第二部 第四章「女神の雫」(5)


「まもなくドン・エルニーニョがお入りになります」


 アサヒが先に入って、応接室の面々に一礼する。


「いったい、いつまで待たせれば気が済むんだね! 我々は忙しいんだぞ!?」


 おそらく議員の一人がアサヒに言ったのだろう。

 苛立たしげな気持ちをそのまま彼女にぶつけている。


「忙しいなら帰りたまえ。私の方がもっと忙しい」


 僕がすぐ近くにいるとは思わなかったのだろう。

 葉巻をくわえながら入室すると、たっぷりと口ひげをたくわえた、目の大きな男が驚愕の表情を向ける。


 ……全部で5人か。

 僕が入室すると、ファミリーの一同が一斉に立ち上がったので、議員たちは驚いた様子だった。


 僕の椅子の左隣にはクラシカルメイド服姿のアサヒ。

 

 右側にはボディガードのヒルダ先輩。

 スーツの前を開けていて、Yシャツの両脇のホルスターから黒光りするトンファーが覗いている。

 ヒルダ先輩のトンファーは魔法武器で瞬時に取り出せるのだけれど、こうして常に見せていることで抑止力になるのと、何より、こうしているとめちゃくちゃカッコいい。

 

 会議用の長いテーブルの手前左側にいるのが、相談役コンシリエーリ、ヴェンツェル。


 三つ揃えの黒いスーツにノンフレームの眼鏡。

 さっきまでベッドでぶっ倒れていたので顔色が冴えないけど、そのおかげもあってか美少女成分が薄れ、いかにも切れ者な雰囲気がバッチリ出ている。


 その隣にいるのが、ファミリーの警備主任、キム。


 身体がデカすぎてキムのスーツは仕立てるのが間に合わなかったんだけど、ちょっとラフに着たYシャツにサスペンダーというルックは、いかにも用心棒感があって良い感じだ。


 その隣で異彩を放っているのが、監査役のギルサナス。


 皆が黒系で統一している中で、ギルサナスだけは上下真っ白の三つ揃えのスーツ。

 流れるような金髪の美男子でありながら、顔の右半分を暗黒騎士ダークナイトのマスクで覆っているその姿は、まるでマフィアお抱えの殺し屋ヒットマンのようだ。


 テーブルの手前右側にいるのは、資材調達部門長のミスティ先輩。


 黒いタイトスカートに丈の短いテーラードジャケットの上に赤いスカーフを巻いていて、黒髪のボーイッシュな美人が際立って見える。

 

 その隣にいるのが、生産管理部門長のソリマチ隊長。


 サングラスはやめにして、エスパダの露店で見つけた、赤みがかった茶色のスモークのティアドロップ型の眼鏡をかけてもらったら、ものすごくいかつい感じになった。


 特に、こうして黙っていると貫禄というか、おっかない感じがハンパない。

 まるでマフィアに長年仕えているご意見役の大幹部のようだ。


 その隣にいるのが、衛生管理部門長のアリサ。


 黒地に白いストライプが入ったスラックスに丈の短いテーラードジャケットをはだけさせて、白いYシャツの上に、同様に黒地に白ストライプの生地のコルセットと細身のネクタイを着用している。

 

 アウローラの見立てなんだけど、これがめちゃくちゃカッコいい。

 全身が黒地に白ストライプの格好がこんなにビシッと決まるのはアリサぐらいじゃないだろうか。

 コルセットでYシャツの胸元が強調されるのが、またセクシーだ、 

 ユキがうらやましがっていたけど、ユキがこれを付けたらきっといろんな意味で大変なことになると思う。


 ちなみに、応接室には映像魔法スクリーンの媒体が設置されていて、お店の様子を見に行ってくれているゾフィアと、オルビアンコの動向を探ってもらっているユキ以外のみんなは、今の僕たちの様子をリビングで鑑賞していると思う。


 そんな雰囲気抜群のドン・エルニーニョファミリーが一斉に起立するのを見て、さっきはあれほど威勢が良かった、口ひげをたくわえた目をギョロっとさせた議員が激しく動揺して、ソリマチ隊長の方をちらっと見る。


 スモークの入った眼鏡をかけて、一番貫禄がありそうなソリマチ隊長でさえ、他のみんな同様に口元が緊張でこわばっているのを見て、議員はそれ以上何も言わなくなった。


(みんなの顔がこわばっているのは、必死に笑いをこらえているだけなんだけどね……)


