第三部 第一章「ヤクザとトンネル」(3)


「メッコリン先生、本当に大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないのはお前の単位だ、ベル」


 休日に呼び出されたメッコリン先生があきれ顔で言った。

 中庭のテーブルの上には僕たちのクランメンバーの証である指輪、クランリングを集めたものが置かれている。

 そこに、魔法学院の学長先生から、ある条件と引き換えにいただいた魔法の粉をメッコリン先生がぱらぱらと振りかけた。


「そんな僕の補習授業20時間分と引き換えでゲットした粉なんだからね、失敗しないでね」

「お前、ヤバいのは魔法科だけじゃなさそうだぞ。イグニア新聞でお前が授業をサボってエスパダで大活躍していたのを知って、ロドリゲスさんがカンカンだった」

「うわ、嫌なことを思い出させないでよ……」


 僕はげんなりしてメッコリン先生を見る。

 

「あのさ、先生。ロドリゲス教官が好きなお酒とかってわかる?」

「教師を買収しようとするな!」

「僕の教師の得意技なんだけどなぁ」

「私を見て人聞きの悪いことを言うのはやめたまえ」


 アルフォンス宰相閣下が苦笑しながら言った。


「みんなはズルいよなぁ。一緒にエスパダに来てたのに、授業の単位はちゃっかり取ってるんだもんなぁ。……花京院でさえ」

「まぁ、昼寝してたって単位はもらえるからなぁ。ロドリゲスのおっさんの授業以外は」

「……花京院。もう私はおまえに授業中に寝るなとは言わんが、せめてデカいイビキをかくのだけはやめてくれないか」


 メッコリン先生が花京院にそう言いながら、魔法術式の準備をする。


「ルクスの歯ぎしりよりマシじゃね?」

「お前のイビキのがひどいわ! 急におとなしくなったかと思ったら、『ンゴッ!!』っていうから、びっくりして心臓が止まりそうになるんだぞ!!」


 ルッ君が花京院に言った。


「あのねぇ、アンタたちの間の席に座ってるアタシの身にもなってほしいわよ……」


 ジョセフィーヌが二人に抗議した。


「……なんでこんな奴らが補習ナシで、僕だけ補習だらけなんだ……」

「お前は各地で色々やらかしすぎなんだよ……。士官学校の教師はな、毎週、胃を押さえながらイグニア新聞のお前の記事を読んでるんだぞ」


 メッコリン先生が言った。

 僕が何かをやらかす度に、過保護な親が多いA組の保護者からいちいち問い合わせが来るらしく、マフィアのドンになったと知った時には、問い合わせの窓口役の先生が卒倒したのだそうだ。


 エタンを連れて行かなくてよかった。

 エタンをマフィアの構成員にしていたら、きっとエタンのお母さんも卒倒したに違いない。


「でも、あんたもなんだかんだで色んな経験を積んだんだから、今からでもちゃんと授業を受ければ落ちこぼれずに済むんじゃない?」

「僕もそう思ったんだけどさぁ、やっぱだめなんだよねぇ。退屈しちゃって……」


 ユキに答える。


「メッコリン先生の授業なんて、教科書に書いてあることそのまま言うだけだしさぁ」

「おい、魔法術式を失敗させたくないなら、私の前で私の授業内容をけなすんじゃない」

「教科書に書いてあることすらできないんだから、教科書に書いてあることを学ぶのは当然なんじゃないか」

「うわっ、グサっと来た! 今の誰が言ったの?!」

「ギルサナスだな」


 キムが言った。


「くっ、イケメン優等生に僕の気持ちがわかってたまるか……」

「ギルサナスみたいな生徒ばかりだったら、私の髪も胃袋も安泰なんだけどな……」

「大丈夫だよ先生。あそこにいるおっさんと比べたら、先生の髪はまだまだ大丈夫」

「オレの髪をいじるんじゃねぇよ!!」


 後ろで様子を見守っていたペロンチョがツッコミを入れた。

 

「お前、よくエスパダの元国家元首の髪を笑いのネタにできるな……」


 メッコリン先生が呆れたように言った。

 正確には元国家元首で、現役のマフィアのドンだ。

 

「そんな元国家元首様に部屋をタダで提供しているのは僕だし、エサをあげてるのはウチのメイドだからね」

「エサって……」


 ミスティ先輩が言うと、メルとアリサが笑って紅茶と珈琲コーヒーをこぼしそうになった。

 

