第三部 第四章「砂塵の刃」(2)
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「わっ、コラ! ヒゲをひっぱるのやめぇ!」
「きゃははっ、おもしろーい!」
「なんもおもろくないわボケ! 自分ら、なんでそんなに追いかけるの早いんや!」
「はぁ、はぁ……も、もう無理や……! なぁ、肉どろぼうのあんちゃん、人間の子供っちゅうのはみんなこうなんか?」
「誰が肉どろぼうだ! あいつらは特別なんだよ!」
「ふむ、キムは非武装だと意外と速いのだな。……タンクは本当に貴公の適性なのだろうか」
「……ジルベール。オレの存在意義を根底から覆すようなこと、言わないでくれるか?」
「トカゲのあんちゃんたち、無言でものっそい速度で追いかけてくるのやめてくれへんか!! おっとろしすぎるわ!!!」
「わっ、こらっ!! ゴブリンC!! 吹き矢使うのは反則や!! ゴブリンD、E! 罠をこさえるな!!」
「エルフの姐さん、風魔法使うのは卑怯やろ!!」
「あはは、この遊び、おもしろい」
「エレイン……」
「な、なんでオレまでやらされてるんだよ……!!」
ベルゲングリューン城の外から、子どもたちとノーム、リザーディアンにゴブリン、それから一部の大人たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。
「なんでオレまで」って言っているのはたぶん、ペロンチョのおっさんだろう。
「ねぇ、みんな、何やってるの」
まだベッドから自力で起き上がるのが
「鬼ごっこらしいぜ? ノームのヤッサンっていうメガネのおっつぁんが、ノームの脚力は亜人最強とか派手にフカシぶっこいたもんだから、それじゃ実際にやってみっかって、ガキどもが言い始めたんだよ」
「ああ……、よりによって……」
僕はヤッサンたちに心から同情した。
アサヒの言った「ガキども」は、ただの子どもたちじゃない。
なんといっても、全員が大怪盗「マテラッツィ・マッツォーネ」シリーズなのだから。
しかも、勝手にそう名乗っていたエスパダ時代と違い、今ではレオさんこと、本物の元祖マテラッツィ・マッツォーネから修行を受けているのだから、その成長の成果は目覚ましい。
「アサヒも参加したいんじゃないの? 僕はもう自力で動けるんだし、行ってきていいよ」
「何言ってんだよぉ、ボス。アタシは大人の女なんだぜ?! 鬼ごっこなんてシャバい遊びやるわきゃねーだろ?」
「いや、別に鬼ごっこはシャバくないだろ……」
シャバいとは、簡単に言うと「パッっとしない」みたいな意味らしい。
アサヒをじろじろ見ていたルッ君が、「このシャバ僧がぁ!!!」って言われていたのを思い出す。
「おっと、そうだった」
ベッドの前に立って、僕とアサヒのやりとりを見てくすくす笑っているエキゾチックな女性を見て、僕は書類一式にサインをする。
「それでは、交渉成立ですわね、ベル様」
僕がベッドから起き上がって書類を渡すと、ヴァイリス駐在のエスパダ大使、イシドラ・フォン・コンセプシオン氏はにっこりと笑った。
「我がエスパダは、希少魔法金属の交易を条件に、紡績・砂糖・塩・米・香辛料・金・銀・ルビーおよび魔法石の無関税交易を結ぶ条約をヴァイリス王国……あら、ごめんなさい。間違えてしまいましたわ」
イシドラさんは、奥のソファにぶすっとした顔で座っているアルフォンス宰相閣下をちら、と見て、いたずらっぽくクスッと笑ってから、言葉を続けた。
「
「聞いたか? ベルゲングリューン侯」
上機嫌でイシドラ大使が退室すると、アルフォンス宰相閣下が苛立たしげに立ち上がった。
僕のヴァイリスでの爵位は侯爵ではなくて伯爵なんだけど、宰相閣下は僕のことを「侯」と呼ぶようになっている。