 昨夜、葉巻でむせて涙をぼろぼろ流していた僕を、みんながどれだけ笑いものにしたか、ここにいる5人は知らないのである。


 僕はゆったりとした動作で葉巻をくゆらせながら、今日やってきた議員の面々を見回した。


『口ひげの議員の名前はデメトリオ』

『出目トリオ?』

『他の議員に関しては名前は知らなくても良いだろう。彼の腰巾着にすぎない』

『なるほど』


 ヴェンツェルの魔法伝達テレパシーを受け取る。

 デメトリオが親分議員で、右隣の化粧の濃いおばさん議員は……、たぶんデメトリオとかいうおっさんとデキてるな。隣りにいる雰囲気が妙に馴れ馴れしいというか、「私がこの場で二番目に偉いのよ」みたいな空気がすごい。


 あとは、おばさん議員の右隣に、ヴェンツェルの言う通り、デメトリオの言いなりになってそうなひょろ長い議員。

 デメトリオの左隣にいるのは……。


 うん?

 こいつだけちょっと、雰囲気が違うな……。

 キッチリとした七三分けに、黒縁の眼鏡を着用したスレンダーなスーツの男。

 だが、その目付きが他の連中とはちょっと違う。

 他の連中のように雰囲気に気圧される風でもなく、その左隣でずっと脂汗を垂らしている、明らかに議員のお目付け役として派遣されたオルビアンコの子分とも違う。


 まるでこちらを見定めようとしているかのような、鋭い目。


『ヴェンツェル、あの黒縁眼鏡の男、誰だかわかる? たぶん、議員じゃないよね』

『ああ。奴はオスカーというやり手の弁護士だ』

『ってことは、有名な弁護士さんなの?』

『ああ。裁判では負け知らずらしい』

『そんな人がオルビアンコの顧問なの?』

『……いや。オルビアンコはケチで有名だし、悪評も立ちすぎている。双方にとって顧問契約はデメリットが大きい。あくまで今回のみ、表向き議員団の顧問ということで契約したのではないだろうか』

『ふぅん』


 いつも便利なヴェンツェルだけど、マフィアの相談役コンシリエーリになってからの彼は本当にすごい助かる。

 もしかしたら天職なんじゃ……とか言ったら、ヴェンツェルは怒るだろうな。


 さて。

 一番問題になるとすると、このオスカーという弁護士だろう。


 僕はアサヒが回してくれた椅子にどかっと座ってから、みんなに着席を促した。

 

「それで、本日の用向きは?」


 僕が葉巻を灰皿に置いてそう尋ねると、デメトリオが目をギョロっとさせてこちらを見て、最初の勢いを取り戻すように、高圧的に言った。


「エル・ブランコでのオレンジの販売をただちに止めていただきたい!」

「ほう、なぜ?」

「君、説明してやってくれたまえ!」


 デメトリオ議員に促されて、弁護士のオスカーが黒縁眼鏡をくい、と押し上げてから言った。


「ベルゲングリューン=エスペランサ侯爵、それとも、ドンとお呼びしたほうが?」

「好きに呼びたまえ。オスカー君」


 僕が言うと、名乗る前に自分の名前を言い当てられたオスカーは少し驚いたように顔を上げてから、軽く口元をゆるめて、言った。


「ではドン。あなたは現在のオレンジ販売において、我がエスパダの法律に3つほど違反している可能性があります」

「聞こう」


 オスカーは無言でうなずくと、説明をはじめた。


「まず第一に、ドンはエスパダ中央卸売市場を介さず、ご自身のオレンジ農園からの直売をされていらっしゃるようですが、オレンジの直売は『オレンジ法』によって明確に禁止されております。違反者は最悪、投獄もあり得るほどの重要な法律を破っていらっしゃる可能性が高いのではないかと思われます」

「二つ目は?」


 僕は平然として、オスカーに続きを促した。


「次が、独占販売です。ドンは現在、エスパダ中のオレンジを買い占めており、他の業者が販売する機会をいちじるしく奪っております。これは、自由競争を是とするエスパダ王国の民主主義の根幹に関わる重大な問題であり……」

