第三十一章「作戦名:ベルゲングリューンの井戸」(1)


「まずはこれを見てください」


 ベルゲングリューン城の会議室である円卓の間に入って、一同を確認すると、僕は資料を広げた。


 円卓の間にいるのは、アルフォンス宰相閣下、ヒルダ先輩、ミスティ先輩、建築の専門家であるリップマン子爵、商家の若旦那ギュンターさん、冒険者ギルドイグニア第二支部職員兼、ベルゲングリューン市開拓事業推進ギルド、ギルドマスターのソフィアさん。それから、イグニア新聞の記者、メアリー、またの名を鉄仮面卿。


「これは……、ベルゲングリューン市にある古代迷宮?」

「ええ、そうです」


 ミスティ先輩の問いに僕はうなずいた。


「こないだの迷宮とは違う迷宮だな。貴様が用意した候補リストにもなかったな」

「ええ。ここは早めに目を付けていたんですが、ちょっと士官学校ギルドでやるには攻略難度が高すぎるので、候補から外したんです」


 ヒルダ先輩に答える。


「ふむ。見たところ、なかなかの規模の迷宮のようだが……、この古代迷宮がどうかしたのかね?」


 アルフォンス宰相閣下の問いに、僕は指を差した。


「この迷宮の見取り図の最下層を見てください。地底湖のような構造になっているんです」

「最下層に地底湖があるというのは、それほど珍しいケースなのですか?」


 ギュンターさんの問いに、ミスティ先輩が首を振る。


「いいえ、ギュンターさん。私が探検した古代迷宮の中でもいくつか、そういう構造の迷宮を目にしたことがあります」

「したっけ、地下迷宮っちゅうのは、何度見ても面白い構造しとるねぇ」


 リップマン子爵は興味深そうに資料を見つめていた。


「ベル、この古代迷宮がどうかしたのか?」


 ヴェンツェルが促したので、僕はアルフォンス宰相閣下の方を向いた。


「さっき宰相閣下とした話を、ここにいるみんなに共有してもよろしいでしょうか?」

「ああ、かまわんとも」


 宰相閣下の許可を得て、僕はアヴァロニア大陸が今後直面するであろう、水資源の問題について説明した。


「愚かな。我々の祖先が血で血を洗う闘争の末に得た平和を、そのような目先の欲望で手放してしまうなど……」

「それが人間というものだよ。ヒルダ。ベルゲングリューン伯はそのことをよく理解している」


 アルフォンス宰相閣下が孫を諭すように言った。


「水源が有限である以上、どのような方策を取っても、いずれ必ずいさかいは起こるでしょう。そして、そうなった時の為に、各国は軍備を増強しはじめる。でも、それは結果として新たな緊張状態を生み……」

「マッチ一本火事の元、というわけですねぇ」


 僕の言葉に、ぽつりと呟いたメアリーの言葉が続いた。


今日こんにちの技術や魔法を使っても、大量の水源を生み出すようなことはできない以上、普通に考えたらもう、これは避けようのない未来と言えます」


 想像以上に深刻な話題に、戸惑い気味の周囲を見回しながら、僕は言った。


「あとは、その避けようのない火災を、どれだけ自国にとってボヤ程度で済ませられるかっていうのを考えるのが、アルフォンス宰相閣下のように政治に身を置く人の考え方だと思うのですが」

「その通りだ」


 アルフォンス宰相閣下が重々しく言った。


「つまりはこれが、政治家の限界ってやつです。宰相閣下」


 僕は驚いて目を見開くアルフォンス宰相閣下に、いたずらっぽく笑った。

 

「ひぇぇぇ……。宰相閣下が伯の政界入りを画策しているというのは本当だったんだ……メモメモ」


 アルフォンス宰相閣下は僕の方を向いて苦笑しながら、メアリーの手帳をひょいと奪い取った。


「ここでの会話はオフレコだよ。メアリー女史」

「ひっ、す、すいません、宰相閣下……」


 釘を刺した後で、宰相閣下はメアリーに手帳を返す。


「ミスティ先輩、古代迷宮の特徴を言ってみて」

「え?! え、えーと、地上には出現しないようなヤバめな敵がうじゃうじゃいて、地上ではお目にかかれないようなお宝がいっぱいあって、特に下層に行けば行くほど宝具アーティファクトクラスのお宝が出てきちゃったりして、そういうのを見つけた時にはこう、脳汁が……」

