第二十七章「クラン戦」(12)
12
「……なんか、ヘンな匂いがしないか……?」
彼らのほとんどは冒険者ギルドで仕事を請けるような他の冒険者と異なり、国家や教皇庁、どこぞの大商人などの大口の依頼を請けたり、あるいは並の冒険者なら上の階層ですら命を落とすような大迷宮の地下深くを探索したりするため、ほとんど僕たちがその姿を目にすることはない。
言ってみれば、
元
そんな彼らが一人相手でも、僕たちにとってどれだけ苦戦を強いられる相手かということは、
だが、それだけではない。
才能や能力に恵まれながら、志半ばにして命を落とす冒険者は多い。
それはもう冒険者たちにとって当たり前のことで、だからこそ彼らは冒険が終わると、先に天国だか地獄だかに行った仲間に乾杯して大酒を喰らい、その太く短い人生を謳歌する。
つまり、
些細な異変に気付かなければ、どんな屈強な男でも一瞬で命を落とすのが冒険者稼業だからだ。
「ヘンな匂い? あのおっさんが殺しまくったせいで、汗と血の匂いしかしないが……」
「いや、なんか、ツンとするような……」
「あれじゃないか、便器がぶっ壊れちまってるから……」
本来であれば、彼らはとっくに気付いたかもしれない。
時間をかけて、彼らの足元にゆっくり広がっていった液体の正体に。
ロドリゲス教官によって作られた血だまりと混ざり、迷路のような狭い通路全体に伸びた、三樽分の液体の存在に。
「ミヤザワくん! 出番だよ!!」
「う、うん……!!」
ミヤザワくんは詠唱を開始し、途中で僕がプレゼントした黒色火薬の袋を、鋼鉄製の馬防柵による封鎖線の向こう側に放り投げると、
「行け!!
「ファ、ファイアーボール!!!」
僕の掛け声にちょっとよろめいたミヤザワくんの
「ちょ、ちょっと、ミヤザワ、なんですの! この貧弱な
「ご、ごめん、ちょっと緊張しちゃって……」
アーデルハイドにツッコまれて、ミヤザワくんが恥ずかしそうに頭をかいた。
なんだかんだ仲良くなってる気がして、僕はちょっと笑みを漏らした。
「
「こんな
ボォン――ッ!!!!
「ぎゃああああああっ!!」
「ぐわっ!!!」
「うわっ!? な、なんだっ!?」
事前に投げた袋から黒色火薬の飛沫が拡散し、そこに
……もっとも、それだけでは、属性防御の高い装備を身にまとう
だが、彼らの装備品や携行品のいくつかが燃え落ち、それが地面へと落ちる。
その瞬間……。
シュバババババババババババ――ッ!!!!
「えっ?!」
ミヤザワくんが
「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!!!!」
「ぎゃあああああああああっ!!!」
「な、何をしてる!! に、逃げろっ!!!」
「い、いや、人が多すぎて動けねぇんだよっ!!」
「馬防柵が邪魔でそっちは無理だ!!!」
「反対側は!?」
「だ、ダメだ!! いつのまにか金網で封鎖されてるっ!!」
「壊せねぇのかよ!!!」
「火の手が強すぎて、こっちからは無理だ!!!」
(悲惨な光景だけど、ここで僕らを敵に回すことの恐ろしさを身に染みてわかってもらわないとね)
今回のクラン戦を受けたのは、半分は勢いだけど。
もう半分は、この手の格上の連中を黙らせることだ。
ゾフィアとの決闘にクソまぐれで勝ってからしばらくも、僕に対して試合の申し込みが後を断たなかった。
今回はたまたまミスティ先輩が引き金だったけれど、若獅子祭で目立ちすぎてしまった僕たちにこういうことが起こることは必然だと正直思っていた。
冒険者を志す人間っていうのは、誰が誰より強いとか、そういうことにはとても敏感だからだ。
そのためにも、僕たちは今回、魔王のごとく振る舞わなくてはならないのだ。
「わはははは!!