「次は?」


 オスカーの言葉をまたず、僕は葉巻をくゆらせながら言った。

 オスカーは苦笑しながらも、表情を変えずに主張を続けた。


「ドンは武装集団をエル・ブランコの市街に放ち、民衆を威嚇いかくしております。武装集団を組織することはそれ自体が凶器準備集合罪に抵触しており……」

「てめぇ、ふざけてんじゃねぇぞ!! ドンがいつ民衆を威嚇したって言うんだ!!」


 キムが机をバン、と叩いてオスカーに怒鳴ると、議員団のひょろ長い男から「ひぃっ!」と声が上がった。


「キム、発言は許していない」

「ア、アニキ、すいやせん……っ!!」


 キムの方を見ず、葉巻の煙をゆっくりと吐き出しながらそう言うと、応接室に不気味なほどの静寂が広がった。


 キムたち一同の顔が大きくこわばり、全員の額から汗が噴き出しているのを、議員たちがチラチラと見ている。

 ファミリーのみんなが必死に笑いをこらえているなんて、きっと夢にも思っていないに違いない。


「オスカー君、以上かな?」

「はい。以上になります」


 オスカーは他の連中とは違い動揺は見せず、ゆっくり黒縁メガネを押し上げながら、僕の方をまっすぐに見た。

 ……この人はなかなかの人物だなぁ。


「オスカー君の指摘に回答する前に……、生産管理部門のソリマチ君、大丈夫かね」

「……な、なにがでございましょう」

「さっきから、ぷるぷる震えているようだが……」


 僕に言われて、ソリマチ隊長がうつむきながら、何かに耐えるように必死に歯を食いしばっている。


「ごせ……」

「ん?」

「も、もう……かんべんしてごせ……っ」

「ぷっ」


 うめくようなソリマチ隊長の声と、隣のアリサが噴き出したので、僕たちはとうとう限界に達してしまった。


「うはははははは!!!」

「あっはっはっは!!! ソリマチ殿、よく耐えた方だと私は思うぞ」

「……笑いをこらえるっちゅうんは、こげにしんどいもんじゃったんじゃなぁ。このまま天国に逝っちまうかと思うたわ……」


 突然笑い出した一同に、デメトリオ議員たちだけでなく、オスカーまでもが目を丸くする。


「なんだよなんだよー!! みんな、せっかくいい感じにキマってたのによぉ!!」


 豹変したアサヒの口調に、デメトリオが大きく目を見開いた。


「はぁっ、もう無理、おなかいたい……っ!!」

「キムの『アニキ、すいやせん……っ!!』ってナニ?」

「僕もあれが一番効いた。あれさえなかったら、もう少しガマンできたのに……」

「私もだ……」


 ミスティ先輩の言葉に、僕とギルサナスが同意する。


「打ち合わせ通りにやりなさいよね……。笑うのをガマンしすぎて体調がおかしくなりそうだわ」

「いや、アリサ、なんかさ、とっさに出ちゃったんだよ……」

「こんなサスペンダーの弟分は嫌だなぁ……」

「お前が見立てたんだろ!! なんで俺だけこんな感じなんだよ!」

「アウローラが言ったんだよ。『ガタイのいいマフィアの大幹部はだいたいサスペンダーだぞ』って」

「それ、絶対デブ枠じゃねぇかよ!! 俺のは筋肉と、ちょっと骨太なだけだ!!」

「ふふふ! 貫禄があっていいじゃないか。私は好きだぞ」

「ヒルダ先輩、貫禄とかいらないから!! 俺もみんなみたいにカッコいい感じにしてくれよ!!」

「ヴェンツェルくん、大丈夫?」

「ミスティ先輩。こらえすぎて頭がくらくらしてきた……。ソリマチさんがずっとぷるぷるしているのが、こちらからだとよく見えるんだ」

「ギルサナスも一回やばかったよな? 咳でごまかしてたけど」

「キムが私の方を振り向くもんだから、バレないかヒヤヒヤしたよ……」



「な、なんだぁ……、皆さん演技だったのですね……」


 ヒョロ長い議員が、安心したように笑った。


 僕たちが和やかに話し始めたので、議員連中は、ムッとしているデメトリオ議員以外はホッとしたようだった。

 オスカーは黒縁メガネごしに、僕たちの様子を興味深そうに観察している。

 

 その隣にいる、オルビアンコの子分だけは、顔をうつむかせたまま、脂汗が止まらないようだった。


「不愉快だ!! 我々エスパダ議会の人間にこのような対応をするなど、無礼にも程があると思わないのかね!!」

「思わないね」


 僕は笑いながら、目をギョロッとさせたデメトリオ議員にきっぱりと答えた。


「なんだと?!」


 僕はデメトリオを無視して、オスカーの方を見た。

 