「ストップストップ!! 脳汁じゃなくてヨダレが出てますよ、先輩」

「あ、あらやだ。ごめんあそばせ……」


 ミスティ先輩がハンカチで口元を拭って、一同に会釈えしゃくしてごまかした。


「お宝以外の特徴をお願いします!」

「えっとね、古代迷宮は今から何千年も前に作られたものだと推定されていて、そんなものがどうして存在するのかも、どうやって作られたのかも未だに解明されていなくって、迷宮全体が古代魔法による産物と考えられているわ」


 少し軌道修正して、ミスティ先輩が説明を始める。


「不思議なことはたくさんあって。これは『迷宮組』、つまり古代迷宮探索をメインにしている冒険者たちの決り文句なんだけど、『増えることはあっても減ることはない』っていうのがあるわね」

「増えることがあっても?」


 僕が尋ねる。


「そう、そこがブラックジョークなのよ。冒険者が迷宮で死んだら、その死骸やら遺品がどんどん増えていくでしょう?」

「な、なるほど」

「その一方で、古代迷宮に群生している魔物モンスターは、たとえ全階層に生息しているすべてを全滅させたとしても、一定期間するとまた発生するし、採取した薬草どころか、トラップなんかも大掛かりなもの以外は新しい仕掛けが用意されていたりするの」

「つまり?」

「つまりって?」


 きょとんとするミスティ先輩に、僕はその話の続きを促した。


「つまり、古代迷宮の最下層にある地底湖の水は?」

「おそらく、地底湖の水も、一定期間すると……あっ」


 ミスティ先輩が僕を見上げて、アルフォンス宰相閣下とギュンターさんがガタン、と椅子の音を立てて立ち上がった。

 自分の手掛けた作品の心配をしたリップマン子爵が、その体格からは想像もできないような機敏さで宰相閣下の椅子を、次いでギュンターさんの椅子をキャッチした。


「ま、まさか君は、古代迷宮の水資源を利用しようと言うのかね?!」

「はい、宰相閣下」


 僕はにっこり笑ってうなずいた。


「資料によれば、実際に、脱水症状に苦しんだ冒険者が地底湖の水を飲んで九死に一生を得たという記録があります。飲料水として問題ない水質、つまり浄水の必要のない真水が、実質無尽蔵に手に入るわけです」

「い、いや、しかし、本当にそんなことが可能なのか……。どうだね、ミスティ君」


 アルフォンス宰相閣下に尋ねられて、ミスティ先輩が慌てて襟元を正してから言った。


「古代迷宮の最下層まで到達できる冒険者は限られています。そもそも、最下層まで到達すること自体、とてもハードルが高いと思いますし、古代迷宮の外壁は大魔法でもビクともしません。転移魔法テレポートを得意とする冒険者が誤って壁の中に転移してしまい、永遠に壁の中から出られなくなった、という笑い話があるぐらいで……」

「笑えるんですか、それ……」


 ミスティ先輩の披露した冒険者ジョークに、ギュンターさんが思わずツッコミを入れた。


「冒険者の人たちって、冒険で名を残して死ぬのが本望っていうか、そういう生き方がカッコいい、みたいな人が多いんです。まったく、私達の気も知らないで……」


 ソフィアさんが愚痴を重ねる。

 冒険者のそういう考え方に、ソフィアさんは否定的な立場だ。


 いくらこちらが安全マージンを取っても、当の本人たちがそんな考え方だとどうしようもない、と以前嘆いていた。

 だから、ソフィアさんは奥さんやお子さんのために安全な冒険しかしないガンツさんたちにとても優しい。


「話を戻そう。つまり、貴様のアイディアには現状のところ、運用と施工、双方に重要な問題を抱えていると言わざるを得ないわけだ」


 ヒルダ先輩がそう言うと、アルフォンス宰相閣下も冷静にうなずいた。


「まぁ、そうでしょうね。アイディア自体は他に思い付いた人もいるかもしれませんが、おそらくそういう問題点ばかりが出てきて、誰も実行しようとは思わなかったのでしょう」

