第三十章「メイド イン ベルゲングリューン」(2)


「めちゃくちゃ美味いじゃないか……」


 エスパダ産の、少し硬めで小麦の香りが豊かなパンに、甘辛く照り焼きにしたチキンやトマト、ピーマン、レタスなどを挟んで、照り焼きのソースの上にちょっぴりマヨネーズを入れたサンドイッチ。

 

 丁寧に裏ごしされたジャガイモとポロネギの冷製スープがまた絶品。

 そしてこの、ふわふわのスクランブルエッグ!!


 どうみても悪魔の手先にしか見えないアサヒが一体どうやったらこんな天使のようなスクランブルエッグを作れるのだろうか。


 僕も料理にはそこそこ自信があったんだけど、その自信がぐらっと揺らいでしまいそうだ。


「おう、食ってんな。なかなかうめぇだろ?」

「うめぇ。特にこのヴィシソワーズがめちゃくちゃうめぇ」

「ヴィシソ……なんだって? 朝から下ネタ言ってんじゃねぇよ」

「言ってねぇよ!!!」


 僕がツッコミを入れると、アサヒが腕を組んでニシシ、と笑った。

 そんなアサヒを軽く見てから、僕は思わず二度見してしまった。


「って、その服どうしたの?!」

「気づくの遅っ!! メイドっつったら、やっぱこれだろ?」


 濃紺の、いかにも仕立ての良さそうな生地の、クラシカルなメイド服にフリルのついた純白のエプロンドレスと、お揃いのカチューシャ。


 絶対似合わないだろうと思ったけど、態度以外はめちゃくちゃ似合ってる。

 態度以外は。


「メイドっつったら黒かなーとも思ったんだけどよ、お城の屋根が青系だし、こっちのがいいかなーと思ってさ。これ、経費で落ちるよな?」

「……むちゃくちゃ高そうだけど、まぁ、似合ってるからいいか」

「へへ、そうこなくっちゃな。ケチで見た目にこだわらない貴族なんて、貴族じゃなくてただの威張った金持ちだからな」


 アサヒはそう言ってから、ぽん、と手を叩いた。


「そうそう、忘れるトコだった。ボスに客だぜ」

「客?」

「アルフォンスとかいう白髪のシブいジジイだ。今、応接室で待ってもらってる」

「あー、ごめん。食事の途中なんだけど、お待たせできないお客様だ」

「いーっていーって。卵だけ食ってけ。後は冷めてもうめぇかんな」

「ああ、そうしようかな」


 僕は名残惜しい気持ちで一旦食事を済ませて、自室でアウローラの選んだ、ネイビーにダークストライプが入ったスリーピースのスーツと赤、黒、青の縞が入ったネクタイを合せた白のワイシャツに着替えてから応接室に向かった。


「おおっ、なんだ、ビシキマじゃねぇかよ」

「び、びしきま?」


 自室の前で、アサヒがニヤニヤ笑いながら腕を組んで待っていた。


「ビシっとキマってるってことだよ。兄貴の話からしてどんなアホそうな奴なんだろうと思っていたが、さすが伯爵にもなると、ちゃんとしてんだな」

「このメイド、口が悪すぎだろ……」


 そこまで言ってから、僕はハッと息を呑んだ。

 うっかりアサヒのペースに乗せられていたけど、この子が宰相閣下の応対したんだよな……。

 まさかこんな態度でヴァイリス王国の宰相、アルフォンス・フォン・アイヒベルガー閣下を出迎えてたりして……ない、よ、ね?


「ああん? アルフォンスだかアルフォートだかブランチュールだか知らねぇが、ウチのボスは今アタシのメシ食ってんだよ! 食い終わるまで菓子でも食ってここで待ってろ? な?」


 とか言ってたらどうしよう。

 っていうかめちゃくちゃ言ってそう。


 へらへら笑いながらついてくるアサヒをよそに、僕は暗澹あんたんたる気分で応接室に向かった。


「あ、あの、宰相閣下……」

「おお、お邪魔させてもらっているよ。ベルゲングリューン伯」


 僕が入ると、アルフォンス宰相閣下がカップを置いて立ち上がり、にっこりと笑って僕と握手をした。

 今まで、各国の首脳と幾度となくこうして握手を交わしてきたのであろう、洗練された所作だ。


「正直言って、君のことを見直していたところだ」

「え、なんです?」


 僕がきょとんとしていると、アルフォンス宰相閣下が肩をぽんぽん、と叩いた。


「城に使用人を置かないと君が宣言した時には、この美しい城が半年もしないうちにほこりまみれになるのだろうと思ったが……。なるほど、君の眼鏡に叶う使用人を選んだということかな」

