第二部 第四章「女神の雫」(3)


 その馬車がエル・ブランコの市街を走ると、街行くエスパダ市民たちが一斉に振り返った。


「な、なんだありゃぁ……」

「知らないのか? ありゃ、ドン・エルニーニョの馬車だよ」

「エルニーニョって、あのエスペランサ侯爵が作ったっていう……」

「そうさ。あの馬車ん中にゃきっと、エルニーニョファミリーの兵隊がぎっしりよ……」


 近代化が進んだエスパダ郊外で大型馬車はなかなか見かけない。

 ましてや、巨大な黒馬6頭立ての、鋼鉄製の黒塗りの馬車など、見たことがないだろう。


 そんな馬車から降り立ったのは、エスパダ東部の職人が仕立てた黒いスーツに黒いフェルトハットにサングラスの初老の男だった。


「ドン、足元に気をつけてごせや」

「ありがと、おっつぁん」


 三つ揃えのダークストライプのスーツの上からワインレッドのストールを羽織り、オールバックくんのように髪を後ろに流したスタイルの僕が、サングラスにスーツ姿のソリマチ隊長に声をかけて馬車から降りる。


「なかなか似合ってるじゃん」

「やめちょくれや……。こげな格好すんの生まれて初めてじゃけん、足を引っ掛けちまいそうだわ」


 エル・ブランコの市民が注目している中、ソリマチ隊長が照れくさそうに言った。

 僕たちから見ればソリマチ隊長たちの方言は雰囲気台無しなんだけど、どうやらヴァイリスの言葉に慣れないエスパダ市民が聞くと、ものすげぇ悪い奴みたいに聞こえるらしい。


「やぁ、おばさん。先日はどうも」


 僕達を遠巻きにして人だかりができる中、僕はこの間オレンジを買った青果店のおばさんにあいさつをした。

 

「えっ!? えっ!? あ、あんた……!? ドン・エルニーニョってあんただったのかい!? ってことは、女王陛下からエスペランサ侯爵の爵位を賜った伯爵様ってのは……」

「まぁね」

「ひぇぇぇ……」


 本当にひぇぇぇ、という顔をしておばさんがうめいた。


「今日も買い物に来たんだよ、僕」

「そ、そうかい……、またオレンジかい?」


 敬語で話したものか、この間のままで話したほうがいいか少し悩んだあげく、おばさんが恐る恐るこの間のままの話し方を選んでくれた。


 僕もその方が嬉しい。


「ううん。今日はお店ごと買いに来たんだ」

「はぁぁぁぁ?!」

「ちょっとの間でいいからさ、僕にお店まかせてよ」

「……あんた、マジでやる気なのかい?」

「マジって、何が?」


 僕がそう言うと、おばさんがものすごく小さい声で叫んだ。


(決まってんだろ! ドン・オルビアンコだよ! 街中その話しでもちきりだよ!! あんたがドンとやり合うって!)


「いや、やり合うつもりはないよ」


 僕はにっこりしながら言った。


「一方的に叩き潰してやるだけさ」


 僕はそう言ってにっこり笑うと、呆気に取られるおばさんの前のかごに千ペセタ紙幣を三枚置いて、オレンジをかじった。


「あんた、絵になるねぇ……。そうしていると本当のマフィアみたいだよ」

「オルビアンコとかいうチンピラよりはサマになってるでしょ?」


 僕がそう言うと、おばさんは周囲を気にしてから、ぷっと笑った。


「面倒事は正直勘弁だけど……、あんたなら、しっかり守ってくれるんだろ?」

「もちろん。そのために兵隊もたくさん用意したよ」


 僕がそう言うと、馬車からぞろぞろと、ソリマチ隊長と同じ格好をしたリザーディアンたちが出てきた。


「あらまぁ……、強そうな兵隊さんたちだこと……。あんた、この街で戦争でもやらかそうってんじゃないだろうね?」

「まさか、僕たちはまっとうなあきないで生計を立てるんだよ」


 オレンジをかじりながら、僕はおばさんに言った。


「まぁ、時には荒っぽいこともするかもしれないけど……。それもまた、僕たちのようなビジネスには必要なことでね」 

「あっはっはっ!! その言い方。まるっきりマフィアじゃないか」


 昨日オルビアンコが言った言葉を真似しただけなんだけどね。


「この店は売らないよ、ドン・エルニーニョ」


 おばさんが言った。


「あんたにあげる。この街が今よりちぃとばかしマトモになったら、キレイにして返しておくれ」

「え、いいの?」


 おばさんはにっこり笑ってうなずいた。


「ありがとう。たぶん、すぐにマトモになるよ。よかったら、全て解決するまで、ウチの屋敷で暮らしなよ」

「えっ、あのお屋敷かい?! ……亭主と息子も連れてっていいかい?」

「もちろんさ。……おばさんたち一家はもう、ドン・エルニーニョのファミリーだからね」


 かくして、僕はまず、エル・ブランコで一番栄えている青果店を手に入れることに成功した。




「またあんたか……」

「どうも」


 僕は、麦わら帽子をかぶったおじいさんに挨拶をした。

 以前、僕を鎌で追いかけ回して追い払ったオレンジ農園の経営者のおじいさんだ。

 

