第三部 第二章「ゴブリンとの死闘」(1)


「全員撤退!! 撤退ー!!」


 僕が叫ぶよりも早く、仲間たちは一目散に逃げていた。


「う、うわああああ!! ま、待ってくれぇぇぇ!!!」


 一番足が早いはずのルッ君がつまずいて転んだので、僕は引き返して、半泣きになっているちびルッ君の手を取って助け起こした。


「うわっ!!!」


 そんな僕の顔を、ゴブリンが放った矢がビュッ、とかすめていく。

 普段の姿だと簡単に弾き返せるような矢なのに、この小さい身体だと槍のように太く見える。


「まっちゃん、大丈夫!?」

「だ、大丈夫。ユキはエレインの援護を!」

「わ、わかった」

「ルッ君、立てる?」

「わ、悪い……。腰が抜けちまって……」


 膝をカクカクさせてそう言うルッ君の後ろから、ゴブリンたちの大群が押し寄せてくる。


「ふむ、卿よりは余力がある。私がこいつをおぶってやろう」

「閣下……、助かる!」

「イヴァ、あたま、さげて!」


 ちびジルベールがちびルッ君を背負うのを見届けた僕は、ちびエレインの鋭い言葉を聞いてすぐに頭を下げる。

 その瞬間、キュゥゥゥゥゥンという、まるで鳥の鳴き声のような風切音を立ててエレインの放った矢が頭上を通り越して、ゴブリンの絶叫が聞こえてきた。

 

 振り返ると、後方の先頭にいたリーダー格のゴブリンの眉間をエレインの矢が貫通して、他のゴブリンたちが驚愕して足を止めている。


「よし、今だ!! 閣下、先に行って!!」

「ふむ。大丈夫だとは思うが……卿よ、死ぬなよ。波乱万丈の短い人生をゴブリンで終えるというのはいささか……」

「それはそれで、爆笑王らしくていいんじゃない?」


 僕がそう言って笑うと、ちびジルベールはにやりと笑って、駆け出していった。

 いつもと違って子供みたいな見た目になっているのに、相変わらず、ここ一番の時にはシブい男である。


「おいおい、撤退てなんやねん!!」

「兄さんたち、あかんやん!! どちゃくそ弱いやんけ!!」

「せやせや! 話がちゃうで!!」

「どないなっとんねんキミぃ!! おこるでしかし!!」


 ギャーギャー騒ぐノームたちをしっしとトンネルの入口の方向に追いやりながら、僕も撤退を開始する。


 第一次出征の我々の戦果は、散々だった。

 トンネル内に無数にいるゴブリン集団と交戦した成果は、ギルサナスが最初に殲滅した十体ほどと、メルとゾフィアが仕留めた数体と、エレインの狙撃で数体。

 

 それだけ。

 ギルサナスの暗黒魔法による瞬間火力はすさまじかったけど、あっという間に魔力が枯渇して早々に戦線を離脱。

 花京院は振り上げた斧が天井に突き刺さって抜けなくなったところをボコボコにされて死にかけて同じく戦線を早期離脱。

 代わりに奮戦しようとしたジョセフィーヌは、刺さった矢に含まれていた毒の回りが小さくなった身体では予想以上に回るのが早く、やはり戦線を離脱。


 その他のみんなも負傷が続き、アリサの回復が追いつかなくなって、魔力が枯渇して戦線を離脱したところで一気に崩れ、現在に至る。

 

『ヴェンツェル、どこ?!』


 僕は最後尾でゴブリンたちの矢を、体のサイズに合わせてすっかり小さくなった水晶龍の盾で防ぎながら後退しつつ、魔法伝達テレパシーを飛ばした。


 クランリングでみんなと会話をするためには動きを止めなければならないので、今はこちらを使うしかない。


『今、アリサの代わりに中庭で負傷者の治療を行っている。そちらは大丈夫か?』

『いや、ダメ、決壊。今から全員で撤退する』

『……となると、トンネルの入り口付近に迎撃部隊が必要となるが……』

『いけそう?』

『キムはあの通り、まったく動けず戦力にならん。待機中のミヤザワくん、遅れて合流したアーデルハイド、オールバックくんの魔法部隊は動けるが……、あのトンネルの狭さでは風魔法で飛来する矢を防ぐのは無理だ。物理防御に長けた人間がいないのは厳しいな。数秒と保たないだろう』


