第二十四章「ヴァイリス魔法学院」(5)


「……あなたがベルゲングリューン伯ですの?」

「うぃっす」


 「金髪」「ツインテール」「釣り目」という、気が強そうなお嬢様の条件を完璧に満たしている本当に気が強そうなお嬢様が、魔法基礎学科の教室に入ってくるなり言ってきたので、僕は軽く手をあげて挨拶をした。


「う、うぃっす……、それはどこの国の挨拶ですの?」


 これまでの人生で、そんな適当な返事をされたことがなかったのだろう。

 僕に何か言うつもり満々で教室にやってきたのであろう、金髪にツインテールのお嬢様は出鼻をくじかれて一瞬動揺するも、表情を作り直して言葉を続けた。


「どんな顔をしているかと思えば、平凡な顔ですこと。……なるほど、平民が成り上がりで貴族になると、こういう感じになるのかしらね」

「そっすね」

「そ、そっすね……」

「お、おい……、その人は『|大魔導師家《だいまどうしけ)』アーレルスマイアー伯爵家の……」


 クラスメイトが慌てて何かを言ってきたけど、僕は正直言って、それどころではなかった。

 「ウン・コー」を発明して、それまで全然撃てなかったファイアーボールをなぜか安定して撃てるようになって喜んでいたのに、みんなが面白がって使ったせいで一瞬で禁止されたものだから、まったく何も撃てない状態に戻ってしまったのだ。

 座学がダメでも、実力があれば、「まぁ、キミは実戦派だからね」とか言って許してもらえるかもしれないけど、座学も実力もないのはただの劣等生だ。

 一生脱げないとか言われたこんな服アウローラ装備まで着て特別講習に参加したのに、もし不合格になって士官学校が退学にでもなったら、僕はただ笑い者になるためにこの学校に来たようなものじゃないか。

 なんとか対策を練らないと……。


「私の名前はアーデルハイド。代々大魔導師ハイウィザードを輩出しているアーレルスマイアー伯爵家の……」

「あ、そういうの、もう大丈夫だから」

「な、な……、わたくしの名乗りに対して……あくびを……」

「君が僕なんかよりすごいのはわかったから。大丈夫だから」

「そ、そういうことを言っているのではありませんわ!」

「言ってるじゃん。代々ハイリザードを輩出しているトカゲ一族だとかなんだとか」

「ハイウィザードですわ!」


 僕の机にめっちゃ唾を飛ばして、怒りで顔を真っ赤にしたアーデルハイドが言った。

 ユキと二人で言い合いとかしたら、僕の机が大変なことになりそうだ。


「ちょ、ちょっと……べル……」


 ヴェンツェルとミヤザワくんがひやひやした顔でこちらを見ている。

 ……というか、周囲も似たような反応だということは、ちょっとやそっとの対応をしてはマズいお家のお嬢様なんだろう。 


「君は僕と仲良くなりに来たんじゃないんでしょ?」

わたくしと貴方が? はっ……、笑わせるにも程という……」

「いや、もうそのパターンの子って、だいたい結局、その後で僕と仲良くなっちゃうんだよね。ここにいるかわいいヴェンツェル君なんかもそうだしさ」


 僕はそう言って、隣に座ったヴェンツェルの頭をごしごしとなでた。


「あのな、君……、私はここまでじゃなかっただろう?」


 げんなりとした顔でヴェンツェルがそう言うのを聞いて、アーデルハイドはさらにイラッとしたみたいだけど、僕は言った。


「あのね、もう気が強い女の子の枠はじゅうぶんだと思うんだ。エレインはいいとして、ユキ、メル、アリサ、ゾフィア、テレサ、ユリーシャ王女殿下にミスティ先輩、冒険者ギルドのソフィアさんにヴェンツェルのお姉さんに……、気が強いどころか実際にむちゃくちゃ強い女の子ばっかりじゃないか! このおとなしくてかわいらしいヴェンツェルとミヤザワくんを見てくれ! 今、我が陣営に必要なのはこういうタイプなんだ!」

