第二十五章「水晶の龍」(10)

10


「ちょっと! まっちー君! 真面目にやって!!」


 召喚体での模擬戦開始直後、ミスティ先輩が手の平に呼び戻そうとした天雷の斧ザウエルが後頭部に命中して、召喚体の僕は開始0秒ぐらいで死亡した。


「実戦だったら今ので死んでるよ!」

(ひ、ひどい……)


 疲れて寝ているところを起こされてみたらお色気ムンムンの先輩がいて、夜這いでもされるのかと思ったらいきなり金星ゴールドスター冒険者としての一騎打ちが始まって、後頭部からいきなり斧が飛んできたら、そりゃ現実世界でも死んでる自信があるよ。


 でも、これは、ちゃんとした試合になるまでは解放してもらえなそうだ。

 冒険者である以前に探検家であるミスティ先輩は、言ってみれば宝具アーティファクトマニアなのだ。

 君主ロード専用装備の水晶龍の盾なんて、実際に試してみたくて仕方がないのだろう。

 そもそも、若獅子祭で使われたこの召喚体を作る腕輪も、たしかそこそこの宝具アーティファクトだったはずだ。


「もう一回やるわよ? いい?」

「は、はい……」


 有無を言わせないミスティ先輩の勢いに負けて、僕はそう答えた。


 シュルルルルルルッ!!!


「おわっ!!!」


 開始直後に、今度は右側面から飛来した天雷の斧ザウエルを間一髪でかわすと、斧は回転しながらミスティ先輩の右手に戻った。


(完全に初見殺しだよね、あれ。……ずるい)


 予測不能な背後からいきなり斧が戻ってくるところから始まる理不尽さ。

 来るとわかっていても恐ろしい技……というか、そもそも技なんだろうか。

 斧を装備するという動作自体が強力な武器になっている。


「いくよっ!!」


 真紅のマントをひるがえして、ミスティ先輩がこちらに向かって前進する。

 なるほど……、マントで天雷の斧ザウエルが隠れて、軌道がわからない。


(でも、斬り上げで来ることはわかっているから、こちらから見て左下から右上方向に来るはず)


 そう判断した僕は、水晶龍の盾を引き寄せ、左側に弾くことができるように意識を集中する。

 ところが……。


「ハァッ!!」

(上?!)


 ミスティ先輩は、右腕をマントの中で後ろから回転させて、縦方向に振り下ろしてきた。


(速いっ、盾じゃ間に合わない!!)


 僕はそのまま身体を右に転がるようにさせて斧の一撃をなんとか回避する。


「さすが、いい判断ね。……でも、ちょっと考えすぎかしら」

「はは、それ、みんなからよく言われます」


 ミスティ先輩と距離を取ってから、僕は再び小鳥遊たかなしを構える。


 ミスティ先輩の左手には、中型の盾。

 黒光りする革鎧と同じ漆黒の盾の中央には、美しい薔薇の紋章が施されている。

 水晶龍の盾と同じく、中型盾にしてはかなり大きく、だがとても軽そうに見える。

 宝具アーティファクトマニアのミスティ先輩のことだから、おそらくなんらかの魔法金属でできているのだろう。

 

「ハァァァッ!!」


 次はあえて斧をマントから出して斬りかかってきた。

 先程の閃光のような動きとは真逆の、妙にゆっくりとした動作。

 何かを誘っているのはわかるんだけど、意図が読めない。

 ミスティ先輩のことだ、きっと予想外の攻撃を仕込んでいる。

 普通ならありえないような、何か……。


(――っ! そうか!! 投擲とうてきだ!)


 僕がその結論に達するのが、ほんの少しだけ早かった。

 振り下ろされる斧の方向から、身体の軸をずらすように移動した瞬間、僕の左肩があった場所を天雷の斧ザウエルが飛来する。


(あ、あぶねぇぇぇ!!!)


 主力武器メインウェポンを投げるというのは本来、捨て身というか、最期のあがきのような時に使うような行為だと思う。

 だけど、いつでもそれが手元に戻ってくるミスティ先輩なら話は別だ。


(でも、それありきの戦法だとしたら、まだ何かあるはず……)


 ミスティ先輩は投擲とうてきした後も突進を続け、盾をかざしている左手に右手を伸ばす。

 何か光るものが見えた!! 


「くっ――!!!」


 首を狙う素早い斬撃に、その武器が何であるかの確認もできないまま回避する。


(盾に短剣を仕込んでいるのか……)


 僕の体勢が軽く崩れて、さらに追撃がくるかと思うと、ミスティ先輩は少し距離を取って、右手の短剣を再び盾に収納する。


(慎重だな……。追撃に来てくれれば反撃の余地も見いだせたのに……)


 そこまで考えて、僕は自分の思考に何か強烈な違和感が残っていることに気付いた。


(い、いや、違う!! 追撃できないんだ!! さっさとがあったんだ!!)