 軍師ヴェンツェルが的確に問題点を挙げた。


『うーん。少し考える時間をちょうだい』

『わかった。気を付けてくれよ』


 ふぅ……。

 交戦の合間を縫って、僕は額の汗を拭った。

 拭った手のひらに、べっとりと自分の血が付着している。

 致命的な負傷はしていないものの、すっかり全身満身創痍まんしんそういだ。


『ずいぶんと苦戦しているようだな』

(アウローラ、助けてくれてもいいんだよ)

『フッ、以前言ったであろう? そなたが見せる素晴らしい演劇に、一介の客がステージに上がりこんで混ざるような不粋な真似など、私はしない』


 そう。

 アウローラはそういう人なんだった。


 その気になればなんだってできるであろう混沌と破壊の魔女は、たとえ僕がここで死んでしまうとしても、手を差し伸べたりはしないだろう、


(それにしても、もしかしたら今までで一番苦戦しているんじゃない? ゴブリン相手に情けない話だけど)


 体が小さくなったからとはいえ、ゴブリンをここまで脅威に感じるとは思わなかった。

 統制が取れていて、狡猾こうかつで残忍。

 しかも大群だ。


 トンネルには遮蔽物がなく、「森の死神」と呼ばれたゾフィアの特性も活かせないし、ルッ君お得意の奇襲戦法もやりづらそうだ。 

 馬に乗ったら天下無敵のジルベールもポテンシャルを活かせない。

 まさに万事休すといった様相だ。


『ゴブリンが最弱の魔物だと思い込んでいるのは、人間の傲慢というものだ。本来、牙や爪、鱗すら持たぬ人間こそが、最弱の生物であるのだからな』


(ホントそうだよね。アウローラとかロドリゲス教官とか元帥閣下とかレオさんとか、身の回りが地上最強みたいな人ばっかりだから、すっかりそのことを忘れていた気がするよ)


 ゴブリンたちの猛攻をなんとかしのぎながら、僕はアウローラと会話を続ける。


『そなたは士官学校でも最弱の存在だった。だが、最弱であるが故に様々な機転を利かせ、こうして、歴戦の仲間たちを率いるまでになった』


 アウローラが言った。


『だが、力をつけた今のそなたは果たして、最弱であった時のそなたより強いのだろうか』


(はは、さすがに痛いところを突いてくるよね。僕もまったく同じことを考えていたところだよ)


『フッ、余計な説教であったようだな。いささか不粋なことをしたようだ』


(そんなことはないよ。僕が一番ツイてるのは、そういうことを言ってくれる人が何人もいることだもの)


 僕の教育方針に過保護なメルやジルベールなんかもそうだ。

 劣等生で落ち込んで、みんなと同じようになりたいと思っていた時に、僕には僕の進むべき道があることをさりげなく教えてくれたのは、二人だ。


 そして、僕はまだ劣等生だ。

 最弱の僕だからこそ、考えつくこと。


(よし!)