阿鼻叫喚の、まさに地獄絵図の中。僕が高らかにそう宣言すると、いつものメンバー以外の味方陣営が皆、唖然とした顔でミヤザワくんの方を見た。
「な、なんですの……、これは……、あ、貴方の仕業ですの……」
「い、いや、ち、違……、ぼ、僕はただ
アーデルハイドが、ミヤザワくんからささっと後ずさる。
「ミヤザワ君、恐ろしい魔法だな……ここまでやられては、我がバルテレミーの盾でも防ぎ切ることはできんだろう……」
「オルバックくん、ち、違うんだ、これはね……」
「皆まで言わなくていい。君が
「こ、固執してるんじゃなくて、これしか撃てないんだよぉぉ」
ミヤザワくんが何を言っても、
「お、おい……、あんな
「あ、あるわけねぇだろ……、大魔法でもここまでヤベェのは見たことがない。
ガンツさんたち冒険者もざわついている。
「爆炎のミヤザワ……」
「
いつものメンバー以外の味方陣営が、ミヤザワくんを見て大騒ぎしているのを僕がニヤニヤしながら見ていると、ジルヴィア先生がにじり寄ってきた。
「ベルちゃんベルちゃん……」
「先生、近いです……」
「んもう、お・姉・ち・ゃ・ん、でしょ」
先生の大人っぽいムスクの香りが僕の鼻孔をくすぐった。
「あのめちゃくちゃな炎、どうせベルちゃんがやったんでしょ?」
「うん」
「うんって……。どうやったの?」
「若獅子祭の時はいろんな地形があって利用しやすかったんだけど、今回は舗装道での市街戦だからそれがないでしょ?」
「そうねぇ」
「でも、平坦な道にも傾斜はある。それで、これです」
僕は花京院が羊皮紙に描いた地形図を先生に見せた。
「まぁ、すっごく上手! あはっ、『Cぐみ かきょーいん』だって。あ、ベルゲンくんうまーい!!」
「……あんたも愛読者なんかーい!!!」
僕は思わずジルヴィア先生にツッコんだ。
「そこじゃないです。今炎上している道に細かく矢印が書き込んであるでしょう?」
「あ、ホントだ」
「ヴェンツェルに頼んで、ガラス玉を転がして傾斜を見てもらったんです。その矢印の方向に向かって、液体を流せば、この
「液体って……?」
「アレです」
僕はひと仕事終えた顔をしているギュンターさんに手を振ってねぎらいながら、その近くに転がっている樽を指差した。
「あれ、開戦の時からずっと置いてた樽よね。中身は油か何か?」
「油は油なんですけどね。先生、『テレピン油』って知ってます?」
「えーっと、油絵とかで使うやつかしら? 学生の時に授業で使った気がする」
「そうそう。
若獅子祭の時に使ったのは、宴会の時に使った油の残りだった。
水分を含有しない魔法樹が比較的燃えやすかったのと、聖天馬騎士団の時は黒色火薬を使ったから一応引火してくれたけど、正直、僕が当初にイメージしていたような燃え方ではなかった。
軍記物やおとぎ話で描かれるような大きな戦いでは、軍師が立てた作戦で船がぶわっ!!と炎上したり、火計で一気に戦局を覆すようなシーンが登場する。
でも、どの物語も「油」と書いてあるだけで、そんな一気に燃え広がるような油を僕は知らなかった。
そこで、僕は色々な油を使って領内で試してみたのだ。
食用の菜種油や
考えてみれば当然だ。そんなことになったら料理するたびに火事になるもの。
今のように魔法ストーブが当たり前になる前は、
でも、一つだけものすごく燃え広がったのが、テレピン油だった。
直接火をつけても燃えはしなかったけど、燃焼させたものを入れた途端すさまじい勢いで燃え上がり、たまたま訪れたリップマン子爵が湖の水を汲んできて僕ごと水浸しにしなければ、僕は危うく領内を焼け野原にしてしまうところだった。
そこで、ギュンターさんに依頼して、さまざまな画商や画材商を巡ってもらって、今回のクラン戦のために大量納入させてもらったのだった。
「私は……、私は恐ろしい弟を持ってしまったものね……」
何かのモードに入ってしまったジルヴィア先生が、両手で頬を押さえながらつぶやいた。
「大魔法でもこんなに燃やし続けるのは無理よ……。ドラゴンの
歴戦の
「……でも、みんなで用水路に逃げてしまえば、ベルちゃんの作戦通りにはいかないんじゃないかしら?」
ジルヴィア先生の問いに、僕はにっこりと笑って答えた。
「彼らはベテラン中のベテラン冒険者ですから。すぐそのことに気付くと思います」
僕がそう言い終わらないうちに、全身に豪華な甲冑を身に纏った騎士が声高に叫んだ。
「お前ら! それでも
「そ、そうだ!! お前ら! パニックになるな!! 我々の属性防御なら即死はせん! 落ち着いて飛び込むんだ!!」
「ちょ、ちょっと! 無理言わないでよ!! こんなところで下着姿になれっていうの?!」
「どうするかは諸君の自由だ! だがオレは生き延びる道を選ぶ!!」
そう言って鎧を脱ぎ捨てた騎士は、真っ先にパンツ一枚で用水路の中に飛び込んだ。
