第二十三章「ジェルディク帝国遠征」(2)


「……」


 総白髪に眼帯の老将軍がギラリと光る刃物を手に持ったまま、僕を一瞥いちべつした。

 片方だけの目から放たれる眼光を受け止めただけで、僕の身体は竦み上がりそうな戦慄を覚え、避けることのできない死を覚悟する。

 すさまじいまでの闘気。

 戦場で鬼神だとか戦鬼だとか呼ばれる類の人というのは、ただというだけで数千、数万の敵兵を怯えさせるものだと、ジルベールが貸してくれた本に書いてあったけど、あれが誇張でもなんでもなかったということを、僕はこの人を見て知った。


「……」


 ベルンハルト帝国元帥閣下はそのままくるりと身を翻し、奥の部屋に入っていく。


(ついてこい、ってことかな……)


 僕は腹をくくって、元帥閣下が入った部屋に続く。

 ……どうせこの人がその気になったら、どこにいても僕は殺されるんだ。

 いちいちビビってたって仕方がない。ビビるけど。

 ほぼ伝説上の武人の数々の異名を思い浮かべ、そんな人が肉厚の刃物を手に持っていることを考えながら、僕は部屋に入った。


「……」


 僕が来ると、元帥閣下は満足したように目を細めた。

 どうやら正解だったらしい。

 元帥閣下はそのまま、隅にある箱を見てから、広い長方形の金属製の台の上に置かれている板と、さらにその上に置かれている刃物を見て、それから僕の顔を見た。


「……」


(今度は難問だぞ……)


 僕はとりあえず、元帥閣下が最初に見た箱を覗き込んだ。

 

(ルッ君の生首だったりして。次はお前だ……みたいな)


 少しゾッとする想像をしながら覗き込んでみると……。

 玉ねぎがいっぱい入ってあった。


(あ、わかったぞ。これをあそこで切れってことかな)


 どうやらここは台所で、上にあるのはまな板と包丁らしい。

 とりあえず僕は玉ねぎを5つほど持って、台の上に置く。


「……」


(あれ、違ったのかな)


 僕は玉ねぎを戻すべきかと少し迷う。


「……」


(いや、違うな。玉ねぎの数が足りないんだ)


 僕は玉ねぎの箱に引き返し、もう5個ほど持ってきた。


「……」


(正解みたいだ)


 僕はそんな感じで、元帥閣下の目だけで判断しながら、玉ねぎを切るサイズやニンジンの処理、じゃがいもの皮むきなど、様々なことをこなしていった。


「お、ゾフィア。まつおさん見なかった?」

「しーっ!」

「そんなところで何してるの、ゾフィア」

「ゾフィア、ベルがどこに行ったか知らない?」

「まっちゃんー、どこに行ったのー! あんたの荷物、どこに置いておけばいいのー?」

「ルクスもアリサ殿も、メル殿もユキ殿も静かにするのだ。 ……あれを見てみろ」

「……なんでオレだけ殿が付いてないんだ……」

「あれは……、料理してるの?」

「そうだ……。父上と殿が……一言も言葉を交わさずに料理をされておられる……」

「うわっ、ゾフィア、お前泣いてるのか?!」

「当たり前だ……、まさか父上とこんな風に料理ができるような人物と出会い、その光景を目にすることができようとはっ……」

「わはは! 大げさな――げふぉっ!!!」

「静かにせんかたわけめっ! この宝石のようなひとときを邪魔するものは何人たりとも許さんぞ……。ここでそっと、そっと静かに見守ろうではないか……」


(……ゾフィア、全部聞こえてるんだけど……)


 正直それどころじゃないので、僕は元帥閣下の反応に注意しながら、玉ねぎをいためている。

 もうけっこうじゅうぶんに炒め終わったと思うんだけど……。


「……」

(まだってことか……)


