第二十七章「クラン戦」(11)

11


「まつお!!!!」

「ハ、ハイ!!!」 

「今のこのふざけた状況を3秒で説明しろ!!」

「む、無理です!! 教官!!」

「ならば5秒だ!!」


 とても下半身丸出しで便器に座っているとは思えない威厳で、ロドリゲス教官が叫んだ。


「クラン戦の途中で『最も恐ろしき者』をイメージして召喚したら、教官が出てきました!!」

「……」


 すさまじい威圧感を放ったまま、ロドリゲス教官は少し考える仕草をした。

 

「まつお、今の回答は気に入った。……実にすばらしい」

「あ、ありがとうございます! 教官!!」

「新学期はグラウンド100万周させてやろうと思ったが、1万周で許してやる!!!」

「い、いちまんしゅ……、む、無理です!! 死んでしまいますッッ!!」


 おそらく顔面蒼白になっているであろう僕から、周囲のみんなが憐れむように顔をそらした。


「ちょ、ちょっと、ユキ、なんでそんな顔するの? グラウンド1万周はさすがに冗談でしょ……ねぇ?」

「……」

「キムも、メルまで……な、なんでみんな何も言わないの……?」


 そんな僕の肩に、ミスティ先輩がぽん、と手を乗せた。


「あの人、本当にやらせるわよ……」

「えっ?」

「……私ね、剣技志望だったの」

「ミスティ先輩が?!」

「父の探検に付き合った翌日で、学校を寝坊しちゃってね。それが斧技講習の時間だったの」

「遅刻して怒られたんですか?」

「ううん。当時の私は、自分が金星ゴールドスター冒険者で、士官学校はただのおまけだと思っていたのよね」

「ああ、思ってそう」


 そう言うと、ミスティ先輩が僕の頬をつねった。


「それで、今後も使うつもりのない斧技講習をサボって、そのままカフェテラスでサンドイッチを食べてたらね……。どこからともなく飛んできた斧で、今まさに口に入れようとしたサンドイッチが真っ二つに……」

「ひえええええええええっ!!!」


 その後グラウンドを1万周させられたミスティ先輩は、意識が朦朧として判断力が衰えているところで、お前は斧の才能があるとか適当なことを言われて、ロドリゲス教官の斧技を鍛錬させられるようになったのだとか。

 ……おそろしい話である。


「おや、そこにいるのは……、もしかして、メックリンガー先生ですかな?」

「げっ……」


 アリサとジルヴィア先生の後ろで隠れるようにしていたメッコリン先生が、ロドリゲス教官に見つかった。


「まさか、先生もコイツのクラン戦に参加を?」

「は、はぁ、彼に誘われまして。今のところ、何の役にも立っておりませんが……」


 良く通るロドリゲス教官の声に合わせて、メッコリン先生が拡張音声魔法で答えた。


「……」


 ロドリゲス教官はメッコリン先生のことをじっと見つめてから、豪快に笑った。

 

「うわっはっはっはっは!! 出来の悪い生徒のためにわざわざこんなところまでいらっしゃるとは!! いや、見直しましたぞ!! 失礼ながら、先生はもっと、淡々とお仕事をされる方だとばかり」

「いやぁ、はは、自分でもそのつもりだったんですが……」

「まつお!!!!」

「ハ、ハヒィィィ!!!」

「魔法科劣等生の貴様がメックリンガー先生をよく誘ったな!! 褒めてやる!!」

「あ、ありがとうございますぅ……!」


 僕は半泣きでロドリゲス教官に敬礼した。


「なんだぁ? さっきから、なんか妙に威圧感のあるおっさんだなぁ?」


 僕がビビりまくっているのを何か勘違いして気が大きくなったのか、前歯がボロボロで頭の弱そうな冒険者がへらへら笑いながら便器に座ったロドリゲス教官に近付いた。

 男は身の丈ほどもある大きな両手斧グレートアックスの刃を地面に置き、そこに片足を掛け、両手を柄に置いて教官を見ている。


「おっさん、ケツはちゃんと拭いてんのか? ああん?」


(バ、バカ、よせ……。その人は、そんな不良生徒のテンプレみたいな絡み方をしていい教師じゃないぞ……)