用水路の近くにいた数名の冒険者たちがそれに
「う、うわっ!? な、なんだ!? ひ、引きずられている?! ひっ、や、やめっ、た、助け、あぶっぶぶぶぶぶっ!!!」
「お、おい、ど、どうした?! な、なんだ?! う、うわっ、ひ、ひぃぃぃあぶぶぶぶぶぶっ!!」
「お、お前ら!! 用水路はダメだ!! 水の中に何かがいる!!!! こっちに来たら……あぶぶぶぶぶぶぶっ!!!」
「な、何かって……、何が……ひっ、や、やめろ、やめろおおおおっ!! あぶぶぶぶぶぶっ!!!」
先行して用水路に飛び込んだ冒険者たちが、パンツ一丁の姿でぷかぁ、と浮かぶのを、冒険者たちは呆然とした顔で見下ろしている。
「よ、用水路にまでこんな仕掛けを……、ベルゲングリューン伯……奴は鬼神か魔王か……」
絶望の中に希望の光を見出したと思った金星冒険者の一人が、業火の中でがっくりと膝をついた。
「べ、ベルちゃん?……」
「ほら、開戦当初に、リザーディアンたちが突っ込んでいって用水路に落ちたでしょ?」
「ま、まさか……」
「そう、わざとなんです。彼ら水中で生活できるぐらい水の中が得意らしいんで、潜って待機してもらっていました」
「待機してもらっていましたって……、あなた、ここまで全部予測して……?」
「いくら
「あんた……、そのうち爆笑王じゃなくて魔王とか言われるようになるわよ……」
「お前さ、もしオレとケンカとかすることがあっても、こういうことだけはするなよ?」
横で話を聞いていたらしいユキとキムが、ドン引きしながら言った。
「お前もう、魔法の授業受けなくていいわ……、っていうか受けるな。それが世のため人のため……」
「ちょ、ちょっと、メッコリン先生! ウチのベルちゃんの教育放棄しないでください!」
「い、いやだってこれ……、コイツが魔法を真面目に覚えたら、世界を滅ぼしかねませんよ……」
「ベルちゃんはそんなことしません! た、たぶん」
「あ、姉上、そこで自信を失くしてどうするんですか!」
「ヴェン……、ベルちゃんの片棒を担いだあなたがよくそんなこと私に言えるわね……」
「うっ、そ、それは……」
ヴェンツェルがお姉さんの反撃にたじろいだ。
やはり姉上には逆らえないらしい。
「
「どうしたの、閣下」
急にピントの外れたことを言ってきたジルベールに、僕が小首を傾げた。
ジルベールは目をキラキラと輝かせている。
「いや、私も常々疑問に思っていたのだ。軍記物などで策士の計略で派手に燃え広がる光景が度々登場するが、果たして今のアヴァロニアにある資源で、そのようなことが実現可能なのか……とな。今、卿はまさにその証明を私にしてくれたのだ!」
「……あなた、最近ちょっとマトモになったと思っていたけど、ちっとも変わってなかったのね……」
メルが容赦ないツッコミを入れた。
『ちなみに言っておくが、軍記物で描かれているのはほとんどが大げさに書かれているものだぞ。私が巻き起こしたものを除いては、だが』
(……解説ありがとう、アウローラ。そんなことだと思ってた)
『礼を言うのはこちらの方だ。ふふふっ、なかなか面白いものを見せてもらった。そなたといると本当に飽きぬな。……いずれ老いて死ぬそなたと別れる運命なのが辛くなってきたところだ』
(冒険者が老いて死ねるのはよっぽどの強運だと思うけど……)
『ふっ、そうだな』
アウローラが静かに笑う雰囲気を感じる。
「テレピン油って、こないだお前がくれたお絵かきセットに入ってたよな? ちょっと今度試してみるか」
「……花京院、アンタね、もし本当に試したりしてごらんなさい、アタシがぶっとばすからね?」
「じょ、冗談だって……」
ジョセフィーヌが低い声で言った。
花京院のおかんみたいだ。
でも、ジョセフィーヌの言う通り、良い子も悪い子も、絶対に真似しちゃいけない。
好奇心は宝石のようなものだけど、失ってしまったものは二度と戻らないのだから。
「ちょ、ちょっと、まつおさん、助けてよ!! みんなにめちゃくちゃ誤解されちゃったんだけど……」
「いやぁ、ミヤザワくんって優しいから、冒険者からナメられやすいかなーと思って。ちょっと
「付きすぎなんだよう!!」
「わっはっは!!」
僕たちが話していると、エタンとトーマスがやってきた。
「相変わらず、むちゃくちゃだね、君は……」
「おかえり、エタン。トーマスも」
エタン率いる
「まつおさんの戦い方は若獅子祭でも見たけど……、これだけの
「トーマスたちがガッチリ守ってくれるって思ったから、安心して作戦を立てられたんだよ」
僕はにっこり笑った。
「とーちゃんが肉の確保は任せろって。その代わり、絶対勝ってこいってさ」
「ふふ、それじゃ、この戦いにはどうあっても負けられないね」
僕は改めて戦況を見渡した。
「ま、まだあきらめるな!! 俺たちは誇り高き
「そ、そうだ!!