「しかし、ありゃー、おめぇにはもったいないぐらいのいいメイドさんだな。どこで見っけてきたんだ?」

「勝手に押しかけてきたんだよ。ある日起きたら部屋でタバコ吸ってた」

「ぷっ、なんだそりゃ……」

「ホントなんだってば」


 信じてないペロンチョに僕は苦笑する。

 

「そんで、ウチのリットンを半殺しにした執事、あれがマジモンのマテラッツィ・マッツォーネってのは本当なのか?」

「そうだよ。エスパダの英雄二人が今、この屋敷にいるわけさ」

「へっ、おめぇを入れたら三人ってわけか。豪華なこった」

「いやいや、僕はオレンジ売っただけだから」

「ククク、これはご謙遜を。貴方が中央卸市場を開放して、周辺のマフィアを一掃したおかげで、今やエスパダはオレンジどころか、あらゆる小売業で流通革命が起こっていますよ」


 屋敷から歩いてきた黒縁メガネの男が会話に加わった。


「この人、誰だっけ」


 花京院が言った。


「エスパダの敏腕弁護士、オスカーさんだよ」

「ああ、そうだ、そうだった。エスパダの議員たちと一緒にいた人か」


 僕が代わりに答えると、花京院がうんうんとうなずいた。


 エスパダの件の諸々が片付いた後、役に立ちたいというので、しばらく大忙しの、ヴァイリス=ジェルディクからエスパダへの輸出担当のギュンターさんと、エスパダからの輸出担当のバルトロメウを法律面でサポートしてもらっている。


 そんなオスカーの後ろから、一昔前のイケメンといった感じの、七三分けのおじさんが近づいてきた。


「このおっさんは?」

「この人は……」

「エスパダぁーのオレンジぁぁぁ!! んまぁぁぁぃ!! オレンジぁぁぁ!!」

「うるせぇよ!!」


 僕がそれ以上何かを言う前に、オレンジおじさんが大音量のテノールで歌い始めたので、ペロンチョが全力でツッコんだ。


「……ノームたちさ、この人の歌の方向にトンネルを掘ってたらしいよ」

「えっ、そうなの?」


 ペロンチョが思わず素になって僕に言った。


「お客様だけでなく、土の精霊をも呼び寄せるこの美声。罪深いことです……」

「ムダにいいキャラしてんな、お前……」

「ギュンター氏の依頼で、これから二人で、新規開店したベルゲングリューン市の各商店の視察に行ってくるところなのです」


 ペロンチョの言葉に苦笑しながら、オスカーが言った。


「ご苦労様。手伝えることがあったらなんでも言ってね」

「ありがとうございます。それでは……」


 オスカーはうやうやしく一礼して、上機嫌でさらに歌い始めるオレンジおじさんを連れてベルゲングリューン市に向かっていった。


「よし、完成だ!」

「え、もう終わり? 本当に?」


 メッコリン先生の言葉に、僕たちは思わずテーブルを覗き込んだ。

 クランリングの見た目は、何も変化がないように見える。


「ああ。もう魔法付与エンチャントは完了だ。試してみるといい」


 こう見えて、メッコリン先生は魔法学院の学長先生やヴェンツェルのお姉さんであるジルヴィア先生も一目置くほどの、魔法付与エンチャントのスペシャリストらしい。


 ちなみに、僕はあんまりよくわかってないんだけど、魔法付与エンチャントというのは、物品に魔力を込めたりだとか、そういう地味だけど大変便利な魔法のことだ。


「ほうほう。ヴェンツェルー、どこー?」

「呼んだか?」

「おわっ」


 後ろを向いて呼んだ途端、真ん前で声がして僕は少しびっくりしてしまった。

 背が小さいから振り返った時に気付かなかったのだ。


「ずっとおとなしかったけど、何をしていたの?」

「ベルに言われて、情報魔法で人物名鑑を作っていたんだが、なにぶん人数が多くてな……。難航している。ミヤザワ君にも手伝ってもらっていたんだが……」

「この短期間ですごく多くの人と知り合ったもんなぁ」


 ヴェンツェルの情報魔法で、モンスターの情報みたいに、今までに知り合った人の名前と情報が一覧できるようにできないかって以前相談したことがあったんだけど、ちゃんと考えてくれていたみたいだ。


「お、ミヤザワくんも来たね」

「あとでゾフィアとテレサもエレインを連れてくるっていってたよ」


 ミヤザワくんが、彼のペット兼召喚獣であるブッチャーを連れて屋敷からやって来た。


 ゾフィアたちは今、ジェルディクに帰郷している。

 以前のクラン戦でジェルディクの首都、リヒタルゼンのクラン城を手に入れたおかげで、クラン城の転送ゲートから僕のベルゲングリューン城まで簡単に行き来できるようになったので、とても便利だ。


