第二十三章「ジェルディク帝国遠征」(3)


 みんなとジェルディク風咖喱カリーで大いに|舌鼓を打った後、僕はログハウスでくつろいでいた。

 キルヒシュラーガー邸の離れにある、とても大きなログハウス。

 ジェルディク産の良質な丸太を組み合わせて作られた建物はとてもキレイで、大きな窓から陽光が差し込み、緑豊かな庭園が一望できる離れは、失礼ながら質実剛健な帝国元帥閣下には似つかわしくないほどモダンというか、ヴァイリスの首都アイトスで人気のオシャレなカフェテラスのような内装だった。

 

……もっとも、暖炉の上に飾られている、おそらくご自身が釣り上げたのであろう巨大なクロカジキの剥製だけは実に元帥閣下らしかった。


「……それで、あんたの荷物はどこに置けばいいの?」


 ユキが僕の荷物袋を持って尋ねた。

 そういえば料理を作っていた時も、それで僕を探していたみたいだったな。

 僕は到着するなり、このログハウスの厨房に連行されたので、仕方なく荷物を預かってくれていたみたいだ。


(どれどれ……)


「……」

(後で使うから、ログハウスの外に置いておいてくれてかまわない)

 

 僕はベルンハルト元帥閣下の真似をして、ユキに目だけで合図を送ってみた。


「ねぇ、聞いてる?」

「……」

(後で使うから、ログハウスの外に置いておいてくれてかまわない)


 ユキの目をじっと見つめて、僕は自分の想いを伝えてみる。


「ちょっと……、じっと見つめて……何?」

「……」

(後で使うから、ログハウスの外に置いておいてくれてかまわない)


 ん、ユキの顔が少し赤くなってるような……。


「……」

(後で使うから、ログハウスの外に置いておいてくれてかまわない)

「人がわざわざ持ってきてあげたってのに、無視してんじゃないわよ!! バカ!」

「へぶぅっ!!」


 顔面に荷物袋を投げつけて、ユキがぷんすか怒ってどこかに行ってしまった。

 どうやら、僕のふざけた態度にムカっときて顔が赤くなっていたらしい。


「ふむ……、僕もまだまだ修行が足りないな……」


 元帥閣下のように目で語れるようになるのは、まだまだということかもしれない。

 ……いや、でも、ユキがどんくさいだけという可能性もあるな。


「ガウガウガウガウガウガウッッ!!!!」

「ひぃぃぃぃぃ!!! 助けてっ、助けてくれぇぇっ!!」

「またルッ君か。どこに行っても騒がしいヤツだなぁ……。これ、お行儀よくしなさい」

「まままままつおさんっ、助けて! 助けてくれぇ!! っていうか、お前も逃げろ!! この家はヤベェのがいるぞ!!」


 ルッ君がそう言って庭からログハウスの中まで全速力で駆けてくると、半泣きになりながら僕の背中に回った。


「なにその服、ボロボロになってんじゃん。ぷっ、パンツが見えてるよ」

「そ、それどころじゃないんだってば! 地獄の番犬ケルベロスみてぇなのに追われてるんだよ!」

地獄の番犬ケルベロス? さっきのガウガウ聞こえてたやつか? またルッ君はいつも大げさ……うわっ!!!」


 ルッ君を追ってログハウスまでやってきた犬を見て、僕は思わず声を上げた。

 いや……、先入観で犬だと思ったけど、これは……犬というよりは狼だ。 

 それも、ものすごく大きい。

 なるほど、ルッ君が地獄の番犬ケルベロスと言ったのもうなずける。

 でも、よく見ると、とても毛並みが美しい。


「グルルルルルゥゥゥッ!! グルルルルゥゥッ!!!」


 牙をむき出しにして、ルッ君を威嚇する巨大な狼。

 ……こんなに大きくなかったけど、冒険者ギルドにある図鑑でなら見たことがある。

 ダイアウルフだ。


「何をやったんだよ、ルッ君……」

「い、いや、おれはただ……」

「ただ?」

「ただ、その……」

「その?」

「は、はわわっ、く、来るぞ!!」


 僕が問いただしている間に、巨大なダイアウルフが全身の毛を逆立てながら、ゆっくりと近づいてくる。

 ……僕が敵なのか、味方なのか、警戒しているようだ。


「ちょ、ちょっと……。これ、ルッ君のせいで僕まで噛み殺されそうな気がするんだけど……」

「い、いやだ……噛み殺されたくない……」

「それはそうだろうけど……、よく理由もわからないまま一緒に噛み殺される友達の気持ちも、少しは考えてみてくれない?」


 とりあえず、なんとかしなくては。

 しかも時間もない。

 考えろ。

 考えるんだ。

 ダイアウルフは知らないが、飼い犬は家族に序列を付けるらしい。

 冒険者ギルドでバイトをしていた時にガンツさんから聞いた話だと、いつも餌や散歩に連れて行ってくれる奥さんが一番で、その奥さんがかわいがる息子が二番、ひと仕事終えて帰ってきた自分は玄関で吠えられるのだと悲しそうに言っていた。