「ユ、ユリーシャ王女殿下……ですって……?!」


 アーデルハイドの顔が引きつった。


「あの、さりげなく僕の姉を君の陣営に加えるのはちょっと待ってもらえないだろうか……」


 ヴェンツェルが余生をあきらめたおじいさんみたいな顔で言った。


「このメンバーに君まで加わったら、もうむちゃくちゃじゃないか! 強気っ娘同盟じゃないか!」

「あ、貴方……言うに事欠ことかいて、ユリーシャ王女殿下を強気っ娘呼ばわりなど……」

「ユリーシャ王女殿下に裸絞はだかじめをされたことがないからそんなことが言えるんだ」

「なっ、は、裸……、は、破廉恥なっ!!!!」


 おそらく裸絞スリーパーホールドという首絞めの技を知らないのだろう。

 アーデルハイドはさっきまでの怒りとはまた違った意味で顔を赤くして、僕をにらんだ。


「ま、まぁ……、とりあえず落ち着いて……」


 ミヤザワくんがお皿にのせたティーカップをアーデルハイドに渡そうとした。

 わざわざアーデルハイドのために淹れてあげたらしい。

 本当にいいヤツだなぁ……。

 だけど、怒りの沸点に達していたアーデルハイドは、そのティーカップを払いのけた。


「いりませんわ!」


 そう言って払いのけた手が思いのほか強く、お皿とティーカップがミヤザワくんの手から落ち、パリーン、と音を立てて砕け散った。


「あっ……」


 一瞬だけ後悔の表情を見せたアーデルハイドだったが、ここで折れては負けだと思ったのか、キッした表情でミヤザワくんをにらんだ。


「このわたくしが、平民風情の淹れた茶など飲むと思って!?」

「はは……、そうだよね。ごめんね」


 あーあ。


「……」

「な、なんですの……急にそんな怖い顔をして……。そんな顔でわたくしが怯えるとでも……」


 なんだろう。

 たしかに、ミヤザワくんに辛く当たった時に、僕の中で「ぷっちーん」という、堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れる感じがした。

 だけど、その瞬間、僕の怒りはしゅーっと急速におさまって、代わりに、何か新しい存在のようなものが生まれたような、へんな感じが……。


「……」

「い、いや……そんな目でわたくしを見ないで……。そんな……、わたくしの魔力を大きく凌駕……、あ、貴方……やっぱりただの劣等生じゃなかったんですわね……」


 急に怯え始めたアーデルハイドの反応を不思議に感じる。 

 僕はまったく、にらみつけているつもりはない。

 帝国元帥の無言の威圧感を真似しているわけでもない。

 だって、そもそも怒ったのは一瞬のことで、なぜかもう怒ってないから。

 ……それより、なぜか言葉が出せない。


「ミヤザワ、そのままでよい」

「「えっ?」」

(えっ?)


 僕の口から出た、僕が普段言わない言葉に、ミヤザワくんとヴェンツェルがびっくりしたようにこちらを見た。


「で、でも……破片を片付けないと、誰かケガしちゃうといけないし……」

「いや、そのままで良いのだ。こんなものはこうすれば……」


 僕じゃない僕が軽く指を鳴らすと、粉々に砕け散ったティーカップが光を帯び……、それらがまるで磁石のように結合し……、完全に元の形に復元した。

 それどころか、こぼれる前の状態になってミヤザワくんの手元に戻り……、僕じゃない僕はそのカップを手に取ると、淹れたてで湯気が立っている紅茶に口をつけた。


「ふむ……、美味い。ミヤザワの細やかな気配りがよく出ている。わずかな渋みと甘み。高級な茶葉でないからと、頑迷にこれを味わおうとせぬのでは、まことの貴族とは言えぬのではないか? のう、アーデルハイドとやら」

「……そ、それが貴方の正体というわけなんですの……、わたくしですら推し量れないほどの魔力量を持つ、それが……」


 普段の僕ではありえないような優雅な仕草で足を組み、紅茶を味わう僕に、ヴェンツェルやミヤザワくんだけでなく、他の生徒達も唖然あぜんとしている。


「お、おい……、ベルゲングリューン伯のあんな感じ、若獅子祭でも見たことなかったぞ……」

「あれが本気の伯爵ってことなんじゃないのか……」

「あんな優雅なお茶の飲み方、上級貴族でもできないわよ……、超カッコいい……」


(みんな、いつもハードルを上げまくってくれてありがとう。でもこれ、絶対僕じゃないと思う……)