「ええと、オスカーさん。さっきの指摘に対する返答なんだけど」

「はい」

「まず第一の指摘、オレンジの直売についてだけど、僕はオレンジの農園を借り受けてはいるけれど、そこから出荷したオレンジの販売は一切していない」

「……」

「ご存知の通り、僕はエスパダ中のオレンジを買い占めた。本日の販売はそれを転売したにすぎない。普通は仕入れた値段より安い値段で転売するバカなんていないから、目立っているだけだ」

「……」

「つまり、僕は中央卸市場から他の青果店が正式に仕入れたものを売っているので、直売には当たらない」

「証拠はありますか?」

「資材調達部門長」


 ミスティ先輩がさっと書類を渡してくれた。

 僕はそれを、テーブルの上でオスカーの方に滑らせる。


「それが、各商店から買い付けたオレンジの領収証」


 オスカーはその書類をぱらぱらと見てから、フッと笑ってこちらを見た。


「……これでは、購入した証拠にしかなりません。あなたの農園から出荷されたものを販売していないという証拠はあるのですか?」


 オスカーの質問に、今度は僕がフッと笑った。


「なぜそのような証明をせねばならない? あらぬ疑いをかけたのはあなた方の勝手なのだから、証拠を集めるのはあなた方のすることなのでは?」


 オレンジを見ただけで、どこのお店から買ったオレンジなのか、どこの農園から出荷されたオレンジなのかがわかるというのなら、どうぞやってみてごらんなさい、という顔で、僕はオスカーににっこり笑った。


「それでは、質問を変えましょう。あなたはオレンジの販売をするために、オレンジを他の商店から高値で買い付けるという、常軌を逸した……失礼、これは、通常の商行為から考えればという意味ですが……」

「お気になさらず、続きをどうぞ」

「それならば、なぜ、ご自分の農園を所有されたのですか?」

「それは簡単なことです。いずれ僕も中央卸売おろしうり市場に出荷するつもりがあるからです」

「ハッ、何をバカなことを!!」


 オスカーと僕のやり取りを聞いていたデメトリオが口を挟んだ。


「知らんのか? 中央卸売市場に卸すのも仕入れるのも、中央卸売市場に承認された資格が必要だ! この国は民主国家だ! たとえ女王陛下の口添えがあっても、貴様ごときが承認されるものか!」

「ご心配なく。その資格はすぐに手に入ることになっています」

「なんだと!? そんな話は聞いていないぞ!!」


 議員の言葉に、僕は苦笑しながら葉巻をふかした。


「……えっと、デタラメオさんでしたっけ」

「デメトリオだ!」

「そうそう、出目トリオさん。すいません、エスパダの名前に慣れなくて」


 僕の言葉よりも、アサヒとアリサがぷっ、と笑ったのにデメトリオは顔を紅潮させる。


「では、デメトリオさん、ずいぶん不思議なことをおっしゃいますね。まるで、女王陛下の口添えでは承認されない中央卸売市場が、あなたの口添えなら承認されるような口ぶりじゃないですか」


 僕がそう言うと、デメトリオがさっと目をそらした。


「そ、そんなことがあるわけが……」

「さて、オスカー君、こんな汚職議員のことは放っておいて、次の指摘に移ってもかまわないかな?」

「き、貴様!! 今なんと言っ……」

「お前は少し黙っていろ」


 僕は議員の顔をまっすぐに見て、静かに言った。

 特に怒鳴ったわけでもないのだけれど、その言葉が部屋全体をピン、と緊張させる。


「マフィアね」

「マフィアだわ」


 アリサとミスティ先輩が言った。

 そういえば、この二人は妙に気が合うなぁ。

 たしか帝国元帥のお宅で螺旋銃ライフルをミスティ先輩がプレゼントしてから、二人の関係がぐっと深まった気がする。


「次のご回答に移ってかまいません。どうぞ」


 場の雰囲気など気にもかけない様子でオスカーが言ったので、僕は続ける。


「次の指摘は、完全に言いがかりだ。『独占販売』をしているのではなく、『独占購入』したのだから何も問題はない。販売機会を奪った? 逆だろう。僕は彼らの商品を購入して販売機会を与えたんだ。それで品切れを起こしてしまったのなら、それは販売者側が仕入れる量を間違えただけのことで、僕には関わりのないことだ。……こんな幼稚な指摘をしてくるなんて、君は本当にやり手の弁護士なのかな?」


