第二十二章「新市街」


「釣れた! 釣れたぞ!!」


 ユリーシャ王女殿下がめちゃくちゃはしゃいで僕に魚を見せた。


「まつおさんよ、これはなんという魚なのだ?」

「こ、これはですね……フナという、それはそれはとても珍しい魚で……」

「おお、これもフナか! 私はフナ釣りの才能があるのやもしれんな」

「(べ、ベルゲングリューン伯……)」

「(い、いや、しょうがないでしょう? こんな目をキラキラさせた王女殿下に本当のことが言えますか!)」

「(し、しかし……、王女殿下はフナばかり4匹も釣っておられるのだぞ……それを珍しいというのは……)」

「どうしたのだ、アルフォンス。二人でこそこそ何を話しておる?」

「い、いえ、王女殿下がこれほど珍重なる魚をたくさんお釣りになられるので、ベルゲングリューン伯と二人で感心しておった次第でございまして……」


 さすが「外交の天才」と呼ばれたアルフォンス宰相閣下の機転である。


「そうかそうか。やはり魚もわたくしの美貌にメロメロなのであろうな。あっはっは!」

 

 上機嫌のユリーシャ王女殿下は、さらに僕に聞いてきた。


「それで、この魚は美味いのか? 珍しい魚なのだ、きっととろけるように美味いのだろうな」

(クソマズイです。逃がしてあげて……)

「何……?」

「あ、やば」


 ユリーシャ王女殿下が人の心を読むという恐ろしい能力の持ち主であることをすっかり忘れていた。


「王女殿下、東方の王国セリカには『ふなずし』なる大変稀少な料理をがあるようですが、熟練の職人でないと上手に作るのは難しく……、その、大変繊細な魚でございますれば」

「なるほど……、そうなのか。ジェルディク帝国にならって、我らヴァイリスもセリカとの国交を強化せねばなるまいな」

「そ、それは良きお考えにございますな!」

「うむ! 後でさっそく陛下に上奏してみよう!」


 うっわ、フナのせいでヴァイリス王国の外交政策が決まっちゃいそうだ。

 ……もしかして、ダメな王様って家臣がこういう感じで適当なことを言ってるうちに、どんどんダメな方向に育っていくんじゃないだろうか。


「おーい、まつおさん! 昼飯の魚は釣れたかー?」


 ルッ君がのんびりした様子で、釣りをしている僕たちに近づいてきた。

 どれどれ、といった様子で、ユリーシャ王女殿下の魚袋バッカンを覗き込む。


「なんだー、フナばっかじゃんか」


 あ、ばか!

 ユリーシャ王女殿下の驚いた顔に気付け!!

 顔面蒼白なアルフォンス宰相閣下と、きっと同じ顔色をしている僕に気付け!!


「焼いても身はボソボソしてるし小骨は多いし泥臭いし……、なんでこんなクソマズい魚を大事に魚袋バッカンなんかに……」


 ああああ、もうおしまいだ……。


「フンッ!!!」


 ユリーシャ王女殿下が、ルッ君の右脇腹に回り込み気味の左フックを叩き込んだ。


「ごふっ!!」

「レ、レバー打ち……」


 僕は思わずうめいた。

 ルッ君が脂汗をだらだらと流しながら膝から崩れ落ちる。


「クソマズい魚ばかり釣って悪かったな……!」

「お、王女殿下が……? て、てっきりまつおさんかと……。フナなんて大事にしてるから……」


 バカ……。


「フンッ!!」

「ごふぅっ!!!」


 王女殿下のフィニッシュブローを食らって、哀れなルッ君は後方に吹っ飛んだ。

 

「し、しどい……っ、ここに居るときはぶ、無礼講だって……言ってたのに……」


(上司の無礼講を間に受ける奴があるか……)