「あの、失礼はなかったですか?」


 上機嫌なアルフォンス宰相閣下は、僕が冗談を言ったと思ったのか、楽しそうに笑いながら言った。


「失礼なものか。今すぐ王女殿下の侍従をこなせるぐらい洗練された宮中作法だ。フフ、君のそれとはまるで別物だよ」


 ……とても信じられん。

 僕は思わずアルフォンス閣下の様子を確認した。

 アサヒにおかしなキノコでも食べさせられたりしたのだろうか。


「失礼いたします」


 そこに、トレイを持ったアサヒがうやうやしく頭を下げ、アルフォンス宰相閣下のティーカップを交換して、次いで僕に紅茶の入ったティーカップを置き、シフォンケーキを並べた。


「……だれ……」


 僕が思わずつぶやくと、アルフォンス閣下から見えない角度で、アサヒにひじで後頭部をしばかれた。


「ウチの孫娘が世話になったようだね」

「ヒルデガルド先輩には、いつも振り回されっぱなしです」

「ヒルダで構わんよ。いつもそう呼んでいるんだろう?」


 アルフォンス宰相閣下がいたずらっぽく笑ったので、僕は少し恨みがましく目を細めて宰相閣下を見上げた。


「僕は政治家なんかにはなりませんからね?」


 僕は真っ先に、この話題の「核」を突きにいった。

 かつて「外交の天才」と言われたアルフォンス宰相閣下の得意技の一つだ。


「あっはっは! ヒルダからそこまで聞いていたか。ずいぶんと気に入られたようだ」

「気に入られたっていうか、しょぱなに言われましたけどね」

「いやなに、このままヴァイリスや他国に平穏な時代が続くようであれば、私としても、君はのんびり冒険者稼業をすれば良いと思っているのだがね」


 宰相閣下はさらりと気になることを言いながら、カップに口を付けた。


「……閣下は、平穏な時代が終わると考えていらっしゃるんですか?」

「終わる」


 宰相閣下が真っ直ぐに僕の目を見ながら言った。 

 

「私の予想が正しければ、10年以内に紛争が起こるだろう。それは最初、とても小さな、本当に小さな火花程度のいさかいだが、みるみるうちに飛び火していき、やがて大陸全土を揺るがすような、大きな戦争になる」


 まるでそれが既成事実であるかのように宰相閣下が淡々と話すので、僕は背筋がうすら寒くなるのを感じた。


「それは、何が原因ですか?」

「君は、なんだと思うかね」


 アルフォンス宰相閣下に尋ねられて、僕は少し思案した。


「水、かな」

「……ほう。なぜそう思うか聞いてもいいかね?」

「和平が続いて300年。先の大戦からの復興もようやく終わり、交易も順調になり、市民の生活も豊かになって人口も増加してくると、次に来るのは開拓です。ベルゲングリューン市がそうであるように」

「ああ、そうだね。侵略による領土拡大ができない以上、それが既定路線というものだろう」

「つまり、ヴァイリスだけでなく、各国で開拓ラッシュが起こることでしょう」


 アルフォンス宰相閣下がうなずいた。


「魔法ってすごいんですよね。特に土魔法をうまく使えば、人力でやれば大人数で、何年もかかるような工事があっという間にできてしまう。僕がしばらく領内を離れて戻ってきたら、もう町並みの骨子ができていて驚きました」

「ふふ、リップマン子爵が張り切っているからな」


 宰相閣下がやれやれ、という風に肩をすくめて見せる。


「でも、その際に使う水の量がかなりすごいんです。うちの領土はアルミノ河の支流から流れる水資源が豊富にありますけど、それでもベルゲングリューン市の開拓で、ものすごい量の水を使っています。一時、支流の水が干上がりかけて、一旦工事の中断をお願いしたぐらいです」

