第五章 「はじめての依頼」(1)


「よう、爆笑王。この依頼ってまだ残ってるか?」

「……その呼び方はやめてくださいよ。ガンツさん。ちょっと待ってくださいね」

「くっくっく! いいじゃねぇか。その若さで称号持ちなんてそうそういねぇんだからよ」


 冒険者のガンツさんにからかわれながら、僕はカウンターの奥の書棚から該当する書類を確認した。

 

「……えっと、牧場を荒らしまわっている暴れイノシシワイルドボアーの討伐ですね。もう間もなく期限切れですが……、うーん、これ、うまくやれば追加報酬が出るんじゃないかな」

「しーっ!!」


 僕が答えると、ガンツさんが他の冒険者に聞こえないように僕を小脇に抱え込んだ。


「うげっ」


 何が悲しくて、ワックスで磨いたような禿げ頭に、上半身に革製の胸当てを付けただけでほとんど半裸に近いムキムキマッチョのおっさんに抑え込まれなければならないのか。


「……詳しく聞かせろ。どうしてそう思うんだ?」

「臭い……臭いですっ……」

「馬鹿野郎、こう見えてオレはそこらへんには結構気を使ってるんだよ」

「だから余計キツいんですよ! おっさんの脇の下からフローラルなフレグランスが漂ってくるおぞましさがわかりますか!」

「わかった、わかった、悪かったから、声がでけぇって! しーっ!」


 ガンツさんが慌てて僕を解放した。


「いいですか、おっさんは何をやっても臭いんです。臭い生き物なんです。ジタバタしないでください」

「……おめぇは本当に肝が据わった野郎だな」


 僕が鼻をハンカチでごしごし拭いていると、呆れたように肩をすくめて、ガンツさんが言った。

 よく考えたら、洗って返そうと思ったメルのハンカチだった。……また洗い直さなきゃ。


「おめぇさんぐらいの若ぇ連中は、ちっとオレが睨みを効かせたらビビっちまうもんなんだがな」

「……ガンツさんの100倍おっかない教官に毎日しごかれてますから」

「ああ、天下無双の……。クックッ、ずいぶん可愛がられているみたいじゃねぇか」


 ガンツさんは青銅星ブロンズスターのベテラン冒険者だ。

 冒険者のランクは銅星、青銅星、鋼鉄星、銀星、金星、白金星の6つの階級で分類されていて、ほとんどの冒険者は銅星カッパースター冒険者。銀以上の冒険者を見ることはほとんどなく、金で国の英雄レベル、白金にもなると伝説上の人物クラスになる。


「向かいの教会が同じ暴れイノシシワイルドボアーの依頼を先週出して、取り下げてます。たぶんこれ、近日中に教会と牧場の共同出資で依頼が出ますよ」

「……なるほどな。それじゃ、今日はコッチにしとくか。イノシシ鍋は今度にするぜ」


 ガンツさんはニンマリと笑って言った。

 凶悪犯罪者みたいな顔面なのに、笑うと人柄の良さが出てしまうのがこの人の特徴だ。


「邪魔したな、爆笑王。イノシシ狩ったら一杯おごるぜ」

「奥さんのキドニーパイも食べたいです」

「ガハハ!! わかった、カミさんに言っとくぜ」


 ここは冒険者ギルド、アイトス第二支部。

 

 国家事業として冒険者の育成に注力しているヴァイリス王国には、冒険者たちがモンスター討伐や失踪者探索など、さまざまな依頼を受注したり、クライアントの要望に合わせて冒険者を斡旋するための「冒険者ギルド」がアヴァロニア大陸で最も多く存在している。

 

 ヴァイリスの首都アイトスに隣接した街であり、僕たちが通う士官学校のあるイグニア市には冒険者ギルドが2つあり、そのうちの一つがここ、イグニア第二支部だ。


 そして、僕のアルバイト先でもある。


 ヴァイリス士官学校の生徒、つまり士官候補生である僕たちの学費はヴァイリス王国から免除されており、逆にわずかではあるがお給金が出る。


 ……とはいっても、300年間の和平が続いているヴァイリス王国の士官資格とは実質冒険者資格がわりであり、警備として常駐する一般兵士か、大佐や中佐、少佐といった佐官階級以上にでもならない限り、緊急招集以外で国から給料が出ることは基本的にない。


 だから、僕たち士官候補生が毎月もらっているのはあくまで、まだ冒険者として生計を立てることのできない僕たちが学校生活を無理なく送るための「お小遣い」にすぎない。


 そのわずかなお小遣いというのがどのくらいかというと、武器屋でそこそこの幅広の剣ブロードソードを1本買えば、その月はもうお菓子は食べられないよね、ぐらいの金額だ。


 そんなわけで、お金持ちの貴族ばかりのA、Bクラス以外の生徒たちはたいてい、武具の新調やそのメンテナンスでカツカツの生活を送っているのだ。


 悲しいかな、剣にも魔法にも才能が見いだせなかった僕のお小遣いは貯まっていく一方だったのだが、やはり、先立つものはあるに越したことはない。

 