 店員や教師のような雰囲気の相手に噛みつきたくなる人というのは、一定の割合で存在する。

 その多くは大人になっていくにつれ、それに見合った見識や良識が備わっていくのだと思うが、生まれも育ちも思想も様々な冒険者の中にはたまにこういう、脳みそが中等学校のまま大人になったような人がいて、冒険者ギルドでアルバイトをしていた時にも何度か追い出したことがある。


「ケツなど拭いているはずがなかろう」


 頭の弱そうな冒険者をジロリと一瞥すると、ロドリゲス教官はそう言い放った。


「ぎゃははははっ! おい、お前ら聞いたかよ?! こいつ、クソを垂れたのにケツを拭いてないらしいぜ!! 紙も召喚してやったほうがよかったんじゃないか? ベルゲングリューンの旦那」


 急に話を振られたので、とりあえず答えておくことにした。


「……とりあえず、君が冒険者の底辺なのはよくわかったよ」

「あんだと?!」

「だって、今の君は人生で最大の危機に瀕しているにも関わらず、それにまったく気付いていないんだもの。もしその危機感で上位の冒険者だったら、君はとっくに死んでこの世にはいない」

「てめぇ……言わせておけばっ」

「どこを向いている。話していたのは私だろう?」


 ロドリゲス教官はそう言うと、頭の弱そうな冒険者の右腕をがっしりと掴んだ。


「な、何しやがる、放……」


 教官は一切力を入れているようには見えないが、冒険者が両手斧の柄に乗せていた両手がぴくりとも動かない。


「たしか私がケツを拭いていないという話だったな……」


 ロドリゲス教官は言った。


「小僧、いかにも育ちの悪そうな貴様に教えてやる。小便のときも便器に座ってやるのが大人のルールというものだ」


 四つ折りにしたイグニア新聞を股間にのせたまま、ロドリゲス教官がゆったりとした仕草で冒険者に答える。


「な、なに言って……お、おわっ……」


 周囲の冒険者たちから大きなどよめきが起こる。

 分厚い鉄塊の両側全体に幅広の刃を付けたような、たとえ体格に恵まれた戦士であっても両手で持たなければとても扱えない重量の両手斧グレートアックス

 その柄に両手を乗せた男の右手首を握ったロドリゲス教官は、なんと、片手で、便器に座ったまま、その男ごと両手斧グレートアックスを持ち上げたのだ。


「う、うわあああああああっ!? お、お、おいっ! た、たすけてくれっ!!」

「バ、バカ! 斧から手を放せ!!!」


 仲間らしい男が声を掛けるが、頭の弱そうな冒険者は泣きそうな顔でうめいた。


「は、放せねえんだよぉ! バ、バケモンかこいつ……!!」

「い、いやいやいやいや、デタラメすぎんだろ……」


 キムがうめいた。

 それもそのはずだ。

 便器に座ったオッサンが片手で、男と、男の体重ぐらいの重さがありそうな両手斧を、男の腕一本を掴んだだけで片手で持ち上げ、大の大人が赤子のようにじたばたともがくのを平然と見ているのだ。

 上手く説明できている自信がないけれど、仮に筋力が超人的だとしても、ふつう、人間の腕を掴んだだけで頭上高くまで持ち上げることなんて人体の構造上できない。

 ……腕が持ち上がるだけだからだ。


(体幹の仕組みを完全に理解していなければ……、こんな芸当できるはずがない……)


「人間の両腕には『尺骨しゃっこつ』という骨がある。橈骨とうこつという太い骨に寄り添うだけの、一見なんでもない骨なのだが……、そのすぐかたわらを尺骨神経というものが通っている」

「ぐあああぁぁっ!!! は、放せ……、放せこの野郎……っ……」


 片手で両手斧ごと持ち上げ、脂汗をぽたぽたと流す冒険者のことなどそしらぬ様子で、ロドリゲス教官はまるで士官学校の講義のように話し続ける。


「ここは、骨や筋肉で守られていない神経の中でも最も大きな神経でな。このように掴むと、自分の力で斧を握ることも、放すこともできなくなるのだ」


 味方陣営である僕たちも、ロドリゲス教官の淡々とした講義に背筋がゾッとする。


 おそらく、他の冒険者も、仲間を加勢すべきだと頭ではわかっているに違いない。

 だが、便器に座る男の異様なまでの威圧感とおそるべき冷静さに、誰一人として動くことができない様子だった。


「ああ、すまんな、私としたことが、小便は座ってしろという話の途中であったな」

「も、もうわがった、わがったから……、は、放し……」


 腕の靭帯が伸び切るような強烈な苦痛に、脂汗まみれの男が懇願するように言い始めるが、ロドリゲス教官はそんなことで手を緩めるような男ではない。


「つまりな、便器に座ってる男がクソをしていたと思いこんでいる時点で、貴様は自分が便器に立って、そこいらに小便を撒き散らす阿呆だと世間に知らしめているのだ。わかったか?」