 僕が挑発すると、面白いことに、オスカーはニヤニヤと笑った。

 嬉しそうだ。

 変なやつ。


「で、次の指摘、私兵で民衆を威嚇いかくしている云々うんぬんも完全に言いがかりだ。僕は女王陛下から侯爵位を賜った。エスパダの新法によれば、侯爵位にあるものは一万までの私兵を持つことが許可されている」


 しかも、僕が今回動員した兵はせいぜい、待機組も入れて100人程度だ。


「……正確には違いますね」


 オスカーが口を挟んだ。


「爵位のある人間が兵を持つことが許されるのは『市民の安全を守るため』であると、エスパダの新法に明記されています。強引な販売を強行するための兵は……」

「それが、守っているんだよ、オスカー君」


 僕はにっこり笑ってそう答えると、応接室の入り口に立っているレオさんの方を向いた。

 

「ゾフィアはいるかな?」

「はい。先程帰還して、隣室で待機しております。ドン」

「ここに来るように伝えてもらえます?」

「かしこまりました」


 ゾフィアはすぐにやってきた。 


「おかえり、ゾフィア」

「ただいまだ、アリサ殿」

「あー、やっぱり、めちゃくちゃ似合ってるね。キムも似合ってるけど」

「ドンの見立てのセンスがいいだけだ」


 ゾフィアが恥ずかしそうに言った。

 ゾフィアはキムと同じサスペンダールックなんだけど、雰囲気は全然違う。


 黒いスラックスに胸元を少しゆるめたYシャツ姿。

 ネクタイをラフに垂らし、でもサスペンダーはきちっと装着して、フェルトハットを目深に被っている。

 男装の麗人といったルックながら、女性のセクシーさも出ている。

 ドレスとカジュアルのバランスが絶妙だ。

 ヒルダ先輩といい、女の子が着るYシャツ姿って、どうしてこう、グッとくるんだろうか。


『ふふ、そなたのYシャツ姿もなかなかグッとくるぞ』

(ありがとう、アウローラ)


 アウローラに思考を読まれるのにもすっかり慣れてしまった。


「ちょっといい?」


 僕は近づいてきたゾフィアの帽子に手をかけて、少し傾けさせて、つばの先をやや左よりに直してあげた。


「うん、ゾフィアはこうしたほうがかっこいいかも」

「……似合っているだろうか?」

「うん。アサヒ流に言うなら、『ビシキマ』だよ」

「ああ、ビシキマだぜ。ゾフィアの姐御」


 不安そうなゾフィアに、僕とアサヒがにっこり笑って言った。

 本当にむちゃくちゃかっこいい。


「ふふ、あとでテレサに見せてやろう。……たまには殿ではなく、ドンと呼ぶのもいいな」

「なぁ、オレも帽子かぶりたいんだけど……」


 ゾフィアといい感じで話してたら、キムが割り込んできた。


「だーかーらー、キムは絶対そのままの方が貫禄あるって」

「だーかーらー!! 貫禄なんかいらないんだよぉぉ! オレもカッコいい感じにしたいんだよぉ!」


 キムが椅子に座ったまま地団駄を踏んだ。

 今のままが一番かっこいいのになぁ。


 キムがスーツを着てサングラスを付けてたら、マフィアというより未来から来た殺戮マシーンみたいになるぞ。


「それで、ゾフィア、どうだった?」

「購入客への嫌がらせは全部で32件だ」


 ゾフィアの言葉に、オスカーが顔を上げた。


「……思ったよりは少ないね。大丈夫だった?」


 僕がたずねると、ゾフィアがうなずいた。


「ああ。あの子どもたちは優秀だな。悪意のある人間を嗅ぎ分ける方法を心得ている。リザーディアンと子どもたちの連携で、すべて未遂に終わっている」

「それはよかった。怪盗キッズたちには後でご褒美あげないとね」

「あとは、なぜか、あの一文が思った以上に効いているようだ」

「ふふふ、そうだろうね」


 うちのオレンジの購入袋の中には、


「ウチの商品を買って不都合なことがありましたら、すぐにお近くのエルニーニョ構成員にご相談ください。ただちに解決いたします」


 と書いて、隣にベルゲングリューン家の印と花京院が書いたベルゲン君をメアリーに印刷してもらったものを手紙として添えていて、これを見せるだけで、相当の嫌がらせ行為の抑止効果があるはずだと僕は踏んでいたのだった。


