第二十九章「士官学校ギルド」(5)
5
「なぁ」
「うん?」
二人で、細長い通路を歩いていると、サンダルを履いたルッ君が話しかけてきた。
ヴェンツェルたちは別行動で、
ソリマチ隊長とガンツさん、
「あのさ……」
「……なぁに?」
ルッ君が切り出しづらそうにしている。
何か、深刻な相談なんだろうか。
「その、おっぱいの話なんだけどさ」
僕は石につまずいてコケた。
「いててっ……な、なに……」
「お前さ、こないだユキたちとおっぱいの話してただろ?」
「……ああ、おっぱいの重さが打撃の強さに影響するって話?」
「そうそう」
ルッ君がコクコクと
「すごいよね。ユキは身体のハンデを武器にしてるんだから」
「い、いや、そういうことじゃなくてさ……なんで、そういう話ができるの?」
ルッ君が深刻な顔で尋ねた。
「……えっとね、ずっと南方にある熱帯雨林に、女戦士だけの部族がいるんだけど、弓を射るのに邪魔だからって、右のおっぱいを切り落としちゃうんだっていう話を女子の誰かがしてたんだよ。で、ユキはハンデだと思わないのかなって」
「いや、だから、そういうことじゃなくて!」
「え?」
「なんでお前は女子とそういう話をすることが許されるのかって話だよ!」
「ああ……、なるほど……なんでかな」
「オレだったら絶対ビンタされるか、キモがられるか、どっちかだろ?」
「……うっ……ううっ……」
ルッ君の言葉に、僕は目頭が熱くなるのを感じた。
「あのな、そういう泣き真似はやめろよ……って、うわっ、お前本当に泣いてるじゃん!」
「ううっ……」
「そ、そんな最悪な同情するなよ!! 泣くなよ!! オレが泣いちゃいそうだよ!!」
「違う、違うんだ、ルッ君……違うんだ……」
僕はハンカチで涙を拭きながら言った。
「ルッ君も成長したんだなぁって……。ちゃんと、ビンタされるとかキモがられるってことがわかってきたんだなぁって思うと、つい……」
「以前のオレはどんだけだったんだよ……」
げんなりするルッ君を見ながら、僕は言った。
「たぶんね、僕、女子たちとああいう会話をしている時、男としてしゃべってないんだと思う」
「男としてしゃべってない?」
「うん。うまく言えないんだけど、そんな感じ」
「それって、ジョセフィーヌみたいな感じってことか?」
ルッ君は半分冗談のつもりで言ったんだろうけど、僕はまじめに
「うーん……。まぁ、言ってしまえばそうかも。ジョセフィーヌも女子トークで盛り上がってたりするでしょ」
「ああ、たしかに」
「たとえばなんだけど、ここにすっごく美味しい、とっておきのプリンが1つだけあるとします」
「うん」
「ルッ君がそれを一口食べている時に僕が近付いてきて、『おいしい?』って聞いたら、なんて答える?」
「すっげぇ美味いよ、かな」
「うん、よかった。そうだよね」
「なんなんだ、この質問……」
「じゃ、同じことを、すっげぇお腹を空かせたキムが聞いてきたら?」
「えっ……、えっと……、クソまずいって答えるかな……。い、いや、違う。アイツは『クソまずいなら俺によこせ』とか言いそうだしな。とりあえず逃げるかな……」
「そう、それ!」
僕はビシッと、ルッ君を指差した。
「すっげぇおっぱいを触りたいルッ君がおっぱいの話をしてきたら、そりゃ女の子も逃げるでしょ」
「……腹立つぐらいわかりやすい話だけど、お前だっておっぱい触りたいと思わないの?」
「そりゃ、僕だって年頃の男子だからそれなりには……、でも、ルッ君のとはちょっと違うかな」
「どう違うんだよー」
古代迷宮で何の話しとるんじゃと思いながらも、僕は答えた。
「たとえば、ルッ君は、たまたま女子のおっぱいが手に当たったら、ラッキーとか思うでしょ」
「……思う」
こういうことを素直に認めるようになっただけでも、ルッ君は成長したと思う。
「僕はそういうの、あんまりないんだよね」
「ええー、うそだー!」
「ほんとほんと。どっちかっていうと、触ることよりも、触った時の女の子の反応を知りたいというか……」
「えっ」
「だから、女の子が触ってもいいっていう状況にならないと、たぶん僕はルッ君みたいにムラムラしないんだよ」
「え、え、えっちじゃん!!」
ルッ君が僕を指差して、顔を真っ赤にして叫んだ。
「オレなんかより、お前のほうが100倍えっちじゃん!!」
「ははは、そうかも」
ゴゴゴゴゴゴ……。