 僕はヴェンツェルに魔法伝達テレパシーを飛ばした。


『キムは何してるの?』

『まったく動けないからって開き直って、せっせと肉を焼く準備をしているぞ』

『肉? また買ったの?』

『こないだの肉の出費のおかげで少ししか買えなかったらしいのだが、小さい体になったら

腹いっぱい食えるんじゃないかとか言っている」

『キムって、食べ物のことになると花京院よりヤバいね……』


 僕はげんなりしながら魔法伝達テレパシーを続ける。


『もっといいお肉を後でたらふく食べさせてやるからって言って、そのさもしいバーベキューを今すぐ止めさせて。でね、キムにやらせたいことが……』


 僕はヴェンツェルに、思いついた作戦を伝えた。


『……』

『どうしたの?』

『い、いや、キムに少し同情しただけだ……。わかった、実行する』


 これでよし、と。


 僕は緊急用にミヤザワくんから分けてもらった火薬袋をゴブリンに投げつけた。


「ウン・コー!!」


 火薬袋に入れた黒色火薬が撒き散ったところで、僕は火球魔法ファイアーボールを放つ。

 ミヤザワくんの火球魔法ファイアーボールには及ぶべくもないけれど、相変わらず、なぜかこの詠唱方法で放つと、火球魔法ファイアーボールはド安定で発動するのだった。


「グギャアアアアアアッッ!!!」


 ゴブリン達の先頭集団が小爆発で被害を受けている間に、僕は一気に撤退を開始した。


 どうやら、魔法の威力だけは大きい体の時とさほど変わらない。

 だが、魔力の消費量の大きさが尋常ではなく、こんな火球魔法ファイアーボールを一発打っただけでフラフラする。



「ベル、すごいケガしてるじゃない! すぐアリサに治療を……」


 なんとかゴブリンの大群を引き離してトンネル入り口付近まで行くと、待ってくれていたメルが駆け寄ってきた。

 銀色の輝く髪に銀縁シルバーフレームの眼鏡をかけたメルは、ちびメルになってもめちゃくちゃかわいい。


 子供の頃のメルもこんな感じだったんだろうか。

 後でレオさんに聞いてみよう。


「いや、見た目ほどじゃないから大丈夫だよ。それより、みんなどうしたの? もう少し下がらないと……」


 入り口の手前で、ちびメル、ちびユキ、ちびエレイン、ちびミスティ先輩、ちびヒルダ先輩、ちびジルベール、ちびルッ君が立ち往生している。


 ちなみに、ちびミスティ先輩もめちゃくちゃかわいい。

 ボーイッシュな黒髪が、小さい姿によくマッチしている。


 ちびエレインもそうだ。

 なんというか、造形的に完成されていて、まるで妖精さんのようだ。


 ちびヒルダ先輩は……、身にまとう雰囲気がそうさせているのだろうか。

 ギルサナスと同じで、普段と印象がまったく変わらない。

 実にオトナっぽい、いつものクールビューティっぷりである。 


「ご覧の有様でな。収拾がつかんのだ」


 そんなヒルダ先輩が肩をすくめ、顔を傾けて後ろを指すようなしぐさをした。

 先輩たちの後ろには……。


 ものすごい数のノームたちがいた。


「兄さん、どないしてくれんねや!!」

「ゴブリン共をおっぱらうどころか、ワシらのトンネルまで占拠されてもうたやんけ!!」

「キミこれ正味しょうみの話、ホンマにシャレにならんぞ!! おこるでしかし!!」


 トンネルの各地に生息していた連中が合流したらしいノームたちは、満身創痍で戻ってきた僕を見るなり一斉に大ブーイングを飛ばしてきた。


「まぁまぁ、勝負はこれからだから。それより、今から迎撃体制に入るから、君たちはもう少し後ろに下がって……」

「なにが『勝負はこれから』やねん!! 完全に終わってもうとるやんけ!!」

「せやから言うたんじゃ!! ゴブリンなんかに勝てるわけがないんじゃ!!」

「やっぱり人間なんかアテにならへんわ。爺さん、こいつらアカンわ!」

「い、いや、だから、話を……」

「ま、まっちゃん……、どうするの、コレ……」


 ちびユキが僕を見上げる。

 うーん。ちびユキもかわいい。

 あと、ちびだけど、胸のサイズは全然ちびじゃない。


「もうええわ。おしまいや! ワシらノームはこのアホ面の人間のせいでおしまいやー!!」

「こうなったらもうヤケクソや!! 湖の水でもなんでも流したらんかい!!」


 ノームたちが一斉にまくし立てるので、誰も僕の話に耳を貸さない。

 どうしたらいいものかと困り果てていると……。


 わめきちらすノームたちに向かって。

 突然。


 僕の口から。

 僕が発したのではない言葉が発せられた。


『じゃっかあしいんじゃアホンダラァ!! どついたろかワレゴルァ!! それ以上騒いどったらケツの穴から手ェ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたんぞボケコラァ!!』