「ああ、聞いている。賢明な判断だ」

「開拓には水資源が大量に必要。こればかりは魔法ではどうにもならない。水魔法というものがありますが、これも近くにある水を利用するものなので、元の資源を増やすことはできません」


 そこまで言って、僕はアルフォンス宰相閣下の顔を見上げる。


「続けたまえ」

「はい。今後、アヴァロニアの各地で開拓ブームが広がっていくと、水資源が少ない地域では川の流域や上流と下流といった場所の奪い合いになる可能性があるかな、と。で、それが国境をまたいだりすると……」


 アルフォンス宰相閣下がパチパチと拍手をしはじめた。


「私の考えとかなり近い。国際的な知見や情報があるわけでなく、身近な発見からその結論に到達するとは、大したものだよ」

「いやぁ、可能性を考えたら、それぐらいかなぁって」


 視線を感じて見上げると、僕のことをアホ伯爵だと思いこんでいたアサヒが目を丸くしていた。


「そもそも、各国の成り立ちからして、水資源というものは重要な役割を果たしている。古代から人々は水資源の近くに集まり、そこで文明が発展し、やがて国家というものが成立したのだ。ヴァイリス王国やジェルディク帝国とて例外ではない」

「ええ」

「そこに輸出の問題も絡む。鉱産資源などの乏しい国では農耕や牧畜、紡績ぼうせきなどが主要産業になるが、そこでも大量の水が必要となる。1キロの穀物を生産するのに必要な水は、その1000倍の1トンだ」