「ま、まつおさん……、この音」
「うん、僕も聞こえてる……。近付いてるよね……、なんか、やばーい予感が……」
僕たちが後ろを振り返ると、血相を変えてこちらに走ってくる連中がいた。
「はわわわわわっ……!!! 団長、はやく!! はやく逃げてください!!!」
「ま、待て、太鼓、ワシらの命である太鼓が……!!!」
「そ、そんなもん置いて行きなはれ!!!」
「だぁぁっ!!! オレが持ってやるから、さっさと走れ!!!」
「うおおおおっ!! ガンツ殿ぉぉぉぉ!!! この男
「絶対付いてくんな!!!!」
「まつおさんよ、逃げろ―!!!」
「殿ぉぉぉぉぉ!!! 大変じゃぁぁぁ!!!」
毒島応援団の太鼓を担ぎ上げたガンツさんが。
その後ろを
さらにその後ろに、重い甲冑を一つずつ外してぽいぽい捨てながら走ってくるユリシール殿……というか、もはやそのまんまのユリーシャ王女殿下と、ソリマチ隊長が必死の形相でこっちに向かってきている。
そんな連中の後ろから、細い通路を完全に塞ぐように、巨大な丸い鉄球がゴロゴロと転がってきていた。
「ちょ、ちょっとちょっとちょっとぉぉ!!!!」
「ど、どうすんだよ?! この先は行き止まりだぞ?!」
めちゃくちゃ焦りながら、僕は必死に考えた。
「えーと、えーと……たぶん、行き止まりにたぶん、落とし穴がある!!」
「な、なんでそんなことがわかるんだよ?!」
「あの鉄球、どうせ罠か何かでしょ?! 昔の仕掛けがまだ生きてるってことなら、
「わ、わかった。……でも、ここで死んじゃうかもしれないから、一個だけ聞いてもいい?」
「な、なに?!」
「お前ってさ、もうクラスの女子の誰かに、おっぱい触らせてもらったりしたの?」
「あ、あほか!! 一個だけの質問でゲスいこと聞いてんじゃないよ!! 行って来い!!」
僕に言われて、ルッ君が全速力で駆けて行った。
死ぬかもしれない時にそれを知ってどうするつもりだったんだ……。
「みんな、突き当りまで全速力で走るんだ!! もしかしたら仕掛けがあるかもしれない!!」
「ま、まつおさんよ!? そなたは! そなたはどうするのじゃ?!」
「いいから、早く!! おっつぁんも早く逃げて!!」
「と、殿……!? いつもみたいに何か考えがあって言っちょうとね?! ぜってぇ無理せんでごせよ?!」
ソリマチ隊長に大きくうなずいて、僕は迫りくる巨大な鉄球と対峙した。
実際のところ、考えなんてものはない。
王女殿下が逃げ切るまでの時間稼ぎ。
毒島応援団はともかく、王女殿下をこんなところで死なせるわけにはいかない。
それだけだ。
毒島応援団はともかく。
それでも、なんとか方策はないかと考える。
床に落ちているのは、毒島応援団の太鼓を叩くための
「うはは、だめだ。助かりようがない」
僕はピンチすぎて思わず笑ってしまった。
こういう状況になったら、なんだかんだで切り抜ける自信がわりとあったんだけど、今回ばかりはなんの手立ても見当たらない。
そこで、ふと、足元にある異様な物体に目が行った。
聖剣エクスカリバーの刺さった巨大な岩。
通路は細く、鉄球が完全に塞いでいるけれど、縦にはわずかに余裕がある。
この岩が破壊されなかったとしても、球体だから勢いに乗ってそのままゴロゴロと踏み越えていくだけだろう。
それでも、うまく引っ掛けることができたら、勢いを弱めることぐらいは……。
僕はそう考えて、聖剣のささった岩を両手で掴んだ。
「ふぬぬぬっ!! ぐぅんぬぬぬぬぬぅっ!!!!!」
……だ、だめだ。
まったく動かない。
あの王女様はあんなに小さい身体で、どんな腕力をしているんだ……。
「ぐぅおおおおおおっ!!!!!」
全身全霊を込めて動かそうとしても、ピクリとも動かなかった。
そんなことをしている間に、巨大な鉄球が僕の目の前にまで迫ってきていた。
「うわああああああ、も、もうおしまいだああああ!!!!」
手が岩から離れて力のバランスを失い、僕は尻もちをつきかけ、思わず聖剣エクスカリバーの柄を握った。
すぽっ。
「え?」
僕が柄に手を掛けた瞬間、ユリーシャ王女殿下があれだけ振り回しても抜けなかった聖剣エクスカリバーが、すんなりと抜けた。
その瞬間、エクスカリバーの刀身がまばゆい光を放ち、全身の血が沸騰するような熱気が体中に広がった。
(……と、とにかく考えている場合じゃない!)