「ほう……、ということは、貴様にはこの問題を解決する方策があるというのか?」


 ヒルダ先輩が腕を組んで目を細める。

 先輩のこういうしぐさにゾクっとするんだよなぁ。


「方策があるというか……、まぁ、『気合とやる気』の問題ですよ」

「お、おい、ベル……、君まで毒島ぶすじま先輩のようなことを言わないでくれ……」


 ヴェンツェルが言った。

 よっぽど古代迷宮の大騒ぎにりたのか、ヒルダ先輩に正座させられたのがトラウマだったのか、ヴェンツェルからこの短期間で毒島ぶすじま先輩というワードが2回も出てきた。


「まず、施工について。これは、建築の専門家、リップマン子爵に聞いてみるのがいいでしょう」

「ほへ?!」


 自分の手掛けた円卓の椅子をぼうっと眺めていたリップマン子爵が、急に話を振られて頓狂とんきょうな声を上げた。


「僕の私室はこのお城の最上階にありますが、なんと温かいシャワーが勢いよく出ます。あのリップマン子爵の汲み上げ技術を使えば、古代迷宮の地底湖の水を汲み上げることも可能なんじゃないかな、と僕は思ったんですが」


 僕がそう言うと、リップマン子爵は照れくさそうに頭をかいてから、テーブルの上の古代迷宮の資料を覗き込んだ。


「あれはソリマチのダンナのお力も大きいんだわ。基本原理はポンプの応用やね。褒めるんならソリマチのダンナの施工能力の方だっぺよ」


 そうそう、ソリマチ隊長にも後で相談しないとな。

 

「ま、個人的には、水の動力だけで勝手に動く水車を発明したご先祖様のほうがよっぽどすげぇと思うけどよ。このお城の汲み上げにゃ魔法石を使っとるし、色々とズルだわな。なはは!! ポンプ一つにしたって風魔法で真空状態を作り出しとって、呼び水とかを使わずに吸い出し続ける仕組みになっとるんよ」


 リップマン子爵は朗らかに笑いながら、ようやく古代迷宮について言及した。


「壁に一切穴が開けれんちゅうのは、一見厄介なんだっけど、逆にやぁ、水漏れの心配のない、施工済みの水路が確保できるってことなんよね」


「おお、なるほど……」


 ギュンターさんが反応した。


「問題は動力なんよね。全揚程H_tを得るのに必要な水動力っちゅうのは、ええと、吐出量がQ[m3/s]の場合、単位時間あたりに質量pQに位置エネルギーgHtを与えるわけで、したっけ、pgQHt分の魔法エネルギーが必要になるんだっぺな。で、そこに流体摩擦やら軸摩擦によるエネルギーの損失ちゅうんを考えにゃならんわけで、したっけ、ええと、軸動力が……」

「ストップ!! ストップストップストーップ!!」


 一同を代表して、僕が必死にリップマン子爵を制止した。


「方言と専門的なことが混じって何が何やらさっぱりわかりません! つまり、動力が問題なんですよね?!」

「そうそう!! なんだぁ、ちゃんとわかっとるじゃないの!」


 リップマン子爵が「大したもんだぁ!」という顔をして喜んだけど、もちろん僕は、ただ子爵が最初に言った言葉しか言葉として理解できなかっただけだ。


「したっけ、この地底湖にこう、羽根車をいっぱいつけた、ドでけぇ水中ポンプをずぼーっと突っ込んでよ? それをヴィィィィィィィンって回すことができりゃ、遠心力で勢いよく水がドバーってよ? でもそのままだと速度エネルギーが強すぎて、摩擦で水路がボロボロになっちまうから、その水をよ、こう、渦巻きの中をぐりぐりぃって移動させてくことによって、速度エネルギーが圧力に変換されて、こう、ええ感じに……」