「まつおさん、お疲れさま」

「あ、ソフィアさん」


 ガンツさんが受注した依頼の処理を終えて書類を整理していると、イグニア第二支部の職員で僕の上司でもあるソフィアさんがお茶の入ったカップを渡してくれた。


 今日の僕の仕事はこれで終わりだ。

 机仕事で硬くなった背中をぐっと伸ばして、僕は深呼吸をした。


「すっかりここに馴染んじゃったわね。……ウチで働いてからひと月も経ってないのに」

「だといいんですけど」


 ソフィアさんがくすくす笑いながら、自分のカップに口をつける。

 冒険者ギルドの多忙さもあって、長い藍色の髪を無造作なお団子にまとめたスタイルに洒落っ気は感じられないけれど、大人の女性の雰囲気満載の素敵な女性である。やさしいし。


「支部長も褒めてたわよ。頼りになる新人が入ってくれたって」

「ちょび……じゃなかった、支部長が?」


 ちょびヒゲじじいと言いかけて、僕は思わず言い直した。

 

「ええ。私もそう思う。ガンツさんとあんな上手に付き合える新人なんて、正職員でもいないもの」

「あの人がおっかないのは見た目だけですから……」

「すっごく助かってる。本当に、ありがとね」

「……」


 僕はソフィアさんの顔を見上げた。

 ……どうもおかしい。

 ソフィアさんはたしかに普段からやさしいけど、今日はなんか、妙にやさしすぎる。


「それじゃ、僕はそろそろ……」

「あら、せっかくお茶を淹れたのに、飲んでいかないの?」

「あ、そうでした……」


 なんとなく身の危険を感じてサッと退散しようとした僕に、ソフィアさんがにこにこしながらずずっとティーカップをスライドさせた。


 うっ、退路を断たれた……。


「それでね、今日はちょっとお願いがあるんだけど……」


 やっぱり。

 僕はカップに口をつけようとして、やっぱりまだ熱かったので元に戻した。

 ふー、ふー、と息を吹きかけて高原ハーブの香りがするお茶を冷ましながら、ソフィアさんの話の続きに耳を傾ける。


「実はギルドに銀星シルバースター以上限定の緊急大口依頼が王国から入ってね、ウチの職員はこれからアイトスにある本部に行かなくちゃいけないのよ」


「……なるほど」


 さっきから職員たちが慌ただしかったのはそのためか。

 今も男性職員たちが受注関係の書類をごっそり箱詰めしたのを二頭立ての馬車に詰め込んでいる。


「それにしても、銀星シルバースター冒険者限定の依頼って、すごいですね」

「ええ。金貨5000枚の超大口依頼だそうよ」

「ご、ごせん……」


 立派なお屋敷1つ余裕で買えちゃうじゃないか。


「そ、そりゃ大変ですね……」

「そうなのよ!! わかってくれる?! しかも銀星シルバースター冒険者なんて、どいつもこいつもクセの強い人たちばかりなのよ! そんな連中が各地からうじゃうじゃと……」


 にこにこした表情を崩して、ソフィアさんが悲壮な顔で僕の腕をがっしりと掴んだ。


「そんなわけでね、今日はこっちの依頼は少ないと思うから、第二支部の業務はまつおさんにお願いできないかなって」

「えっ、ワンオペってことですか?」

「えへへ」

「えへへって」


 ソフィアさんが片目をつぶっていたずらっぽく笑った。

 ウチで働いてひと月も経ってないって、ご自身でおっしゃっていたじゃないですか。

 そもそも、アルバイトの僕に全業務を任せるって、そんな無茶なことをちょびヒゲの支部長が許すわけが……。


「お願い! その分お給金は弾んでくれるって支部長もおっしゃってくれているから……」


 くっ、支部長まで根回し済みか……。さすが第二支部を切り盛りしているソフィアさん。


「王国が運営している手前、ココを空けておくわけにはいかないの。ヒマだったら寝ててもいいし、応接用のお菓子も好きに食べていいから。あ、支部長のお菓子はダメよ?」


 僕がさらに返答しようとするのを指で制して、「お願いね」と言ってほっぺにキスすると、ソフィアさんは自分のティーカップを片付けてそそくさと本部に出掛けて行った。


 ソフィアさんのバラのフレグランスの残り香が漂ったままのギルド受付に座ったまま、僕はぼんやりと少しぬるくなった高原ハーブのお茶を飲んだ。


 ……大人って、ずるいよな。

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