たぶん、嫌味で言っているんだと思う。
「わざとだ。あの性悪な小娘はわざと『ヴァイリス王国』と言い間違えたのだ。ヴァイリスの宰相である私の前で……」
「……そんな悔しそうな顔をしているからイジられるんですよ、宰相閣下」
宰相閣下がいつものポーカーフェイスをしていれば、イシドラさんもあんな茶目っ気を出すことはなかっただろう。
「はぁ……」
アルフォンス宰相閣下は、僕の顔をちら、と見てから、深い溜め息をついた。
「なんです、そのため息」
「私の短慮のせいで、今回の君には、とてつもない借りができたと思っている」
「……大きな借りができた人の顔に見えないんですけど」
「借りができたにせよ、だ……」
宰相閣下はげんなりとした顔で、僕の顔の横を指差した。
そこには僕の
「その2つの称号はなんの冗談なんだね……。笑えなくて病み上がりの君の首を締めてしまいそうだ」
今回の死闘で
「ああ、これですか」
そんなミヤザワくんの
「ん、なんだね、その、『大したことなくないッスか』みたいな顔は……」
「いやぁ、ミヤザワくんに比べたら、僕の称号なんて、ルッ君の鼻くそみたいなもんですから」
「鼻くそ!! 今君は、鼻くそと言ったか!!」
アルフォンス宰相閣下はとうとう立ち上がって、ぷるぷると震える手で僕の魔法情報票を間近に指差した。
「上にある『ゴブリンの統治者』はまぁ、見なかったことにしよう。リザーディアンに続いてゴブリンとは、君は魔王にでもなるつもりなのかとも思ったが」
「あ、今のは問題発言ですよー宰相閣下。リザーディアンが魔王の下僕だったのは大昔のことで、今の彼らにとっては恥ずべき歴史なんですからね」
「……ああ、それもそうだな」
アルフォンス宰相閣下が一瞬真顔になって間違いを認めた。
外交の天才と呼ばれる人だけあって、こういう感覚には敏感だ。
イシドラさんを「小娘」呼ばわりした時も、ちょっと小声になってたもんな。
男だったら「小僧」って言ってたもんね、みたいな顔をしていた。
「だが……」
宰相閣下が真顔になったのは、本当に一瞬だけだった。
「『ノームの王』というのはなんだ!!! そんな称号聞いたこともないわ!!!」
「わはは、僕もないです」
「笑い事ではない!!!」
アルフォンス宰相閣下が、はぁ、はぁと荒い息を吐きながら僕にツッコんだ。
あの後、ノームたちやゴブリンたちと協力して王国の壁を補修して、
「私があれだけノーム王国奪還に熱意があったのは、彼らと良好な関係を築き、独占的な交易を行うことで、他国に抜きん出ることを目論んでいたからだということを、君はわかっているのだろう?」
「そうみたいですね」
「君がそのノームの王になったということは、私、いや、ヴァイリスはノームと交易をするのではなく、ききき、君を通さなくてはならないということになる!」
「……ええ。ノームたちもそうしてくれって言ってました」
僕がそう答えると、宰相閣下はへなへなと
「君は……、君はわかっているのかね?」
絨毯の上で三角座りをしながら、宰相閣下は言った。
宰相閣下のこんな姿をイシドラさんや、他のヴァイリス貴族が見たらびっくりするだろうな。
「現在の我が国の外交事情を冷静に見直してみるとだな、エスパダとの交易も、ノームとの交易も、地下迷宮からの汲み上げによるアヴァロニア各国への水資源の供給に関する利権も、ヴァイリスどころかジェルディクからも週末に訪れる者が後を絶たないというベルゲングリューンランドの収益も……、全て一介の士官学校の学生が握っているんだぞ……?」
「はは、そんな大げさな……」
苦笑する僕を、宰相閣下がじっとりとした目で見上げる。
「おまけに君はジェルディク帝国の軍上層部とも深いつながりが……、はぁ……どうすんの、これ」
「どうすんのって」
すねた子供みたいに足をばたばたさせて、宰相閣下が恨みがましい目を向けてくる。