「くそっ!! 判断が遅い!!!」


 僕は自分の未熟さに心の中で舌打ちをして、そのまま身体を前に倒れ込ませた。

 シュルルルルルッ!!と空を切る音とともに、ミスティ先輩が投擲とうてきした天雷の斧ザウエルが、それまで僕が立っていた場所を通過して、ミスティ先輩の手元に戻った。


「まっちー君ってやっぱりすごいんじゃない。私のコレを回避できる冒険者はそうそういないわよ?」

「……先輩の技って、どれも初見殺しすぎません?」

「あら、普通の戦いは全部初見よ? だって、負けた方は死ぬんだもの」

「……たしかに」


 ミスティ先輩の言葉からは、歴戦の戦士の重みを感じる。

 これが金星ゴールドスター冒険者のレベルということだろうか。


「それじゃ、僕も初見殺しの研究をしてみようかな」

「えー、すっごく楽しみ! 私をどんな風に殺してくれるのかしら」


 うっとりした表情で、ミスティ先輩が僕を見る。

 戦ってみて思ったけど、盾と手斧という組み合わせはかなり厄介だ。

 片手剣ほどの小回りは効かないけれど、盾で確実に動きを封じられると一撃必殺の斧が待っているから、迂闊な連続攻撃はできない。

 しかも、斧の攻撃は重く、剣よりも防御する側の体勢が崩れやすいのが大きい。

 つまり、ミスティ先輩は攻撃でも防御でも相手を崩すことができるのだ。


(しかもマントで動きを予測しやすい斧の軌道を隠し、距離が離れたら投擲とうてき攻撃。ひるんだ隙に短剣で追撃、忘れた頃に戻ってきた斧で再攻撃……エグすぎるぜ、ミスティ先輩)


 この先輩を驚かせるにはどうすればいいんだろうか。

 驚かせる。

 

(……あれ、やってみっか。できるかどうかわかんないというか、完全には絶対できないけど、原理だけはわかったから)


 僕は小鳥遊たかなしを下ろし、身体を低くし、水晶龍の盾で半身を隠すように構える。


「あら、ずいぶん消極的ね。……それとも、私を誘っているのかな?」

「ウチは積極的な女の子が多いもので」

「くす……、そのジョーク、ちょっと好きよ」

 

 ミスティ先輩は一気に踏み込んだ。

 盾で斬撃を弾く「パリィ」をすることなど許さないような、重たい一撃が来る!

 僕はあの時のことを思い出して、インパクトの瞬間に左足を大きく踏みしめた。

 大地を踏みしめるダァァァァァァン!!という音と共に、左足の親指の付け根、いわゆる拇指球ぼしきゅうのあたりに地面を叩きつけた反作用の力が集中し、身体を螺旋らせんのようにひねって、その力を足から膝、膝から腰、腰から背中、背中から肩、肩から肘、肘から左手の指先へと送り込むことをイメージして……。


フン!!」

「っ――!!」


 ……盾と斧が交錯したはずなのに、まったく衝撃を感じなかった。

 盾の衝撃を包み込むようにして、その衝撃をそのまま相手の方に送り込むイメージ。

 ミスティ先輩が初めてのけぞった。


(チャンスは今しかない!!)


 僕は小鳥遊たかなしを振り上げて、でも力を入れず、ふわっとミスティ先輩に振り下ろす。

 その瞬間に、ゾフィアのようにすり足で身体を前進させて重心移動、加速を行い、右足で大地を踏みしめた力を利用して螺旋らせんのように身体を回転させた。


!!」

「きゃっ!!!」


 盾でそれを受け止めたミスティ先輩の身体がガクッとその場に崩れ落ち、右手の斧を取り落した。 


(やったか!?)


 僕が勝利を期待するのも束の間。


「ヤァッ!!」


 先輩は右手だけで片手倒立して、左足で僕の顔面を目掛けて蹴り上げてきた。


(うわっ!!) 


 弓のようにしならせた身体からほぼ垂直に突き出された槍のような蹴りを僕がかろうじてかわすと、今度は右足から蹴りが放たれる。


「くっ……!!」


 肩口に鈍い痛みが走る。

 だが次の瞬間、身を低くしたまま先輩の身体が回転して、今度は右足をかかと側から刈り取るような足払いが飛んでくる。

 それをなんとかバックステップで回避している間にミスティ先輩は斧を拾い上げて、せっかく崩した体勢を整えてしまった。


穿弓腿せんきゅうたいからの後掃腿こうそうたい……、先輩って体術の心得もあったんですね……」

「はぁ、はぁ……、あなたこそ……、まさか発勁はっけいを使ってくるとは思わなかったわ……」


(完全に見様見真似のまがい物なんだけどね……)


 ミスティ先輩が使った技を知っていたのも、前に士官学校の授業でユキに使われたことがあるからだ。

 あの時は、逆立ちした時にユキのシャツがめくれておっぱいが丸見えになったせいで、槍のように突き出した左足がアゴに思いっきり命中してしまって、気がついたら保健室のベッドだった。

 ユキほどの一撃の重みは感じないけれど、速さはほとんどミスティ先輩も互角だと思う。


「ふふ……楽しい」

「僕も楽しいです、先輩」


 ……盾は全然試せてないけどね。

 でも、あの「フン」、は状況によってはかなり使えるかもしれない。

 覚えておこう。


(さて、先輩に楽しいって言ってもらったからには、もう少し頑張ってみたいところだけど……)