「きーさーまーもーじゃー!! ベルゲングリューン伯!!!」

「いででででででっ!!! ア、、、アイアンクロー……ッ」


 王女殿下の指が僕のこめかみにめり込んだ。


「このわたくしをぬか喜びさせるとは……、万死に値する。そうは思わんか?」


 細くて繊細で、いたいけな少女のような指なのに、どうしてこんなすさまじい握力なんだ。

 せっかく暗黒卿ダークロード相手に命拾いしたのに、早くも生命の危機を感じる。


「ちちち、違うんです、王女殿下」

「な・に・が違うのじゃー? んー? 申してみよ?」

「魚を釣って喜んでいる王女殿下があまりにも可愛らしくて、つい、喜んでもらいたい一心で……」

「な、なんだ……、そうであったのか……。可愛いなどと言われては、照れるではないか……」


 王女殿下がそう言って、アイアンクローをめた指を緩める。

 ほっ、よかった……。


「……などと言うとでも思ったか!! このれ者がー!!」

「うわあああああああ!!!!」


 王女殿下は僕の顔を右手で掴んだまま、まるで砲丸でも投げるように僕を湖にぶん投げた。


「アルフォンス!!!貴様も同罪と見なす!!!覚悟せい!!!」

「おおおおお待ち下さい!!!王女殿下!!!わたくしは老人!!老人!!老人ですぞ!!!」

「見た目ほど老けておらんだろうが!!!!!」

「う、うわああああああああ!!!!」


 湖面からようやく顔を出した僕のところに、アルフォンス宰相閣下が降ってきた。

 ざぶんっ!!!という水音を立てて、僕は宰相閣下と共に再び湖に落ちる。


「こういうのを年寄りの冷や水って言うんですかね……」

「これで私の心臓が止まったら、君の枕元に呪いに行くからな……」


偽ジルベール……もう色々あったし普通のジルべールに昇格でいいか。

横で黙って釣っていたジルベールが釣り竿を置いて、王女殿下から顔をそむけて笑っている。


「でも、宰相閣下」

「なんだね。言っておくが、私は泳げないぞ」

「僕に掴まっててください……。そうじゃなくて」


 僕は穏やかな口調ながら、水面で必死に犬かきをしている白髪の老紳士の腕を引っ張りながら言った。


「良かったですね。王女殿下をお連れして」

「……あんなにお怒りになられたのにかね?」

「王女殿下は怒ってないですよ。……ほら」


 僕は湖畔に立つユリーシャ王女殿下の方を見るよう、アルフォンス宰相閣下に顔をくい、と動かしてみせた。

 王女殿下は、濡れねずみになった僕たちを見て、小さなお腹を抱えて大笑いしていた。


「フッ……そうだな」


 犬かきで必死にもがきながら、アルフォンス宰相閣下はダンディに笑った。





「まぁ、そういうわけでな」


 ベルゲングリューン伯領の広場で焚き火を囲みながら、王女殿下が切り出した。

 周囲にいるのはキムやメルたち、いつものメンバーと、ソリマチ隊長。

 僕とアルフォンス閣下が服を乾かしていると、自然に集まってきた。

 こんな風にユリーシャ王女殿下とみんなで焚き火を囲む日が来るなんて、いったい誰が想像できただろうか。

 納屋の方では子供たちが、噴水の近くでは西方辺境警備隊の人たちが宴会をしている。


「先の大公の件で世話になったそなたたちに、褒賞を与えなくてはならぬのだが……。あいにく、あの騒ぎで王宮もバタバタしておってな。正直今はそれどころではない。もう少し待って欲しい」


 そんな忙しい時に王女殿下と宰相閣下が揃って釣りに来ていんですかと思ったけど、これ以上湖に落とされてはかなわないので僕は我慢した。


「ただ、一つだけ、今伝えておこうと思ってな。まつおさ……ベルゲングリューン伯」

「はっ」

「知っての通り、このベルゲングリューン領はアルミノ荒野とアルミノ街道に隣接しておる。湖の反対側がアルミノ街道沿い。屋敷への入り口側がイグニア街道。領内の深い森を北東側に抜けるとアルミノ荒野になる」

「はい」


 アルミノはイグニア地方に隣接する地域で、牧畜や農業、製糸や造酒が盛んな土地だ。

 もっとも、盛んと言ってもど田舎というだけで、特産品と言えるのは地酒ぐらいだろうか。


「アルミノ荒野と名前は付いておるが、手つかずであるというだけで、土地は十分に肥沃でおまけに広大だ。調査させたところ、十分に開発可能であるという」

「はぁ、そうですか」


 思わず気のない返事をしてしまうと、隣にいるアルフォンス宰相閣下とユキから両脇を肘で小突かれた。


「一方で、荒野にいる野犬、丘バッファロー、暴れイノシシワイルドボアーなどによる被害がアルミノ市街に出ていてな。父王も早急に対応をしたいと思うておった」

「それは大変ですね……」


 また二人に小突かれた。

 正直、興味がまったくない話題だったので、どうお返事をしようとしても、なんとなくヘンな感じの返事になってしまう。

 この辺が、宰相閣下に「礼儀作法は見ていられない」って言われてしまうところなんだろうな。


「まず、そもそも名前が良くない。『荒野』と付いているから、荒野のままでいいんだと思ってしまうのだ」

「なるほど」

 

