第二十一章「若獅子祭」(17)

17


 C組生徒は儀仗ぎじょう兵による荘厳なファンファーレで迎えられた。

 ヴァイリス王宮の豪華な大広間は、まるで大聖堂のように天井が高く、宮中舞踏会が開かれるために柱も少ない。

 赤い絨毯を辿っていくと、一際豪華な大理石の石段があり、その上に玉座が2つ並んでいる。

 普段、王に拝謁はいえつする時は謁見の間の玉座を使うらしい。

 2つの玉座の右側にはジルベール大公が、左側にはアルフォンス宰相閣下が立っている。

 そこからすこし離れた左側に、貴賓きひん用の座席が用意されていて、どこかの国の王族やら大使やらが並んでいる中に、ひときわ身体が大きく、すさまじい威厳を放っている人物がこちらをじっと見ている。

 総白髪に眼帯に漆黒のマント。

 300年の和平による信頼と、その立場の大きさから、貴賓席の中で唯一佩刀はいとうを許されている男。

 ゾフィアの父である帝国元帥、ベルンハルト・フォン・キルヒシュラーガー閣下だ。


「ねぇ、ゾフィア」


 僕は小声で尋ねた。


「どうして、君のパパは僕のことをじっと見ているの」

「殿……、父上は武人なのだ」


 なんで若獅子戦が終わったのに呼び方が殿のままなんだ。


「『武人は黙して語らず、剣と目で語るもの』が父上のモットーなのだ」

「それでこんな、話を聞かない娘が育ったんだね」

 

 話を聞かない娘だから、僕のそんなツッコミはおかまいなしで、ゾフィアは続けた。


「殿も武人だ。父上の目をしっかり見れば、何を言っているか、きっと通じるはずだ」

「何を言っているか……」


 僕は帝国元帥の目をじっと見つめてみることにした。

 眼帯のない左目を見ているだけでも、すさまじい威圧感で目を反らしてしまいそうになるのをこらえて、僕はその瞳を見据える。


(熟年夫婦じゃないんだから、こんな目だけで何を言っているかわかるわけが……、いや、まてよ……)


 ゾフィアの髪や目の色であるアイスブルーに近く、でももっと深い色の目。

 その目をずっと見ていると、まるで魂で僕に語りかけているかのような……。

 それに答えてあげなくちゃいけない気がして、僕は帝国元帥ベルンハルト・フォン・キルヒシュラーガー閣下に魔法伝達テレパシーを送った。


『あの、おトイレは後ろにある廊下を出た左側にございます。元帥閣下』


 その途端、帝国元帥は厳かな表情を保ったまま、ゆっくりと僕から顔を背けて、ぴくぴくと肩を震わせた。


「あれ、違ったかな……」

「と、殿! いったい何をしたのだ!! あの父上が……、いわおのように寡黙な武人である父上が……必死に笑いをこらえておられる!!」


 ゾフィアの小声が小声にならなくなってきて、近衛兵にたしなめられた。


「あんなお姿を見たのは生まれてはじめてだ……。父上と3秒目を合わせただけで卒倒した騎士もおるというのに……。やはり殿は底が知れぬ……」


 ゾフィアはぶつぶつ言いながら自分の場所に戻っていった。


「ヴァイリス国王、エリオット陛下、ならびにユリーシャ王女殿下、ご出座ッッ!!」


 大太鼓のドォォンッ、とお腹に響く音が鳴り響いて、エリオット国王陛下、続いて「ヴァイリスの至宝」ユリーシャ王女殿下がお出ましになられ、エリオット陛下が左側に、ユリーシャ王女殿下が右側の玉座に座った。


「一別以来じゃ、ベルゲングリューン伯」


 近衛兵に誘導され、ひざまずくC組の面々から少し離れた先頭で代表としてひざまずくと、エリオット陛下からお声をかけられた。


「はっ、偉大なる国王陛下におかれましては、ご機嫌麗しくお過ごしであらせられましょうか」

「はっはっは、苦しゅうない。そなたも宮中言葉が少しは身についたようで何よりじゃ」

「はっ、未熟ながら、アルフォンス宰相閣下に厳しくご指導いただいておりますれば」

「ほう、そなたがベルゲングリューン伯に教えているのは釣りの方かと思ったが」

「ベルゲングリューン伯の釣りの腕前はすでに私などとうに越えております、陛下。礼儀作法の方はとても見ていられませんが」


 アルフォンス宰相閣下がそう言いながらうやうやしく頭を下げると、エリオット陛下が朗らかに笑った。

 今年で50歳を迎えられるエリオット陛下は年齢よりはとてもお若く見える。


(とても気さくなお人柄で、王様なのに偉ぶったところがなく懐も広い。とても好感の持てる王様だ)