「わ、わがっ、わがっだ……」

「ん、何を言っているのかよくわからんな」

「わがり……わがりまひたぁぁぁっ!!!」

「よろしい。幼年学校から入り直して、小便の仕方を学んでこい!!!」


 ロドリゲス教官はそう言うと、右腕を大きく振り上げた。

 冒険者の男はそのまま放物線を描くようにして空を舞い、用水路の中にぼちゃんと落ちた。

 一方の両手斧は、くるくるくると回転して、ロドリゲス教官の座る便器の側に突き刺さった。


「……て、てめぇっ!! よ、よくもアニキを!!!」

「お、おい、バカ、よせっ!!」


 他の冒険者を振り切って、先程の冒険者同様に前歯がぼろぼろの冒険者が両手斧グレートアックスを振りかぶって、便器に座るロドリゲス教官に飛びかかった。


「フン、未熟者が。貴様が斧を扱うのは10年早い」


 ロドリゲス教官はそう言うや否や、イグニア新聞で股間を押さえたまま便器から身体を浮かせて斧の斬撃を最小限の動作でかわしながらその冒険者のアゴを右腕だけで掴み上げ、そのまますぐ後ろにある、今まで自分が座っていた便器の中に、男を頭から叩き込んだ。


「う、うわぁ……」


 ドン引きしたユキが声を上げる。


「あんな死に方だけは絶対したくないよね……」

「ええっ、し、死にましたの?!」


 ロドリゲス教官の股間だけ隠して丸出しになったお尻を見ないようにしながら、アーデルハイドが尋ねた。


「召喚体だから元の身体は死んでないけど……、あの召喚体は今ので即死だと思う」


 僕は便器の中でピクピクと痙攣けいれんしている冒険者を見ながら言った。


「まつお!!!!」

「ハ、ハイィィ!! 教官殿!!」

「なぜうちの便器を召喚したのに、オレのズボンと下着は召喚しなかった!! 答えろ!!」

「わ、わかりません!! い、意図したものではありましぇんっ!!!」


 僕が半泣きになりながら答える。


「1万5千周だ!! わかったな!!」

「しょ、しょんなぁ……」

「返事はどうした!!!」

「ハ、ハイィ!! 教官殿――ッ!!!」

「……殿をあれほどまでに怯えさせるとは……、ロドリゲスという教官はそれほどの男なのか……? たしかに、とんでもない豪勇であるということは、今ので十分わかったが……」


 僕が萎縮しているのが気に入らないのか、ゾフィアがそんな恐ろしいことを言った。


「まぁ、お前んとこの親父さんの強さもデタラメだからなぁ……。ただ、オレたちにとっては、父親には逆らえんみたいな、そういう感じもちょっとあるかもな。萎縮しちまうっていうか」


 キムが真面目に答える。


「そうそう。オレなんて前に間違えて、教官のこと親父って呼んじまってよ。そしたらゲラゲラ笑いながら、『お前みたいなブサイクな息子を作った覚えはないが、私を親父と呼ぶなら特別にかわいがってやる』とか言って猛特訓させられたんだぜ?」


