第三十章「メイド イン ベルゲングリューン」(1)


 至福のひとときというものが、誰にでもあると思う。


 メルは家で紅茶を飲みながら猫を撫でている時間がそういう時なのだそうだし、アリサはカフェテラスでジェルディク産の珈琲を飲みながらのんびりしている時がすごく幸せそうだ。


 キムは明らかにメシをたらふく食べている時だろうし……。

 ルッ君は……、ルッ君に至福のひとときが訪れるのは、いつだろうか。


 そして、僕は今、この瞬間だ。

 ベルゲングリューン城の最上階にある私室。

 この風通しも日当たりも最高な部屋で、休日の朝に、さわやかな陽光を浴びながら、肌触りのよいシーツとふかふかのベッドの感触を楽しみつつ、朝の澄み切った空気を肺いっぱいに……。


「ご、ごほっ、け、けむっ!! けむぅっ?!」


 澄み切った空気とは正反対の淀んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、僕は思わずベッドから飛び起きた。


「チッ、もう起きたのかよ……」


 ベッドの向かいのテーブルにぞんざいに足を乗せた女が、タバコを吸いながら僕を見て舌打ちをした。

 黄色のメッシュが入ったオレンジ色の髪を、無造作にくしゃくしゃっとさせたショートヘアー。

 サイドをツーブロックでゴリゴリっと剃り込んでいて、どこかの凄腕の傭兵みたいな雰囲気だけど、目鼻立ちはエルフのように整っている。


 とにかく、めちゃくちゃワイルドな雰囲気の女が、僕の部屋でタバコをふかしていて、起きた僕に舌打ちをしたのだ。


(えっ?! えっ?! ここ、僕の城だよね?)


 思わず部屋を見渡したけど、間違いなく僕の部屋だ。

 

「……君、誰?」


 とりあえず腹を立てようにも、相手が誰なのかがわからないと始まらない。

 僕はとりあえず、相手の素性を確認することにした。


「誰って……見りゃわかんだろ?」


 ワイルドな雰囲気の女が、親指で自分の顔を指差しながら、片眉を吊り上げて、不良学生が喧嘩で名乗りを上げるように、たっぷり間を置きながら僕に言った。


「メ・イ・ド・だ・よ!」

「おまえみたいなふてぶてしいメイドがいるか!!」


 僕は思わず全力でツッコんだ。


「まだメシの支度できてねぇからよ。とりあえずもっかい寝とけ。な?」

「こんなけむい部屋で寝られるか!!」

「んだよぉ、これは魔法タバコだから、身体にも悪くねぇし、むしろいろんな薬草使ってるから副流煙も身体にいいんだぜ? ほら、はぁーっ!」


 面白がってワイルド女が寝起きの僕に煙を吹きかけた。

 

「げほっ、げほっ!! だいたい、カギかかってただろ?! どうやって城に……」

「まぁまぁ、こまけぇことはいいから、寝とけって」

「だから、寝れるか!! 僕のさわやかな休日の朝を返せ!!」

「かぁーっ! 贅沢な伯爵様だねぇ。 ほらよ!」


 ワイルド女がパチン、と指を鳴らすと、部屋を真っ白にしていたタバコの煙が一瞬で消えて、爽やかな朝の空気が戻った。


「うお、すげぇ……」

「アタシはさ、冒険者志望なんだけど、まちがえて掃除魔法スキルに全振りしちまったんだよね」

「掃除が好きなの?」

「そうじゃねぇよ! 大っきらいなんだよ!」


 そう言いながらワイルド女がタバコをくわえたまま、何の遠慮もなく、僕のベッドに腰掛けた。


「アタシと兄貴は同じ師匠から武術を学んでたんだよ。素質はアタシの方が上って言われてたんだぜ?」

「他人のベッドの上でくわえタバコしながら唐突に身の上話を始めるな!」


 僕のツッコミなどまったく気にすることなく、ワイルド女が話を続ける。


「兄貴が家の掃除を全部アタシにやらせるもんだからさ、めんどくせぇから掃除魔法を一生懸命覚えたんだよ。……そうしたらこのザマさ。冒険者に必要な技能スキルは何一つ覚えてねぇってのに」

「そう、それは大変だったね……。で、君、灰皿は持ってるの?」


 布団にぱらぱら落ちる灰を、僕はげんなりしながら見つめた。


「まぁ、そんなわけで、今日からよろしく頼むわ」

「よ、よろしくって、何を?」

「だーからー、決まってんだろー? メ・イ・ド・だ・よ!」

「ア、アホか!! 主のベッドに勝手に座ってタバコの灰を落とすメイドなんか誰が雇うか!!」


 僕がそういうと、ワイルド女がくわえタバコのまま、やれやれと肩をすくめながら、パチンと指を鳴らす。


 その途端、灰がぽろぽろ落ちていた布団がピカピカになり、干したてのようにふわふわになった。


「く、くそ……、絶対褒めたくないのに……すごい……」

「へへーん、だろ?」

「で、でも、僕は使用人は雇わないって決めてるんだ!」

 