 ここまで、ずっと受け身の戦い方だ。

 というか、これまでの僕の戦いって、だいたい受け身なんだよね。

 性格なのか、自分から攻めるのが苦手なのかもしれない。


(せっかくだから、自分から攻めてみたいな)


 メルに褒められた、元帥閣下相手に放った突き。

 右の袈裟斬りと見せかけて、途中で力を抜いて、刀身をすっと下げて突きを放つ。

 あれはたぶん、ミスティ先輩には効かないだろう。

 相性の問題だ。

 斧の旋回性能とミスティ先輩の動体視力があれば、ギリギリで回避されてしまう気がする。

 ……というか、僕の剣技では、剣の軌道を見切られた時点でミスティ先輩には届かない気がする。

 剣は長いから、ミスティ先輩のようにマントに隠すわけにはいかないし……。



(ん、隠す……、そうか)


 僕はふと考えて、小鳥遊たかなしを鞘にしまった。


「あら、もうおしまいなの?」


 ミスティ先輩が残念そうに言った。


「いいえ」


 僕の右手はまだ小鳥遊たかなしの柄を握ったままだ。

 そのままの姿勢で、僕は短い詠唱をする。

 僕が安定して発動することができる、唯一の攻撃魔法。


「ウン・コー!」

「えっ!?」


 小鳥遊たかなし柄頭つかがしらにある「アウローラの目」から、火球魔法ファイアーボールが勢いよく飛び出し、驚いたミスティ先輩が慌てて盾を構える。


「勝機!!」


 僕はその瞬間に一気にミスティ先輩の右足側まで走り込み、ミスティ先輩とすれ違いざまに小鳥遊たかなしを一気に振り抜いた。


「い、居合……ですって……?!」


 驚愕するミスティ先輩の右腕から鮮血が噴き出し、真紅のマントがざっくりと裂ける。

 

(居合? 攻撃の間合いとタイミングがわからないようにしたかっただけなんだけど)


 小鳥遊たかなしの鞘のすべりがすごく良いので、これは良い戦法かもしれない。

 練習して、今後は僕の得意技にしよう。


 左肘で刀身を挟み込んで血しぶきを拭って、僕は小鳥遊を再び鞘に納刀する。

 アウローラの衣服はみるみるうちにミスティ先輩の血を吸い込んで、何事もなかったかのような光沢を放った。


「はぁ……好き」


 ミスティ先輩がつぶやいた。


「あなたのこと、好きになっちゃったかも」

初心うぶな後輩を動揺させるのは卑怯ですよ、ミスティ先輩」

「あなたのどこが初心うぶなのよ。生意気な後輩のクセに」


 月光を浴びたミスティ先輩は、魅了されそうなほどに美しい。

 黒薔薇のミスティと呼ばれる一流の戦士を、今僕は独り占めにしているのだ。


「でも……、勝つのは私!!」


 月明かりの下でミスティ先輩はそう宣言すると、地を蹴り、空中で身体を半回転させて斧で斬りかかってきた。


「くっ!!」


 鞘から刀が抜けない接近戦でケリを付けるつもりらしい。

 僕はあえて後退せず、盾で先輩の斬撃の軌道を反らすように受け止め、鞘から小鳥遊たかなしをそのまま抜かず、鞘の方向を縦に向けてから抜いた。

 接近戦や狭い場所でもこうすれば素早く剣が抜けると、直感でわかった。


「っ――!?」


 ミスティ先輩は縦軌道の剣撃を盾で受け止めながら、同時に右手の斧で攻撃する。

 体幹がよっぽどしっかりしていないと、こんな芸当はできないだろう。

 だが……。


(今だ!)


 僕はメルがよくやっていたパリィの光景を頭に強く浮かべて、左手の水晶龍の盾に全意識を集中する。

 ミスティ先輩が、間合いを離したくない一心で、反射的に出してしまった斧の攻撃が、僕の盾で弾かれようとしたその時。


 パシャッ――!!!


「ぅくっ!!」


 水晶龍の盾を覆う結晶の形状が変化し、まるで水鏡みかがみのように月光を反射させ、ミスティ先輩の視界を奪った。

 その瞬間……。


 僕の小鳥遊たかなしが、ミスティ先輩の心臓を貫いた。


「ふふ……、苦戦するかもとは思ったけど……、まさか、本気の私が負けるだなんて……」

「こんな言い方がふさわしいかどうか……、いや、絶対ふさわしくないと思うんですけど……」

「なぁに……?」


 僕に心臓を貫かれて、荒い息を吐きながら、ミスティ先輩が僕を見上げた。

 月明かりに照らされた先輩は、まるで月の女神アルテミスのように美しい。


「これってもう、ほとんどセックスですよね」

「……そう。私、あなたに貫かれちゃったのね」

「はい。貫いちゃいました」


 そう言って笑った僕の唇に、ミスティ先輩の唇が近づいて……。

 そこで、僕とミスティ先輩の召喚体は消失した。

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