 ……この家の序列で言うと、一番が誰かは言うまでもない。

 地上最強と言われても誰も驚かない男。ベルンハルト・フォン・キルヒシュラーガー帝国元帥閣下その人だ。


暗黒卿ダークロードと戦った時にメルになりきったように、今度は元帥閣下になりきるんだ!)


 僕は今にも飛びかからんとするダイアウルフの前で腕を組み、真っ直ぐにその瞳を見据えた。


「……」

わしは帝国元帥、ベルンハルト・フォン・キルヒシュラーガーである!!)


 ダイアウルフは僕の方を見て、ガウッ!!と大きく一吠えした。


(うっわ、っわ! じゃなくて、ええと……)

「……」

(武人は言葉ではなく、剣と目で語るもの。わしは無駄口は叩かぬ。だって帝国軍人だもん)

 

 ダイアウルフは警戒しながらも、「こいつは何をしているんだ?」という風に首をかしげる。


「……」

(貴様もそうであろう? 目は嘘は付かぬ。たとえ種族が違えども、お互い、わかりあえるのではないか?)

「がる」


「……」

(娘のゾフィアが大好きである。わしシャイだから口に出しては言わんけど)

「がる」


「……」

(というのは嘘で、僕はまつおさんっていうんだ。よろしくね)

「がる」


「……」

(ほら、なでなでしてあげるからコッチおいで。あ、僕の後ろにいるやつは噛み付いちゃっていいからね)

「がるっ!」


 巨大な狼は、頭をさげたまま近くにやってきて、僕の足元でちょこん、と座った。

 おおおっ、ちゃんと目で通じた!!

 僕はちゃんと通じた嬉しさと、その狼の賢さに感動して、頭をごしごしと撫でてやった。


「がる、ごろごろごろごろ」

「ヨーシヨシヨシ。ふふっ、君は喜ぶと猫みたいに喉を鳴らすんだねー」

「す、すげぇ……、お前、このバケモノを懐かせたのか?! ど、どうやって……」

「がうがうがうがうっ!!!」

「ひ、ひぃぃぃっ!!!」


 もう安心と、ルッ君がひょっこり顔を出した瞬間、巨大な狼は牙をむき出しにして吠え立てた。


「こ、殺されるっ! オレだけ殺されるぅぅぅ!!」


 ルッ君は僕がもはや巻き添えとして機能しないと思ったのか、一目散に逃げていった。


「アイツに会ったらエサにしちゃっていいからねー? ヨーシヨシヨシ」

「……」


 ふいに、僕はこちらをずっと見ている視線に気がついた。

 どうやら、狼がログハウスに入ってきた時にあわてて追いかけてきて、僕と狼の一部始終を見ていたらしい。

  腕を組んで、こちらを値踏みするように上から下までじろじろ見ていたが、僕と狼が仲良くなって呆気に取られている、といった様子の、アイスブルーの髪を短めにカットして、紺色のカチューシャを付けた、……かなりの美少女。


 ん、アイスブルー? 


「ゾフィアの妹さんかな?」

「はい。お兄様」

「お、お兄様って……」


 僕に声をかけられると、彼女は腕を組んだまま、にっこりと僕に笑った。


「私はテレーゼ。姉のゾフィアの1つ下の妹になります。どうかお見知りおきを」

「あ、よろしくね。僕はまつおさん。ゾフィアのクラスメイトだよ」

「ええ。お兄様のことは姉からいつも伺っておりますわ」


 ……なんだろう……、姉より100倍ぐらい手強い感じがする。

 いや、姉は姉で違う意味で手強いんだけど……。


「それにしても、驚きました。気が立っていたその子をただ目だけで大人しくさせるばかりか、従わせてしまうなんて……」

「かわいいね、この子」


 僕がしゃがみ込むと、僕の顔をぺろぺろと舐めてから、僕の膝の上に前脚を投げ出して、舌を出してこっちを見ている。


「もしかして、君が命令しないと絶対に噛みつかなかった?」

「ええ、お兄様。お客人に何かがあったら大変ですもの」


 ……その割には、ルッ君の服がズタボロだったような……。

 まぁ……、別にいいか。


「でも、さっきの殿方がお声を掛けていらしたので、お兄様のことをお聞きしたら、『オレはまつおさんの一番の親友だから、なんでも聞いて』っておっしゃいながら肩を組もうとなさって……、それであの子が怒ってしまったんです」