こんな宰相閣下を見るのは初めてなので、僕は笑いをこらえるのに必死だ。
「君が何かをしでかすたびに、我がヴァイリスの利権をごっそり君に持っていかれるんだ。宰相という私の立場から見た時の、その脅威、その恐怖、無力感が君にわかるかね?!」
「しでかすって……、ノームたちに安請け合いしたのは宰相閣下じゃないですか」
「もうそれはいっぱい謝ったじゃん!」
「謝ったじゃん……」
「もう暗殺かぁこれ。暗殺しかないんじゃないかぁこれ」
ヤケクソ気味に宰相閣下が言った。
「物騒なこと言わないでくださいよ。中庭にいるレオさんが今、チラっとこっち見ましたよ」
僕がそう言うと、背中の毛を逆立てた猫のように宰相閣下がビクッと肩を揺らす。
「き、聞こえているのか?」
「いや、あの人ほとんど人間やめてますから……。たぶん、なんとなく感じちゃうんじゃないですかね」
宰相閣下は中庭のレオさんから自分が見えないように、絨毯をごろごろと転がった。
「はぁぁぁぁ……。私が君に暗殺されるのが先だろうな……。どうしてこうなったんだ……」
頭を抱える宰相閣下に思わず苦笑しながら、僕は隣でにやにやしているアサヒに合図をした。
お茶のおかわりをお願いしたのだ。
「宰相閣下って、早く隠居したかったんじゃなかったんですか」
「そうだよ。……代わりやる? やりなよ。もうさ、宰相になっちゃいなよ。たぶん、ヴァイリスにとってその方がいいよ」
「やりませんよ」
「そうだよな。そういう奴だったよな、君は」
少し開き直ったのか、宰相閣下はやれやれと肩をすくめてソファに座り直した。
「宰相閣下は平和主義者で、さっさと隠居したい温厚な人物でいらっしゃいますのに、どうして自国の権益とかの話になるとそんなに目の色が変わるんです?」
「ああ。……それはね」
僕がそう話を振った途端、宰相閣下の雰囲気が変わった。
子供みたいにすねていた宰相閣下の表情が、いつもの理知的で、穏やかな表情に変わる。
「貧しかった頃のヴァイリスやエスパダを知っているからだよ」
「貧しかった頃、ですか」
宰相閣下は静かにうなずいた。
「先の大戦は300年も前の話だが、その深い爪痕が消えたのはごく最近のことだ。私が子供の頃には、田畑は荒れ、街は汚物にまみれ、街道には野盗や山賊がうろつき、森に出没する魔物の数も今の比ではなかった」
「へぇ……」
「私は知っての通り大貴族家の生まれだが、跡取りではなかったし、
「宰相閣下にそんな時代が……」
「半年で脱走したがね。泳いでヴァイリスに帰った」
そう言っていたずらっぽく笑った宰相閣下の言葉は、とても冗談には聞こえない。
「厳格だった父が、泳いで戻ってきた私を叱責するどころか、人生で初めて認めてくれたのは、今でも忘れられない私の思い出だ」
「そうだったんですね……、てっきり、温室育ちのエリートおぼっちゃまだったのだと」
僕がそういうと、アルフォンス宰相閣下はおかしそうに笑った。
「すぐにそうなったさ。……ほどなくして、ひどい疫病にかかって優秀だった兄二人が他界し、私が跡取りになったおかげでね」
「はぁ……。こんなこと言っていいのかアレなんですけど、なんだか、宰相になられた経緯と似ていらっしゃいますね」
「ふふっ、まったくもって君の言う通りだな。のんびりだらだら、静かに穏やかに暮らしたいと思っていると、いつも厄介事の方が勝手にやってくる。そんな人生だ」
宰相閣下に対して、妙に親近感というか、シンパシーのようなものを感じるのはそういうところなのかもしれない。
そんなことを思っていると、宰相閣下がじろりと僕を見た。
「……言っておくが、君は違うと思うぞ。君はピクニックに連れて行くまではひどく面倒くさそうにしているくせに、いざ現地に到着すると誰よりもはしゃいで、周りの人間まで巻き込んでクタクタにさせるタイプだろう」