「エレインにも今度、エスパダに連れて行ってあげたいなぁ」

「あの子にマフィアの格好させるのだけは、保護者として許さないからね!」

「そうよ! 絶対ダメよ!」


 ユキとミスティ先輩が僕に釘を刺した。


「ええー、みんなすっごく似合ってたのに……。メルのめちゃくちゃセクシーなドレス姿とか、また見たいなぁ」

「ベルが喜ぶなら……、また着てもいいわよ」

「メル!?」


 顔を紅くして言うメルに、アリサが目を丸くした。


「あ、そうそう、それでヴェンツェル。指輪をはめてみて」


 僕はテーブルの前の椅子に座り、呼びっぱなしにしていたヴェンツェルの前に指輪をかざした。


「ああ、さっき預けたクランリングか。どうしたんだ?」

「いいからいいから」


 僕はヴェンツェルの右手を取って、その指に指輪をはめる。


「ベルが……ヴェンツェルの指に……」

「な、なんか、見ちゃいけないものを見ているような気になるわね……」

「眼福眼福……」


 メルとアリサ、ミスティ先輩が騒いでいるけど、気にしないことにする。


「メッコリン先生、この後、どうすればいいの?」

「一言、『ミニマム』と言えばいい。元に戻る時は『マキシマム』だ」

「ヴェンツェル、ミニマムって言ってみて」

「ん……ミニマム?」


 指輪をはめたヴェンツェルがその言葉を口にした途端……。


 ぼわわわわんっ!


「うわっ!?」

「か……、か……、か……」


 僕は思わず、うめいた。


「「「「「「かわいい〜!!!!」」」」」」


 僕とユキ、メル、アリサ、ミスティ先輩、ジョセフィーヌが異口同音に叫んだ。

 ヴェンツェルがそのままの服装で、ちょうどノームぐらいのサイズに小さくなったのだ。

 人間でいうと、三歳児から五歳児ぐらいの大きさだ。


「お、おい、ベル。君はまさか、これでノームたちのトンネルに……あ、こらっ」


 小さい体でわーわー言っているヴェンツェルを抱き上げて、僕は椅子に座ったまま、膝の上に乗せた。


「な、なんてかわいい生き物なんだ……。ヴェンツェル、もうずっとこのままでよくない?」

「な、なんちゅーことを言うんだ君は!!」

「ベルくん、わ、私も!! 私にもだっこさせて!!」

「いやーん! 私も抱っこするぅ!!」


 ミスティ先輩とジョセフィーヌが目をハートマークにさせながら駆け寄ってくる。

 僕たちはしばらく交代で子犬のようなヴェンツェルを猫かわいがりしまくった。

 

「はぁはぁはぁ……マ、マキシマム!」


 ぼわわわわんっ!


 たまりかねたヴェンツェルがそう叫ぶと、たちまち普段のヴェンツェルの姿に戻った。


「「「「「「うーん……」」」」」」

「な、なんだよ……」


 元に戻ったヴェンツェルを、僕たちはしげしげと眺める。


「これはこれで……、かわいいな」

「かわいい」

「かわいいー」

「かわいいわ」

「かわいいわね」

「かわいいわぁ」


 あらためてヴェンツェルのかわいさを実感するのだった。

 そして……。


 ぼわわわわんっ!


「お、おい……、鎧が重すぎて動けねぇんだけど……」

「ぎゃははははははははは!!!!」

「キム、キム……、小さくなってもゴツい!!!」

「お、おなかいたい……おなかいたい……」

「わ、笑い事じゃねぇよ!! 一歩も動けねぇんだよ!!」


 分厚い板金鎧プレートアーマーと可変盾に身を包んだキムは、その体型のまま小型化して、まるで肉団子のようになった。

 

 ぼわわわわんっ!


「なるほど……、筋力自体はそのままだが、やはり体幹はずいぶん弱くなるようだね」

「くっ、ギルサナス……、小さくなってもイケメン……」

「イケメンね」

「イケメンだわ……」


 ちびギルサナスが暗黒剣を振って感触を確かめているのを、僕たちはしげしげと眺めた。

 流れるような金髪と、キリッとした目と甘いマスクを持ち合わせた顔立ちは、小さくなっても変わらなかった。


 ぼわわわわんっ!