「今そなたの前にいるこの男はな、そなたごときから何を言われても決して傷つくことはないし、本気で怒ることもない。それどころか、どんな大国の王であろうと、あるいは神であろうと、その心に小さなヒビ一つ付けることはかなわぬであろう」


 まるで詩でも詠み上げるような声で、僕じゃない僕は言った。

 自分の声を聞いて、自分で聞き惚れてしまったのは生まれて初めてだ。

 僕の声も捨てたもんじゃなかったんだな。

 言ってることはめちゃくちゃ不遜だと思うのに、妙な説得力があって、アーデルハイドすらそのことを咎めようとはしない。


「だが……、友に辛く当たるのは絶対に許せぬ。そういう男だ。……そして、ひとたび怒ってしまえば、そなたどころか、神ですら手を付けられぬことになるだろう。わかるか? 今のそなたは、一時いっときの感情に身を任せ、そなたの人生で最も危険な瞬間を味わおうとしているのだぞ」

「あ、貴方は……怒っている時に……、そんなにおかしそうに笑うんですの……」


 真っ赤にしていた顔を今度は蒼白にしながら、アーデルハイドはうめくように言った。


「ふふふ……、おかしいとも。そなたのおかげで、私は私でいられたのだから……」

「何を言っているのか……」


 アーデルハイドはそう言いながら、ゾクゾクするような戦慄に、自身の腕を抱き寄せた。

 僕じゃない僕は、そこにアーデルハイドなどいないかのようにゆったりとした動作で、残りの紅茶に口を付ける。

 そして、カップをお皿の上にゆっくりと置いてから、アーデルハイドの方を振り向かずに言った。


「謝罪せよ」

「っ……」


 アーデルハイドは何かを葛藤するように逡巡して……、でも決意したように、僕に言った。


「わ、悪かったですわ……」

「阿呆、私にではない」

「あ、あほう……」


 僕じゃない僕は言った。


「ミヤザワに謝罪せよと言っておるのだ」

「あ、まつおさん、僕は別に……」

「ふふ、心優しいそなたならそう言うであろうな……」


 僕じゃない僕はそう言って、まるででるように、ミヤザワくんのあごに指を沿わせた。

 アーデルハイドの顔がみるみる赤くなり、周囲の生徒から「キャー!」という声が上がった。


(な、何をやっとるんじゃ!! 僕じゃない僕!! ちょっとは自重してくれ!!)


「だが、それではこの男の腹の虫が治まらぬのだ。この娘の謝罪を受けてやってくれまいか」

「そ、それは……別にいいけど……」


 (あ、あほか!! な、なんでミヤザワくんまで顔を赤くするんじゃ!!)


「ごめん……なさい……」

「ううん……、こちらこそ、余計なことしちゃって、ごめん」


 アーデルハイドが頭を下げて、ミヤザワくんも慌てて頭を下げた。


「それでよい。退席を許すぞ」


 僕じゃない僕がそう言って指を鳴らすと、ティーカップがまるで新品のようにぴかぴかになって、指でなぞるとパッと消えて、ミヤザワくんの手元に戻った。


「っ?!」


 その光景をの当たりにした周囲の生徒たちがどよめき、退席を許されたアーデルハイドも言葉を失った。


「アーデルハイドよ。貴族であるか平民であるかなど、私にとっては砂かほこりか、程度の違いに過ぎぬ。魔術の深淵はそなたが考えているよりずっと深い。砂を誇らず、埃をわらわず、おのが道を邁進するがよい」

「っ――。お、お、お、覚えてらっしゃい!!」


 アーデルハイドは羞恥に顔を真っ赤にしてなんとかそれだけ言うと、走って教室を後にした。


(あーあ……もう僕はどうなっても知らないぞ……)


 僕は心の中でこの事態をさっさと諦めることにした。

 だって、無理だもん。

 わかってしまった。

 僕ごときが何をやったって、僕じゃない僕に勝てるわけがない。


 混沌と破壊の魔女、アウローラにどうやって勝てというんだ。

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