「うっ……、的確なご指摘で……」
僕は右腕をゆっくりと持ち上げて、頭をぽりぽりとかいた。
石膏はようやく外すことができた。
万病が治るという伝説を信じ込んでいたゾフィア・テレサ姉妹に
「あ、そうそう、宰相閣下にお聞きしたいことがあったんですよ」
身の上話を聞かせてくれて、少し落ち着いた宰相閣下に、僕はさりげなく尋ねた。
「ダミシアン王国と戦争になるんですか? 話によると、ダミシアンはすでに軍備を……むぐぐっ!?」
「うわあああああああ!!!!! わあああああ!!!!」
アルフォンス宰相閣下が絨毯から飛び上がって、僕の口をあわてて塞いだ。
それからものすごい勢いで廊下に飛び出して、他に誰も聞いていなかったかを確認する。
「イシドラ大使はちゃんと帰ったんだろうな?! 今のを聞いていたりしないだろうな?!」
こういう場合、一番警戒すべきなのは鉄仮面卿ことメアリーなんだけど、とりあえずは黙っておこう。
「……なぜ、君はそのことを知っているんだね? このことはまだ、国王陛下ですらご存じない。私と、私直属の諜報部の一部しか知り得ない情報だ」
アルフォンス宰相閣下が恐れるような顔で僕に尋ねる。
「い、いや、友達に聞いたんですよ」
「と、友達……」
アルフォンス宰相閣下は絶句した。
「……どうやら私は、君の情報網を甘く見ていたようだな……。警戒しても、し足りん男だとわかっていたはずなのだが……」
(い、いや、本当に、言葉通りの意味なんだけど……)
リョーマから聞いただけなんだけど、宰相閣下はものすごいネットワークを持った大物が情報源のことを「友達」と呼ぶ、みたいなニュアンスで受け取ってしまったらしく、僕に対してビビリまくっている。
本当のことを話したら、必要最低限のことしか教えてくれなそうなので、もう少し誤解してもらうことにした。
嘘もついてないし。
「
「……!! イグニアにいたのか!」
宰相閣下が驚きで目を丸くする。
「連中が我が国に潜入している情報は掴んでいたが、首都アイトスではその痕跡すら確認できなかったのだ。……そうか、イグニアか……。しかし、どうして君はそこまでの情報を……」
僕はにっこり笑ってその質問には答えず、ベッドから起き上がって宰相閣下の向かいのソファに座った。
相手からたくさん情報を引き出すには、こちらの方が多くのことを知っているフリをして、情報を小出しにする。
これは、宰相閣下から教わったテクニックだ。
「知っていることは、いくつかあります」
僕は身を乗り出す宰相閣下に、あえてゆっくりと答えた。
「でも、僕はそもそもダミシアンという国がどういう国なのか、よくわかっていないんです」
「……ああ、そういえば君は不思議なぐらい、アヴァロニアの世俗に疎い部分があったな」
「ええ、そうなんです」
僕は素直に答えた。
「……そうだな。我らがヴァイリス王国は古来より、太陽に例えられてきた」
「ええ」
太陽の国、なんていう呼び方は、ヴァイリスに住んでいれば幾度も耳にする。
エスパダのまぶしい太陽の方が、個人的には太陽の国っていう感じがするのだけれど、国力や肥沃な土地、豊富な資源。あと、漆黒の鎧が似合うジェルディク軍に対し、白銀に輝く鎧が象徴するヴァイリス軍独特の「絶対正義」みたいなイメージが、人々にそういう印象を抱かせるのかもしれない。
「その一方で、ダミシアン王国は、アヴァロニアの人々からこう呼ばれている」
アルフォンス宰相閣下は立ち上がり、窓の外を眩しそうに眺めると、まるで教師が講義を始めるように両手を後ろ手に組みながら、語り始めた。
「太陽の光なくして輝けぬ月、と」
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