 正直、王女殿下が何を言っているのかわからないんだけど、僕はせめて納得したように返事をした。


「そこで、この度、アルミノ荒野をイグニア地方に組み込み、名前を変えることにした。ベルゲングリューン市」

「そうですか、それはいいですね……、って、え?」


 何かの聞き間違えだろうか。

 僕は慌てて聞き直した。


「ベルゲソグリーン市ですよね?」

「何を聞いておるか。『ベルゲングリューン市』だ。そなたの領土とし、あの荒れ果てた大地を開発してみせよ」

「ええええええええええええええ!!!!」


 僕は服を乾かしていて、羽織っていた毛布の下が下着一枚だったことを忘れて思わず立ち上がった。

 アルフォンス宰相閣下がサッと僕の股間を毛布で隠さなければ、処刑だったかもしれない。


「アルフォンス……、ベルゲングリューン伯の股間を急いで隠したのは良いが、それではそなたの方が丸見えになってしまっておるぞ」

「はっ……、途中で気付きはしたのですが、この若者の股間とこの老体の股間、どちらを晒すのがまだマシであるか、苦渋の決断をいたした次第でございまして……、罰はいかようにも……」

「ばかもの。股間を晒した罪で王国宰相を処罰したとあっては我が王国の恥がアヴァロニア全土に広まるわ。良いから早う隠せ」

「ははっ……!」


 アルフォンス宰相閣下は僕の毛布と交換して、自分の股間を隠した。

 青いドット柄だった。

 意外とオシャレだ。


「そなたの友人たちは、皆、私の提案に賛同してくれたぞ?」

「えっ」


 僕は焚き火を囲むみんなの顔を見渡した。


「みんな知ってたの?!」

「あんたが水遊びしている間に、王女殿下からお聞きしたのよ」


 隣にいるユキが僕をつついた。


「ベルゲングリューン領はイグニア街道とアルミノ街道の分岐点にある。もし荒野が市街となれば、イグニア市とアルミノ市を結ぶ交易が期待できる。今まで手つかずだったのが不思議なぐらいだ。開拓の価値は十分にあるだろう」


 ヴェンツェルが言った。


「アルミノ地方があまりパッとせんのでな。貴族共が乗り気でなかったのだ。アルミノ荒野もこれまでは貴族領ではなく、ヴァイリス直轄領だった」


 ユリーシャ王女殿下が答える。


「卿の才を戦いや冒険者だけで使うのは惜しい。あの荒野を卿がどんな街にするか考えるだけで胸が躍るではないか」


 ジルベールが言う。


「あ、あれ……、そういえば閣下……、ヒゲ剃った?」


 そうだ。

 今日僕がジルベールに感じていた違和感はそれだ。

 いつも生やしていた武将みたいなアゴヒゲがすっきりなくなっている。


「アデールに剃れと言われてな」

「はいそれはそれはごちそうさま」

「口ヒゲだけは絶対に譲れぬと言ったら、それは似合うから良いと言われた。女の好みというのはよくわからぬな」

「「「ごちそうさま!!」」


 僕とキム、ルッ君が同時に言った。


「なぁ、オレもヒゲを生やしたらモテるかな?」

「花京院あんた……、そのモヒカンでモテようとか思ってたの?」


 ユキが容赦ないツッコミを花京院に入れた。


「モヒカンだけで情報量すごいんだから、アンタは今のままでいいのよ。そ・れ・よ・り、ピアスとか開けたらいいんじゃないかしらん。鼻に2つ、耳に3つぐらい付けちゃいなさいよ」