「ルッ君……何をやっとるんじゃあいつは……」


 僕は軽くめまいがした。

 ルッ君が買っているしょうもないモテテクニックの本を全部没収して、ジルベールの持っている本を学期休暇の間に全部読ませてやろう。

 だいたい、テクニックを使えばコロッと落ちるほど女の子はバカではないし、それでコロッと落ちると思っているってことは女の子をバカだと思っているということであって、自分のことをバカだと思っている相手をまともな女の子が好きになるわけがないだろう。


(普通にしてれば、普通にモテると思うんだけどなぁ……)


 でも、ルッ君はたぶん、いろんなモテテクニックの本を読みすぎて、もう「普通」が何なのかがわからなくなってしまっている。

 「女の子は自分の話を聞いてくれる人が好き」みたいなのを真に受けて、女の子の話を親身に聞こうとしまくって逆に気持ち悪がられたり、「同じ口癖の人に親近感を覚える」みたいなのを真に受けて、「〜なんだよね」って言った女の子に「……なんだよねー」ってヘンな相槌を打って気持ち悪がられたり、「女の子は気がある相手と話す時は瞳孔が開く」っていうのを真に受けて、話す時に目を見すぎて気持ち悪がられたり。

 とにかく、すべてがマイナスの方向に向かってしまっているのだ。


(まぁ……、ルッ君がモテないのは別にいいんだけど……、それで女の子に被害が出るのはいかんな)


「僕の級友が非常識なことをして本当に申し訳ない。怖くなかった?」

「あの姉の妹ですので。むしろあの子が怒らなければ、ケガをさせてしまったかもしれませんわね」

「な、なるほど……」


 どうやら級友がこれ以上道を踏み外して世間の女性にご迷惑をかけないように、早急に対策を練らなければならないようだ。

 そうだ。

 ゾフィアに相談して、「おとこの中のおとこ」ベルンハルト元帥閣下に根性を叩き直してもらおう。


「それで、普段は絶対噛まないんですが、怒ったあの子が何をするかまではわかりませんから、慌ててやめさせに来たんですけど……、うふふ、申し訳ありません。途中で、お兄様を試させていただく良い機会だと思ってしまって……」


 ちっとも申し訳なさそうに、テレーゼがにこにこと笑っている。


「試すって……」

「姉はちょっと大げさで、思い込みが激しいところがありますから……」

「ああ、よくわかってるなぁ。……君はちゃんとした妹さんなんだね」

「まぁ! うふふっ!! お兄様もちゃんとした方みたいで嬉しいです」


 きっと、家にいた頃は姉のそういうところで大変だったんだろうな。

 お互いのゾフィアでの苦労がしのばれて、シンパシーを感じてしまった。


「でも、姉が私に聞かせるお兄様の評価が、思い込みでも誇張でもなんでもないということがよくわかりましたから、妹としては一安心です。むしろ、ちょっと怖いくらい」

「い、いや、完全にお姉さんの思い込みで誇張だと思うんだけど……」

「お兄様? 私は、姉よりも人を見る目には自信があるんですよ?」


 テレーゼはそう言って組んでいた腕をほどくと、上目遣いでこちらを見ながら……いや、ゾフィアより背が低いから必然的にそうなるんだけど……、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

 ゾフィアよりも背は低いけど、負けないぐらい手足がスラリとしていて、しなやかで引き締まったお姉さんの印象よりは、女性特有のやわらかさとか、丸みをおびた曲線とか、そういうものを感じさせる身体。


「姉とは昔から仲良しでした。性格は全然違いますけど、姉にはずっと憧れていました。……そんなこと、本人の前では絶対言いたくないですけどね……」

「そっか」


 恥ずかしいのかな。

 それとも、妹には妹の意地、みたいなのがあるのだろうか。

 憧れのお姉ちゃんだって言ってもらえれば、ゾフィアなら大喜びすると思うんだけどな。


「そのせいでしょうか。姉が欲しいものはなんでも欲しがる子供でした。小さい頃から姉が父から何かを与えられたら、同じものが欲しいとよくワガママを言ったものです」


 テレーゼはそう言いながら僕の近くでかがみ込み、四つん這いになると、まるで猫のように僕に近づいてきた。

 というか、近い。ちょっと近すぎない?