 だけど……。

 僕は陛下と王女殿下をこっそり見比べた。


(王様の服を着てなかったら、ものすごい人の良さそうなただの小太りのおっさんに見えるんだけどなぁ。何をどうやったら、このおっさんのキンタマからこんなとんでもなく美しいお姫様が作られるんだろう)


 僕がそう思った途端、ユリーシャ王女殿下が玉座から落ちかけた。


「ん、どうかしたか? ユリーシャ」

「い、いえ、なんでもございません、陛下」


『ば、ばかもの!  拝謁はいえつ中になんちゅーことを考えておるのだ貴様は! 処刑するぞ!』

『げぇっ、ユリーシャ王女殿下……、勝手に僕の心を読まないでくださいよ』

『お前の思考は邪念が多すぎて勝手に入ってくるのだ。わたくしのせいではない』


 ひざまづいて陛下と問答をしながら、王女殿下と魔法伝達テレパシーで会話をするという離れ業をやってしまった。


『それとな、父上……陛下はお若い頃は大層美男子であられたのだ。母上が亡くなられた寂しさで今のようなお身体になられただけだ。今はお痩せになる努力をしておられる』

『わ、わかりました』


 そこから、エリオット陛下はC組生徒一人一人の功績を褒め称えた。

 驚いたことに、陛下は一人一人の名前を覚えていて、しかも、若獅子祭を実によく見ていらっしゃった。

 僕ですら気が付かなかったC組生徒の頑張りを褒められて、中には感激のあまり涙する生徒までいた。

 ……そういえば、ユキの話だとエリオット国王陛下は昔はものすごい剣士で、大陸で名を馳せた冒険者だったそうだ。

 だから、冒険者や士官候補生についても理解ある政策方針をお持ちなのだとか。



(すごいなぁ。これこそ王たる器ってものだ。こんなところまで見てもらえているんだって思えば頑張ろうって思うもんな。僕なんてまだまだだな)

『ふふ……、そうであろう、そうであろう』

『心臓に悪いですから心を読むのやめてください王女殿下』


「ベルゲングリューン伯よ」

「はっ」

「そなたの策や決闘も見応えがあったが、私が瞠目どうもくしたのはこれだけ個性派揃いの士官候補生をまとめあげたことじゃ。あれこそ、そなたが将たる器を持つ証左と言えよう。そうは思わぬか? ジルベール大公」


 国王陛下にそう言われて、ジルベール大公はうやうやしく頭を下げる。


「はっ、圧倒的不利な状況を恐れぬ勇気。兵の士気を下げるどころか鼓舞する統率力。予想外の事態に対応する判断力。どれをとっても一国の将に求められる気質。不肖のせがれだけでなく、小生自身が彼から学びたく存じまする」

「ジルベール大公閣下のもったいなきお言葉、恐悦至極でございます」


(少しは悔しそうな表情を見せるかと思えば、この対応。ギルサナス、お前のパパはなかなかの役者みたいだな)


「つきましては陛下、お願いの儀があるのですが、お許しいただけましょうか」

「かまわぬ、申してみよ」

「はっ、通例であれば、若獅子グン・シールの勲章と称号は宰相殿から授与されるもの。ですが、今回はこの麒麟児きりんじへの期待を込めて、武人である小生から授与させていただくわけには参りませんでしょうか」


(来た……)