「噂は聞いとる。ずいぶん無茶なことするもんじゃな」


 前回と違って問答無用で追い返さないのは、その噂とやらのおかげだろう。

 メアリーと怪盗キッズたちの宣伝工作によって、「ドン・エルニーニョ」の話はエスパダ中に広まっていた。


「若造の若さゆえの無謀な反抗に見えますか?」

「見えん。……あんたが噂通りの男なら、あんな悪党気取りに遅れは取らんじゃろう」


 そう言いながらも、農園のおじいさんの表情はすぐれない。


「黒幕の存在が気になりますか?」

「……なんじゃ、あんたはそこまでわかった上でマフィアにケンカを売っとるんか」

「ええ。エスパダの新法を読めば、だいたいのカラクリはわかりました」

「ほう……。ただの若造とは思わんだったが、そこまで調べとったか……」


 おじいさんは目を光らせた。


 エスパダの新法では、青果店は必ず、エスパダの特産品であり代名詞でもあるオレンジを一定数仕入れなくてはならないし、他国産のオレンジは販売できない「オレンジ法」というものがある。


 だから、採算が合わなかろうがなんだろうが、店には必ずオレンジが並んでいるし、オレンジ・マフィアはその仕組みがわかっているからこそ、法外に高い値段で青果店に買い取らせているのだ。


「正直、そんなことはエスパダの人たちでうまくやってくれと思いますけどね。……でも、このオレンジがこんなに美味しいんだって知ってしまうとね……」

「若いのう」

「やっぱり、そう思います?」


 僕がそう言うと、おじいさんは顔をほころばせた。

 ものすごく不機嫌そうに見えるのは、どうやら、もともとそういう顔なだけらしい。


「……若いのが悪いことばかりとは限らんよ。若くなければできんこともある」

「あなたも見た目ほど老けちゃいないでしょ。鎌を持って追いかけてきた時は、危うく追いつかれるかと思いましたよ」

「うん? うわーっはっはっはっは!!」


 おじいさんが豪快に笑った。


「……それで、ワシから安く仕入れたいんかね?」

「いえ、それだと色々ご迷惑がかかっちゃうんで……、ほとぼりが冷めるまで、この農園ごと僕に預からせてもらえないかなって」

「あんた、農業の経験があるのかね? たしかにオレンジの栽培は酸味のおかげで虫害や鳥害は少ないが、それでも素人ができるほど簡単じゃねぇぞ」

「ふふ、それなら、プロ集団を呼んであります」


 僕が農園の入り口に止めてあった馬車に向かって手を挙げると、黒いスーツにフェルト帽の男たちがこちらに向かってきた。


 元ヴァイリス西方辺境警備隊。

 ある時はベルゲングリューン騎士団。

 またある時はドン・エルニーニョファミリー。


 ソリマチさんと、農家衆の皆さんだ。


「はぁ〜、見事な農園じゃのう」

「そげそげ。やっぱエスパダちゅうとこはお日さんに恵まれちょうわ」

「殿の領地も負けちょらんけどなー」

「ばかたれ、今はドンとお呼びせんとつまらんぞ」


 ややこしいんだけど、ソリマチさんとこの方言で「つまらん」というのは、「ダメ」ってことらしい。


「この人たち、大水害で荒れ果てた土地で必死に畑を耕してた猛者たちだから、きっとおじいさんのオレンジも立派に育ててくれると思います」


 ソリマチ隊長たちのマフィアルックと異様な言葉遣いに警戒していたおじいさんだったけど、ソリマチ隊長たちが持ち前の朗らかさで挨拶をしたらすっかり打ち解けて、ヴァイリスとエスパダの農業談義で話が盛り上がっていた。


 ……こうして、僕は農地と青果店の両方を手に入れることができたのだった。



 次にやるべきことは、もう決まっている。


『鉄仮面卿、ドン・エルニーニョからの緊急指令である。怪盗キッズたちに、エスパダの青果店じゅうのオレンジを買い占めさせるんだ。エスパダの国庫からお金を借りる約束だから、いくらかかってもかまわない』


 これで、よしと。


 ドン・オルビアンコがなんだって?

 僕が本当のマフィアというものを教えてやろうじゃないか。

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