「はぁ……。1000倍」

「例えば我が国がそれらの国から穀物を多く輸入すればそれだけその国の財政はうるおうが、その分、その国の水資源を圧迫することになるわけだ」

「……これ、冒険者志望の学生に聞かせる話ですかね……」

「ふふ、私もかつては冒険者志望だったのだよ。ヒルダが聞けば驚くだろうけどね」


 アルフォンス宰相閣下は言った。

 僕も驚きだ。


「だが、この世界は勇者が魔王を倒せば平和になるといった簡単なものではないということに気付かされたのだよ。今の君のようにね」 

「……案外、魔王も水が足りなくなって攻めてきたのかもしれませんね」


 僕がそう言ったら、アルフォンス宰相閣下が大きく目を見開いた。


「以前、エリオット陛下も君と同じことをおっしゃっていた。その時はご冗談を仰せられたのだと思ったが……ふむ」

「い、いや、僕も冗談で言ったんですけど……」


 その後は、ヒルダ先輩のことや、古代迷宮の話、ベルゲングリューン領のことをいくつか話した後、アルフォンス宰相閣下は釣りをしてから帰ると言って会談は終了した。


 ……ユリシール殿の話題が一度も出てこなかったのは、知らないフリをすることを決め込んでいるんだろうな、きっと。



「ボス、政治家になんのか?」

「えー、やだなぁ」


 アルフォンス宰相閣下がいなくなったとたん、アサヒが応接室の椅子にどかっと座り込んで、魔法タバコをふかしはじめた。


「いいじゃん。なっちまえよ。ボスなら悪い政治家になりそうじゃん」

「だから嫌なんだよ……」


 僕はげんなりしながら言った。


「さっきの話さ、たとえばボスならどうやって解決すればいいと思うんだ?」

「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん」


 きっと各国のものすごく偉い人たちが解決策を見い出せていないであろう質問をいきなりアサヒから投げられて、僕も少し考えてみることにした。


「こういうのはさ、現象だと思ったほうがいいんじゃない?」

「現象?」

「何かが足りなくなったら取り合うのは、動物も人間も亜人も魔族も一緒でしょ」

「そうか? そうじゃねぇ奴も中にはいるんじゃねぇの?」

「アサヒも小遣いが足りないからリョーマの武器コレクションを売っぱらったんだろ?」

「うっわ、それ言ったら何も言えねぇじゃん!! ボスって性格悪ぃよな……」 


 タバコの灰をぱらぱらと応接室の床に落としながら、アサヒがうめいた。

 ……あとでちゃんと掃除しろよ、それ……。


「だから、紛争は起きる。戦争も起きちゃう。不可避! おしまい!」

「……なんか投げやりじゃね? たとえばさぁ、海の水を魔法で真水に変えたりできねぇの?」 

「ちょっとならできるよ。でも、必要となる規模が大きすぎるし、時間もかかりすぎる。もしそれが実現できたら世界勲章ものだと思うけどね」

「ふーん」

「それよりはさ、簡単に戦争を起こせないように各国が軍備を整えたりっていう方向に進んでいくんだろうけど……ああああっ!!!!!」


 天啓のようにアイディアがひらめいて、僕は思わず立ち上がった。


「う、うわっ!! びっくりさせんなよl! 心臓がイきかけたじゃねぇか!!」

「ちょっとアサヒ、悪いんだけど外に行ってアルフォンス宰相閣下をもう一度呼んでもらっていい?」

「宰相閣下を呼びつけんのか? あんた、兄貴以上にいい度胸してんな……」

「どうせ釣りしてるだけだから。釣りが一通り終わったらでいいからって言えばきっと来てくださるよ。頼んだよ!!」


 僕はアサヒにそれだけ言って、ヒルダ先輩に魔法伝達テレパシーで通信を飛ばした。


『ヒルダ、やっほー』

『ベルか。……ちょうど貴様のことを考えていたところだ』


 なんだかセクシーな吐息混じりの声が頭の中に聞こえてきた。


『今から、うちに来てくれません?」

『ふふ、休日の朝に女を家に呼ぶとは、貴様なかなかの……』

『えっと、アルフォンス宰相閣下もいます』

『そ、そうか。わかった。一時間ほどかかるぞ』


 急に素に戻ったヒルダ先輩が言った。

 次に連絡するのは……、ミスティ先輩だ。


『ミスティ先輩、やっほー。ちょっと探検のことでご相談したいことがあって。探検のことならやっぱりミスティ探検……じゃなかった、ミスティ先輩だろうと思って。もしご都合よろしければ、探検に関するお話で、これからうちまで探検……じゃなかった、ご足労いただけないでしょうか。ご探検、じゃなかった、ご用件のみで失礼いたします……』


 ミスティ先輩は魔法伝達テレパシーを使えないので、一方的に要件を伝える。

 ……たぶん、「探検」っていうワードを6つも混ぜたから絶対来ると思う。


 えっと、それから……。

 