 花京院が悲しすぎるエピソードを言った。


「私はな、最初の授業で斧の素振りを断ったのだ。筋肉を付けすぎると剣や槍を振る速度が鈍くなるとな」

「ああ、そういや閣下、そんなこと言ってたねぇー!」


 僕はジルべ―ルと最初に斧技講習を受けていた時のことを思い出した。


「それで……、なんて言われたの?」


 ミスティ先輩がジルベールに尋ねる。


「何も言わず、一瞬で私の鞘から剣を抜いて私の左眉を剃り落とし、『減らず口を叩くなら、このぐらいできるようになってからにしろ』と言われた」


 そういえば、あの頃のジルベールはしばらく顔の左側を隠しながら本を読んでたっけ……。


「あなたたち……、とんでもない学校に通っているんですのね……」


 アーデルハイドがドン引きしながら言った。


「でもね、私には優しい先生なんだけどなぁ……」


 アリサが言った。


「アタシにもすっごく優しいわよん?」


 ジョセフィーヌが言った。


「女子と、女子の心を持った男子には優しいんだ。ミスティ先輩はたぶん、クソ生意気な生徒だったんだと思う」

「ひ、否定はできないわね……」


 ミスティ先輩がうつむきながら言った。


「わ、私も厳しく指導された覚えがないのだが……」


 ヴェンツェルがそう言うと、周囲の誰もが沈黙した。


「な、なんだその目は!! ベルも何か言えよ!」


 僕は無言で、ヴェンツェルの頭をごしごしと撫でた。


 そんな風に僕たちで教官の話をしている中、敵陣の冒険者達のざわめきが大きくなってきていた。

 どうやら、「天下無双のロドリゲス」の勇名を知っている連中の情報が回ってきたらしい。

 冒険者が頭から顔を突っ込んでいる便器を取り囲むようにして、じわじわと包囲を狭めている。


(これは、そろそろ始まるな……)

 

『ギュンターさん、そろそろ準備を始めてください。ヴェンツェル、樽の配置の手配を頼む』

『?! わかりました』

『配置が終わったら始めてもいいのか?』

『ああ。少量ずつ、気付かれないように』

『わかった』


 通信を切った時、ふと違和感を感じて、僕は高台の上を見上げた。


「教官!! 高台の上で大魔法の詠唱をしています!」

「よくぞ知らせてくれた! やはり貴様は見どころがあるな!」


 ロドリゲス教官はそう言うや否や、前歯がボロボロだった二人の冒険者たちの遺品である両手斧グレートアックスのうちの一振りを片手で掴み、なんとそれを高台に向かって放り投げた。


 ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン――ッッ!!!

 

「りょ、両手斧を、片手で投擲とうてき……」

「相変わらずとんでもねぇな……あのジジイ……」

「ほう……、オレをジジイ呼ばわりとは、鼻垂れ小僧が随分偉くなったもんだな、ガンツよ」

「ぎえええぇっ、セ、センセイ!! 相変わらずの地獄耳でいらっしゃる……」


 あのいかつい風体のガンツさんが子豚のように縮こまっている。

 そんなことを言っているうちに、詠唱中だった大魔導師ハイウィザードは、身の丈ほどもある両手斧が身体に埋まって即死した。


「全員総攻撃だ!!! あの便器の男を仕留めるんだ!!」

「誰が便器の男だ!!! 『天下無双』ロドリゲスをそんな名で呼ぶ奴は全員指導してやる!!!」


 周囲を取り囲んでいた冒険者達が、一斉にロドリゲス教官に襲いかかった。

 ロドリゲス教官は左手のイグニア新聞で器用に股間を隠しながら、右手で両手斧を掴んで大きく薙ぎ払った。


「ぐはぁぁぁっ!!!」

「うわああああっ!!!!」


 前方扇状の半径内の冒険者たちが一発で致命傷を負い、半径外から攻めてきた槍兵の槍を腕に挟んで叩き折ると、その男を蹴り飛ばして他の冒険者達をよろめかせ、斧の二撃目を放つ。


「やべぇぞ!! アイツめちゃくちゃ強ぇ!!!」

重装騎士アーマーナイト部隊で抑え込め!! 大盾でふさぎ込めば、奴とて何もできん!」


 おそらく暁の明星クランの中核を担っているのであろう冒険者の指示で、すばやく重装騎士隊が教官の周囲を取り囲む。


「ほう、大盾、それはありがたいなっ!!」 


 ロドリゲス教官は左手のイグニア新聞で股間を隠したまま側転して重装騎士の槍をかわすと、そのまま大きく跳躍して重装騎士の一人に斬りかかった。


 ゴバギョズィィィィィン!!!!


 ちょっと聞いたことがないような金属音を立てて、ロドリゲス教官の両手斧グレートアックスの斧刃が重装騎士アーマーナイトの鋼鉄製の大盾に深々と突き刺さる。


「ぎゃあああああっ!!」

「一枚ィ!!!」


 大盾を貫通した斧刃で腕を切断されて重装騎士が絶叫する中、両手斧の刃に大盾をくっつけたまま、ロドリゲス教官が隣の重装騎士の大盾に斬りかかる。


 ゴリッゴリッ!! ゴバギョズィィィィィン!!!!