 ジョセフィーヌがそう言うと、花京院は口元をとがらせて返答した。


「ええ、嫌だよ……鼻に穴あけたら、そこから鼻くそとか出そうじゃん」

「どんだけデカい穴開けるつもりなんだよ」


 キムがツッコんだ。


『……なぁ、お前らはいつもこういう感じなのか?』

『はい……王女殿下』


 僕は恥ずかしさに顔をうつむかせながら、魔法伝達テレパシーで王女殿下に答えた。


「私は……、私が住む教会をベルくんが市内に作ってくれるなら賛成かな」

 アリサが言った。


『ベルくん……』

『王女殿下?』


「私も賛成。ベルが自分の力を自覚するいいきっかけになると思うし、野犬や暴れイノシシワイルドボアーがアルミノ市街まで来るのなら、こちらに来る可能性もあるもの。領内の子供たちの安全を考えれば、いずれにしても整備は必要よ」


 なんだかんだメルは優しいなぁ。

 いいお母さんになりそう。


『ベル……』

『あの、王女殿下?』


「私も賛成だ。殿ならば領民に慕われる名君になるに違いない。いずれ私が側室となれば、ベルゲングリューン市はジェルディク帝国との親善都市として繁栄……」

「コ、コホン、ゾフィア君、側室がどうとかいう話は今はちょっと……」


 アルフォンス宰相閣下がなるべくやんわりとゾフィアを止めた。


『殿……』

『い、いや、殿は別にいいでしょ?!』


 それぞれがそれぞれの意見を発表して、ベルゲングリューン市の実現に賛同する。

 だけど……。


「王女殿下、その……、市とおっしゃいましても……、領民が一人もおりませんが……」


 僕がそう言うと、ユリーシャ王女殿下がにっこりと笑った。


「それについては、すでに手筈が整っておる。のう? ソリマチよ」

「おっつぁん?」


 ソリマチ隊長は王女殿下にうやうやしく頭を下げると、こちらを向いた。


「若、ワシらを移住させてごさんか?」

「移住?! 村の方は?」


 びっくりして尋ねると、ソリマチ隊長が苦笑しながら言った。


「ワシらん村は、去年でっけぇ水害に遭っちまったけん、あっちゃこっちゃワヤになっちょるんだわ。こりゃ立て直すより新しいとこ移ったほうがマシじゃ思うとったけど、西方辺境警備っちゅうお役目があるけん、土地を離れるわけにはいかんじゃったんよ」

「ああ、そういえば、前に挨拶に行った時、けっこう壊れた家が多かったね……」


 僕の言葉に、ソリマチ隊長がうなずく。


「若ぇ連中にゃ遊ぶ所なんぞねぇし、あの土地で作物がまともに育ち直すにゃあと何年もかかるけん、どがすっだいどうしようかって皆で悩んじょったところなんよ」

「なるほど……」

「それに、大昔におった蛮族がおらんようなったけん、辺境警備いうても辺境すぎて300年の和平どころか1000年ぐらい前のご先祖さんの頃から、ワシら何もしとらんのよ。だったら、若のお役に立ちたいってみんな思うちょる」


 ソリマチ隊長が言った。


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、そんなご先祖様がずっと住んでいた土地を離れてもいいの?」


 僕がそう言うと、ソリマチ隊長はけらけらと笑った。


「一回住んでみ? 笑うから。本当になんもねぇんだって」

「そ、そうなんだ……」

「若獅子祭の後、陛下は敢闘した西方辺境警備隊とお会いになってな。褒美は何が良いと陛下が聞かれたら、皆が口を揃えて申したのだ。そなたの下で働きたいとな」

「みんな……」


 ずるい。

 西方警備隊の人たちには本当にお世話になった。

 そんな人たちからそこまで言われたら引き下がるわけにもいかないじゃないか。


「エリオット国王陛下の代理として宣言する。アルミノ荒野をアルミノ地方からイグニア地方に編入し、その名をベルゲングリューン市とする。先の功績をかんがみ、ベルゲングリューン市はベルゲングリューン伯爵領とし、西部辺境警備隊およびその家族、その他志望者を領民として移住させる。また、それを以て、西部辺境警備隊はその任を解き、ベルゲングリューン騎士団と名乗ることを許す!」


 僕は王女殿下に跪礼きれいして、言った。


「謹んで拝領いたします、王女殿下」


 それが、ベルゲングリューン市誕生の瞬間だった。

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