 ベルンハルト元帥閣下は隣で小麦粉と油を混ぜながら焼き、色が変わったら火を止めて、様々な香辛料を入れてかき混ぜている。

 そんな工程をこなしながら、僕の方もちゃんと見ているらしい。

 僕が不安に思った時にちらっと見ても、常に目で何かを示してくれている。

 とりあえず、僕が玉ねぎを焦がさないように気をつけながら炒めていると、そのうち玉ねぎの水分が完全になくなり、どろっとしたアメ色の状態に変化する。


「……」

(あ、喜んでる。……たぶん)

 

「……」

(鍋に入れるのね。了解)


 だんだん僕は元帥閣下の伝えたいことがわかってきたようだ。

 僕は元帥の目で誘導されるままに暴れイノシシワイルドボアーの肉やジャガイモ、ニンジンなどの野菜を炒め、さっきの工程を終えて隣でスープを作っていた元帥閣下の鍋に入れる。

 若獅子祭の直前に宴会をやった時に呼んだ、定食屋のおかみさんに作り方を教えてもらったから知っている。元帥閣下はブイヨンからコンソメスープを作っていたのだ。


「ベルくんって料理できたんだ。あんなに手際がいいなんて、ちょっと意外だわ……」

「あいつ、定食屋がクソ忙しい時に、スープ一皿飲むのに1時間ぐらいかけてだらだら飲みながらジルベールに借りた本を読んでクソヒマそうにしてたら、ブチ切れたおかみさんに手伝えって言われて、それからちょっとハマったらしいぜ」

「なんでキムまでここにいるのよ……」

「い、いや、なんか美味そうな匂いがしてきたもんだから、つい……」


(本当、食い物に対する欲望がすごいな、キムは)


「殿を手伝いたい……、今すぐあの輪に混じりたい……。だがしかし、この宝石のような空間を邪魔したくない……、くぅっ、私はどうすればいいんだ……っ!」

「あなたって、ホントいつも楽しそうよね……」

 

 元帥閣下が先程作っていた小麦粉と油を混ぜながら焼いて香辛料を混ぜたものを鍋に入れた途端、澄んだスープの色が魔法のように茶褐色に変わり、なんともいえない、たまらなく美味しそうな香りを醸し出した。


「……」

(わかるぞ。同じのを作ればいいんだな)


 僕はさっき元帥閣下がやったように鍋で小麦粉をかきまぜた。

 思っていたよりなかなか難しい。

 油断をしていると焦がしてしまいそうで、僕はその工程に全神経を集中させた。


いだことのない匂いだけど、すっごく美味しそう」

「ヴァイリスではそういう人が多いだろうな、メル殿。この料理はジェルディク風咖喱カリーという」

「こ、これが、あのジェルディク風咖喱カリーなの?!」


 ジェルディク文化に理解が深いアリサが食いついたようだ。


「美味しいの?」

「昔、ヴァイリス王国とジェルディク帝国が交戦していた頃、ジェルディク風咖喱カリーを食べたヴァイリスの諜報員が帰国した後、どうしてもその時の味が忘れられなくてわざと捕虜になったとか、捕虜になったヴァイリス将校が、月に一回出されたジェルディク風咖喱カリーにハマって捕虜交換されるのを拒否したっていう逸話がある料理なのよ!」

「おそろしい逸話だな……」


 いつもと違うアリサに、ルッ君がやや引いている。

 連中が好き勝手言っている間に、僕と元帥閣下が交互に小麦粉を焼いて香辛料を混ぜたものを鍋に入れてかき混ぜていくと、鍋の中のスープにどんどんとろみがついていき、官能的な香りがさらに濃厚になっていく。