僕は迫りくる鉄球にむかって、聖剣エクスカリバーを両手に構えた。
大昔に神様だか伝説の鍛冶職人だかに作られた剣のはずなのに、おどろくほど握り心地が良い。
そして、信じられないぐらい軽い。
(こんな剣であの鉄球がどうにかなるとは思えないけど……、いや、違う、イメージするんだ)
恐怖で身がすくみそうになる中、僕は呼吸を整えて、鉄球が両断される映像が浮かぶまで何度も脳内でイメージを構成する。
「両断せよっ!!! エクスカリバー!!!」
ギュゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!!!!
およそ、剣撃の音ではなかった。
鉄球に叩きつけた手応えも、まったくなかった。
まるで、何かの太い光線を放ったような感触と共に、鉄球の中心に一筋の線が入り……。
巨大な鉄球が真っ二つに両断されたところで、急に僕の頭の中に声が響いた。
「聖剣に選ばれし者よ……」
「うわっ」
「その剣を手にし、選ばれし者の過酷な運命を背負う覚悟がそなたに……」
「ない! まったくない! ないでーっす!!!」
僕はあわてて、エクスカリバーが刺さっていた岩に聖剣を突き刺した。
「ふぅ、これでよし、と……」
「よくないわ!!! バカもんが!!!!」
いつの間にか駆けつけていたヒルダ先輩に、僕は思いっきりゲンコツでしばかれた。
「き、貴様、今のがどういうことかわかっているのか?! 聖剣だぞ?! 聖剣エクスカリバーが貴様を所有者として認めたということだぞ?!」
興奮度MAXのヒルダ先輩が、僕の襟首を掴みながら言った。
「い、いや、どうせ僕じゃなくて、僕の中のアウローラを認めたとかでしょ……」
「そ、そんなことはどうでも良いから……、もう一度、剣を抜くのだ……。全冒険者の憧れ、その歴史的な瞬間を私に見せてくれ……」
「嫌ですよ……。そもそも過酷な運命って何? ヴァイリスくじで10億ゴールド当たったなら、多少の過酷な運命も受け入れますけど……、こんなもん持ったぐらいで……」
「俗っぽいことを言うな! 聖剣エクスカリバーをこんなもんとか言うな!!」
ヒルダ先輩の後ろで、ヴェンツェルも興奮した様子で、眼鏡をかけているのに眼鏡を探している。
「いいから、ちょっとだけ抜いてみろ。先っちょだけでいいから……」
「ええぇ……やだなぁ……」
「やれ。 生徒会長命令だ」
ヒルダ先輩に言われて、僕はしぶしぶ聖剣を引き抜こうとした。
「あれ……、抜けない……」
「そういう演技はよせ。ちゃんと抜いてみろ」
「いや、本当に抜けないんですって、ほら!」
僕は岩に足を乗せて、両手でエクスカリバーを引き抜こうとしたけれど、一切抜けることはなかった。
「あああああっ!! 貴様があんなことをするから!! あんなことを言うから!! 聖剣がスネてしまったではないか!!」
「……スネるんですか? そんな剣やっぱり嫌だな……」
僕がそう言った途端、聖剣エクスカリバーの色が変色しはじめた。
「おわ? なんだなんだ」
神々しい輝きを放っていた聖剣エクスカリバーの刀身がどんどん色褪せていき、誰も見向きしないような、錆びついた、ボロボロの剣へと変貌していく。
「せ、聖剣エクスカリバーが……朽ちていく……」
ヴェンツェルが震える声でうめいた。
「う、うわああああ!! 聖剣が……、エクスカリバーが……!!!」
ヒルダ先輩が頭を抱えながら地面に膝をついた。
ヒルダ先輩が「うわああああ!!」って言ったところを見たことがある人は、たぶんそうそういないと思う。
「おまえ、どうするんだ、これ……。おとぎ話に心躍らせるアヴァロニアの子どもたちに、聖剣伝説に憧れる各国の冒険者たちに……、どう説明するんだ、これぇ……」
ヒルダ先輩がすがるような目で僕を見た。
「……ああ、メアリーがいなくてよかった」
僕がそう言った途端、奥でガタッ、と物音がして、タッタッタ、と小走りで走り去る音が聞こえた。
「うそでしょ……」
「……貴様の魔法で今すぐ
「あんた祖父より恐ろしい人だな!」
僕は思わずヒルダ先輩にツッコんだ。
『くっくっく……あっはっは!!! あーっはっはっはっは!!!』
上機嫌のアウローラがさっきから爆笑している。
『聖剣を私に破壊されて呆然とした勇者の顔はかつて見たが……、よもや聖剣に選ばれることを放棄する者が現れようとはな……』
(い、いや、だって……、あんなもん持ってたら冒険どころじゃなくない?)