「うははははははははは!!!」

「ひーっ!! 花京院っ、花京院もヤバい!!!」

「僕、昔こういう消しゴム持ってたわ……」 

 

 ムキムキマッチョでモヒカン姿のちび花京院を見て、僕たちはまたゲラゲラと笑う。


 そんな調子で、ちびミスティ先輩、ちびメル、ちびユキ、ちびジョセフィーヌ、ちびルッ君、ちびミヤザワくんと順調に小人化に成功したところで、僕もそれに倣った。


 ……ちなみに、ルッ君はもともと小さいので印象があんまり変わらなかった。


「ベルさん、いますかー? 子どもたちのことで相談が……」


 その時、中庭にやってきたマテラッツィ・マッツォーネ三世が、小人化した僕を見て、ぴたりと足を止めた。


「か、か、か……」


 小さくなった僕を見下ろしてわなわなと震える三世。

 いつも見下ろしていた三世から見下ろされるのは、なかなか斬新だ。


(い、いや、それどころじゃない)


 僕はさっきのヴェンツェルが被った出来事を思い出して、『マキシマム』とひとこと言えばいいだけなのも忘れて、一目散にその場から逃げ出した。


 だが、相手は大怪盗の後継者を自認している少女だ。

 ものすごい速度で回り込むと、僕を抱き上げて、ぎゅっとしはじめた。


「か、か、かわいい〜!!!!」

「ちょ、ちょっと、三世、三世ってば!!」

「ベルさんなんですよね?! どうしてこうなってるのかはわからないけど、ずっとこのままでいてくれません?! わたし、一生面倒見ますから!!」

「むちゃくちゃ言わないで!! 正気になって!! 君みたいな少女に養われたら、メアリーになんて書かれるか……」

「うわあっ!! 伯!? 伯なのですか!? ま、まさか、少女に可愛がられるために禁断の魔法に手を染めて……!?」

「ああ、話題にするとなんで湧いてくるんだこの人……」


 他のみんなも小さくなってるだろ、と言おうとして周りを見ると、みんないつの間にか元の姿に戻って事のなりゆきをニヤニヤしながら見守っていた。


(え、えっと、元に戻るのはなんて言うんだっけ……、まき、まき……まきまき……)


「殿!! 帰還が遅くなりました!! ってうわあああああ!!」

「お姉様、お兄様の前だからってはしゃぎすぎては……ひゃああああっ!?」

「イヴァ!! イヴァがちいさくなってる!!」


 メアリーまで加わって話がややこしくなりそうになったところに、リヒタルゼンから転送ゲートでやってきたゾフィア・テレサ姉妹とエレインまで合流した。


「と、殿……っ、まさか私を出迎えるために、こんな愛おしい姿に……っ!!」

「お姉さま、今すぐウチの子にしましょう!!」

「娘、殿を私によこすのだ!!」

「いやです!! このベルさんは私が一生面倒を見ます!!」

「な、なんだと!?」

「ジェルディク随一の武門、キルヒシュラーガー家を敵に回そうだなんて、いけない子がいるようね……」


 にこにこしていたテレサが腰の鞭に手をかけて、僕を抱きかかえる三世に向かって不穏な空気を漂わせる。


「ほう……。ずいぶん面白いことになっているではないか」

「ああ……、またややこしい人がやってきた……」


 ダークグレイアッシュの髪をなびかせて、ツカ、ツカと、悠然とした足取りで近づいてくる女性。

 ヒルダ先輩だ。


「その愛おしすぎる存在は、このアイヒベルガー家次期当主、ヒルデガルドが貰い受ける」

「次期当主って、お父さんじゃないの……。宰相閣下?」


 宰相閣下の方を振り向くと、宰相閣下はメッコリン先生やペロンチョと一緒に後ろを向いていた。

 三人とも知らないふりをしているけど、笑いをこらえて肩が震えているのが丸わかりだ。


「うおおおおっ、こ、これはスクープですよ!!! ヴァイリス大貴族の代表アイヒベルガー家とジェルディク軍人の代表キルヒシュラーガー家と、エスパダの大怪盗の対決!!! 300年の和平が、たった一人の男によって破られた!!」

「縁起でもないことを言うな!!!」


 僕は小さい体のまま、メアリーに全力でツッコんだ。



 ……かくして、僕たちはノームのトンネルに侵入するための小人化に成功することができた。

 

 だけど、ぎゅっと抱きしめる三世にまったく抵抗できないところからしても、普段の僕たちからはずいぶん弱体化してしまうようだ。


 本当にこれで、ゴブリン達を掃討できるのだろうか……。

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