 そうだ。

 僕はアルフォンス宰相閣下にもハッキリと意思表示したじゃないか。


「そりゃアレだろ? アンタの性格的に、テメェ自身偉くもなんともねぇのに『おかえりなさいませぇご主人さまぁ』とか言われるのが気持ちわりぃからだろ?」

「……まぁ、そうだね」


 僕がそう言うと、ワイルド女がくわえタバコのままバシバシと僕の背中を叩いた。


「それだったら安心しろよ! アタシが言うのはこうだ。『チッ、まだ掃除終わってねぇんだから、もう少し外に出てろよ』」

「マンネリが慢性化した夫婦じゃないか!! そんなメイドがいてたまるか!!」

「またまたぁ、そういうこと言ってアンタ……、アタシみたいなの、嫌いじゃないだろ?」


 へらへら笑いながら、ワイルド女がひじで僕の脇腹をつついた。


 ……た、たしかに……嫌いじゃないかもしれない。

 むちゃくちゃだし、最悪な態度だけど、裏表のない、気持ちのいいヤツなのだというのは、この短時間のやり取りでもわかる。


 ……裏表なさすぎだけれども。


「ってか、なんでウチに来たの?」

「兄貴に追い出されたんだよ。全然小遣いくれねぇから、兄貴が大事にしていた武器のコレクションを片っ端から売っぱらってやったら大喧嘩しちまって」

「……それのどこに、ウチに来る要素が……」

「追い出される時に兄貴に言われたんだよ。爆笑王に面倒見てもらえって。アイツなら女いっぱい囲ってるから、一人増えたぐらい問題ねぇだろって」

「一人も囲ってねぇよ!!! あー、わかった!! リョーマだな!! リョーマの妹なんだな!?」


 僕が指を差すと、ワイルド女がにやにや笑いながらうなずいた。


「そゆこと。アタシとしては別にアンタの女ってことでもいいんだけど、女はいっぱいいるみたいだから困ってないだろ? ってわけで、メイドやるんで、そこんとこヨロシクー!」

「く、くそ……、ニヤニヤ笑ってるリョーマの顔が目に浮かぶ……」

「アンタ、魔法伝達テレパシーの使い手なんだろ? 朝晩のメシは作ってやるから、いらねぇ時は事前に知らせてくれよな。無駄に作らせやがったらぶっ殺す」


 なんだか話が勝手に進み始めたので、僕は慌てて制止した。


「ま、待て。僕は雇うとは一言も……」

「あのなぁ? こんなアホみたいな城を使用人ナシで管理できると思ってんの? 一階はそこそこキレイに管理されてたけど、二階から上はホコリがけっこう溜まってたぜ? 新築だってのによぉ」

「だからって、君一人雇ったってしょうが……」


 僕がいい終わらないうちに、リョーマの妹が僕の唇を人差し指と親指でつまんでふさいだ。


「お口チャックー! そーゆーことはさぁ、ちーっと城の様子を確認してから言ってもらいたいもんだね、アタシとしては」

「……」


 リョーマの妹に言われて、僕はしぶしぶ部屋の外に出た。


「……うそ……」


 新築の城だ。

 元々、そんなに汚れていたわけじゃない。

 普通に使用人を雇っていたとしても、あのぐらいの状態を保っていれば、文句を言う家主はいないだろう。


 だが……。

 廊下、窓からシャンデリア、その他調度品、天井まで、すべてが美しい。

 

 もはやピカピカじゃない。

 キラキラだ。

 まるで家具や調度品たちが喜びの感情を露わにしたかのように、お城の全てがキラキラと輝いている。


「おおおおっ……下の階まで……」


 僕は何十分もかけて城内を歩いて回り、階段の手すり、絨毯じゅうたん、円卓の間、謁見の間、その他各部屋から一階の隅々に至るまで、まったくケチのつけようのない状態になっていることを確認した。