『……まぁ、過酷な運命を背負うとはそういうことだな。力ある者は孤独なものだ』
そう。
ヴァイリスのおとぎ話にも、なんの取り柄も力もない人が、実は特別な力を持った勇者だった、みたいなお話がたくさんある。
一度死んだ男が特別な力を持って転生して、人々から慕われ、英雄と担ぎ上げられ、やがて世界を救ってキレイなお姫様と結婚して、王になって……。
最初はワクワクして読むんだけど、僕は同時に、なんとも言えない虚しさも感じるんだ。
だって、人々から慕われるのも、英雄になるのも、その人の本来の力じゃないわけで。
みんながだまされてるって言ったら言い過ぎかもしれないけれど、そんな特別な力でモテたり、人に好かれたり、慕われたりする人生って、ただ虚しいだけじゃないのかな。
僕のひどいところ、ダサいところ、かっこ悪いところを知った上で、クラスのみんなも、他の人たちも仲良くしてくれる。
聖剣エクスカリバーがこんなことになってうろたえているヒルダ先輩も、僕の功績で一番気に入ったのは他のまぐれみたいなやつじゃなくて、「士官学校クエスト」だって言ってくれた。
僕にはベルンハルト元帥閣下からいただいた
聖剣ばかり振り回して、小鳥遊の
そんな人生、僕はいらない。
「あああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!! 聖剣が……、聖剣エクスカリバーが!!!! ボ、ボロボロになっておる!!! い、一体どうしたんじゃあああ!!!!」
ユリーシャ王女殿下が愕然とした表情で駆け寄ってきた。
「よくわからないんですけど、なんか、スネたみたいです」
「スネた?! あ、あれか……、わ、
ああ、そうか……、それもあったな。
抜けないからって岩ごと棍棒扱いされたあげく、やっと見つかったと思った担い手に所有を拒否されたから、スネちゃったのかも。
……いずれにしても、しょげ返ったユリーシャ王女殿下を見ていられないので、僕はヴェンツェルとヒルダ先輩に相談して、事の仔細を王女殿下にだけ話すことにした。
「……本来であれば、そなたを絞め落とし、市中引き回しの上ヴァイリスの城門に首をさらすような話だが……、正直言って、私はホッとしておる……」
ユリーシャ王女殿下が本当にホッとしたように言った。
自分がやらかしたわけじゃないとわかったからだと思う。
「陛下にご報告、します?」
「バ、バカモン!! 言えるわけがなかろう!!!」
ユリーシャ王女殿下がユキぐらい唾を飛ばしながら言った。
「よいか?
「えええぇー!!」
こんな錆びたボロボロの剣、いらないんだけど……。
しかも巨大な岩付き……。
「えええぇー!! ではない!! 聖剣エクスカリバーはヴァイリスの希望なのだぞ?! それをこんな風にしたのだから、そなたの責任で管理せい!!」
こんな風にって……。
そんなヴァイリスの希望を棍棒がわりに振り回してたのは王女殿下じゃないか……。
「わかりましたけど……、これ、領内まで運んでくださいよ?」
「なっ……、き、貴様、王女殿下に運搬を要求するとは……」
「……あのね、ヒルダせんぱ……じゃなかった、ヒルダ。そう思うなら、それ持ってみてくださいよ。僕たちが束になっても動かせないですよ、それ……」
「なんじゃ……、
「ほとんどゴリラみたいなもん……うわ、うわぁぁぁぁぁっ!!」
ユリーシャ王女殿下が聖剣エクスカリバーの刺さった岩を持ち上げたので、僕は一目散にルッ君のいる方角へと逃げていった。
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