「というわけです、オスカーさん」

「つまり、あなたは顧客の安全を守るために、市街に兵を放っているということですか?」

「それ以外に何かあると思うなら教えていただきたい。……それとも、エスパダの民は兵に威嚇されながらでも行列に並んでオレンジを買いたいと思うぐらいオレンジに飢えているのかな? だとしたら、国民にオレンジ一つ満足に食べさせてあげられないような国が先進国だとは聞いて呆れる。申し訳ないが、議員諸君は無能と言わざるを得ないね」

「……」


 なぜか、僕が辛辣な言葉を返すたびに、超クールだったオスカーの目が爛々らんらんと輝き、嬉しそうな笑顔を見せる。


 この人、もしかしてそういう変態なんじゃないだろうか。

 少し面白くなって、僕はもう少し、この弁護士を挑発してみることにした。


「オスカー君、君は負け知らずなんだろう? だとしたら、もう少し仕事を選んだほうがいいね。こんなアホ共の言いなりになってたら、お小遣いは増えるかも知れないけれど、時間がもったいないよ」

「ククク……ククククク!!!!」


 とうとうオスカーは笑い始めてしまった。

 そのまま黒縁眼鏡をテーブルの上に投げ出して、椅子にもたれかけて顔を上に向け、目頭を指で押さえながら大笑いをしはじめた。


「アッハッハッハ!!!」

「オ、オスカー、君はこんな時に何を笑っているんだね!?」


 驚いたデメトリオが目をギョロっとさせてオスカーをたしなめるが、オスカーは気にせず笑い続けてから、言った。


「やめだやめだ!! だから言ったでしょう? この人はエスパダの法律もあなた方のことも、何もかも調べ上げた上でケンカを売ってるんだって」

「な、何?!」

「私はこの仕事、ここで降りますよ。そもそも、契約書にサインしていませんからね、私は」

「なっ?! そんなことが許されるわけがないだろう!!」

「ハァ〜?」


 オスカーは思いっきり眉を釣り上げて、隣にいるデメトリオを見た。


 ……こいつ、アサヒだ。

 アサヒがルッ君に「このシャバ僧がぁ!!!」って言った時の顔と一緒だ。


「この民主国家エスパダで、私が誰かの仕事を請けたり降りたりするのに、誰かの許可が必要だとでも? 議員、そんな考えだから、ドン・エルニーニョにしてやられるんですよ」

「何もしてやられたりはしとらん!!」

「チッチッチ……、やれやれ、まだおわかりにならないとは……」


 オスカーは指を振りながら、人を小馬鹿にしたようにチッチッチ、と鳴らした。

 このムカつく仕草……。

 ……こいつ、メアリーだ。


「あなた方はまんまと、ドン・エルニーニョにおびき寄せられたんですよ」

「……なんだと?!」

「噂によると、ドンはあのマセラッティ・マッツォーネと懇意だとか。今頃、あなた方の事務所や中央卸市場にある癒着や不正の証拠は、すべて回収済みなのではないですか」

「なっ……!?」


 驚愕の表情でデメトリオとおばさん議員が顔を見合わせ、そしておそるおそる僕の方を見る。

 僕はにっこり笑って、オスカーに向かって拍手した。


「さすが、負け知らずの弁護士さん。さっきは挑発しちゃってごめんね」

「いえ。クク……、久しぶりに胸が騒ぎましたよ」


 オスカーが黒縁眼鏡をかけ直して、ニヤリと笑った。


「か、帰るぞ!!」

「……まぁまぁ、お待ちなさい」


 慌てて立ち上がろうとするデメトリオを、僕は座ったまま制止した。

 

「今から慌てて帰って、大怪盗の追求から逃れられるとでも?」


 なんといっても、ウチの怪盗は初代を除いても10人以上いるのである。


「……というか、すでにもうほとんどは回収済なんだよね。オスカーさん、さっき渡した領収証があるでしょ?」

「ああ、これですか? これが何か?」


 オスカーがテーブルから拾い上げた書類を指差して、僕は言った。


「それの裏面を見て。最初の一枚目がオルビアンコと関係のある議員のリスト。デメトリオっていう名前が一番上にあるね。二枚目がオルビアンコへの上納金の明細五年分をまとめたもの。受け渡し人の名前、たぶん隣の化粧の濃いおばさんじゃないかな。で、三枚目が……」