「もうだめだ。この匂いはオレを狂わせる……。ゾ、ゾフィア、まだ完成じゃないのか?」

「ど、どうなんだろうな……」

「……どうして急に自信がなくなったんだ」

「その……、父上は蛮族平定など様々な戦で輝かしい功績を上げ、戦場で常勝無敗を誇ったが、一度だけ敗北しかけたことがあってな……」

「あの無敗の龍王が、敗北……、どんな恐ろしい敵だったんだ?」

「……食べたんだ」

「え?」

「私が子供の頃に焼いたクッキーを戦場で食べて、腹を壊しているところを狙われたのだ……」

「……」

「それ以来、私は厨房に立つのを遠慮してしまうようになってな。恥ずかしながら、料理については疎いのだ……」

「大丈夫よ、ゾフィア」

「ユキ殿?」

「まっちゃんは優しいから、あんたのクッキー、10個でも100個でも食べてくれるわよ」

「ユキ殿……」


(ユキ……あとで覚えてろよ……)


 僕がゾフィアのクッキーを食べる時は、絶対ユキも招待してやろうと心に決めた。

 お、元帥閣下がこっちを向いた。


「……」

(かきまぜているうちに皿を用意しろ、ね。了解)


 僕は後ろにある食器棚から、深いお皿を取り出した。


「……」

(ん、違う。浅いお皿の方がいいのかな)

「……」

(正解か)

「……」

(そこの釜を開けろ。はいよっと)


 僕がその釜を開けると、真っ白な湯気と共に、きらきらと光る白い粒がぎっしり詰まっているのが目に飛び込んできた。

 

(おお、これは知ってる。米だ! ヴァイリスでは珍しいんだよな……)


 ヴァイリスの気候と合わないのか、栽培方法が難しいのか、東方の王国セリカとの交流が薄く米食文化が定着していないためなのか、ヴァイリスではなかなか目にすることも、口にすることも少ない。

 

(これ、ベルゲングリューン市で栽培できないかな……、リップマン子爵とかおっつぁんあたりに相談してみるか……)


 そんなことを考えながら、僕は炊きたてのお米を平皿に盛った。


「……」

(真ん中じゃない、端によせろ、と)


 僕は元帥閣下の意図を汲んで、米を平皿の片面に寄せ、それを人数分用意した。


「……」


 元帥閣下はスプーンで茶褐色のスープをすくうと、それを僕に向けた。


(味見しろってことかな)


 僕はおそるおそる口を近づけて、ふー、ふー、と少し冷ましながら、口を開いた。


「おおっ!! ち、父上が!! 父上が殿に『あーん』をしておられるッッ!!!」


 めちゃくちゃうるさいゾフィアを気にしないことにして、僕はとろりとしたスープを口一杯に頬張った。


「うわ、うまっ!! うんまっ!!! めちゃくちゃ美味いです元帥閣下!!!

「……」


 元帥閣下は表情を変えないまま、口角を少しだけくい、と釣り上げた。


「!? ち、父上が……笑った……」

「え、今の笑ったの?」


(ふふん、元帥閣下初心者どもめい……)


 ずっと無言でやり取りをしていたせいだろうか。

 僕は一緒に料理を作ったひとときで、あれほど岩壁のように無表情だと思っていた元帥閣下が、とても表情豊かであるように思えてくるようになっていた。


(今の元帥閣下は、満面の笑みクラスだったじゃないか)


 元帥閣下が完成した「ジェルディク風咖喱カリー」をおたまですくって、アツアツのお米のそばにとろーりと振り掛ける。

 無造作にやっているように見えて、実に繊細だ。


(あ、お皿にちょっとはねたのを布巾ふきんで拭いたっ!! 繊細!!)


 豪快、豪壮、豪傑、とにかく「豪」という言葉が似合う元帥閣下の細やかな気配りに、僕は少し感動して心の中でゾフィア化してしまった。


(さぁ、これでいよいよ完成かな……、ん?)


 元帥閣下は棚に置かれていた、緑色の小さな草のようなものを手に取ると、それを湯気の立った米の上でぱらぱらとまぶしはじめた。


(あ、あれは……パセリ?! げ、元帥閣下が、パセリを粉末にして米の上に撒いておられるっ!! 繊細!!! 繊細すぎるッッ!!)



 こうして、僕とベルンハルト元帥閣下合作のジェルディク風咖喱カリーが無事完成した。

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