 ハッキリ言って、新築当初よりもピカピカ、いや、キラキラしている。

 使用人を50人雇っても、こんなレベルで掃除ができるとは思えない。


 なんといっても、空気が違う。

 早朝にベルゲングリューン領の湖で深呼吸をした時のような爽やかな空気に、僕は何度も大きく息を吸い込んだ。


「……君、名前は?」


 部屋に戻って、相変わらずスパスパ魔法タバコをふかしているリョーマの妹に、僕は尋ねた。


「アサヒだよ。アンタのことは今日からボスって呼ぶから」

「ボス……。 で、お給料はいくら払えばいいの?」

「月、金貨五枚ってとこだな」

「たっか!!! たっか!!!!」


 僕は思わずうめいた。

 今はまだ、ヴァイリス王国からいただいた報酬などの貯蓄とか、移動式馬防柵の売上なんかがあるから払えるけど……。

 というか、一般の使用人に支払うような額じゃない。


「……あのさぁ、こんなかわいいアタシ一人で、ぶっさいくなメイド100人雇うよりお城をピカピカにして、接客に買い出し、メシまで作るんだぜ? 金貨五枚って大盤振る舞いだと思うんだけどなぁ」

「ぐぬぬ……、た、確かに……」


 あれだけ城内がピカピカになっているのを見せられては、正直何も言えない。


「それと、アタシにムラムラしてケツを触ったりするのはナシな。そういうことがしてぇなら、ちゃんと愛人として雇ってくれ。雇い主や上司みてぇな、立場の強ぇ男が女に手を出すってのは、ゲス野郎のすることだからな」

「ああ、その辺の価値観が同じでよかったよ」


 僕はうなずいた。

 

「ただし、アタシがムラムラしてアンタを襲うのはアリな」

「いやいや、ナシだろ!!!!」

「ちっ、ケチケチすんなよな。減るもんじゃあるまいし……」


 酒場の荒くれ野郎みたいなことをアサヒが言った。


「冗談じゃない。君がいくら魅力的でも、既成事実を作られてリョーマを『お義兄にいさん』とか呼ぶようになる人生はゴメンだ」

「そう思うなら、寝る時はちゃんと股間を隠しておけよな。寝てる時にちんこってたぞ。誘われてんのかと思ったぜ……」

「ア、アホか!! 勝手に不法侵入しといてむちゃくちゃなことを言うな!」


 もうすっかり平常運転なのに、僕は思わず布団で股間を隠した。

 もうやだ、このメイド……。


「あと、そうそう、クラン城だっけか? アンタ、その若さで、平民出身のくせに二つも城を持つとか、兄貴よりヤベェんだな……」

「いやいや、君の兄貴のがいろんな意味で100倍ヤベェから」

「へっ、兄貴もアンタのことを同じように言ってたよ。家にいるときはアンタの話ばっかり。そっちに目覚めちまったのかと思ったぜ」


 もし僕が万が一そっちに目覚めることがあってもヴェンツェルまでだと思う。


「それで、クラン城がどうしたの?」

「ああ。兄貴が前に言ってたんだが、それ、この城と自由に行き来できんだろ?」


 そうそう。

 クラン城の大きな特色の一つに、自クランのアジトとの自由な行き来ができる転送ゲートの存在がある。


 ジェルディク帝国の首都、リヒタルゼンにあるクラン城の転送ゲートはこの城の円卓の間と行き来できるようにしてある。


 僕はまだ全然使ってないんだけど、ゾフィアやエレインが実家に頻繁に顔出しができたり、テレサがこっちに気軽に遊びに来れると喜んでいたし、元帥閣下も今はご多忙だけど、いずれ訪ねていらっしゃるらしい。


「サービスでそっちもピカピカにしてやっから」

「へ、いいの?」

「今のアンタから金貨10枚取ったらさすがに破産しちまうだろ?」


 アサヒの問いに、僕はコクコクとうなずいた。


「アンタが破産したらアタシも食い扶持ぶちがなくなっちまうんだから、とりあえずは金貨5枚で、アンタが偉くなったら、アタシの働きの分を上乗せするって感じで頼むわ」

「……実はメシがクソまずいってオチはない?」

「ふっふっふ」


 アサヒが腕を組みながら、不気味に笑い始めた。


「……アタシのメシを食ったら、アンタ、兄貴のことを『義兄にいさん』って呼びたくなるかも知れないぜ?」

「……言うねぇ……」

「ま、そういうわけだから。とりあえずアタシ用の部屋を一つ用意してくれ。フロに入って寝れりゃ、馬小屋でもなんでもいいからさ」

「馬小屋って……。部屋ならいっぱいあるから、好きなところを使ってくれていいよ」

「いやー、その辺はアタシ、慎み深いからさ。ま、テキトーにいちばん使用人部屋っぽいところを使わせてもらうわ」


 慎み深いメイドが雇い主の私室ですぱすぱタバコふかすんかい。


「そんなわけで、末永くよろしく頼むぜ、ボス」


 くわえタバコのメイドが、そう言って僕に手を差し出した。

 僕は苦笑して自分の手を彼女に差し出しながら、この子を雇うなら一階のショッピングモール誘致とかベルゲングリューン市開拓事業推進ギルドとかやらなくても全然よかったんじゃ……ということを今更ながらに後悔するのであった。

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