 ゾフィアからはライムのようないい匂いがするけど、テレーゼから漂う香りは……椰子の実ココナッツのような、甘い匂い。


「っ……」


 そんなことに気を取られていると、テレーゼが突然、僕の首に手を回して抱きついてきた。  


「ちょ、ちょっ……」


 狼の方をちらりと見ると、「がう」と一言だけ言って、僕の膝に顔を乗せた。

 

(狼くんなにしてるの! 今これ怒るところでしょ!)


 テレーゼはそのまま、僕の耳元に顔を近づけて、言った。


「……お兄様もです。姉だけに独り占めはさせませんから」

「ひ、独り占めって……」


 ささやくような声が耳をくすぐって、思わず背中がぞくぞくっとしてしまった。

 自分の心拍数がどんどん高くなっていくのを感じる。


「うおおおおおおおおおおおお!!!!!」

「うわっ、何?!」


 その時、ゾフィアの大声が後ろから聞こえてきて、テレーゼがぱっと僕から離れた。

 僕も思わず、襟元を直す。

 ……なんで僕まで、ちょっと後ろめたい感じにならなくちゃいけないんだ。


「イスカンダルが!! イスカンダルが!!! 殿になついておるッッ!!!!」


 僕の膝の上でとうとう寝始めた狼を指差して、ゾフィアが叫んでいた。


「イスカンダル……。その名前、絶対ゾフィアが付けただろ……」

「殿?! さすがであるな! なぜわかったのだ?」


 ……そんないかつい名前をペットに付けるのはゾフィアしかいないからだ。

 ドン引きした僕は心の中で返答した。


「お兄様は、暴走したこの子を、一言もなく、目だけでおとなしくさせたんですよ、お姉様」

「なんと……くっ……、その光景をこの目で見たかった……!」


 駆け寄ったゾフィアが膝をついて悔しがった。


「イスカンダルは私たち姉妹にとってはかわいい弟のようなものでな。私がジェルディク帝国を離れてからは、妹に世話をしてもらっていたのだ」

「そうだったんだ。……お姉さんに会えてよかったね、イスカンダル。ヨーシヨシヨシ」


 僕がなでてやると、イスカンダルは少しだけ目を開けて「がう」とだけ言って、また気持ちよさそうに目を閉じた。

 吠えている時はめちゃくちゃ凶暴に見えたけど、こうしていると本当にかわいいな、こいつ。


「妹はこう見えて、動物たちと意思を通わせるのに長けていてな。私は今でも半信半疑だが、森の鳥たちと会話ができるのだそうだぞ」

「お姉様はすぐ捕まえて焼いて食べてしまうから、鳥たちが怯えてやってこないんです」


 二人で床に座り込んでやり取りをしているのを見ると、家族って感じがするな。

 僕は一人っ子だから、こういうのはちょっとうらやましい。


「殿、よかったらこの後、イスカンダルと散歩でもしないか。テレーゼも一緒にどうだ?」

「ええ。喜んでご一緒します」


 姉の提案に、妹がにっこり微笑んだ。


「よし。それではちょっと着替えてくるから少し待っていてくれ」


 ゾフィアはそう言うと、すっと立ち上がった。


「あと、それからな……」


 ゾフィアは妹の方を振り返って、ジトッとした目で見ながら言った。


「殿は、やらんぞ」

「は?」


 思わず声に出た。


「お姉様、独り占めはズルいですよ。お父様が昔、私たちに言ったではないですか。なんでも姉妹で仲良く分け合いなさいって」

「いや、それはちょっと意味が違う気が……」

「ううむ……、父上を引き合いに出されると弱いな……」

「弱いんかーい!」

「だったら、はんぶんこで。それならいいでしょう?」

「はんぶんこ、はんぶんこか……。ううむ……それなら……いや……」

「そこで悩むんかーい!」

「うふふ、決まりですね!」


 テレーゼはそう言うと、僕の右腕に自分の左腕を絡ませた。


「なっ!! 卑怯な!! 私もまだ殿とはそこまでのことは!!」


 ゾフィアがそう言って、僕の左腕に右腕を絡ませようとして……。


「いだ、いだだだだだだっ!!! それまってる! 関節まってるからっ!!」


 やり方がわからなかったらしく、強引に絡ませた腕で肘関節をめられて、僕が悲鳴を上げる。

 寝床が騒がしくなって、イスカンダルが「がう」とだけ言った。

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