(ふふ、そう来ると思った)
「ジルヴィア先……姉さん!! 出番だよ!」
「えっ、ベルちゃん、もう終わりなのかと思ったわ」
「ここからが本番だよ。今から敵の後詰、余力を残した本隊が救援にやってくる。連中が見せたような安っぽいやつじゃなくて、姉さんの本物の大魔法ってやつを見せてあげて!」
「本物の大魔法だなんて、そんな……」
「あいつらに見せつけてやりたいんだ。『見ろ! これが僕とヴェンツェルの姉さんなんだぞ!』って」
「もう……ベルちゃんったら、大人の女をノセるのが上手いんだから……」
すっかり機嫌を良くしたジルヴィア先生は、大きな
「〜〜〜〜ッ、〜、〜〜〜、〜〜〜……」
「あ、姉上?! い、いや、それはいくらなんでも!!」
聞いたことのない言葉で詠唱を始めるジルヴィア先生に、ヴェンツェルが慌てた様子で語りかけるが、
「あ、姉上!! ベルの口車に影響受けすぎです!! 姉上!!」
「……ヴェンツェル、お姉さん、なんて言ってるの……?」
僕が声を掛けると、顔色を真っ青にしたヴェンツェルが震える声で言った。
「あ、あれは……古代ルーン語だ……。姉上はおそらく、自身が研究中の、失われた古代魔法を使おうとしている……」
「へ、こ、古代魔法?!」
「ベル……、姉上のテンションを上げすぎなんだよ……。君が言うと、姉上は世界を滅ぼしかねんぞ……」
「ジ、ジルヴィア姉さん? そ、その、やっぱりもうちょっとほどほどに……」
僕がそう呼びかけるのと同時に、ジルヴィア姉さんが魔法を発動させた。
「
「?!」
何が起こったのか、さっぱりわからなかった。
ただ、ほんの一瞬だけ、全身が
だが、次の瞬間。
金網に向かっていた
「な、なにこれ……」
音が一切ない。
ただ、その炎に飲み込まれた冒険者たちの姿は、その鎧も装備もすべて痕跡を残すことなく完全に蒸発し、高台の一部がべろりと溶けた。
大魔法としての攻撃範囲はやや狭いが、付近にいた
「ふぅっ、お姉ちゃん、ちょっと疲れちゃったかも」
「あ、姉上!」
すさまじい古代魔法を発動させたジルヴィア姉さんが、僕とヴェンツェルに寄りかかった。
「でも、弟たちの役に立てて、しかも自分の理論の証明もできて、お姉ちゃん幸せ」
「い、今のは何なんですか?」
「
ものすごく眠そうにあくびをしながら、ジルヴィア先生が言った。
「ぶ、ぶわーって吹き出るものって……」
あまりにもざっくりとした説明と、そのスケールのデカさに、僕は呆然とした。
「炎に見えるけど、炎属性じゃないのよ。だから、耐性装備があっても無駄ね。たぶん、光属性とか風属性とか、そういう感じだと思うんだけど……、確かめようがないわよね。絶対死ぬもん」
「た、たしかに……」
「そんなわけで、ベルちゃん、ヴェン、あとは任せるわね。お姉ちゃん、ちょっと休憩……」
ジルヴィア先生はそう言うと、僕の肩に寄りかかって本当に寝息を立て始めたので、僕とヴェンツェルで涼しそうな場所に運んで休ませてあげた。
次の瞬間。
ズダァァァァァァァァァァァァン――!!!!
すさまじい轟音と共に、高台のさらに後方から青白い光線が真っ直ぐに走った。
それから数秒経って、高台下にいた二体目のガーディアンの巨体が、ゆっくりと沈み込んでいき……、完全に機能を停止した。
「アリサ……、ふふ、さすが」
これ以上ないというタイミングで必中の狙撃を成功させたアリサを思って、僕は思わずつぶやいた。
さっきキスされた時のレモンの味が、まだ口の中にほんのりと残っていた。
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