 僕は思わず目を細めそうになるのを必死にこらえた。


「おお! 大公爵グランドデュークでありアヴァロニア大陸でただ一人の君主ロードであるそなたから授与されるとは、きっと伯も嬉しかろう。のう、ベルゲングリューン伯よ」

「ははっ、憧れの大公閣下からたまわるとは、栄光の極みでございます」

『憧れの大公閣下、か……、ふふふ、なかなかの二枚舌だ。そろそろ、そなたも宮廷暮らしが似合うようになったのではないか?』

『失礼なこと言ったら裸絞スリーパーホールドめてくるくせに、よくそんなこと言いますね、王女殿下』

『褒めておるのだ。そのぐらいでないとわたくしの婿は務まらぬ』

『……ん、今何か変なこと言いませんでした? 殿下? 王女殿下?』


 ユリーシャ王女殿下を問いただそうとしていると、ジルベール大公が厳かな足取りでこちらにやってきた。


「国からの称号授与は特例である。ベルゲングリューン伯ならびにC組生徒は王の御前であるが起立を許す」


 アルフォンス宰相閣下に促され、僕たちは一斉に起立する。

 ジルベール大公は両手に持った豪華な箱を開け、天鵞絨ベルベッドの上に乗せられた獅子をかたどった黄金の勲章を右手に取り出すと、箱を隣に控える近衛兵に渡した。

 そして、かつてギルサナスが僕にしたのとソックリな表情で僕に微笑むと、僕の制服の肩に左手を置いて、僕の身体を引き寄せた。


「やってくれたな、ベルゲングリューン伯」

「……」

「貴様一人のせいで、私の計画はすべて台無しだ」

「それはご愁傷さまでしたね」


 将来有望な若者に言葉を贈る武人のように周囲に見える表情と態度で、大公は僕にだけ聞こえる小さな声で醜悪な言葉を放つ。


「だがな……、まだ、挽回の目はある」

「へぇ」

「ここで私にひざまずき、陛下に若獅子グン・シールの称号を辞退し、自分などよりも大公爵グランドデュークの子息たるギルサナスこそふさわしいと奏上しろ。我が国の将来を考えれば、王女殿下との婚姻もあり、それが最良であると潔く身を引くのだ」

「よくもまぁ……、そんな恥ずかしいお願いを僕にできますね」

「ふっふっふ……お願いをしているのではない」


 ジルベール大公はさりげなく僕の肩から左手を下ろして、右の腰に差した黄金の王笏に触れて……。


「私はいるのだよ。ベルゲングリューン伯」


 僕はその瞬間、その場にひざまずいた。

 その様子を怪訝に思った国王陛下と王女殿下が顔を見合わせる。


「どうしたのじゃ、ベルゲングリューン伯」

「陛下、ベルゲングリューン伯は若獅子グン・シールの称号を受け取る前に、陛下に申し上げたい儀があるようなのです」


 見上げる僕に困ったような、あきれたような顔を十分に見せつけてから、ジルベール大公はエリオット国王陛下に言った。


「ほう。ベルゲングリューン伯、なんなりと申してみよ。

「は……、私は、自分などよりも……大公爵グランドデュークの子息たるギルサナスこそ若獅子グン・シールにふさわしいと……」


『なっ、ま、まつおさんよ……!! 大公に操られておるのか!!』


「我が国のためには……、それが最良であると……、そう陛下に申し上げろとジルベール大公に言われました」

「なっ!? なっ!?!?」


 目を見開いて驚くジルベール大公の前で僕はすっと立ち上がると、ジルベール大公の右手でぷらぷらしていた黄金の獅子の勲章をぶん取った。


「でも、そんなつもりはまったくないので、この勲章は不肖、まつおさん・フォン・ベルゲングリューン伯がありがたく頂戴いたしまーす!!」


 そう言って、僕はへらへらと笑って自分の胸に勲章を取り付けた。


「ぷっ、あはは!! あははははははは!!!」

『ユ、ユリーシャ王女殿下!! それ魔法伝達テレパシーじゃないですよ!! めっちゃ普通に大笑いしてますよ!』

『し、しまった。すまん』


 ユリーシャ王女殿下が慌てた様子で扇子で口を隠した。


「き、ききき貴様!!! 世迷い言を抜かすな!! そこにひざまづけ!!」

「ひざまづきませぬ。称号授与は特例であると宰相閣下がおっしゃいました。王命なくば頭を垂れることはありませぬ」


 僕の返答に激昂したジルベール大公は、ついに隠し持っていた支配の王笏おうしゃくを高らかに掲げた。


「ええい、そこにひざまづけ!!!」


 その言葉に、周囲の近衛兵たちが全員ひざまづいた。

 だが、僕はひざまづくことはない。

 そればかりか、C組生徒もひざまずくことはなかった。


「お前たちも、そこにひざまづけ!!!」

「無駄だ、大公閣下」


 偽ジルベールが乾いた声でそう告げる。


「私が膝をつくのは王と主君の前だけだ。私たちには心に決めた主君がおるゆえ、貴様ごときに膝を屈する事はない」


 大公爵を相手にとんでもなく無礼な口を利いていると思うんだけど、偽ジルベールがなんでもないように言うので、なぜか誰も咎め立てせず、「あ、そうだよね」みたいな空気になっている。


 だが、そんな状況をまったく許容できないジルベール大公は、支配の王笏を僕につきつけて、さらに声高に叫んだ。

 ……そろそろ、見ていられないな。


「いいから、そこにひざまずけ!!!」

「――ひざまずくのはお前だ――」

 

 特に叫んだつもりはない。

 でも、僕の声はピーン、と音を立てて大広間に響き渡り……。



 ヴァイリス王国の大公爵グランドデューク、ジルベール大公が、僕の前にひざまずいた。

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