『ヴェンツェル、いる?』

『ひふが、ひょっほまっへふへ』

『え?』

『いるが、ちょっほまっへふへ』

『途中までわかったけど、やっぱり後半がわかんないんだけど……』

『むぐっ、ごくごく……ふぅ……こほん。ちょっと待ってくれって言ったんだ。どうした?』

『……なんで魔法伝達テレパシーなのに、食べながら話している感じになっちゃうの?』

『みんな君のように魔法伝達テレパシーを自在に操れると思うなよ? あ、姉上? い、いや、なんでもない。ベルに? ああ、わかった』

『お姉さんじゃなくて僕に答えてるぞ』

『ベル、姉上が『魔法学院の授業いつ受けに来るのー? ちゃんと受けないと落第しちゃうぞ♪』だそうだ』

『げ……、そうだった』


 要件を切り出す前に、僕の元気がしおしおとしおれていった。


『それで、要件はなんだ?』

『ああ、うん。今からちょっと来てくんない?』

『それはかまわないが……』

『魔法学院に行かなきゃいけないと思うと、要件を説明する僕のエネルギーが著しく失われてしまった。というわけで、そこんとこ、ヨロシク』

『そこんとこヨロシクってなんだ……? 毒島ぶすじま先輩も来るのか? お、おい、ベル!?』


 これでよし、と。

 「そこんとこヨロシク」って、毒島先輩じゃなくてアサヒの真似をしたつもりだったんだけど、よく考えたら会ったことすらないヴェンツェルに伝わるはずもなかった。


 あと、リップマン子爵にも通信を入れた。

 たぶん屋敷の近くにいるはずだから。


「ボス、伝えといたぜ。『今、大物が釣れそうだから、終わったらすぐ向かう』だそうだ」

「ありがと。……そういえば、アサヒって冒険者志望なんだよね?」


 僕がそう言うと、アサヒが肩をすくめた。


「そうだよー。まぁ、掃除魔法に全振りしちまったせいか、体術の技能スキルも全然身に付きゃしねぇし、半分あきらめてるけどなー」

「だったらさ、ヒマな時にでも、うちのリザーディアンに稽古でも付けてもらうかい?」


 僕がそう言った途端、アサヒがぱぁっと顔を明るくさせて駆け寄ってきた。


「えええーっ?! マジで!? マジで言ってんのか?! リザーディアンってアレだろ、クソ強ぇトカゲみてぇな連中だろ?」

「そうそう。我がベルゲングリューン騎士団の半数以上は彼らが占めているのであーる」

「すげぇ……。やっぱマジだったんだ?」

「マジって、何が?」

「ボスの『リザーディアンの統治者』っていうフカシくさい肩書だよ! マジで統治しちゃってるのかよ!」

「フカシくさいってなに?」

「うそくせぇってことだよ!」

「だったらそう言えばいいのに……なんでわざわざ1文字増やしてまで一般的じゃない言い方にするんだよ……」


 アサヒのツッコミにツッコミ返した。


「リョーマより素質があるって言われたってことは、アサヒも相当の使い手なんでしょ?」

「まぁねー。アタシのスタイルは、兄貴みてぇなのとは違ぇんだけどな」

「へぇー!」

「……試してみるかい?」


 アサヒはそう言うと、クラシカルメイドの白い手袋をはめたまま、左右の拳をこつんと合わせて、軽く身体を前かがみにすると、肩でアゴに守るように構えた。


 ……なるほど、そっち系だったか。


「いや、拳闘者ボクサースタイルの格闘家グラップラーとまともに殴り合いやるほど無謀じゃないよ……。コレを殴って」


 僕はソファの上の大きめのクッションのカバーに手を入れて、アサヒに突き出した。


 拳闘は砂漠王国ダミシアンで、元々奴隷たちの間で、拳と拳だけで殴り合う賭博競技として始まったのが発祥とされる格闘技だ。

 数百年前に出た奴隷解放令によってその技術が流出してアヴァロニアに広まったという話だけど……、冒険者志望で拳闘スタイルというのは、ちょっと珍しいかもしれない。


「アタシは、拳闘は人型相手にゃ最強だと信じてるんだけどさぁ。だって、顔面の殴り方だけでも何種類もあるんだぜ?」


 そう言いながら、アサヒはおそろしく素早いステップワークで間合いを詰めると、鋭い右ストレートで僕が突き出したクッションの、人間でいうとこめかみに当たる部分を打ち付け、すぐさま左のアッパーでアゴのあたりをえぐり、その左手をほとんど戻さずに、体ごと半円に回転させた遠心力で、引っ掛けるような左フックを叩き込んだ。


「シュッ、シュシュッ!!!」

ってぇ!!! 痛ってぇぇぇっ!!」


 たった三発のコンビネーションで僕は音を上げて、クッションをソファに投げた。


「へっ、そう言いながら、まばたきせずにちゃんと目が追いついてたじゃねぇか。さすが、兄貴を刺し殺した男だぜ……」

「物騒なことを言うなよ……召喚体の話だろ……。それにしても、エグいコンビネーションだなぁ、今の」

「最初の右ストレートでカウンターをキメて、アゴに左アッパーを入れるだろ? で、トドメのフックで相手の右目の目尻を狙うんだ。どれも決まりゃ一発で脳震盪のうしんとうを起こすし、目尻は切れやすいからな。戦闘中に血が目に入れば、勝ったも同然ってワケ」


 実際、アサヒのパンチを受けた左手がまだジンジンする。


「うーん、すごい、すごいけど……」


 僕は感心しながらも、ある疑問点にたどり着いてしまった。


「これで、ドラゴンとかとどうやって戦うの?」


 僕がそう尋ねた途端、アサヒがはぁぁぁっとため息をついてソファに座り込んだ。


「それ、それなんだよなぁぁぁぁ!! 失敗したぁ……。最初は激マブだと思ったんだけどよぉー!!」

「激マブってなんすか……」

「すげぇマブいってことだよ! わかんだろ!」

「だからマブいがわかんないんだよ!」


 アルフォンス宰相閣下たちが集まるまでの間、僕はアサヒとくだらない会話で盛り上がるのだった。


 その日の会合が、後に「ベルゲングリューンの井戸作戦」と世間で呼ばれるようになる壮大な作戦の始まりになるとは、その時は二人とも思いもしなかったのであった。

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