「ぎゃああああああっ!!」

「二枚ィ!!!」


 ゴリゴリメリッ!! ゴバギョズィィィィィン!!!!


「うぎゃああああああっ!!」

「三枚ィ!!!」


 都合三枚の鋼鉄製の大盾をくっつけた両手斧は、もはや巨大な鋼鉄のハンマーのようになっていた。


「ごめん、ちょっともう、意味がわかんないんだけど……」

「アリサ、僕もちょっとついていけないわ……メル、大丈夫?」

「う、うん。……でもなんか、あれを見ていると、真面目に剣の練習をしているのがバカらしくなってくるような……」

「オレ、盾を持つたびにこの光景思い出しそうだわ……」


 さっきまで僕が贈った盾であんなにウキウキしていたキムが、つぶやくように言った。


「うわああああああっ!! 逃げろー!!!」

「腑抜けた若造どもめ!! 鈍重な重装騎士アーマーナイトに逃げ場などない!! 己が立つ場所こそが死地と心得よ!!!」

「ぎゃあああああああっ!!!」


 もはや、斬撃ではなく、圧潰あっかい

 巨大な鉄塊を片手で振り回すロドリゲス教官の攻撃に、鉄壁の重装騎士アーマーナイトたちが、まるでバターでも溶かすように潰されていく。


「ミスティ先輩」

「なぁに」

「いくら先輩が強くなっても、あんな風にはならないでね」

「……なるわけないでしょ。私をゴリラみたいに言わないでくれる?」

「あのおっさん、ガーディアン相手でもやれんじゃね?」

「あ、そうだ! ナイス花京院!!」


 僕はアリサの方を向いて言った。


「高台の手前のガーディアンいるでしょ? あれ、今のうちに狙撃ポイントを確保できない?」

「わかった、やってみるね」


 アリサが行こうとするのを、僕は手を掴んで慌てて引き止めた。


「ちょっと待って」

「えっ、な、なぁに?」


 アリサが振り向いてこちらを見た。

 思わず手を掴んでしまったので、ちょっと妙な空気になってしまった。


「ちょっとこの後、封鎖線の向こう側が地獄絵図みたいになるから、近づかないようにしてね」

「……今以上の地獄絵図になるの?」


 アリサが言った。

 ……たしかに、周囲を取り囲む冒険者たちの血しぶきを大量にあげながら、巨大な鉄塊を片手で縦横無尽に振り回すロドリゲス教官の姿は、これが召喚体でのやり取りとはいえ、もうこの世のものとは思えない凄惨さだ。


 でも、僕は答えた。


「被害が大きすぎるから、まもなく高台から敵の本隊がやってくる。金星ゴールドスター冒険者レベルの連中の大軍が一斉に攻めてきたら、さすがの教官でも捌ききれないだろうから、次の地獄絵図は僕が作るんだ」

「わかったわ。近づかないようにすればいいのね」

「お願い。すぐに撃っちゃだめだよ。高台の兵が手薄になったところを狙うんだ」

「わかった」


 アリサはそう言うと、すっと近付いて、僕の唇に唇を付けた。


「「「「「「なっ!!!!」」」」」


 メル、ユキ、ゾフィア、ミスティ先輩、アーデルハイド、ギュンターさんの手伝いを終えて戻ってきたテレサが一斉に声を上げた。


「こないだのプレゼントのお返しよ。今度は咖喱カリーの味はしなかったでしょ。それじゃね」


 ぽかん、とする僕を見て、アリサはクールに、でも顔を紅潮させながらそう言って敵地に向かった。


「なんという奇襲攻撃……」


 ミスティ先輩がうめいた。


「と、殿!! 私も先日のお礼をばっ!!!」

「い、いけませんお姉様! それではアンナリーザ様の二番煎じです! ここは一度作戦を立て直して……」

「メル、ちょっと、大丈夫? 眼鏡が落ちたわよ?! メル?!」

「せ、接吻……、こんな公衆の面前で……。しょ、庶民の間ではこれが当たり前なんですの……」


 そんなやり取りをしている間に、高台から一斉にときの声が上がった。


「ウォオオオオオオオッ!!!!」

「青竜騎士団!!突撃ィィィィ!!!!」

「単騎と油断するな!!! 奴を鬼神と思え!!!」

「弓兵部隊、奴を集中射撃しろ!! 多少味方に当たっても構わん!!!」


 後世の歴史家がこんな話を書き記していたとしても、きっとその時代の人々は鼻で笑うだろう。

 丸腰で便器に座っていたおっさん一人のために、大手クランや傭兵団の名だたる冒険者たちが一斉に突撃しているのだ。


(しかもこれだけの突撃をしながら、まだ高台に後詰ごづめを残しているのか……)