「……なにがええ感じなのかはまったくわからないけど、作れるってことですよね?」


 何がヴィィィィィィンでなにがドバーで、ぐりぐりぃなのかはよくわからないけど、とりあえず作ることはできるらしい。

 そのヴィィィィィィンを動かす動力さえあれば。 


「さっきのお話だと、ベルくんのお城のお風呂とかシャワーのお水って、魔法石の力で汲み上げてるんですよね?」

「そそ。炎の魔法石で温かいお湯まで出るスグレモノだっぺよ。冬場にぬるくなっちまう王宮の浴場とはえらい違……あわわ」


 自分の失言に気付いて、リップマン子爵があわててアルフォンス宰相閣下の顔を見た。


「……ミスティ君、続けてくれたまえ」


 アルフォンス宰相閣下が苦笑しながら、続きを促した。


「あ、はい。えっと、魔法石って、魔力がなくなるとただの石になっちゃうと思うんですけど……。定期的に取り替えなくちゃいけないんですか?」

「かぁー!! 黒鼻どのはいい質問するねぇー!! 大したもんよ!」

「くろばなじゃなくて、黒薔薇だよ! く・ろ・ば・ら!」


 僕が思わずツッコんだ。


「まぁ、こまけぇことはおいといて、湖のほとりに水車を作ったの、気付いとる?」

「……ちっとも細かくないですけど、ええ。すごくキレイで、かわいらしい水車ですよね」


 ミスティ先輩の褒め言葉に、リップマン子爵が「むほっ」と喜んだ。


「あれを褒められるのはポンプよりも嬉しいわな。で、あれはよ、水を運ぶんじゃなくて、雷属性のエネルギーを生み出しちょるんだわ」

「雷属性?」

「雷属性はエネルギーの伝導効率がいいからな。そのエネルギーを魔法石に供給することで、魔法石の半永久的な利用ができるようになるというわけか」

「おおっ、そこのべっぴんさんの言う通りだっぺよ!! あんた頭いいんだなぁ!! おらの弟子にしてぇところだわ」

「……私の孫娘だ」

「さ、左様でございましたか……」


 アルフォンス宰相閣下のぼそっとした言葉に、リップマン子爵が一瞬標準語になった。

 

「と、とにかく、あれぐらいの動力供給なら、あんなゆっくりした水車でもいけっけど、地底湖の水を汲み上げるポンプの動力になるかっちゅうと……」


 なるほど、そういうことか。

 僕は地下迷宮の資料をじっと眺めた。


「ソフィアさん、この最下層にある地底湖って、これを見る限り、その上の層から続いているんですよね?」

「えーと、うん、そうねぇ……、だいぶ前に冒険者が残していった地図だから、実際に見てみないとなんとも言えないけど……」

「……二人共、ちょっと近くないか?」


 ソフィアさんと顔を寄せ合って資料を検討していると、ヒルダ先輩から抗議の声が飛んだ。


「あ、そうだわ! ここから、最下層に流れて行ってるみたい」

「ベル、もう少し身体と身体を離してだな……」

「ヒルダ……」


 ヒルダ先輩をアルフォンス宰相閣下が弱々しくたしなめた。


「……ミスティも何か言ってやったほうがいいのではないか?」

「ちょ、ちょっと、ヒルダ先輩。こんなところでやめてください……」


 ……ほんとそう思う。

 なぜこの人は、宰相閣下やこれだけの人たちのいる前で、普段のままでいられるのだろう。


「リップマンさん、ここを見てくれる?」 

「ほいほい、なんかね」

「この上の階層から、最下層に水が流れてるみたいなんだけどさ、ここの水流をこう、石を詰んでもっと狭めたら、滝みたいになるんじゃない?」

「おーおー!! 新しい観光名所になっちったりして! なはは!!」


 リップマン子爵の言葉に僕は思わずズッコケそうになった。

 この人が天才なのは間違いないけど、絶対どこか抜けてると思う。


「そうじゃないよ!! 滝から流れる水のエネルギーでデカい水車を回したら、そのヴィィィィィィンってやつが動いたりするんじゃないの?!」

「……」


 その途端、リップマン子爵がおとなしくなった。

 物差しを取り出して、資料の図面の長さを測って、何事かを計算しはじめる。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!! アンタはやっぱり天才だっぺよ!!!! できる!! いや、できんかったら水車100個でも200個でも作ったらできるわ!!!! なはは!!!!」

「いや100個はムリでしょ……」

「あとは、迷宮の壁の端っこを伝って、こう、螺旋らせんを描くように、ぐるぐると水路を回していって……」


 僕のツッコミが聞こえないのか、リップマン子爵が腕を組んで考え始めた。


 とにかく、これで実現可能性については一つクリアだ。

 まだまだ問題は山積しているけど、とりあえず一歩前進だ。

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