「よ、よこせっ!!!」


 デメトリオはオスカーから書類を奪い取ると、それをすべてビリビリに破いた。


「……その行動に意味はないよ。原本を渡すほど僕がアホに見える?」

「……何が望みだ」

「ふぅ、馬脚を現すのが早すぎない? それじゃ、本物のワルにはなれないよ」


 僕は葉巻をくゆらせながら、にやにやと笑う。


「とりあえず、中央卸売市場で僕達が卸売・仕入れを自由に行える資格証明証を今日中に発行してもらおうかな」

「今日中だと?! そんな無茶な……」

「おや? あなたが一声かければ、中央卸売市場は逆らえないんでしょう? 少し苦労すればできることをできないと言うのは、いささか誠意に欠けると思いません?」

「……わ、わかった。今日中になんとかしよう」

「うーん、でも……、一般会員の卸売の手数料ってバカにならないんでしょう?」

「VIP待遇にする!!!」


 デメトリオが顔を赤くして叫んだ。


「……ほらね。中央卸売市場の資格はすぐに手に入ったでしょ?」


 キムがドン引きしたような顔で僕を見て、アリサとソリマチ隊長は必死に笑いをこらえ、オスカーは隠すことなくげらげらと爆笑していた。


「まだあるよ。あなた方が追放したセオドアって人いるでしょ。彼を中央卸売市場の責任者に復職させること」

「なっ、なぜ奴の名前を知っている……」

「ドンは何でもお見通しなのだよ。デメトリオとやら」


 なぜかヒルダ先輩がドヤ顔でデメトリオに言った。

 官僚の頂点の娘だけあって、先輩は議員や政治家といった人種にめちゃくちゃ強い。


 セオドアさんは、今朝僕に相談してきた仲卸業者だ。

 仲卸業者の立場をよく理解している彼であれば、中央卸売市場の秩序を回復させることができるだろう。


「さて、こんな薄汚い癒着で私腹を肥やす君たちに、これから改心しろって言っても、無理だよね」

「改心する!!」

「改心します!!」

「ボ、ボクはデメトリオさんに命令されて仕方なく!!」


 一斉に言う議員たちに、僕は苦笑する。


「小悪党ってのは、みんなそう言うんだよね」


 葉巻をくるくると指先でもてあそびながら、僕は考える。


「……そんなわけで、君たちにはこのまま、小悪党でいてもらおうと思う」

「……はい?」


 何を言っているかわからない風な議員たちに、僕は告げる。


「これからはオルビアンコではなく、僕の口利きをしてもらう」

「ワルじゃん!!! それ、ただのワルじゃん!!」


 キムが思いっきり僕にツッコんだ。


「いやいや、キム。僕は上納金なんて取らないし、農家から搾取するつもりもない。ただ、エスパダのめんどくさい法的手続きのあれやこれやを、この薄汚れたオッサンたちにやってもらえばいいのさ」


 僕は言った。


「僕がそうすることで、エスパダの市場は活気づくし、みんな幸せになる。こいつらは小悪党のまま、悪いことではなく社会のためになることができる。こいつらを告発するよりよっぽど市民のためになる。マフィア的ウィンウィンだと思わない?」

「わからんではないけど……、なんか釈然としないな……」


 根っこが善人のキムがうーんと唸った。


「だ、だが……、そんなことをしたら、オルビアンコからどんな報復があるか……」


 おびえた様子のデメトリオがつぶやいた。


「やれやれ、本当に怯えるべき相手が目の前にいるのに、この期に及んで、あんな小者のことを怯えているとは……」


 仕事をする気が完全にゼロになったオスカーが、雇い主に向かって辛辣な言葉を投げた。


「オスカーの言う通り、オルビアンコのことなら、もう心配はいらないと思うよ」

「そ、それはどういう……」


 デメトリオがそう言い終わらないうちに、応接室のドアがバーン、と開いた。


「伯、伯!! あ、居た!! はぁっ、はぁっ!!! 伯!!! 伯じゃなくて侯!! じゃなくて、ドン!!」


 メアリーが、議員たちや他のみんながいるのも目に入らない様子で、僕の元に駆け寄ってきた。

 今日の彼女は新聞記者モードなので、いつもの服装だ。


「ドン!! いったい何をやったですか!! ドン・オルビアンコ緊急入院って!!」

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