『ベル、どうする?』

『教官のおかげで流れができた。決行するよ!』

『わかった!』


 ヴェンツェルにそう伝える。


『用水路に潜伏中の漁師衆の皆さん、突撃部隊が通過したら金網張っちゃって!!』 


 ルッ君と木こり、漁師衆とリザーディアンの一部隊。

 開戦直後に、ガーディアンにやられたフリをして水路に落ちた彼らのうち、漁師衆の仕事は木こり衆を対岸まで運搬することと、金網を持って高台手前で潜伏し、封鎖することだ。

 金網ぐらいで冒険者の部隊を封鎖することなど、普通はできない。

 だが……、僕には考えがあった。


『ロドリゲス教官ッ!! 策は成りました!! 適当なところで用水路に飛び込んでください!!』


 教官は僕の魔法伝達テレパシーに応じず、戦闘を続けていた。


「教官!! もう十分ですから!!」

「ロドリゲス教官!! さすがにアンタでも無理だ!!」

「先生、ちょっとカッコつけすぎなんじゃない?」

「センセイ!! 離脱してくれ!! このままじゃ、天下無双のアンタの名に傷がついちまう!!」

「教官!! 早く逃げてぇーん!!」


 僕やキム、ミスティ先輩、ガンツさん、ジョセフィーヌたちの呼びかけに、ロドリゲス教官はフッと笑った。


「……まつおよ。こんな風変わりな連中をよく一つにまとめたな。褒めてやろう」

「そ、そんなのはいいから!!」


 眼前に迫る金星ゴールドスター冒険者の混成部隊。

 その怒濤のような進軍に、たった一人で、左手のイグニア新聞で股間を隠しながら、右手一本で戦う孤高の蛮族戦士バーバリアン


 本来、『天下無双』ロドリゲスが得意とするのは、両手斧の二刀流だ。


 もしかしたら……、いや、間違いなく。

 彼がちんちんを丸出しにして戦っていたら、今の十倍の屍の山を築き、金星ゴールドスター冒険者の軍団に遅れを取ることもなかっただろう。


 だが、彼は誇りを選んだ。

 四つ折りにしたイグニア新聞に誇りを託し、ちんちんを隠しながら華々しく散る覚悟なのだ。


「学期休暇の特別授業として、お前たちに蛮族戦士バーバリアンとしての生き様を見せてやる。どんな時でも背を向けることなく戦う。男でも女でもない。それが『おとこ』の生き様というものだ。しっかり目に焼き付けておけい!!」

「ア、アンタって人はっ……!!!!」


 単騎で勇猛果敢に金星冒険者の集団に立ち向かっていく勇姿に、キムが涙を流した。

 キムだけではない。

 ジルベールも、さっきまでロドリゲス教官にビクビクして姿をくらましていたミヤザワくんも、メルもユキもミスティ先輩もガンツさんも、他の冒険者達も心を打たれ、涙を流していた。


 ……だけど、僕はどうしても、ある疑問を頭から拭い去ることができなかった。


「あの……、ロドリゲス教官って、もしかして泳げないんじゃ……」


 ロドリゲス教官の動きが、ピタ、と止まった。


「あ、図星だった……」


 その瞬間、ロドリゲス教官の姿が金星ゴールドスター冒険者たちの集団に飲み込まれていった。


「ま、まつおおおおおおっ!!! き、貴様というやつはァァァァ!!!! おとこの、おとこの生き様をぉぉぉぉぉぉ!!」


 金星ゴールドスター冒険者たちに埋もれて教官の姿は見えないが、その声だけは聞こえてくる。


「新学期になったら覚悟しておけよ!!!!!!! ぬあああああああっ!!!!!」


 呪詛のような言葉を僕に遺して、ものすごい数の金星ゴールドスター冒険者たちを巻き添えにしながら、ロドリゲス教官はド派手に散ったのだった……。

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