にかその場を離れていたメルが馬を連れて戻ってくる。


「乗って、まつおさん!」

「助かる!!」


 メルが差し伸ばした手をがっしり掴んで、僕は馬の後ろに飛び乗った。

 ……立場が逆だったらカッコいいのに。


「あのね」

「うん?」


 馬首を手綱で操って、砕け散る城壁の破片を巧みにかわしながらメルが言った。


「私もベルって呼んでいい?」

「えっ」

「……だめ?」

「ううん、いいよ」


 メルはそれ以上何も言わず、美しい銀髪を風になびかせながら馬を疾走はしらせる。

 

「それじゃ、私はみんなのところに戻るね」

「うん、ありがと」

「頑張ってね、……ベル」


 メルは少し顔を赤くしてそう言うと、銀縁シルバーフレームの眼鏡を軽く押し上げてから馬首を返した。


「ふう……、なんとかここまでこれた……」


 僕は崩れ落ちる外壁の破片から身をかわしながら城門をくぐった。

 そして、頭上高くそびえるソイツを見上げる。

 城内のほとんどの空間を埋める、あまりにも巨大な体躯。

 

「ガーディアン!! 応答しろ!!!」

「起動準備完了。管理者アドミニストレーターマツオサン・フォン・ベルゲングリューン本人ヲ認証」


 僕が叫ぶと、鋼鉄の巨人ガーディアンは、青く単眼モノアイを光らせて応答する。


「さて……」


 ……やるしかない。

 僕は深呼吸してから、宣言した。


「ガーディアン、城ごと全部破壊してしまえ!!」

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