 し、しぃぃぃぃぃぃぃぃぃん……。


 ちびメル、ちびユキ、ちびミスティ先輩、ちびヒルダ先輩、ちびジルベール、ちびルッ君とノームたちが、「(・_・)」こんな感じの顔になって僕を見た。


「はわわわっ、ヤ、ヤクザや……」

「い、今の、竜語とちゃうんか……。に、兄さん……りゅ、竜なんか……」

「竜? 竜ってなんや?」

「アホかお前……竜っちゅうのは、ゴブリンの500万倍おっとろしい存在や!! ほとんどヤクザやぞ!」

「竜や……。ヴァイリスの竜や……」


 ノームたちがざわめき始める中、僕の口から、次の言葉が発せられる。


『ワレら、ゴブリンごときに何うろたえとんじゃアホンダラァ!! 今からきっちりカタにハメたるから、さっさと後ろに下がってよう見とかんかい!!』

「へ、へい!! 親分!!!」


「べ、ベルくん……?」


 ミスティ先輩、そんなドン引きした顔で僕を見ないでください。

 僕が言ってるんじゃないんですこれ。


「イヴァ、やくざになったの?」

「な、なってないよ!! っていうかやくざってナニ?!」


 純真な目で僕を見るエレインに思わず答える。


 あらゆる生命体に通じると言われる竜語。

 そんなものを扱える人物なんて、彼女しかいないじゃないか。


『フフ、まぁ、このぐらいは手を貸してやっても、不粋にはなるまい』

(おかげでみんなの僕の印象がむちゃくちゃだよ……)


 僕は力なくアウローラに抗議した。


「お、お前ら、はよ後ろ下がらんかい!! 親分にしばき回されるど!!」

「い、いや、しかし、ほんまにゴブリン倒せるんかどうか……」

「ワシは正直、ゴブリンより親分のほうがこわなってきたわ」

「ワシもや……」


 とりあえず、不本意ながらアウローラのおかげでノームたちがすごすごと後ろに下がってくれたので、僕はトンネルの上で同じくドン引きしているヴェンツェルに声を掛けた。


「ヴェンツェル、準備はできた?」

「あ、ああ。問題ない。今から下ろす。レオさん、アサヒ、手伝ってくれないか」

「ああ、いいぜ。……なぁ、それよかボス、今の啖呵たんかの切り方、激シブだったんだけど、どこで覚えたんだ? シビレちまったぜ……」


 アサヒが目をキラキラさせて、穴の上からこちらを見下ろした。

 なんで顔を赤くしとるんだ。


「主様、お怪我をされていますね。……いつもの身体とは違うのですから、あまりご無理をなさいませぬように」

「ありがと、レオさん」


 それこそ激シブな顔で微笑むレオさんに微笑み返すと、レオさんとアサヒが、僕が頼んでおいた「荷物」をゆっくりとトンネルに下ろした。


「……いや、肉に釣られて、やるとは言ったけどよ……。お前、何をやらす気なんだ? 正直、嫌な予感しかしねぇんだけど……」


 トンネルに降り立ったのは、全身を板金鎧プレートアーマーで身を包み、可変盾を大盾にしたちびキムだ。

 大盾になったキムの盾は、体に合わせて小型化しても魔法金属ミスリルによって青白い光で「御存知!! 最強タンク、キムラMK2参上!!」という文字がしっかりと浮かび上がっている。


 僕が無事なところを見ると、どうやら、僕のこのいたずらはキムにはまだバレていないみたいだ。


 ……だが、今日のキムはそれだけではない。

 

 ちびキムの身体は、納屋に置いてある荷運び用の台車の上に乗せられ、ロープで完全に固定されている。 

 

 武器も違う。

 普通の槍よりも何倍も長大で、槍の穂先だけで作った、極太の針のような形の槍。

 馬上槍ランスだ。


 本来、キムの得物は片手剣だが、僕はヴェンツェルに言って、ベルゲングリューン城の武器庫にある馬上槍ランスを持たせていたのだ。


「よしよし、完璧だ。ヴェンツェル。ミヤザワくん、アーデルハイド、オールバックくんも下ろしてくれる?」


 僕はちびキムの後ろに回って、台車の持ち手に手を掛けながら言った。 


「な、なぁ……、お前、何をするつもりなんだよ……?」


 前方から怒り狂ったゴブリンたちの唸り声と足音が聞こえ始めている中、不安そうにキムが尋ねる。


 本当は僕の方を向いて、顔を見て尋ねたいのだろうけど、キムの身体は完全に台車に固定されていて、前方しか向くことはできない。


「何って、キムはタンクでしょ?」 

「そ、そうだけど……」

「タンクの仕事をしてもらうだけだよ」


 これから起こるであろう光景を想像して、必死に笑いをこらえながら言った。


「まぁ、壁役タンクじゃなくて、戦車タンクの方なんだけどね」

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